反撃開始!
(怖い、冷たい、痛い、苦しい、寒い、嫌い、食べたい、苦い、気持ち悪い……)
圧倒的負の感情が、黒いよどみの先からあふれてくる。
闇色の空間に、より一層深く黒い━━漆黒の頂点から、直接心にその感情が打ち付けられる。
自分の存在さえも、凍りつき、黒く染まっていくような感覚が広がる。
それでも、その中心に向けて近づく。
痛いほどの感情の奔流に、自分が砕けていく感覚はある。
ただ、その圧倒的なまでの迸る悪意の源は、小さく、儚い存在と感じらた。
だから、このままでは自分も消え去ると知りつつ、身を寄せていく。
(大丈夫?)
音にはならない声で、優しく語り掛ける。
(……)
(ちょっとだけ我慢してね)
何をすればいいか、考えたわけではない。ただ、自分の中にある、ありったけのモノを、この、か弱く、脆い存在に注ごうと思う。
闇が徐々に払われる。
同時に、自分の存在が薄くなるのも感じられる。
周囲に光が生まれ、漆黒は、夜明けを迎えた夜のように名残惜し気に去り行く。
ただ、自分というものも儚くなるのも、わかる。
(大丈夫。もう、ちょっとだからね)
(……)
戸惑うような、心配するような、もっと欲するような思念。
思わず、明るい感情が自分の中で新たに生まれる。
(……だいじょうぶ?)
思考しているのであれば、何が大丈夫なのか、疑問に考えだろうか。
ただ、その世界には、感情だけが存在した。
(大丈夫。ボクがずっとそばにいるから、怖くないよ。温めるから、寒くないよ。守るから、痛くないよ)
(……)
ほんの一握りほどになった、小さな闇から光が━━白い光が返ってきた。
瞬間、世界が光に包まれた。
『な……』
光が収まりゆく中で、拘束を解かれた神使が友兼の喉に食らいついてる姿が露になる。
動脈からあふれた大量の鮮やかな紅血が、友兼の身体と、神使の真っ白な肌を緋色に染める。
『なにが……?』
起こっているのか? 神使の拘束が解かれている? 人の血をすする?
理解できない事態に、息をのむ。
そのなかで、 少女の口が友兼の喉から、ゆっくりと離れる。
血が噴出するかと思われたが、出血は止まっている。血管と傷口は、白い結晶で覆われている。
少女の瞳が、友兼を見上げる。
青と金の瞳。金銀妖瞳が、友兼を見つめる。
(異世界でも、赤は攻撃色なんだ……あ、左の目、金色だけど中心で金と銀に分かれてる……)
じっと見つめていると、少女が急に照れたように額を友兼の肩に当て、ぐりぐりと押し付ける。
(あ、ネコっぽい……)
『何をしている! 聖女はシューベルト卿に任せ、お前たちは、ミシェルを捕らえよ!』
ほっこりしている友兼と神使の様子に、側近たちと同様に呆然としてしたローベルトだったが、我を取り戻して命じる。
『早く! 足と腕を切り落としも良い、捕らえよ!』
その命令に、シューベルト卿と呼ばれた老騎士以外がミシェルを目で追う。ミシェルは、老騎士を挟んで雛菊と逆の位置、天幕の出口側に立っている。
側近たちが、ミシェルを取り囲まんと動き出す。
「ぐ……」
雛菊は、油断のない老騎士とミシェルとを交互に見る。それに対し、ミシェルは、笑顔でうなずき返す。
『(もしもの時は、決めた通りに)』
見捨てろ、との意味を込めて。
「……せんせぇ?」
背後の様子のわからない、雛菊の小さな呼びかけ。
「ああ、守ってくれて、ありがとうね。葵ちゃん、ミシェル」
雛菊の声に、友兼は、少女を抱きかかえたまま、ゆっくり立ち上がる。
半ば断ち切られた左腕からはどくどくと血は流れ出すが、痛みは無視する。
ここから、こちらのターン。
