皇太子夫妻の日常7 前編
オルは珍しく悩んでいた。
前回はルオの変化とよくリーンの本性に気付いて混乱して考え直したが今回は本気で戻るつもりで帰国した。オルの人生で思い通りにならないことが連続することはほとんどなかった。
久々の母国での生活は気楽で、口に合う食事も初めて口にする甘味も美味い。自分と違い毎日美味しい物に囲まれるルオが羨ましく、冷静になって考えればリーンとの婚姻も悪くないと思い直した。
大国王族は優秀で勤勉、特に民に好かれる慈愛の姫は民のためなら喜んで執務をこなす。あの場ではルオを立てただけ。オルには怠け者で頭の良くない弟が大量の執務をこなせる能力も根性もあるとはやはり思えない。
リーンとの婚姻は面倒でも全部リーンが引き受けてくれるなら好きにさせてもいい。愛娘のためなら、大国が惜しみなく支援してくれるため失策でも国は揺るがず問題ない。
ルオとオルが入れ替わってもほとんどの者が気付かないから秘密裏に入れ替わる予定だったが、ここまで反対されるとは思わなかった。押しに弱く我が弱いルオの拒絶も、父親の命令も。
弟に島国に情がないかと聞かれてもオルにはよくわからない。結婚当初は二人で穏やかに過ごす時間は嫌いではなかった。
ただルーラは子を身籠ってからは変わった。今まではオルが優先だったのに、最近は子供のことばかり…。オルは自分のこともルーラのこともわからなかった。
***
オルの妻のルーラは島国王族唯一の後継者。
ルーラの即位の話がまとまり始めた頃にルーラの妊娠が発覚し、即位はルーラの体調を考慮し延期。島国では女王の子はルーラだけであり、ルーラの体が第一だった。
島国民は穏やかな人柄と言われているが心には熱い母国愛を持つ民族であり、島国のものへの愛情が強すぎて意見が合わずに争うこともあった。
島国民は体に流れる島国の大事な血を流すことを好まないため主流は体術であり、頭に血がのぼり、いがみ合い殴り合っても翌日には穏やかな顔で話している一族である。島国民は島国で育つ人や物など全てを愛する。
島国の王族も島国の全てを愛し島国で育ったものは宝という教えを受ける。
王族は島国の大地で育ったものを嫌うことは許されず、嫌っていても表に出すことは禁忌だった。
時は遡る。
島国は大きな問題を抱えていた。
他国と交流もない閉鎖的な国では王族は血族婚を繰り返していたため死産や成長できない子供が多く生まれた。島国民から王配を選んでも結果は同じ。
ある年、異国の若い学者が島国に訪問していた。側近達は異国の学者を嫌悪したが女王は国のために手段を選べなかった。少なくなった王族の血を絶やすわけにはいかず側近達の言葉を無視して異国の学者を呼びつけた。
謁見した若い学者は女王よりも美しく優美な立ち振る舞いで女王も嫌悪していた側近達さえ目を奪われる。華奢で少年のように見える学者は見惚れる周囲の様子に気にとめず、紳士な態度で女王と向き合い、問には耳心地の良い声でゆっくりと答える。
近しい血縁同士の婚姻が原因と。閉鎖的な島国は先祖を辿ると同族であり、王族さえも同じ血が流れている。
丈夫な子が欲しいなら他国から王配を選べばいいと言い、後継者のルーラと年が近く島国に婿入り可能な国の王子を何人か呟いた。女王は親切で美しい学者に島国への移住を願ったが断られ、希望の報酬を用意すると言っても頷かなかった。島国に不満があるのかと聞くと不治の病で苦しむ妹の治療を探して世界を回りたいだけという言葉を聞いて女王は学者の足を止めるのをやめた。女王は相談のお礼に島国の医学書を贈り見送る。
それから女王は他国の移民と島国民の夫婦を調べると死産が少ないと知り、次期後継者のルーラの婚約者は他国から迎え入れることを決意した。
