消滅の呪文
魔力が身体を包む感触を、友兼は感じた。
……。
ただ、それだけ。
身体には、何も異常は生じない。
友兼は、骸骨の眼窩に浮かぶ黄色の炎と見つめ合う。
『……』
『……」
『……痛みはない。ただ消えよ』
(あ、無かったことにした?)
緊張感が欠けてくる。
また魔力がフワッと浴びせかけられるのを感じたが、何も起こらない。
友兼と、クリストの首が、同じ向きに『うん?」といった感じで傾げられる。
『……』
『……」
『……巌を砕く力。霧とかせ。虚無への帰結を。” 風塵砕破”』
今度は、ちゃんと呪文を唱え、確実に術の発動を試みる。
……。
結果に変化はない。
(ああ、魔法防御の力か)
ひとり、友兼だけが理解した。前々世で得意とした魔法。当時は意識せずとも常に身にまとうように展開していた術式。魔法の無効化を行う魔術。前々世では、それに加え、体内からと魔力による、身体強化と身体防御をセットに使用していた。
『解せぬ……魔素は薄いが、これはわしの体内からの魔力を用いておるはず……』
クリストは、何か異常があるのかと疑うように錫杖や指輪を見ている。
友兼は放置されているのをいいことに、砂にまみれたお尻をはたき、立ち上がる。
(魔法防御、身体強化、身体防御。その3点セットをどう使うかというと?)
前々世を思い出し、こぶしに力を込める。
体内のオーラを循環させ、右腕に力を集めるようなイメージ。そして、大気中の魔素を体に取り込み、燃やすような、エネルギーに変えるような想像を行う。
『ふむ。お主からすると、ただのしゃれこうべと映るか。
だが、金剛石より硬きこの身よ。その拳、砕けるぞ』
友兼の意図を察し、死の王が鼻で笑う。
「ご忠告ありがとうございますっと!」
右手を振りかぶり、お礼の言葉とともに頭蓋骨を殴りつける。
ぱこーん!
小気味良い響きとともに、頭の骨だけが飛んで行き、近くの木に当たって跳ね返ってくる。
『……ふああ!?』
骨なので顔色は変わらないが、目の中の炎だけが感情を映し出して激しく揺れている。
『な、な、な、なんたることお!?』
頭の動揺が身体に伝わり、頭の無い身体がぎくしゃくと腕を上げたり下げたり、歩き出そうとして戸惑うといった奇妙な動きを繰り返す。
その様子を無視して、友兼は、両手の指を組んで振り上げる。
『ダブル・なんとか・ハンマー」
その手を振り下ろし、首のあたりに叩きつける。
グシャっと骨の砕ける音が響き、クリストの身体が地面に叩きつけられる。後は、横たわった身体を踏みつける。
『ま、待て待て!』
(文句は受け付けない。人の事を消滅させようとしたくせに)
数百年の生の中で、考えたこともなかった事態に陥り、動揺という感情など消えたと思っていたクリストの叫びが響く。冷静であれば、周りに控えるアンデッドたちを動かすことも出来たかもしれないが、そんな余裕は無かった。
『ま、まてぇぇぇぇ』
その断末魔の叫びを聞きながら、友兼の足は、何か骨とは別のガラスの球でも踏みつぶしたような感覚を感じた。
見れば、骸骨の頭部に揺れていた黄色の炎が消えている。
「ただの屍のようだ」
「ともかねさん、すっごい……」
声がした方を見れば、雛菊が、拘束から解かれている。
兵士たちも、這いつくばっていた地面から起き上がりだしている。けれど、口だけはポカンと空いたままふさがらない。
『……い、一体何が?』
ようやくミシェルが口にしたのは、皆が抱いた疑問だった。
クリストのしゃれこうべ、ワンドや装飾品などを紫のローブでくるんで、雛菊が肩から掛けたバッグの中にしまい込んで証拠隠滅をした。周りの漆黒のアンデット騎士は、クリストが命令する間もなく倒されたためか、動く様子は無い。整然と並び、微動だにしない。
一行が後片づけを済ませ、改めて移動を開始すると、護衛としてつけたられ四体だけが、一行に合わせて動き出す。
「ついてくんねんね。ステイ、言うたら待機するんかな?」
雛菊は、そんな疑問を口にしたが、バサラ将軍の兵士たちは、それ以上に、クリストを倒せた友兼について聞きたがり、雛菊に翻訳を促した。
『前々世が魔法使い!?』
友兼の言葉を約した雛菊の説明に、一同は呆気にとられる。
『それで、私たちがやって来たことで、魔素がこの世界に流入し、魔法が使えるようになったと? この薄い魔素でか?』
『……信じられぬ』
薄い魔素とは言え、異世界では満ちていた魔素も、現代日本ではほぼ存在しない。それは、例えてみれば、塩をほぼ摂らないマサイ族が、少しの塩味でも辛いと感じるのに似ているのかもしれない。少ない魔素でも、十分身体になじむのだろう。
