歪んだ皇太子夫妻の絡んだ糸
治療の解明されていない病を抱えて生まれたリーンは王族でなければ大人になることはできなかっただろう。
王はリーンを可愛がり、実兄は薬の研究が趣味だった。王の財力で命を細々と繋ぎ、兄の探求心が病の解明に辿り着き生まれてからずっと部屋の中で過ごしていたリーンが7歳になる頃には外に出て人並みに過ごせるようになった。
後宮と王宮という全てが管理され美しく整えられた煌びやかな世界しか知らなかったリーンは姫の公務の視察に出るようになってから自分が恵まれた立場にいることを知る。
リーンは民達と触れ合える視察が好きで、特に民達が幸せそうに笑う姿を見るのが大好きだった。被災地の慰問をすれば怪我をしていても民はリーンの言葉に耳を傾け喜ぶ。姫であるリーンは兄王子達のように優れた才能はなく、民達のために声を掛けることしかできない。リーンが声を掛けると民はいつも喜んでくれた。力のない何もできないリーンに。
外の世界を知ったリーンは恵まれた環境を与えられているのに無力な自分に打ちのめされていた。
病弱だったリーンはずっと部屋から出られなかったおかげで7歳になる頃には教養として必要な座学の勉強は終わっていた。ベッドの中でしか過ごせない愛娘のために王や変わり者の実兄がたくさんの本を用意したおかげで同世代の姫の中で一番の教養を持つも、姫以上に厳しい教育を受ける王子は天才と秀才ばかり。王の愛娘のリーンに嫉妬した他の姫達に王族にふさわしくないと言われ続けたため姫としての自己評価が低いのに、向上心は高い自分に厳しい姫に成長した。
リーンの実兄は力が欲しいなら社交の能力を磨いて自分の手駒や伝手を増やせと教えた。
姫のリーンは将来政治の道具として嫁ぐ。実兄はリーンが嫁いでも、大国民のためになりたいなら力と知識を増やせ。どうにもならないなら兄が助けてやる。俺の妹だからなと。
リーンは義理の兄弟はたくさんいるが同母の兄弟は兄と弟の二人だけ。リーンの母は側室で兄は優秀でも継承順位は低い。リーンに道を示してくれる兄、明るく元気をくれる弟が大好きだった。大国の歴史の中では王族同士の殺し合いも語られている。王族はなにがあるかわからない。大国の姫のリーンは民や国のために生き命を捧げる覚悟もできている。
でも変わり者だけど優しい兄や無邪気な弟のためにもリーンは力をつけようと決めた。
決意したリーンは父に頼んだ。
外の国を見たい。色んな国のことを学んで、もっと国を発展させたいという可愛い愛娘の初めての願いを王は叶えた。王は大国と友好な国への留学の準備を整え精鋭の護衛と従者をつけて送り出し、10歳からリーンの留学の旅が始まった。
王はリーンが留学先の王都で過ごすと思っていた。書物が好きで思慮深く大人しいリーンが活発に動き回ることはないだろうと。
リーンは父の期待を裏切り辺境地まで見て回っていることが伝われば帰国命令が出るとわかっていたので内緒にしてほしいと臣下にも留学先の王族にも頼んでいた。
外国を見れば見るほどリーンは大国の偉大さを知り、まずは飢えないこと次に豊かになることと考えるようになった。
***
13歳のリーンは女王が治める海に囲まれた温かい気候の島国に滞在していた。
姫が病に罹ったため、リーンは他領に移動してほしいと頼まれ馬車に揺られていた。馬車の窓から景色を眺めていたリーンは倒れている子供を見つけ馬車を止めさせる。
馬車を降り、やせ細り飢えている子供にリーンが近づくのを護衛騎士が止める。リーンは子供に水を飲ませるように命じ護衛騎士の背中からゴクゴクと一心不乱に水を飲む子供を見ていた。
「医者を」
「食べ物を」
リーンは医者の手配をしようとすると子供の呟きを聞き馬車に積んであるお菓子を渡すように命じた。勢いよくお菓子を食べる子供を眺め、日が暮れはじめているため子供を送るように命じる。子供の指さすほうに進んで行くと異臭が漂い、畑は枯れて、やせ細った人ばかり。リーンは初めて見る光景に息を飲み、呟く。