国を愛する島国の貴族の理解が得られず、女王が悩んでいる時にルーラの2歳下の大国の姫の留学要請があった。女王は移民を受け入れるきっかけになればと側近の反対を押し切り受け入れる。
留学に訪問したのは島国民にない色を持つ華奢で幼い姫。
島国民の嫌悪や警戒の視線には美しい微笑みを浮かべ、不敬を許し誰にでも分け隔てなく話しかける姿は異国人を忌避していた島国民の警戒を少しずつ溶かしていく。
王族として未熟なので民の役に立つために諸外国をまわって勉強していると愛らし笑みを浮かべて話す13歳の姫に島国の貴族達の見る目も変わっていく。島国の貴族は実年齢よりも幼く見える姫の話を聞けば聞くほど異国の王族も国を愛する気持ちは同じと気づいた。
島国の姫のルーラは大国の姫のリーンを見て、悪い予感はせずすぐに仲良くなる。
リーンとルーラの交流はルーラが風邪で寝込むまで続いた。
リーンはルーラの病が移らないようにと城を出るように女王に言われ、旅立つ前にルーラの部屋を訪問した。
ルーラを起こさないように気配を消していたリーンに気付かず女王は寝込んだルーラを眺め、弱い子に産んでしまった後悔を溢す。リーンは女王の後悔の顔が実母とそっくりで思わず声を掛けた。
女王はリーンに驚きながらも、静かな声で話すリーンの言葉に引き込まれる。
「7歳までいつも死にかけていた自分は生きてほしいと願ってくれた家族に感謝はしても恨んだことはない」と。「苦しくて真っ暗な世界でも惜しみない愛情をくれる家族の支えがあったから諦めず、今がある」と笑うリーンに女王の心は軽くなる。家族の笑顔が一番の特効薬と愛らしい笑みを浮かべる幼い姫が生死を彷徨ったとは思えなかった。出立の挨拶をする姿はなぜか不治の病の治療を探す若い学者の少年と重なり、背が見えなくなるまで見送った女王には二人の異国の少年と少女を通して異国人への偏見も一切なくなり、好感を持っていた。
大国の姫との出会いを通して少しずつ島国の王族も貴族も変わっていった。
もう一つの大きなきっかけは島国の飢饉を他国の王子が駆けつけ支援してくれたこと。「罪なき人が苦しんでいると知り放っておけなかった。自己満足だから見返りを気にするなら自国の民に心をむけてほしい」という他国の王子と自国民のために幼い体で必死に勉強している大国の姫のリーンを見て、閉鎖的な島国が少しずつ変わっていった。
大国の姫は旅立っても交流は続いていた。
大国の姫のリーンは頻繁に友人のルーラに文を送り、女王とルーラはいつも楽しみに読んでいた。島国から出られないルーラにとってリーンの手紙は異国が怖くない世界と教えてくれ、島国という小さい世界しか知らないルーラには刺激的なものばかりだった。
女王もルーラもリーンや手紙のおかげで、異国への偏見も一切なくなり、国外から王配を迎える決意をした。
時間はかかっても異国の王子を王配に迎える案も島国民達からようやく賛同が得られた。
島国貴族にとって他国の貴族で一番印象に残っているのは大国の姫のリーンで次が隣国の王子だった。リーンの婚約者の弟なら信用できるだろうと王配として迎え入れることに賛同した。
***
島国の姫のルーラにとって王族の友人はリーンだけ。
ルーラとリーンのやりとりは手紙。
島国を訪ねる使者はルーラ達の前では島国語を話すが、それ以外は違う言語で不便に感じたルーラがリーンに大国の言葉を覚えたいと書くとリーンはから本と手紙が贈られた。ルーラがリーンにお礼に島国の布を贈ると島国の布で作ったドレスを着たら、社交界で羨ましがられたとお礼の手紙を送られ、島国の物を大事にしてくれるリーンがもっと好きになった。ルーラにとってリーンは大事な友人だった。
ルーラの婚姻の2週間前にリーンの使いを名乗る商人が訪問した。女王とルーラは迎え入れた見慣れない商人を警戒した。