それ以前に、前々世が魔法使いだからと言って、魔法が使えることも疑問だろうが。
『で、特異な魔法が、魔法無力化。だから、クリスト卿の消滅の魔法が効かなかったと?』
『そして、魔素により身体を強靭化できるだと?』
『勇者さまと同じ能力か……って、魔法使いなのか?』
『拳闘士っぽいな?』
『物理じゃないか?』
『物理だな』
なんだか変な方にまとまる。
『ありえん!』
不意に、隣の雛菊の方から、しゃがれた怒鳴り声が聞こえた。
「あれ? うちちゃうよ?」
視線が声のした方、雛菊に集まる。
『魔法力差は歴然のはず。……それでは、絶対魔法防御ではないか!』
声のする方に目をやると、雛菊のカバンから聞こえてくる。
雛菊が、恐る恐る蓋を開く。
中では、こぶし大の頭に3頭身程度の身体サイズの骸骨が頭を抱えていた。
「・・・なんか、きもい」
一度見て、雛菊は、中からカタカタ音を立てるカバンを、身体からできるだけ離すように持ち上げている。友兼に向けて。
そして、何度か友兼に向けて、ぐいぐいとカバンを押し付ける。
仕方なく、友兼は、その小さな骸骨の頭を虫でも触るようにおっかなびっくり掴み、取り出す。
『おう、見つかってしもうた』
カタカタと顎の骨が鳴る。
『く、クリスト、卿……?』
頭だけが大きい、15cmほどのデフォルメされたような骸骨が姿を現す。
ミシェルを始めとした騎士たちは、思わず、剣の柄に手をかけるが、あまりの姿かたちの変わりように、先ほどの死霊の王なのか疑問を禁じ得ない。
『本来ならば、装備を回収して消えるつもりが、お前たちの話を聞いて、思わず声を出してしもうたわ』
『い、一体、何を!? なぜ、そのようなお姿で!?』
大げさにため息をつくミニチュア骸骨に、ミシェルが代表して質問を投げかける。
『心配するな、この体に戦う力はない。
この体は戦闘で倒れた時用の傀儡じゃ。
わしとて、百戦百勝では無い故な。これまでにも、勇者の集団や魔王の軍団に倒されたこともある。じゃが、その程度で死ぬようでは、死の王などと名乗れまいて』
よく見ればプラモデルのような質感に、漂白されたような白さなのに、口調はしわがれた元のままという違和感しか感じられない状態。けれど、そんなことを思われているとは知らず、ミニチュア骸骨は語る。
『倒されても、予備の身体に魂は移るだけじゃ。じゃが、倒された際、戦いに敗れた上に装備が相手に略奪されるのが、なんとも不快での。回収用にこの身体を用意しておったわけじゃ』
『……はあ』
『王冠も、指輪も、ロケットも、古代遺跡より発見された神級の魔道具。ガントレットも、ローブもまたしかり。聖女殿に与えたペンダントの比では無い。
そのようなモノを、異空間収納術により回収するのが、この枢の体に備わった役目じゃ』
大仰な二つの名の割にはセコイな、と心の中で友兼は思っておく。
『セコイなどと失敬じゃの!』
「え!?」
ミニクリストに、心のつぶやきを見透かされ、思わず驚きの声が出てしまう。
『ほほう。わずかじゃが念話が通じるの。身体的接触があるゆえか、術の性質が異なるのか、はたまた魔法防御の力に波があるのかの?』
短い骨の指を顎に当て、考え始めるのを見て、ミシェルがはっとしたように現状すべきことを思いだす。
『卿! 我らは先に進まねばなりません。卿が邪魔をなされるというのであれば、ここで……』
『いやいや、先ほども申した通り、今のわしには力が無い。行きたければ行けばよい。邪魔立てせぬ』
『そういうことで御座いましたら』
ミシェルが頭を下げるのを見て、雛菊が、友兼の指に頭を挟まれブラブラしている骸骨を見、友兼の顔に視線をやる。
『もう捨てて、エエみたいよ』
にこやかに、早く捨てろとばかりに道端のゴミ箱を指さす。
『待て待て待て!』
『冗談やん』
『この小娘は……年寄りに対する敬意が足らん!
まあ、よかろう。進むがよい。邪魔立てせぬ。ただし……』
『?』
『こやつらに話があるでな。同道させてもらうぞ』
クリストは、眼窩の奥で黄色い炎を揺らした。
『こやつらに話があるでな。同道させてもらうぞ』
クリストは、眼窩の奥で黄色い炎を揺らした。
『え!? いやや! 友兼せんせぇ! 地面に叩きつけて、木っ端みじんにしてぇ!』
『ま、まてぇぇぇぇぃ』
グシャ!
クリストの断末魔と骨が砕ける音が余韻とともに響いた。
(……せ、せめて、下にある評価ボタンを押してもらってからにせぬかぁ』
クリストの叫びは声にならず、読者にしか届かなかったという。