そんな心持ちで振り返る。
『さあ、今まで味方だった、神使の力。その身で存分に味わってもらおうか』
立ち上がった友兼は、大げさ動きでローベルトや側近たちを見回す。
『な、なに!?』
『残念だが、神使は、もう私のものだ』
ローベルトは友兼の言葉に、改めていつも通じていた神使とのつながりが絶たれていることを確認し、青ざめる。
『ま、まさか……そのような……あり得ない……』
震える言葉が、友兼の言葉が事実であると肯定する。
それを聞く部下たちに動揺が走る。
『では、反撃といこうか!』
友兼が、ニヤリと笑う。
それを見た者の背筋が寒くなる。
『ま、待……』
その時、世界が赤い光に包まれた。
迫撃砲の準備が整った。
迫撃砲小隊の小隊長の報告に、西島は大きくうなずいて見せる。
「よし、府警本部と大手門の間くらいに密集しているはずだ。その辺りを中心に、警官たちに影響の無いように、な」
「は!」
中隊長に敬礼し、射撃指揮所へ戻り、部下へ指示を出す。
「小隊、目標12時の方向、前進中の敵散兵、榴弾瞬発、1発、方位云々、射角云々、射て!」
観測手が双眼鏡で敵情を見つめる中、班長が、諸元のメモされた紙を復唱し、砲手は諸元を入力する。
「装薬1。弾薬よし!」
復唱されるのを聞きながら、安全ピンを抜いた砲弾を受け取った副砲手は、装填準備をし、班長を見る。
「半装填!」
号令に従って、砲弾を半ばまで滑空砲へと装填する。
「半装填よし」
「用意! うて!」
班長の号令に従い、副砲手が砲弾を握った手を放す。
ドン! という腹に響く音を残し、砲弾は宙へと発射される。
催涙弾の煙を見ても風は無い。弾は、狙い通りに飛んで行く。
「続けて……」
そして、着弾するという前に、西島がガンガン撃てと指示を出しかけた。
爆発が起こった。
周囲が赤く発光し、地面が揺れる。
東西4~500メートル、上空数十メートルにまで達する炎と黒い煙が舞い上がる爆発。
2~300メートル離れていても熱波が肌を焼き、爆風が車さえ揺らす。
「え!」
「へ!?」
「げ!」
「はぁ?」
撃ちかけていた別の副砲手の手が止まる。観測手が余りの熱量に双眼鏡を思わず外し、目をしばたかせる。砲手が爆発と、手元の迫撃砲を何度も見返している。小銃隊員が口をあんぐりと開けたまま動けなくなる。
「いつの間に、こんな威力が?」
「あほ」
部下の呟きに、西島が呆れる。
「何かに引火したんだ」
「……何か?」
「燃料でも置いてあったんじゃないか。にしても、爆発の仕方はおかしいが」
ナパーム弾でも落ちたような爆発だった。ただし、引火した布や木を燃やしているが、爆発自体は一瞬で燃え上がり、すぐに消え去ろうとしている時点で、ナパームなどではない。
「念のため、距離を離して撃て」
航空自衛隊による爆撃でもない。けれど、それでも、敵陣は大きな混乱をきたしている。。
「予定より早いが、小銃小隊も前進させる」
まだボーとしている部下の背を、バシッと叩き、西島は命令を発した。
爆風に吹き飛ばされたクリストは、飛ばされた先が道路脇の植栽だったおかげで、粉々になるようなことは無かった。
『あやつめ、これほどの爆発が起きるとは言っておらなんだぞ!』
腹立たしさからか、眼窩の炎が大きくなる。
『顔を合わせたら、一言言ってやらねばならぬな!』
ブツブツ呟き、起き上がろうとする。
緑豊かな柔らかい葉と細い茎から起き上がろうとする。
『……出られぬ』
力を入れても、葉と茎が力を受け流す。もがけばもがくほど、沈み込んでいく。
『だ、誰か……タスケテ……』