「挨拶はやめましょう。いつもと違うのは理由があって?」
大国の使者がリーンの手紙を届け、翌日にルーラの返事を受け取り帰国する。島国と大国は交流がないので大国の使者を通してのやりとりしかできずリーンの使者はいつも月の初めの日に訪問したのでルーラはその日だけは空けていた。
ルーラ達の見たことのない異国の色を持つ風貌の商人は礼をした。
「ご配慮感謝いたします。このたびリーン様個人より贈り物を預かってまいりました。献上させていただきたい」
「先に手紙を」
女王の言葉に商人は恭しく手紙を差し出す。
ルーラ宛だった。
「ルーラへ
この手紙を受け取るときは驚いていると思います。検閲にひっかからないので、長い挨拶はやめます。
婚礼の準備に追われて体調崩していないか心配です。
ルーラの婚姻の話を知り、大事なお友達のルーラとルオの婚姻に驚きました。
おめでとうございます。
素敵な夫婦になる様子が目に浮かび、将来産まれる子も楽しみです。
義姉として力になるのでいつでも相談してください。
リーン個人として贈り物を用意しました。
二人の幸せを願っています。」
リーンからルーラへの手紙は礼儀正しい綺麗な文だった。初めてもらった親しみのこめられた言葉が綴られた文にルーラは目を輝かせる。
「贈り物は?」
ルーラの声に商人は立派な箱を差し出した。ルーラが受け取り箱を開くと立派な装飾と2色の宝石がついた長剣と短剣が入っていた。
「長剣はルオ様に短剣はルーラ様にと。またこの鞘もお預かりしています」
渡された2本の鞘は軽いだけで装飾はない。
「大国の剣は世界一。大国屈指の職人達で仕上げました。大国商人にとっては大変価値のあるものです。ルーラ様とルオ様の好きに使ってほしいと。もし買い取り希望なら声を掛けてくだされば私がリーン様の名において適正価格で引き取らせていただきます。宝石にはお二人の瞳の色と合わせ、魔除けの呪いが施されてます。未来の家族への贈り物です。リーン様自ら足を運ばれ用意されました」
ルーラは母と顔を見合わせて笑う。
「母さん、私はリーンの贈り物を売らないのに」
「あの子は変わらないわね。いつかまた遊びにくるといいね」
「婚姻して立派な世継ぎを産んで、退位したら会いに行く。まだ私は島国を離れられないからお返しどうしようかな・・」
「リーン様から返礼は不要と。義妹は義姉の好意に甘えるものと妹の常識をルーラ様に伝えてほしいと頼まれました」
「私のほうが年上なのに」
「甘えておきなさい。ルーラの念願の姉妹ができてよかったわね」
「ルオ様はどんな人かな。リーンの友達なら良い人よね。リーンの友達の隣国の王子様も優しかった」
「お転婆は隠しなさい。間違っても投げ飛ばしては駄目よ」
「気をつける。贈り物は包み直したほうがいいかな?」
「もう使いたくてたまらないんでしょう。ルーラの分は好きになさい」
ルーラは簡素な鞘に短剣を収めた。
「手入れさえすれば一生物です。」
「リーンにお返ししたらいけませんか?」
「お礼のお手紙なら。ルオ様に頼めば小国まですぐに送ってくださるでしょう」
リーンは島国に留学のお礼として大量の紙とペン、ルーラには手紙を書くための色とりどりの便箋を贈っていた。リーンからの便箋はまだたくさん残っていた。ルーラの婿は小国の皇子。今までとは違いリーンに手紙を送り放題と気付きルーラはルオとの婚姻が楽しみになった。
「母さん、狩りに行ってくる!!」
「怪我だけは気をつけなさい」
ルーラは母に手を振り、狩り道具と短剣を持ち飛び出した。商人は女王の話し相手を務めしばらくして退室した。
リーンの手紙と装飾が施された鞘はルーラの執務机の引き出しに保管した。ルーラは仕事が辛い時は鞘と手紙を見て、義姉にふさわしい義妹になれるように自分を奮い立たせていた。
