皇太子夫妻の歪んだ結婚 後編
リーンは一度しか足を踏み入れたことのない寝室に入ると、真っ赤な顔のルオがベッドを抜け出そうとしていた。
「殿下、執務は私が引き受けます。お休みください」
「行かないと」
フラフラと起き上がる様子にリーンは聞き分けの悪い幼い弟を思い出した。
「お休みください。今は休んでよくなることがお仕事です」
「花を、花を届けないと」
「私がかわりに承ります。休んでください」
「でも」
自分の弟よりも聞き分けのない起き上がったままのルオに苦笑して、弟にするようにそっと抱きしめて、背中をゆっくり叩く。
「きっとすぐに良くなるわ。お姉様がついていてあげるから、休んで。なにも心配いらない」
リーンは優しく背中を叩き強張った体から力が抜けたので顔を上げると、ルオは眠っていた。そっとベッドに寝かして、布団をかけて息があるのを確認してほっと息をつく。
ルオのことは許せない。でも弱った時に独りぼっちの寂しさは知っている。子供の頃は病弱だったリーンは隔離され一人ぼっちの部屋で過ごしていた。ルオの今日の予定は休みと聞き、ルオの傍にいることにした。
額の上に冷水で濡らした布を置き、高熱の中休みなのに仕事に行こうとしたルオに呆れていたが、民のために励む姿は嫌いではなかった。
立派な皇帝になる気はあるのかもしれないと思いながら看病を続けた。
翌朝、熱が下がったルオが目を開けた。
寝室にいるはずのないリーンに目を丸くする。ベッドの横で椅子に座り腕を枕に眠る姿にそっと抱き上げるとリーンが目を開けた。リーンはルオの額に手をあて、解熱したことに微笑み、抱き上げられている状況に気づき目元を吊り上げ睨んだ。
「触らないでください」
「寝てたからベッドに運ぼうとしただけだ」
ルオはリーンの笑みに見惚れたが冷たい声に我に返り慌てて床に降ろした。リーンに嫌われ避けられている自覚はあり逃げられるより怒られるほうがマシかと苦笑した。
リーンは病み上がりの人間に文句を言うつもりはなく、ルオの手が離れたので、穏やかな表情を浮かべた。
「殿下、執務は私が引き受けます。今日は休んでください。病み上がりなのでご自愛ください。花はどちらに届ければいいんですか?」
ルオは予想外の言葉と態度に驚く。目の前にいるのは嫌悪と怒りを全身から滲み出すリーンではなく、公務で話す時の穏やかなリーンだった。
病み上がりという言葉に戸惑いながらも昨日の記憶を思い出そうとすると花を探しに行こうとしたあとの記憶がない。自分がリーンに花を届けろと頼んだ記憶もない。ただルオには花を贈る相手は一人しか思い浮かばない。
「リーンに」
溢れた言葉にリーンは目を丸くする。
「え?」
「俺にはこれくらいしかできないから」
「自ら?」
「ああ」
リーンはルオ自ら花を用意して贈ってるとは思わなかった。寝言でうなされながら、花をと呟いていた。
毎日贈られる花と手紙は家臣ではなくルオが?と戸惑いながらも伝えたい言葉は変わらない。
病み上がりの人間が寒い中、花を探しにいくなどありえない。リーンはこの機会にはっきり言うことにした。
「いりません」
「なんで!?」
リーンはルオの真顔の叫びの意味がわからない。ルオへの態度を諫める家臣達が思い浮かび、唇を噛む。ルオにとって、皇太子妃として自分が全く信頼されてないのかと見当違いなことを思っていた。リーンは落ち込む気持ちも苛立ちも隠して穏やかな顔を作り、ゆっくりと口を開く。
「私に花を贈る暇があるなら休んでください。これからは他の時間にあててください。機嫌取りなどしなくても務めは果たします。もう結構です」
