天幕内の戦い
憎悪に赤く充血した瞳で、ローベルトは、雛菊を睨めつける。
『許さんぞ、聖女。許さんぞ、ミシェル。二人とも手足をもいで、自分の身体がオークに食われるさまを見せてやる! 顔の皮をはぎ……』
「キモイキモイキモイキモイキモイキモイ……」
ローベルトの前に、老騎士を中心に4人が防御陣形をとる。
残る1人が、立ち上がるローベルトに手を貸しながら、側頭部のキズに回復の魔法を使っている。
『王杓を奪ったからといってばけものを使えぬわけでは無いぞ、ミシェル!
お前が裏切るとはな! あれほど情けをかけてやったのに! あれほど愛でてやったのに! あれほど信じてやったのに……』
感情が迸り、自分でも叫びを抑えきれない。それでも、ローベルトの戦士としての冷静な部分が状況を分析している。
(神使に聖女の相手をさせれば、相手は、ミシェルと兵士一人。老騎士1人で充分対処できる戦力だ。二人を捕らえ、ミシェルを人質に、雛菊に降伏を迫ればいい)
『ばけもの。聖女を倒せ!』
ローベルトは、神使に命じた。
ローベルトが神使に命じる少し前、戦闘が始まった当初に話は戻る。
友兼は、自分に向けて、差し出された王杓を受け取り、じっと動かない神使に向けて走り出した。
王杓は、亜空間収納に放り込む。大きさ的に入るか心配だったが問題なく収まる。これで、敵に取り戻される心配は無い。
脇に控えていた騎士が剣を抜きざまに切りつけてきたが、鎧と身体を覆う防御魔法が弾いた。
すぐに友兼は、神使のそばに至る。やせ細り、艶の無い肌。目隠しは顔の半分を覆い、無理に開けられた口にねじ込まれた口枷の脇から涎が垂れる。首に傷は無いが、巻きつけられた首輪は強く絞めつけ、食い込んでいる。腕に二つ、二重に取り付けられた枷も、手錠も、足枷も同じように食い込んでいる。
あまりの痛々しさに、友兼の胸が熱くなる。
思わず、友兼は少女を抱きしめた。
冷たい身体。氷像を抱いているように、冷たいどころか、痛みを感じる。それでも、友兼はぎゅっと少女を抱きしめる。
「ごめんね」
知らず、謝っていた。
高ぶる気持ちに、友兼の魔力が全身を駆け巡る。魔力が、包み込んだ少女の身体に伝わっていく。じんわりと熱が伝わるように、神使の身体を温かく包み込む。神使の身体と友兼の身体が触れる部分から、小さな光の粒が生まれてゆく。
ぼんやりと神使の身体が輝きを帯び始めた。
『ばけもの。聖女を倒せ!』
ローベルトの叫びにより、その場に居た者たちの視線が、神使へ向けられる。
下級兵士の鎧を着た者が、神使の身体を抱きしめている。
「キモイキモイキモイ……あ」
『?』
『なんだ?』
何をしているのか、皆、理解できない。
兵士が聖女の戦いに怯え、神使にしがみついただろうか、と想像してみる。
ただ異様なのは、その神使の身体がぼんやりと輝きだしていること。
『何をしている、ばけもの! 聖女を倒せ!』
ローベルトが魔力を込めて、聖女に思念を送る。けれど、いつも繋がりを感じられる神使との間のラインが途切れているような違和感。
『ええい、その者を引きはがせ!』
違和感の原因を、神使にしがみつく兵士が原因と感じとり、ローベルトが叫ぶ。老騎士が、雛菊に正対したまま、他の者にローベルトの命令を実行させる。
『退け、下郎!』
1人が下級兵士━━友兼の肩に手をかけ、神使の身体から引きはがそうとする。
動かない。
もう一人も力を貸すが、岩に手をかけているかのように、兵士姿の友兼の身体はわずかにも動く気配は無い。
『えーい、鬱陶しい!』
友兼の背に剣が振り下ろされる。力を込めて切りつけたはずが、剣が弾かれた。やはり、剣で岩を叩いたような感触。
『なんだこれは?』
二人がかりで、剣で殴りつける。鎧に傷はつく。頭を殴れば、多少上下する。首に叩きつければ、魔剣の切れ味で血が飛ぶ。けれど、その程度。
切りつけられる方の友兼としては、鎧を殴られるのは多少の振動だが、やはり頭を殴られたり、肌を切られるのは痛みを感じる。何より、精神的には傷つく。それでも、致命傷にならないとわかり、魔力の操作に集中し始める。
身体の奥底から湧き上がる力と大気にあふれる粒子を取り込み一つにして、抱きかかえた少女と自分を包む。そんなイメージで、自分の魔法を無効化する力と身を守る力で、自分と少女を包み込む。
更に、神使の身体が輝きだした。
特に、彼女を縛める黒い拘束具が、白く輝く。
『い、いったい何が……』
戦う事も忘れ、その様子をローベルトは食い入るように見つめている。
光りの粒が、白く輝く拘束具から蛍が飛び立つように空に向かって登っていく。
「あ、キレイ」
雛菊が思わず呟いた。
その瞬間、ぼんやりとした白い光が、閃光に変わる。
『何事だ! 何が起こっている!?』
閃光の源は、神使に付けられた腕の枷から始まり、首輪、口枷、目隠し、そして最後に足かせへと順番に発光していく。
ドーム内が爆発な光に満たされ、虹色のドームを通じて、白い靄にきらめきを広げる。虹色の輝きが空に向けて伸びる。
目がくらみ、室内にいた者たちが、手や腕で目を覆う。