***
初めて会うルーラの夫となる人はルーラの短剣の宝石とそっくりな紫の瞳を持っていた。
リーンからの贈り物を見せると穏やかな笑顔でありがたいと言い、長剣は寝室に箱にいれたまま保管された。オルは剣に興味はなかったので、リーンの贈り物の趣味の悪さにがっかりしていたことはルーラは気付かなかった。
婚姻した翌日からオルへの教育が始まった。
島国の物を愛することが王族の務めと言うと穏やかな顔でオルは頷いた。
婚姻祝いに献上された名産品を幸せそうな顔で食べるオルを見てルーラは島国の名産を愛してくれる良い配偶者を得たと喜んだ。
島国の名産品をどこで食べる物より美味しいと笑う夫に好感を持ち、ルーラは島国を愛してくれるなら異国の皇子ともうまくやれると思っていた。
ルーラが執務をしてると、オルが差し入れを持ってきた。
手を止めて、オルの差し出す果実を口に含む。
オルは手元の書類に目を止めた。
「ルーラ、違ってるよ」
「どこですか?」
ルーラはオルが幾つか指で示す箇所を目で追い計算が違っていると気付きやり直しだと落胆する。ルーラは計算が苦手だった。
「貸して。俺がやるよ」
書類を手に取ったオルはルーラに信じられない速さで書類を片付けた。
「他にもあるなら手伝うよ」
ルーラは試しに任せるとオルは見事に終わらせた。
「ありがとうございます」
穏やかに笑うオルを見て、島国で母親以外に初めて頼れる存在にルーラは喜んだ。
オルにとってルーラから聞いた島国の王族の務めや規則は簡単だった。数か月前の小国で執務に追われる日と比べれば天国だった。簡単な計算で感謝されるとは思わず、オルにとって簡単なことで盛大に感謝するルーラはくすぐったかった。ルーラ達は優秀なオルに少しずつ執務を任せたがが母国よりも執務も規則も少ない島国の暮らしはオルにとって気楽で自由だった。島国よりも教育水準の高い国で育った小国の皇子はルーラをはじめ女王や貴族達にも頼りにされ歓迎された。特に苦手な分野を補ってくれるオルにルーラは感謝していた。
オルは驚異の早さで島国に馴染みルーラ達とうまくやっていた。
オルは外面が良く印象操作も得意だったので、本性を知っているのは幼馴染の護衛騎士だけ。
二人が婚姻して1年後に大国から使者が訪問した。大国とのやり取りに慣れていたオルが迎える準備を整え、ルーラ達と一緒に面会した。
小国の布の貿易の申し入れだった。
ルーラは大国の言葉を教えてくれたリーンに感謝を捧げたが渡された書類を読んでも値段や取り決め等が適正かわからず、考えさせてほしいと頼むと使者は了承し一月後にまた訪問すると帰国した。
大国のことならリーンに聞けばいいと言う夫の言葉でリーンに手紙を書く。夫のおかげで小国とは文通し放題だったがオルが面倒でリーンに押し付けたとは気付いていなかった。
リーンからすぐに返事が届き、丁寧に細かく答えが書いてあり、商人への紹介状も同封されていた。
リーンに外交に詳しく誠実な商人を紹介されたルーラは商人と相談しながら大国との貿易を進めた。初めての貿易は大変だったが国に大きな利益をもたらした。ほぼ商人に頼りきりだったルーラは商人の手腕に感服すると商人はリーンに比べれば自分は半人前と笑う。商人がリーンの指示で全て動いていたこともルーラは気付かなかった。
またこの商人がリーンのオルへの嫌がらせの協力者の一人とも。
島国を貿易で多忙で、オルへの嫌がらせの対処ができないように仕組んだリーンの思惑も・・。
ルーラは野生の感に優れていても、島国のためになることだったので全く反応しなかった。
ルーラの目標はリーンのため小国のことは商人に情報が入るたびに聞いていた。
最近は小国は驚異の早さで豊かになっていると聞きリーンは凄いと感心していた。