「どういうこと」
「リーン様、俺が送ります。これ以上近づくのは危険です」
護衛騎士の言葉にリーンは頷き、村の様子を遠くから静かに見つめていた。青い顔で茫然としていたリーンがしばらくして従者に視線を向けると頷き消えていく。
護衛騎士と従者が戻り雨が少なく作物が実らず飢饉が起こっていると情報を持って帰ってきた。自然の恵みに頼り貿易もしない閉鎖的な島国は豊かな国ではない。支援ができないほど財政が逼迫しており、この村が捨てられたことをリーンは察した。
リーンは従者に馬車に積んでいる食料を匿名で村に届けるように命じ、急いで用意された屋敷に向かう。貿易のない物々交換文化の島国では食材を売る商人がいないため、食料を買って与えることはできない。リーンの新しい滞在先の屋敷も決して余裕があるようには見えず、力を借りるのは無理だと悩んでいると脳裏に兄の伝手という言葉を思い浮かぶ。
大国は遠いため、島国の隣国の王子に手紙を書き従者に預ける。
数日後使いを終えた従者が戻り、島国への隣国王子の訪問の知らせを聞き、すぐにリーンは護衛騎士の馬に相乗りして城を目指す。門の近くで女王と面会している王子が出て来るのを待っていた。
リーンの手紙を受け取り、すぐに動いた王子は島国の女王に謁見したあと村に向かおうとすると見覚えのある小柄なローブを目に留める。
王子はローブを着たリーンを見つけて、馬から降り慌てて駆け寄る。
「リーンか」
「殿下、このたびは」
「使いをよこせばよかったものを。ずっと待っていたのか」
体の弱いリーンがうだるような暑さの中、外で待っていた姿を見て慌てる王子にリーンは挨拶はやめて微笑む。
「はい。一目お会いしたくて」
「体が弱いんだから無理はするなよ」
「お気遣いありがとうごいます。殿下、このたびはありがとうございます。国に帰れば父に伝えましょう」
王子は膝を折り美しい笑みを浮かべるリーンのほのかに赤い頬に手を添え、甘い笑みを浮かべ囁く。
「友人の頼みを聞いただけだからいらないよ。その代わり、リーンの時間をくれないか」
「また殿下と過ごせるなんて光栄です」
「リーンの願いを叶えるよ。飢饉の村は危険だから、3日後の昼に待ち合わせようか」
「わかりました。殿下、この件は私は関わってないことにしてくださいませ」
「わかったよ。早く帰って休め。体が熱い」
王子は悪戯っぽく笑い子供らしくおねだりするリーンを抱きしめ、火照っている体に腕を解きリーンに帰るように促すも最後までお見送りさせてくださいと言われ、頷き馬に乗り駆けていく。
隣国の王子の指揮のもと、村への支援が行われ飢饉の村は救われた。島国よりも全てが優れる隣国なら小さい村を救うなど簡単だった。
リーンは王子と別れたあとは護衛騎士に連れられ屋敷で休んでいた。村に情報収集に行かせた従者の報告を聞き、夜空を見上げ明るく照らす星々に祈りを捧げた。
約束の日にリーンが待ち合わせ場所に行くと王子は一人で待っていた。
「殿下、護衛をおいてきてはいけませんわ」
「私が強いのは知っているだろう?」
「はい。それでも心配です」
「相変わらずだな。この国にはどれくらいいるんだ?」
「来月には発ちます。殿下、ありがとうございました」
「リーンの願いはきいてやるって言っただろう?、俺の申し出を覚えているか?」
「大国の姫の私は政治の道具です。お気持ちは嬉しいんですが殿下の手をとるわけにいきません。でも私は困った時に殿下のお顔が浮かびましたの」
「他にも頼れる者はいただろう?」
「殿下のお顔しか浮かびませんでしたわ。殿下の国に利益がないお願いを叶えてくださりありがとうございます」
「リーンのためだからな。大国に戻り、いずれリーンが嫁いでも私のことを思い出すか?」
「はい。殿下との思い出を忘れることはありません」