「俺は贈りたいから贈ってるだけだ。確かに最初は機嫌取りだった。でもリーンが飾って大事にしてくれるのが嬉しくて。俺のことは嫌いでも、俺の贈った花に笑ってくれるから。毎日、何を贈ろうか悩んで、」
リーンはほのかに頬を染めたルオの額にもう一度手をあてたが熱はなかった。ルオを見つめながら、皇太子が頭がおかしいのは民が困るので、大国から優秀な医務官を呼び寄せようかと悩みはじめた。
ルオは自分を見つめるリーンの手を勇気を出して握った。花は唯一の繋がりだった。
リーンの執務室は一番日当たりの良い場所にあり、日の光が入るように大きい窓がある。窓に腰掛けるリーンの姿が外から見えるのを見つけたのは偶然だった。
窓に腰掛けて、自分の贈った花に微笑んでるのを見て目を奪われた。リーンの執務室に花瓶が増えて自分の花を飾ってくれていると気づいたときは泣きたくなった。
嫌われてもリーンのためにできることがあるのが嬉しくてたまらなかった。
これを断ち切られたらどうすればいいかわからない。
今のリーンがルオに向けてる表情は戸惑いで、いつもの嫌悪じゃない。今を逃せば次はいつ話を聞いてもらえるかもわからなかった。
「リーン、もう一度だけ俺にチャンスをくれないか。騙してごめん。俺達の我儘に巻き込んで悪かった」
リーンは手を握り真顔で頭を下げるルオをじっと見つめる。入れ替わったことへの謝罪だとわかった。
「私が信用できないのに」
ルオはポツリとこぼれたリーンの小さい声を拾って顔を上げた。
「違う。リーンを信じてるよ。まさか見分けがつくとは思わなかった。それに俺も浅はかだった。欲に目が眩んだ」
リーンにはルオが嘘をついている様には見えなかった。
「ならなんで騙したのよ」
「信じられない事情だよ。正気を疑うレベルだ」
「それを決めるのは貴方じゃない」
なぜか寂しそうな顔をするリーンにルオは決めた。
真実を話そうと。
気まずそうな顔のルオの話を聞いてリーンは怒りで体を震わせていた。オルが弟に一服盛って、食べ物目当てに入れ替わりで婿入りしたと・・。
「私の人を見る目がなかったことはわかったわ。貴方も被害者じゃない!?初日に教えてくれれば手を回したのに。なんで騙して隠したのよ」
ルオは迷いなく自分の話を信じてくれるとは思わなかった。
怒っているが侮蔑の視線はない。でもルオは被害者ではない。リーンにもう嘘をつきたくなかった。
「残念ながら、共犯者だ。俺はリーンが欲しかった。兄上の行動は俺には丁度良かったんだよ」
諦めていた初恋相手が花嫁衣装に身を包み自分の隣にいる姿に心が踊った。罪悪感もあったけど、あの日の神への誓いの言葉は本気で、オルとしてリーンを生涯愛してともに歩むつもりだった。
「は?」
「留学中から好きだった。叶わないと諦めていた。でも俺は自分が兄上の代わりにリーンの傍に」
リーンはオルを庇うルオの気持ちを汲み取る気はなかった。
ルオとオルが二人で決めて入れ替わるならまだマシだった。でもルオは強引に押し付けられた。
厄介払いされたのだ。リーンは自分の見る目のなさにあきれ果てた。でも一番許せないことは違う。ルオの言葉を最後まで聞く余裕もなかった。
「バカなの!?貴方はルオを捨ててオル様になるなんて。貴方の築いてきたものはなんだったの?相談してくれれば手を回してあげたのに。なんで勝手に決めて、ルオを捨てたのよ」
リーンはルオの胸を叩いた。
「俺達の見分けがつく人間がほとんどいない」
まだ他国に婿入りしたオルはよかった。ほとんど交流のない国でなら名前だけかえてもオルとして生きられる。でもルオは違う。この国でオルとして生きなければいけない。双子で似ていても別の人間。なんでもないことのように言う友人に怒りと悲しみで崩れ落ちそうだった。