貿易により初めて島国に余剰なお金ができ、ルーラが考えて使いなさいと女王に言われていた。夫の盛大な祭りという提案は、嫌な予感がしたので保留に。
国のために何が一番か必死に考え、一番怖い飢饉をおこさないことを思いつくが方法がわからず、リーンに相談すると、数種類の種芋と分厚い書類が送られてきた。
分厚い書類には芋の特徴や育て方等細かく書かれていた。
天候に左右されない芋が育てば島国が安定するのがわかりルーラは余剰なお金を使い、芋の栽培をはじめた。一つの種芋から大量の芋が育ち民と協力して栽培した芋を初めて収穫した時は感動した。
リーンに成功したこととお礼の手紙を送ると妊娠祝いと返ってきた。夫はいつもリーンには「贈り物のお礼はいらない。大国の姫であるリーンは貢物に囲まれているから欲しい物はない」と商人も「お手紙だけで」と言うので、お礼の手紙を返した。ルーラもリーンのために何かしたくても思いつかないため、もし何か頼まれれば全力で頑張ろうと決めた。
芋の栽培が成功し、島国の主食は果物から芋に移行した頃にルーラは子供を授かった。
ルーラはオルとの生活に不満はなく、オルに初めて不満を持ったのは妊娠して3か月目。
「ルーラ、芋、やめないか?」
「美味しいですよ」
オルは苦笑しながら連日食卓に並ぶ芋を見た。目の前に並べられた3つの皿は種類が違う茹でられた芋。
「さすがにそろそろ・・」
オルは芋には手をつけず、果物だけ口に入れる。オルとルーラは味覚が違う。素材の味だけで育ったルーラは3種類の茹でた芋の違いがわかったが香辛料を多く使った料理に慣れたオルにはわからない。島国には塩と香草はあるが、ほとんど素材の味で食べる文化だった。
ルーラにとって芋は島国の大地で育った宝である。島国の名産を愛するルーラにとって、主食となった芋に苦言を言うオルは不愉快だった。芋も民達の努力の結果で育てたもので宝である。果物を美味しそうに食べるオルを見て、公式の場ではないので我慢した。きっといつか芋のありがたみに気付いてくれると信じていた。
ルーラは執務室に行き机の引き出しを開け、美しい鞘を手に持つ。
リーンは島国を豊かにしたいというルーラを応援して惜しみない支援をしてくれた。ルーラは頼りになる義姉に感謝している。お返しはルーラが幸せならいいと言う友人であり義姉。女王になるルーラは周囲に弱みは見せられなくてもリーンは義姉だから関係ないと言ってくれるのを知っていたから甘えられた。夫のことを相談しようか迷った。でも夫もリーンの友達。ルーラはリーンから結婚祝いにもらった手紙を読み返して、夫への不満を我慢して飲み込む。記憶にあるのは幼い笑顔。きっと綺麗になっているリーンに無性に会いたかった。
***
オルは隣国に好物の甘味を買いに出かけた。島国の芋料理に嫌気がさしたため余計に頻繁だった。
最近は隣国の甘味の値段が高騰し小遣いが心もとないのでリーンから贈られた長剣とルーラが使用していない鞘を売ると予想より高値がついたので、ルーラに土産を買った。
オルが帰国するとルーラが迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま。これ」
ルーラはオルから綺麗な小物入れを差し出された。
「土産」
穏やかに笑う夫と贈り物を見てルーラの落ち込んだ気持ちが吹き飛んだ。
「ありがとうございます」
オルは穏やかに笑う妻の手を引いて帰ることにした。些細なことで喜ぶ妻は生意気なリーンよりも好ましくルーラと過ごす穏やかな時間は嫌いではなかった。
不満は毎日並ぶ芋料理だけ。
オルは食卓に並ぶ芋にため息を飲み込む。口に含んだぱさぱさする食感も苦手で妻が美味しそうに食べるのが不思議でたまらなかい。ルーラは久しぶりに芋を口に含んだオルが嬉しかった。贈り物をもらいオルが芋を食べ、手を繋いで帰った幸せな1日に満足していた。