「もしも嫁いで、辛くなったら頼ってこい」
「殿下はお優しいですね。これからもお友達としてお付き合いくださいませ」
護衛騎士は自分の主がモテることを知っていた。リーンの言葉に王子が喜んでいるのも、口説かれているのに気付かないことも。
王子に食事に誘われ応じ、別れの抱擁をして王子からようやく解放された主を護衛騎士は迎えに行く。碌なもてなしのできない島国ではなく隣国への滞在をしつこく誘われ丁重に断るかわりに大国に訪問時は最上級の持て成しを約束しますと微笑むリーンを。
「ありがとう。帰ろう。私も力をつけないといけないね」
「え?」
「殿下は大国の姫の頼みを聞いてくれただけだから。帰国したらお父様に伝えてお礼を贈らないといけないわ」
鈍いリーンの様子に護衛騎士は余計なことを言わずに聞き流す。男の好意を知らなくてもリーンに支障はない。世界でも美しい容姿をもつ大国の王族は人を魅了する。美しい容姿を利用し心を惑わし諜報にいそしむ姫もいるがリーンには求められていない。発育不良の体でも美しい顔と所作と話術で心を掴むのがリーン。自分に合ったやり方で求められる役割を果たすのが大国の姫である。
リーンは島国を発つときに考え込んでいた。
飢饉に襲われた村と飢えた人達のことが頭から離れずリーンは苦しむ民に心が痛いのに、祈ることしかできず無力だった。大国は遠いため友人の王子に頼ると快く叶えてくれた。
島国に支援しても国としての利益はないが大国の姫に恩を売れるなら安いもの。それに王子は別の思惑もあったがリーンが気づくことは生涯なかった。
リーンは自分の力ではなく大国の権威を借りて動いてもらったとわかっていた。しばらく考えこんで自分の無力さに嘆く甘えは捨てようと決意した。
自身がちゃんとお礼を用意できるように、リーン自身に相手が価値を見出せるような存在になろうとも。
父がリーンにつけた護衛や従者は優秀な者ばかり。リーンが家臣に相談すると「お任せください」と頼もしく頷く家臣に笑う。
家臣達は姫の成長を誇らしげに見守りながら、リーンの願いを叶えるために策を授ける。
***
リーンは島国を出立してから交友関係を広めるために積極的に動いていた。貴族だけでなく商人の知り合いも欲しかったので、商売に強い貴族の家の夜会に頻繁に参加し、身分を隠して商家に学びにいくこともあった。商人に弟子入りしたり、物を売ったり国王が聞けば真っ青になりそうなこともしていた。国王ではなくリーンの願いを優先する家臣達ばかりなので知られることはなく帰国命令もなかった。
15歳の頃小国に訪れた。
冬が長く広大な領土を持つのに発展途上の寂れた国。
護衛騎士は簡素な服を身につけたニコリと笑うリーンに目を丸くした。
「姫様?」
「布を購入して自分で縫ったの。中々でしょ?」
「何をするんですか?」
「皇帝陛下は自由にして構わないと言われたわ。監視もない」
小国はリーンに接待役を用意しなかった。
リーンの留学を受け入れてくれたことだけで充分という感謝の言葉を皇帝はそのまま受け取り皇子にも接待を命じない。大国の姫のリーンに王族の接待役をつけなかったのは小国だけだった。
「大国の姫に接待役をつけないとは」
大国の姫の存在を軽んじていると不満そうな顔の護衛騎士にリーンは苦笑する。
確かにこの状況を知れば父は顔を顰める。他の王族なら血の雨が降ったかもしれない。でもリーンは伝手を増やして学びたいだけだから不満はない。それに前の国では常に王子が付き添う細やかな接待が組まれ自由がほとんどなかった。小国では初日の歓迎パーティと時々皇帝陛下夫妻のお茶に付き合う以外の予定はなく自由を許された初めての国である。
「お父様への報告はやめて。私は気に入ってるの。せっかくだからお兄様のように民に混ざってみたい。お兄様の話はいつも楽しかったわ。大国に帰ればできない。お願い!!」