胸を叩くのをやめて、リーンは力なくルオの胸に顔を埋めた。
「ちがう。そういうことではないわ。私の友人はオル様ではなくルオよ」
ルオはリーンにされるがままだった。リーンの悲痛な声が胸に刺さった。
ルオの中で、ルオもオルも変わらない。でもリーンに呼ばれるのはルオがいいと思った。
「ならリーンが呼んでくれればいい。俺は外ではオル。ルオとしての俺をリーンが覚えていてくれればいいよ」
泣きたい気持ちを我慢してリーンは睨んだ。潤んだ瞳で睨んでも迫力はなかった。
「何言ってるのよ。秘密裏にオル様を連れ戻して入れ替わればいいじゃない。協力してあげるわよ。一度殴らないと気がすまないけど。それはあとででいい」
ルオは見惚れている場合ではないと気づいた。ただ自分を案じてくれるリーンに嬉しくなる自分を必死で隠して平静を装う。リーンの肩に手を置いて、潤んだ瞳を見つめた。
「もう戻れる時期はとうに終わった。それに俺はリーンがほしい。俺にチャンスをくれないか。立派な皇帝を目指すよ。リーンを兄上よりも絶対に大事にするし幸せにできるように努力するよ」
「あっちの国の問題は私がなんとかするわ。伝手がある。戻るべきよ」
ルオの告白は流された。ルオはリーンがそこまで兄と一緒にいたいのかと複雑な気持ちだった。リーンが兄と一緒にいたいと望むなら、自分は身を引こうと決意した。正す方法がありリーンが望むなら。リーンの幸せが兄とともにあるなら邪魔するのはやめようと。
「リーンは兄上がいいの?」
「そういうことでは」
「答えて。兄上と添い遂げたい?」
真剣な瞳と強い口調で言うルオに戸惑いながらも、リーンは首を横に振る。
リーンの中で婚約者は最低な男だ。
「もうオル様を信じられない。貴方達の入れ替わりを片付けたら離縁して国に帰るわ。誠意のない男に一生を捧げるなんて耐えられない。私、ルオの想像以上に有能よ。貴方に免じて同盟はそのまま。穏便な離縁の手続きを進めるわ」
ルオは自分の兄を選ばないと断言したリーンの言葉に安堵する。
それなら入れ替わる必要はない。身を引く理由も。
「俺と夫婦になることは考えられない?」
「だから、私は入れ替わりなんて許さない。ルオがいなくなるなんて耐えられない。私の友人は」
ルオの願いは全く伝わらない。リーンはルオ達が元に戻ることが最善だと思っている。二人は平行線だった。ルオは別にオルとして過ごすことは苦ではない。ただ名前がかわるだけだ。でも、自分が消えることを悲しむリーンを見て、初めてルオでよかったと思った。
「ほとんどの人間は俺達の見分けがつかない。俺たちが名乗らなければわからない。俺達についている護衛騎士を見て、どちらか判断されていた。俺がルオとして過ごしても、オルだと思い込むよ。公式記録で、国に残ったのはオルだから。評価も価値も全て同じ。父上だって言わないと気づかなかったよ。だからこのままでも全く支障はないんだ。ただ名前が変わるだけなんだ。俺達は皇子だ。個は必要とされていなかった」
平然と話すルオにリーンは意味がわからなかった。
「ルオとしての友人だっているでしょ?」
「オルとルオの友人はたくさんいるよ。ただ誰も見分けがついていない。ルオだけの友人はリーンだけだ。俺達を見分けられるのは幼馴染の護衛騎士の二人だけだ。兄上とはいつも一緒に過ごしていたから思い出もなにも変わらない」
全く理解できなかった。個はいらないわけはない。どんなに似ていても違う人間である。
「なんで、どういうこと」
「双子って便利なんだよ。最初の頃は三人で過ごしてただろう?ただ俺がリーンに惚れてることに気付いた兄上が姿を現さなくなった。だから俺達の入れ替わりは問題ない。兄上は好物に囲まれて過ごせる。俺は好きなリーンと過ごせる。兄上は殴りたいけど結果的にはお互い幸せな道だ。俺の方はリーン次第なんだけど。なぁ、俺とのこと考えてくれないか?」