寝室に行くと、リーンからの贈り物の長剣を保管していた箱がなくなっていた。箱を探して歩き回るルーラにオルが声を掛けた。
「どうした?」
「リーンの贈り物がないんですけど、」
「売ったけど」
ルーラはさらりと言われた言葉に固まる。
「使わないものを持っていても仕方ないだろう?」
「使わない物?」
「ああ。ルーラの鞘も売ってきたよ。」
ルーラは穏やかな顔で自分を見る夫の言葉に頭が真っ白になり、母のお淑やかにという言葉も頭から離れた。
「どうしてそんなことしたの!?」
初めて声を荒げるルーラにオルが目を見張る。
「使わないだろう。大国印がないからリーンも好きに使えって言われただろう?売っても問題にならないよ」
目の前の夫の言葉が信じられなかった。結婚した日に二人で贈り物を見て笑い合ったのは幸せな思い出だった。ルーラにとって初めて島国とは関係のない宝物だった。
「あれは、リーンが私達のために贈ってくれた大事なものよ。リーンの優しさが詰まった、幸せを願って贈ってくれたのに」
「ルーラ、リーンは大国の姫だ。大国にはあんなものは溢れている。そこまで貴重な物じゃない」
「リーンが私達のことを考えて」
「勘違いだよ。リーンは俺の兄にも贈り物をしていたけど、貴重な物ではない。大国ならいくらでも手に入る。いつも大した金にならない。リーンは礼儀で贈っただけだ。心なんて籠ってない。あいつはずる賢い女だよ。我儘だし、生意気だし」
ルーラは夫のように異国のことは詳しくない。でも届けてくれた商人はルーラ達のためにリーンが足を運び、大国の王族が足を運ぶものを受け取れる人は少ないと言っていた。貴重な物だとも。価値がなくてもリーンが選んで贈ってくれた宝物。そしてリーンの悪口も許せなかった。ルーラは怒りが抑えられずルーラはオルの腕を掴んで背負い投げた。
「リーンは優しい!!私達も大事に想ってるって。貴方を大事な友達って言ってたわ。人の物を売るなんて最低!!」
ルーラが気を失っている夫に気付いても、看病する気はおきなかった。夫は放って布団に入って目を閉じた。
翌朝、ルーラが食事を用意しているとオルが起きてきた。
「おはよう」
「おはようございます」
ルーラは素っ気なく答え、果物しか手をつけないオルを見ながら食事をはじめる。ルーラは謝るなら許そうと思っていたがオルに謝る様子はなく、二人で無言で食事をして公務の芋の収穫祭に向かった。収穫した芋料理が振舞わてルーラは勧められるまま食べていると、オルが芋を断り果物ばかり食べている姿が目に入った。王族たるもの民の前で好き嫌いは禁忌なのに、芋を不愉快そうに見ているオルの顔も見てしまった。
ルーラは笑顔を浮かべながら、お腹に手を当てた。民にも子供にも示しがつかないオルの様子を見ながら、戦うことを決めた。
食卓に果物を並べず、芋だけを用意した。
不愉快そうな顔をするオルを気にせず、食事をしてオルの遠回しの不満は流さずに言い返す。
ルーラは頼りになる穏やかな夫が我儘で癇癪をおこす子供のように見えてきた。屁理屈を並べ、ルーラの言葉に耳を貸さない夫を、言ってもわからないなら体に覚えさせる島国の流儀に従い投げ飛ばした。どんなにオルが優秀で優しくても、島国の王族が島国のものを愛せず蔑ろにすることは許されない。ルーラのオルへの指導が始まり2日後にオルは姿を消した。
ルーラは突然姿を消したオルに困惑し、オルの護衛騎士に聞くと帰国したかもしれないと申し訳ない顔をされた。
待っていれば帰ってくると言われても、一人ぼっちの邸に帰ると不安に襲われ、唯一の頼れる友達の顔が見たくなった。