リーンの兄は好奇心旺盛で突然いなくなりしばらくして帰ってくるとお忍びの話をよく聞かせてくれた。リーンは憧れていたが立場上絶対に口にしなかった。リーンには考える時間がたくさんあり、自分の我儘が許されないことも王子と姫が違うこともわかっていた。
でも今だけは状況が違った。
護衛騎士はリーンの実兄をよく知っていたためやはり兄妹だと苦笑し、兄王子よりは聞き分けのよい妹姫の願いを叶えることにした。
「俺の側を離れず、言うことを聞いてくださいね」
「もちろんよ」
護衛騎士もリーンの幼少時代を知っていた。
ベッドの中でずっと過ごしていたことも。他の王族が外で過ごす様子を窓からそっと静かに見ている幼い姫の姿を。
周りに気を遣って我儘も言わず、いつも笑みを浮かべていた小さな姫を。
リーンは簡素な服を身に付けて民の中に混ざっていく。広場では祭りが開かれており、なんの役割もない初めての祭りにはしゃいでいた。
護衛騎士は愛らしい笑みを浮かべる美少女に邪な男が近づくのは許さなかった。護衛騎士の牽制など気づかずにリーンは民達と手を取り踊りはじめる。
美しさを気にしなくていい人の視線を意識しない初めての踊りは楽しく、教わるままにステップを踏む。村の子供に教わりながら、社交の顔をやめて青空の下で心のままに過ごすのは初めてだった。誰も姫のリーンを知らない。護衛騎士は初めて見る子供らしく遊ぶ主の楽しそうな姿を微笑ましく見ていた。
ルオは授業をサボり宮殿を抜け出し兄と一緒に祭りに来ていた。兄は人で賑わう屋台を巡っていたがルオは食に貪欲ではなく人混みも苦手なのでぼんやり待っていた。
炎を囲んで踊る民の中に見慣れない髪色を見つけ興味をひかれて近づくと、リーンがいた。ルオは初日に挨拶をしただけ。大国の姫とは思えない腰の低さで礼儀正しく、凛とした美しい姫。大国の姫が宮殿では見たことのない無邪気な笑顔を浮かべて民と踊っている。美少女の慣れない踊りは下手で目立っていた。ルオは民に教えてもらいながら表情をコロコロかえて踊るリーンの様子から目を離せず思い切って、一曲終わったリーンに手を差し伸べた。リーンは重ねた手の持ち主の顔を見て固まった。まさか皇族が素顔のままこんな場所にいるとは思わなかった。
戸惑うリーンはルオに「お忍び中」と囁かれ、お忍びは無礼講と兄から聞いていたリーンは気にすることをやめてニッコリ笑い踊り始める。
ルオはリーンに丁寧に踊りを教えながらエスコートした。ルオはなんでもそつなくこなせる人間で運動神経もよかった。
ルオはリーンに「上手だね」と尊敬の視線を向けられたので調子に乗って「そっちが素なの?」と聞くと「内緒」と可愛く笑う姿に見惚れていた。
護衛騎士はルオに気付いても皇族ならリーンに無礼は働かないと手を出さず見守っていた。
自分の主が無自覚に男を落とすのは気にしないが、興奮しているリーンにそろそろ引き際と判断し、視線を送る。リーンが倒れれば王により自分の首が飛びかねない。リーンは突然倒れるので、旅立つ前にリーンの体調管理についての分厚い資料を王子から配布されていた。
リーンは護衛騎士の視線に頷き、「ありがとう。楽しかった」とルオに笑いかけて礼をして立ち去る。
ルオは消えていくリーンの後ろ姿をずっと見ていた。
「ルオ!!探した」
屋台に満足したオルは弟を探していた。弟の好む静かな場所には姿がなくまさかと思い、賑やかな場所に目を向けると茫然と立ちすくむ弟を見つけた。
「珍しいな。お前が参加するなんて」
オルはルオの声に平静を取り戻した。肩を叩かれ夢から覚めた気がした。
「たまにはね。もう満足した?」
「ああ」
オルの満足した顔を見てルオは帰ることにした。いつもは兄になんでも話していたがリーンとのことは話したくない気がして初めて兄に隠し事を作った。その晩、ルオはリーンのことが頭を離れなかった。
***
翌日、廊下ではルオが寝不足の顔をオルに笑われていた。リーンは会釈して通り過ぎようとした足を止め、顔色の悪いルオを見た。リーンは二人をお茶に誘い疲労回復効果のあるお茶を淹れた。