リーンは悲しい友人を見つめた。ルオ自身がルオの価値をわかってなかった。
リーンは友人のルオを好ましい人物だと思っていた。
「花は本当に全部、ルオが用意したの?」
「直接渡しにいけない日もあったけど、全部俺が手折った」
「手折った?」
「ああ。分けてもらったこともあるけど」
「取り寄せてたのでは?」
「違うよ。歩いて探した」
リーンはルオの言葉に目を丸くする。リーンよりもルオは忙しい。
「忙しいのに」
「あれが唯一の繋がりだったから。それにリーンの笑顔を独り占めしたかった。他の奴が選んだものに笑みを向けてほしくなかった」
ルオを捨てたことより、真剣に話す様子にリーンは噴き出し肩を震わせて、堪えきれずに笑い出した。
これまでの自分達のことを思うとさらに笑いは止まらなかった。
常識ではありえないことだらけだった。
「バカみたい。私、オル様にもルオにも悲しかった。相談もせずに切り捨てられたことが。あんなだまし討ちをされたことが。私は二人を信頼してたけど、違ったんだって」
「嘘ついてごめん。俺が一服盛られたことも知られたくなかった。恰好悪いだろう?何より食べ物に釣られて、出て行ったなんて、あれが兄とか。もう・・」
頭を抱え情けない顔をするルオにリーンの笑いはますます止まらない。目の前にいるのはリーンの友人のルオだ。懐かしい記憶がよみがえり、こんな顔をオルは絶対にしない。
「こんなに違うのにどうして見分けがつかないのかな」
「むしろリーンはなんでわかったの?」
ルオはリーンの言葉が不思議だった。そっくりな双子皇子を違うと断言する人間は幼馴染以外で初めてだった。
「話し方もだけど、一番わかりやすいのは瞳を見るとルオは瞳を逸らさない。でもオル様は瞳を一瞬逸らすの」
ルオにはよくわからない。でも自分達が違う存在とリーンがわかってくれることはなぜか嬉しかった。ちゃんと自分を見てくれることが嬉しくて堪らなかった。
リーンは笑いがおさまったので、真剣な顔でルオを見つめた。
「ルオ、もう嘘つかない?私のこと騙さない?」
「約束する」
「私、貴方をオル様って呼びたくない」
「え?」
「それでもいいなら、」
リーンは裾を掴んで礼をする。
「誠心誠意お仕え致します。ルオ様、末永くよろしくお願いいたします」
妻が夫に捧げる誓いの言葉。私は貴方のものになりますという宣誓。
リーンの言葉に何度も瞬きをしても礼をしている姿が見えた。自分のつねった頬の痛みに現実だと認識したルオは思わずリーンを抱きしめた。
「幸せにする。絶対に。ありがとう」
ルオは毎日リーンに花を贈ってくれた。わざわざ自分の足で探して。
兄だけを悪者にすることもできたのにしなかった。正直に話すルオなら信じられる気がした。自分を抱きしめて泣きそうな夫の背にリーンはそっと手を回す。
皇太子夫婦の本当の意味での始まりだった。
しばらくすると、ルオは恐る恐る問いかける。
「部屋、帰ってくる?」
「荷物を戻すの大変よね。寒いし。暖かくなったら」
「俺が運ぶ。面倒なら新調すればいい」
必死な様子のルオにリーンが笑う。
「旦那様のお考えにお任せします」
ルオはリーンから向けられるありのままの笑顔に見惚れ顔を緩ませた。ほしかったものが自分に向けられていた。
「幸せで死にそう」
「夫が死んだら、私は別のとこに嫁がされるけど」
「死なない。リーンより長生きする」
このあと、リーンの荷物が移動され、長い夫婦喧嘩の終わりに二人の臣下は安堵の顔をこぼした。
ルオとリーンは雪の日に夫婦になった。