***
入れ替わりが落ち着き、リーンの平穏な生活が戻ってきた。デジロのおかげで倒れずに過ごせていた。リーンはオルのことは考えたくなかったが1週間たっても帰国する様子がないのでルーラのために悩んだ。頻繁に届いていたルーラからの手紙がない。そろそろルーラの出産時期が近づき、生まれるのに夫がいないのはどうかと思ったが自身がラディルを産んだ時を思い出すといないほうがいいかもしれないとさらに悩んだ。産んだ時はルオは全く役に立たなかった。
オルの助けはしたくないがルーラのことを考えると無視はできない。リーンは非常に不本意だがオルではなくルーラのために手を貸すために立ちあがる。運よくルオは今日はずっと内務だった。
リーンは急ぎの執務はないので、イナとラディルと一緒に料理をする準備を命じ、島国の芋でオルの好みそうな料理を作り、バスケットに詰めてルオに差し出す。
「オル様と二人で食事してきて。私は嫌。島国の芋で作り、島国で手に入る材料しか使ってない」
せっかくの至福の内務の日はルオはリーンと過ごしたい。ただ目の前で心底嫌そうな顔をしているリーンに逆らうのは危険な気がして渋々頷く。
「話してくるよ」
「ラディルと作ったの。ちゃんと全部口に入れさせて。見た目で嫌がりそうだけど」
「一口だけは」
「夜はルー様の好物にするわ。いってらっしゃい」
不服そうな顔で手を振るリーンに見送られルオはオルに会いに行くと留守だった。ルオは兄好みの店を捜すとテト達の店でオルを見つけた。
「サタ、部屋を貸して」
サタはルオの突然の訪問に慣れていた。
「どうぞ。食べてく?」
「場所だけでいい。ラディルとリーンの土産を見繕って」
「わかったわ」
ルオはオルの目の前にある氷菓子の器を持って、個室に移動した。食べ物さえあれば付いてくるのを知っていた。
至福の時間を邪魔され不機嫌な顔でついてきたオルにルオはため息をつき、氷菓子を渡し、リーンの料理を並べる。
「兄上、食事を用意したから、食べよう」
氷菓子を食べているオルの前に見たことのない料理が並べられた。
オルは全く食欲をそそられなかった。
「腹が減ってない」
小さいコップに入った紫と白のゼリーをルオは口に含むと甘かった。バスケットの中にルオ用と別にしてあるサンドイッチを見て笑う。目の前の料理は甘いものばかりと察し、自分への気遣いを忘れない愛しい妻のために頑張ることにした。
「全部兄上好みだよ。こんな甘い物をリーンは普段は作らない」
不審そうに見ながら氷菓子を食べているオルが食べる気がないのがわかり、ルオは力ずくで食べさせた。無理矢理口に入れられた物体を飲み込むとオルの眉間の皺が消えた。オルは口の中に広がる自分の好きな味に笑みを浮かべた。
他の料理も食べ始めたので、ルオは自分の食事を始めると羨ましそうに見る兄に苦笑して、1切れだけ分ける。オルの胃袋は無尽蔵で、好きなものならいくらでも食べられる人間だった。
あっという間に食べ終わったオルにルオは口を開く。
「その料理は全部島国の食材でできてる。全部、芋を使ってるって」
芋は茹でて食べるものだと思っていたオルは驚く。
「リーンと結婚すれば毎日上手い物が食べられたんだろうか・・・」
諦めが悪く食べ物への情熱は恐ろしい兄。昔は兄の情熱がルオには理解できなかった。
「リーンは普段は作らないよ。研究したい時だけ。芋料理に飽きる気持ちはわかるけどさ。芋の研究にリーンは家臣達と半月ずっと芋料理を食べてたから」
「ルオもか?」
「俺は1度だけ。俺の前で全く食事をしないリーンに怪しんで、調べてわかった。もともと食が細いから芋よりも栄養のあるものを食べさせたい。放っておくと毎食薬湯ですませるし。これで帰れるだろう?」
オルは黙る。ルオはオルのことを良く知っていた。嫌なことから逃げ出すことも。
「食事以外に不満があるの?」