大国の王族は身の回りのことを自分でできるように教育されている。そして姫が接待でお茶を振る舞うこともある。
「大国の姫のお茶とは光栄です」
「大層なものではありません。こちらもどうぞ」
リーンが茶菓子を広げるとオルは見覚えのない菓子に興味を持った。
「これは?」
「落雁という干し菓子です。甘みが強いので好みはわかれますが。日持ちもしますし重宝してます。疲れた時によく頂きますの。お気に召さなければお口にいれたあとにすぐにお茶で流し込めば溶けてなくなります」
ルオは甘い物が得意ではないが、せっかくの好意なので一つ口にいれるとほのかな甘みが広がった。大国菓子の落雁を気に入ったルオの様子にリーンは小さく笑う。
甘党のオルには物足りなかった。不服そうなオルの様子に気付いたリーンは外国で買ったチョコレートを広げる。オルはチョコレートは知っていたので、上機嫌で口にいれ、ルオは手を出さない。
顔はそっくりなのに甘い物が好きな兄とそこまで得意でない弟の反応を楽しみながらリーンは美しい笑みを浮かべてもてなした。ルオがぼんやりと見惚れていることにオルだけは気付いた。
オルは弟の初恋に気付き、リーンの予定をルオにさりげなく伝えた。
リーンは宮殿では書庫で過ごすことが多く、最初は3人で過ごしていたが、オルは興味を引かれなかったので退散した。
ルオはリーンが書庫で過ごすことが多いので頻繁に書庫に通った。
静かに本を読む姿は美しかったがリーンの調べていることはルオには難しかった。いつも美しい笑みを浮かべるリーンがルオの何気ない一言に目を輝かせる姿が嬉しくて、行政府に行き必死に勉強していた。時々お茶に誘われるのも嬉しく、リーンの会話に付いていけるようにさらに勉強した。
リーンにとってルオの格式に捕らわれない柔軟な思考は新鮮で自分と違う発想の相手との会話を楽んでいた。知識がないゆえの突拍子のない発想はきちんとした教育を受けているリーンや友人達にはできないものだった。
リーンの留学中は勉強嫌いのルオが生涯で一番勉強した時期である。
ルオにとってはリーンと過ごした時間の流れは早く、あっという間にリーンが旅立つ日を迎えた。
「ルオ、言わないのか?」
「うん」
「好きなんだろう?」
「困らせたくないから」
笑顔で挨拶して去っていくリーンの姿をルオはずっと見ていた。小国の皇子にとって大国の姫のリーンは遠い存在。夢のような時間を過ごせただけで満足しているルオをオルはつまらなそうに見ていた。
***
17歳の時に突然帰国命令が出たのでリーンは帰国した。
リーンの自由な時間の終わりだった。出迎えてくれた兄王子にリーンは微笑む。
「お帰り、リーン」
「ただいま帰りました」
「どうだった?」
「勉強になりました。私は自分が恵まれていることも欲深い人間ということも身に染みました」
「リーンの御眼鏡に適う相手はいたか?」
「私の兄弟がいかに変わっているか身に沁みました。でもお兄様の宿題はちょっとだけ達成できた気がします」
楽しそうに話す妹の様子に父が恐れた恋する相手はできなかったことを察した。
「ちょっとなのか?」
「留学した国の重鎮はおさえてきましたよ。ただ滞在できる国も限られてたので」
兄は妹に伝手を作って顔を売るという宿題を出していた。
頼もしく育った妹の厳しい評価に笑いながら乱暴に頭を撫でる。
「初めてにしては十分な成果だ。父上から気が重い話があるだろう」
「縁談ですね。王族のさだめです。きちんと大国のためになるように精進致します」
リーンは兄に見送られ謁見の間に行き、宰相と国王に礼をする。
「リーン、口上はいらない。頭を上げよ。よく戻った」
「国王陛下、ただいま戻りました」
「今は父として話したい」
王の言葉にリーンは社交用の態度を改め、愛らしい笑みを浮かべた。