***
リーンとの夫婦喧嘩が終わってからは、ルオは幸せな日々を送っていた。
寒くて布団から出てこない妻に夫は声をかける。
「リーン、視察に行くけど土産の希望ある?」
頭から布団を被った寒さに弱いリーンが顔を出す。
「いつものがいい」
ルオはリーンに毎日の贈り物を断られた。
花を探す暇があるなら早く帰って自分の湯たんぽになれという妻の可愛い我儘だった。
ルオは花を探しに歩くのはやめた。ただ偶然見つければ1本だけ持ち帰る。リーンは花束よりも1輪の花を喜んだ。ルオが自分のために選んでくれたものはなんでも嬉しかった。ただ正直に伝えると限度を知らない夫がずっと贈り続けるので口にはしなかった。
リーンはいずれオルを殴ることを決めていた。オルとルオは違う人間である。リーンはオルよりもルオと一緒の方が幸せだと確信していた。今の幸せを噛みしめながら、オルと婚姻せずにせずにすんだことを神に感謝した。
***
オルは自分の好物に囲まれて幸せな生活を送っていた。
オルが婿入りした島国は一年中温暖な気候だった。
今日も木に登り、好物をもいで食べている主を護衛騎士は見上げた。
護衛騎士は一時的に遠方に婚儀の祝いの品を仕入れるために使いに出され、別行動していた主より3日遅れで入国したときは驚いた。小国にいるはずのオルがいた。オルから命じられた弟夫婦への祝いの品を差し出したときに、自分が嵌められたことに気づいた。
その頃には婚儀はすでに終わっていた。
「殿下、何も言わずに良かったんですか?」
「戦争が起こってないからうまくやってんだろう。それにリーンも気づかないだろう」
護衛騎士は自分の行いがどれだけ危険なことかわかっていても、やめなかった主に眉を顰める。
双子だからといって極秘で婚約者が入れ替わるとは非常識である。
「リーン様は聡明です。貴方の誠意を信じますって頷かれたのに、殿下のしたことは誠意のかけらも感じられません。両殿下はよろしくてもリーン様がお可哀想です」
ルオがリーンを好きでもリーンには関係ない。兄弟の我儘に振り回された最大の被害者だった。
オルは笑った。
「あれか。精一杯努力する。国民のために私を選んでほしい。自分は力もなく平凡な男だ。ただ君に誠意のないことは決してしない。だから選んでほしいって言ったやつか。俺は一言も俺がとは言っていない。私が表すのは皇子だ。皇子のルオが俺の言葉を守るだろう?確認しなかったリーンが悪い。それに俺とリーンじゃ釣り合わない」
「婚約者候補に選ばれたのに?」
「婚約してから文のやり取りをしてて思ったんだよ。俺は国の発展に興味はない。ただリーンは民により豊かな生活と国の発展を考える。大国出身の姫はうちみたいな小さい国の現状維持に満足しないだろう?それでリーンの留学してきた時のことが頭をよぎったんだ。普段は勉強なんて最低限しかしないルオがリーンの気を引きたくて、必死に勉強して色んな施策の案を出してただろう?その施策についてリーンとルオが語り合う姿を。俺にはあれはできない。なら丁度、リーンに惚れているルオに任せようと思ったんだよ」
完全に私利私欲だった。兄心など全く感じられなかった。
「なんでリーン様の婚約者候補選定の場に行ったんですか?」
「父上に命じられたから。ルオに押し付けたくてもあいつ寝込んでたし。俺は選ばれる気なかったのに。でも選ばれたから断れない。しかも不安を抱える俺に追い打ちをかけたのは、ルオだった。ルオの婿入り先は俺と違って天国だ。俺が苦労するのに弟が幸せとか許せないだろう?」
「純真な殿下を利用して。わざと見分けがつかないように振舞って」