「!」
その瞬間、目を閉じたまま雛菊は、あてずっぽうで老騎士に向けて水平に警棒を振りまわす。
剣に当たり、受け流される感覚。そして、直後、腹に軍靴がめり込み、蹴り飛ばされる。
「な……」
追撃は無かった。呻きをもらし、開いた目に映るのは、光の中心で背を向けて遠ざかる老騎士の姿。
「あ、やば……」
雛菊は、急いで立ち上がり、騎士を追った。
先行した部隊により撃たれた死体がいくつか転がる中を第3小隊が駆ける。
難波宮跡公園を北に出ると、東西に走る大通りに出る。高速への高架が直進するのを妨げ、上町筋へと迂回する。上町筋は、南北に大阪城公園と大阪府警本部を隔てる4車線の道路。この道を北上すれば、現在主戦場になっている大阪府警本部前に到達する。
高速道路の下をくぐると、放置された自動車を目隠しとして、味方の隊員たちが、射撃と前進を繰り返している。遮蔽物を利用して、徐々に敵ににじり寄る。
ヒュッと石が耳元をかすめ、後方の看板に叩きつけられる。
「散開!」
佐々木二等陸尉は、声で指示を出し、姿勢を低くして大型のSUVの陰に身を隠す。窓の隙間から覗けば、駐車場の敷地に、鎧姿の男たちが倒れ、あるいは、盾の陰に隠れている。馬や全身を金属の鈑金鎧で覆った騎士、革の鎧やスケールメイスの兵士が血を流しながら、無数に転がっている。その後ろで、盾は二重、三重に並べられ、その陰から時折、石が投げられ、矢が射かけられる。
ただし、盾の陰から身をさらすたびに、小銃の発砲音が響き、矢を放つ前に撃ち抜かれ、崩れ落ちる。
『ウラァァァァ!!』
いきなり、3重の盾のさらに後ろから、30頭ほどの騎馬を先頭に、兵士たちが100人単位で駆けて来る。
「撃て! 撃て! 撃てぇ!」
その迫力に、誰かの叫びのような声がとどろき、焦ったように銃器が火を噴く。
悲鳴、絶叫、端末魔が、銃弾の嵐に舞う。
5.56ミリの小銃と機関銃の斉射を受け、バタバタと兵士が倒れ、馬が横倒しになる。すぐに100を超える兵士が地面に転がる。すでに息絶えている者も多いが、助けを求める声、か細い叫び、呻きが充満する。
隊員たちの前進の足が鈍る。
いくら訓練で銃を撃つことにためらいを無くし、戦う事に躊躇ない隊員たちとはいえ、想定されていたのは、近代的な軍隊との戦い。目の前で、剣やこん棒、槍を片手に突撃してきては、無残に屍をさらす兵士との戦いではない。大量の死体と流れる血に、一瞬、決意がゆらぐ。
「このままチマチマやってるわけにはいきません。前進します」
酔いそうな血の臭いに当てられていた佐々木は、伊吹陸曹の進言に、数秒逡巡し、うなずく。今はまだ考える時ではない、考えるならば、戦っている警察官たちを救う事と部下たちをどう守るか。
「よし、第1分隊突撃用意。第2、第3分隊は援護。他小隊に連絡する!」
「は!」
小気味良い応答とともに、隊員はきびきびと援護と突撃の準備に入る。
(よし、命令に対しためらいは無いな)
訓練の成果が実践で発揮されている。
『待て。突出するな』
無線に中隊長の声が流れる。
『奴らの士気は旺盛だ』
無線の声と、実際の声が重なって聞こえるる
佐々木が振り返ると、レシーバーを片手に、細身の色男が、戦場を見回しながら部下と共に歩んでくる。
「中隊長!」
「よう、佐々木、突撃とは元気がいいな」
中隊長西島3等陸佐。40代前半で、佐々木の所属する中隊を率いる男は、盾の陰から射られた矢が飛んでくるのを珍しそうに眺めながら、声をかける。
「突撃よりも、奴らの士気を挫くべきだ」
「は!」
「迫撃砲を使う」
「は……?」
生身で突撃してくる兵士たちを見ているだけに、佐々木の顔には、ためらいの表情が浮ぶ。
「自分たちの後ろで、あの爆発と音が起きれば、混乱する。火薬を使わない中世の兵隊なら効果的だろう?」
「おっしゃることはごもっともですが……」
「あの、何とかっていう新人大臣、副大臣か━━も訓示のテープで言ってたろ。ためらうな」
ちょうど、西島の後ろにトラックと高機動車両が停まり、迫撃砲小隊の人員が身軽に降りてくる。
「は! 小隊、迫撃砲小隊の展開を援護するぞ!」
佐々木は振り返り、部下へと指示を出す。
西島はうなずくと、隣に立つ副官に顎をしゃくる。
「すこしでも、早く警察を助けてやらんとな」
副官は、困ったような顔をしながらも、無線機を各小隊長につなぐ。
「中隊長の判断に異は問えませんがね。とりあえず、今はこれを見ないで済みますし……」
言って副官は、空に向かって手を伸ばす血まみれの兵士を見ながら、ため息を吐く。
「覚悟を決めたつもりでも、こんなん見ちまうとな」
副官の見ていた兵士の手が、力なく地面に落ちるのを見て、西島もため息をつく。
「どうせ、後から散々、銃で撃つことになりますよ」
「その頃には、覚悟もがっちり固まってるか……麻痺してるさ。それに、駆け付けるより早い」
そう言って、西島は、白いもやが徐々に薄れていく警察本部を見つめた。
少女を抱きしめる中年男の図
……
……おまわりさーん、こっちでーす!