「お父様、ただいま帰りました。お父様のおかげで楽しい時間を過ごせました」
「そうか。体は大丈夫か?」
「はい。優秀な臣下たちのおかげです。離れていてもお父様のお心をリーンは感じました。こんなに優秀な方々を」
「可愛い愛娘のためだ。今日の晩餐はともに過ごそう」
「はい。お父様へのお土産はそのときにお持ちしますね」
威厳もなく表情を崩している国王に宰相は咎める視線を送った。
国王は仕方なく、愛娘との癒しの時間を手放すことにした。
「もう最大の土産はもらっているが、楽しみにすることにしよう。さてゆっくり語りたいがそれは夜だ」
リーンは父の言葉に社交用に切り替え愛らしい笑みを消す。
「リーンに縁談の申し込みがあるが、希望はあるか?」
「国王陛下の命に従います」
「国に有益な縁談相手を絞ろう。その中から自分で選びなさい」
「ご配慮ありがとうございます」
「大国にとって有益な相手ばかりだ。添い遂げたいと思う相手を選びなさい。国の益等は私が考えるから、リーンは心のままに選びなさい」
リーンは父の言葉に驚いた。縁談に選択肢なんて求めてなかった。
「お父様、大好きです」
父の自分への配慮が嬉しく零した言葉に驚き慌てて頭をさげた。
「国王陛下、申しわけありません」
「構わんよ。話はそれだけだ」
リーンは父の判断に従うつもりだった。候補者を絞るからその中で好きな相手を選べという父に、自分が大事にされていることがわかって、お父様、大好きですと見当違いの言葉を言ってしまった。
慌てて綺麗な礼をして退室する愛娘を国王は名残惜し気に見送る。
国王は幸せそうに自分を見て呟いた背も伸び美しく成長したのに純粋な所は変わらない愛娘の縁談を潰そうか一瞬本気で悩んだ。
「陛下、許されません」
「わかっている」
「美しく成長されましたね。大国の姫として鼻が高い」
「子の成長に複雑だ。愚鈍であればどんなによかったか」
留学先からリーンへの縁談の申し入れが殺到し、大臣達もリーンの価値に気付いてしまった。優秀な姫は他国に嫁がせるのが大国の習わし。大国の成長の陰には裏で暗躍している姫達の存在があった。
リーンは自国の貴族に嫁がせるには惜しいほど優秀なので、泣く泣く他国との縁談を整えることにした。心の中で、候補者の誰も選ばないでほしいという父の思いは娘には伝わらない。
***
小国にリーンの婚約者の選定の話がまわってきた時、オルは弟が運を持っていたことに驚いていた。ただすぐに間違いだと気付く。
その頃ルオは初めて流行り病に罹って寝込んでいた。
オルは皇帝に呼び出された。
「リーン姫を覚えているか?」
「はい」
「来週に婚約者候補を集めて、2週間ほど大国で親睦を深めることになっている」
「急な話ですね」
「試しているのだろう。短い時間の中でどれほど準備を整えられるか」
「ルオでお願いします」
「ルオは寝込んでいるから無理だろう。明日には旅立たないと間に合わない。せっかくのチャンスだ。オルが行け。大国の後ろ盾は大きい」
「俺が選ばれなくても恨まないでください」
「ああ。ただ真面目にな。入れ替わりは許さないからな」
「わかりました」
オルは旅立つ日に熱が下がり穏やかな顔をして眠る弟を見ながら、自分の弟が運が悪いことを思い出した。
オルは父との約束を守り、一度だけ真面目にリーンに求婚した。その後は会うと挨拶を交わすだけ。大国は食の宝庫でありオルは自由時間は街に降りて美味しい物に囲まれて至福の時を送っていた。まさか、リーンに近づかないことで気に入られるとは思いもしない。
オルはリーンを囲む全てにおいて弟よりも優れる男達を見ながら、ルオが来ても勝ち目がないなら自分で良かったかもしれないと思いながら2週間の大国での日々を満喫していた。
ただオルが遊びほうけていることをリーンは知らず、自分に構うことはなく民のために学びを深めていると勘違いしていた。