「気付かないルオが悪い。純真なルオがリーンをどうするか見物だよな。俺はあいつのおかげで幸せだからおすそ分けしてやるか」
オルは弟に名物を贈る手配をした。
オルが自ら食べごろの果実を選び箱につめた。善意の贈り物で波紋を呼ぶことになるとは知らなかった。
***
オルからの贈り物が届いた。
リーンが箱を開けると異臭がした。あまりの異臭に我慢できず意識を手放した。
優秀な侍女は箱を閉じて、医務官を呼びにいった。リーンは大事な時期だった。
倒れた報せを聞いたルオが駆けこんできた。
眠っているだけで母子ともに健康という言葉を聞いても、安心できなかった。リーンの顔色は悪くうなされていた。
ルオの様子にイナは別室で開けることを頼んで箱を渡した。
ルオは兄からの贈り物を持って、廊下に移動して開封し絶句した。
熟れた果物が詰まって異臭を放っていた。この匂いでリーンが倒れたと察し、侍従に処分を命じた。
ルオは寝室に戻り、汗をびっしょりとかきながら、ひどくうなされているリーンを起こした。
リーンは目を覚ますと、ベッドから降りた。
汗をかいて着替えたいのかと察してルオは席を外し、しばらくすると真っ青な顔をしたリーンが訪問着を着て部屋から出て来た。ルオは自分の前をふらふらと通り過ぎる腕を慌てて掴む。
「リーン、今日は休んで。仕事はいいから」
「2週間ほど出かけてきます」
妻が公務以外で外出を希望するのは初めてだった。
「は?」
「護衛騎士を連れていきます。もう我慢できません」
「里帰りしたいのか?」
「オル様にお会いしてきます。馬でいけばすぐです」
馬で1週間もかかる国にいかせるわけにはいかなかった。まず乗馬の時点でアウトだ。
「許可できない。まず自分の顔色に気付いて。真っ青だから」
「こんな仕打ちをうけて黙っているなどできません」
「兄上も悪気がないと」
兄は国との距離を配慮せず贈ってきたことを察した弟だった。オルは食べ物の目利きは得意だった。
「そういうことではありません」
顔色の悪い主が寒い廊下に立っている状況がイナは許せなかった。
「姫様、落ち着いてください。嫌がらせなら別の方法を考えてください」
「私は殴りたい」
「落ち着いてください。胎教に悪いです。それに姫様がお手紙をかけば代わりに殴ってくださる方がいますよ」
リーンはイナの言葉に妖艶に笑う。
「あの国の嗜好品の貿易に制限をかけます。直接殴るのは今度にします。あとは、」
リーンは執務室に移動してオルへの嫌がらせのための手配を始めた。
ルオは止めなかった。へたに邪魔をしてリーンがオルの元に乗り込むよりもマシだった。リーンはオルを嫌っていた。またリーンが怒ってイナの部屋に出て行くことも避けたかった。
あの心の冷える別居生活は二度とごめんだった。
ルオの優先は兄よりも妻といずれ産まれてくる我が子である。
それに兄に思う所が多かった。
リーンはオルが正直に謝って、国のためにルオと婚姻してほしいと土下座すれば素直に頷いたと言っていた。婚約期間に婚約者の変更を申し出れば、頷いたとも。リーンは道理さえ通すなら別にルオでもオルでも良かった。あの頃はルオは信頼できる友人だったと。
私利私欲で自分達を引っ掻き回した兄も少しは苦労すればいいと思っていた。
兄の好物をいくつか教えると、愛しい妻が嬉しそうに笑う。
弟夫婦から嫌がらせをされると思わずオルは幸せを謳歌していた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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本編はこれで終わりですが、おまけのお話をもう少し更新したいので、時々覗いていただければ幸いです。