オルは婚約者に自分が指名された時は驚愕し、慌てて笑顔を取り繕い感謝を告げた。
周りの候補者達の視線に耐えきれず、軽い挨拶をかわしすぐに帰国した。リーンの婚約者候補はオル以外はリーンに惚れていた。まさか敵と認識していなかった人間が選ばれるとは思っていなかった。
リーンはご縁のなかった婚約者候補に謝罪し、これからも良好な関係を築けることを願いますと微笑んだ。
「リーン様、理由を聞かせていただけますか。なぜ小国など」
納得いかない顔をしている王子の顔にリーンは一番オルに誠意を感じたという本当の理由は言えず、ゆっくりと口を開く。
「お父様には申しわけありませんが私には過ぎたご縁です。皆様には私などより優れたお姉様たちのほうがふさわしいと存じます」
「そんな、ご謙遜を」
「厄介払いの形でオル様には申しわけありませんが」
憂い顔をするリーンを婚約者候補は慰めた。
彼らはあらかじめリーンのことは調べあげ、体が弱いことを分かった上でも望んだ。ただ儚げな様子で話すリーンをこれ以上責めることはできず、いつでも力になるので声をかけてほしい。気が変われば歓迎するという言葉を残して帰国した。
リーンは王子達を見送り穏便にすんでよかったとほっとしていた。
ただほっとするのはまだ早かった。
リーンは自分の部屋の前で待っていた王太子である義兄を見て気を引きしめ礼をする。
「頭をあげよ。口上はいらない。リーン、なぜ小国を選んだ?」
王太子は無能が嫌いなため正直に答えたら絶対にいけない相手だった。一番の理由はオルに誠意を感じたから。そしてもう一つは候補者の国の中で小国が大国から一番遠く開拓されていない土地もある。大国との結びつきも薄い。もしも兄達が王家を追われるならこっそり身を潜めるには丁度良い場所が一番多かった。
どの理由を並べてもリーンは無能と烙印を押されるのはわかっていた。父の言葉に甘えて、自分の心のままに選んだ相手が一番大国に利のないのもわかっていた。
「発展途上であり、皇子様は温和な方です」
王太子はリーンの答えに満足し笑った。
「楽しみにしているよ。リーン、私は評価しているよ」
「大国のお役にたてますよう精一杯努めます」
立ち去っていく義兄を見送りリーンは自室のベッドに飛び込む。
婚約者が決まったので、当分は誰にも付き纏われない生活を思い浮かべ今度こそ安堵のため息をついた。
***
小国に帰るとオルには皇帝陛下からの恐ろしい言葉が待っていた。
「御苦労だった。皇太子はオルを指名しよう」
「はい?」
「リーン姫が嫁ぐのは正妃で次期後継が条件だ」
オルには初耳だったが当然の条件だった。世界で一番力を持つ大国の姫の縁談。拒否権はないので、ルオと二人でやればいいかと気楽に考え頷く。
「兄上、おかえり。おめでとう」
「ただいま」
ルオはリーンを思い出にするように努めていた。だから心から祝福した。兄をうらやましく思う心は気付かないフリをして。
オルは様子の変わらない弟に初恋はとっくに終わったものと判断した。もともとルオは何かに執着することはなく、呑気に過ごすことが一番の人間。リーンが帰国した後も弟が話題にすることはなく、他国の姫が物珍しかっただけかと。
オルとリーンの婚姻は1年後。
父の命令でオルはリーンを迎え入れる準備を進めていたが予想以上に細かく面倒なことが多くて投げ出したくなったが、今回はルオには押し付けられない。ルオは大国との貿易が増えたため、外交に駆り出されていた。
リーンの手紙と一緒に大国産の菓子が届けられオルは菓子に機嫌を浮上させていたが、だんだん食べ飽きた。リーンは家臣への下賜分も踏まえて日持ちする食べやすい物を贈っていたので、オルが独り占めして食べることは予想もしていなかった。
***
オルとリーンの頻繁な手紙のやりとりはオルにとって苦痛になっていた。
リーンとの婚姻の日取りが近づくにつれてオルは夫婦として過ごすことに不安を覚えはじめた。
リーンが嫁ぐにあたり大国からの要望は多く必要な情報を集めて返答し、父や宰相と相談しながら対処していた。一人の為にここまで配慮する必要性をオルは感じず、オルの意見は誰にも聞き入れられない。
大国と小国では常識や文化の違いがあり、立場の弱い小国は従うしかない現状にオルの鬱憤がどんどん貯まっていた。
オルとルオが別行動するのは珍しく、自分の娘を皇后にしたい大国の怖さを知らない貴族が陰で動き始めた。仲違いと誤解し皇子達を争わせようとする動きに宰相が気付き、すぐに治めたが二度目がないようにルオの婿入り話を整えた。島国の王女への婿入りをルオが了承したため急ぎで準備が進められた。
ルオが旅立つ前日にオルはルオを酒に誘った。ハイペースで酒を飲むオルにルオは苦笑しながら付き合い酔いが回ったルオがぼんやりと呟く。
「兄上、リーンと幸せに」
「迎え入れる準備だけで気が滅入る」
「リーンのためだもの当然だよ」
オルは労われると思っていたのに弟が零した見当違いな言葉に顔を顰めグラスの中身を一気に飲み干す。
「うらやましいか?」
「うん。でも俺がいるとリーンの邪魔になるから・・・。花嫁姿、綺麗だろうな」
ぼんやりとしている弟を見て、未だに好きなのかと認識を変えた。
オルは島国のことを思い出した。島国は果物の名産国。
食べ物はもぎたて作り立てが一番であり、これからルオは食べ放題。しかも王配という気楽な立場。
ルオはリーンに惚れ、俺の苦労を当然と言った。
それに迎え入れるだけで大変なのに、嫁いできたら・・・。
リーンは民の生活を良くすることを一番に考えるから絶対に忙しくなる。大国の姫が自分に従順とも思えなかった。
ルオは俺が羨ましい。俺はルオが羨ましい。
大国の菓子にも食べ飽きていたオルにはリーンとの婚姻はデメリットしかなかった。
オルは立ち上がり、ルオの酒に眠り薬を混ぜた。全部飲むのを確認し、自分達を見分けられる護衛騎士の二人にお使いを命令した。ルオは強いから護衛など形だけである。
ぐっすりと眠る弟を自分のベッドに寝かせ、オルはルオとして生きることを決め、ルオの部屋に向かった。ルオにはあらかじめ見送りはいらないと言われていたので、眠るルオを起こしにいく人間はいないはずである。オルは家臣にルオとして兄が疲れているから呼ばれるまで誰も入るなと命じ旅立つ準備を始めた。
***
ルオが目を醒ましたのは夕方。なぜか兄のベッドで眠っていることに不思議に思いながらも、夕焼けが目に映り慌てて自分の部屋に戻るともぬけの空だった。
「殿下、どうされました?ルオ殿下が恋しくなりました?」
ルオは侍女の言葉に嫌な予感がして父に謁見した。
「オル、珍しいな。どうした」
ルオは人払いをしてから口を開く。
「父上、俺はルオなんですが」
皇帝は息子の言葉に驚く。ルオは昨日の早朝に旅立っていた。
「入れ替わったのか!?」
「俺も状況がわからないんですけど」
明日にはリーンが輿入れする予定である。
「ルオ、お前は何をしていたんだ!?」
「兄上と旅立つ前日に酒盛りして、先ほど目覚めました」
「お前は2日も寝ていたのか!?」
「そこまで酒に弱くないんですが」
ルオと皇帝はお互いの顔を見つめた。
「あやつは何を考えておる。呼び戻すにも間に合わない。婚儀は明日」
「父上?」
「国のため。一歩間違えれば攻め滅ぼされる。今よりルオではなくオルだ。この件は他言無用は無理か。二人の見分けがつく者にだけ他言無用と打ち明けておけ」
「父上、リーンには」
「言えるか。二人の見分けはつくまい。うまくやってくれ。そなたの肩に国の命運がかかっている」
ルオには頷くしか選択肢は残されていなかった。
ルオはオルとして急いで情報を叩き込もうとするとオルの執務机に必要な情報をまとめたものが置いてある用意周到さに言葉がでなかった。時間がなく兄のことは考えずに寝る間を惜しんでやるべきことに専念した。