オルは子供が出来た途端に豹変したルーラのことを話した。ルオはリーンから聞いたルーラとの違和感を覚える。道理を通せば穏やかな人柄の持ち主は、妊娠で情緒不安定でも理由もなく手を出すとは思えなかった。
「兄上、初めて体術かけられたときは何をしたの?」
「隣国から買い物して、土産を渡した。なぜかリーンのことで口論になった」
ルオは最近まで知らなかったがリーンは友人のルーラのために島国の支援に手を回していた。ルオはリーンの手回しのきめ細かさを知っている。
島国の大国との貿易も全部リーンが手を回していたがルオはそこまでは気付かなかった。
買い物、土産・・。ルオは嫌な予感がした。
リーンはルオとルーラのために贈り物をしたと言っていた。兄はいらないものはすぐ売って食べ物に変える。
「リーンからの贈り物を売った?」
「ああ。個人の贈り物は売っても責められない。リーンはいつも国としてではなく個人名義で贈ってくるからよく世話になった」
聞き流せない言葉があった。
よく世話になった?オルの部屋に見慣れない物は置いていない。そしてリーンは律儀な性格をしている。
「俺宛のものはあった?」
「二人で使って欲しいって書いてあったから、奢ってやっただろう?」
ルオはオルに掴みかかった。
「返礼は!?」
「いらないって言われたから礼状だけ。連名にしたよ」
「何を贈られたの!?」
「色々あったからな・・・。食べ物以外に興味なかったからな・・・。細かい物が多かった。忘れた」
「色々!?なんで教えてくれなかったんだよ!!」
「忙しそうだったし、面倒。ルオ好みの物もなかった」
「どんな物でも欲しかったよ。思い出して!!今すぐに。サタ、来て、頼むから」
サタがルオの大声に呼ばれて部屋に入るとルオがオルに掴みかかっている。
貴族客が多いので、店に皇子が来ても気にしない。お金とマナーさえあれば客は平等が店の精神だった。代金さえ払うなら個室や貸し切りも希望があれば用意するが身分は関係なかった。
「サタ、金はいくらでも用意する。売られたものを取り戻したい」
サタはルオの言葉だけでは情報が少なすぎて動けない。
「もう少し情報を」
「俺へのリーンからの贈り物が売られてた。兄上、いつから!?」
「そんな昔のことを・・・」
サタは国家機密を知った。公式ではルー殿下の名はオルで双子の兄である。
情報は命でも国家機密は知りたくなかったサタは命が惜しいので聞かなかったことにした。
顧客の希望が優先であるが、先に掴みかかって怒っているルオを宥めないといけない。店で暴力事件は勘弁してほしい。
「ルー殿下、リーンは気にしません。贈り物をどうするかは当人の自由ですよ」
「俺はリーンからの贈り物は全部手元に置きたい。兄上、斬られたくないなら思い出して」
「7年前か・・?」
サタは二人の様子に呆れていた。兄弟喧嘩に巻き込まれるほどサタは暇ではないが、一応、上客の要望は聞く。何より皇族御用達の店で殺傷事件は避けたい。
「ルー殿下、リーンに何を贈ったか聞いてもいいですか?情報が少なすぎて無理です」
「それは・・」
オルが覚えてないならリーンに聞くしかなかった。気まずい顔をするルオはリーンを溺愛し、婚姻し5年も経つのに妻のことを全くわかっていなかった。
「リーンに話しても必要ないって言うと思いますが」
ルオは実は気にしていた。リーンの友人は贈り物をもらった話をしていた。ルオは贈られたことはなく、怖くて聞けなかった。まさかオルに売られてたなんて・・・。返礼もしない無礼な男と思われたんだろうか・・。
「リーンはルーラへの贈り物も返礼はいらないって言っていた。大国の貢ぎ物に溢れる姫はうちからの返礼なんてガラクタだよ。贈っても下賜されるだけだ」
「俺の気持ちの問題だよ!!俺、最初から出遅れて」
リーンの友人達はルオが聞きたくもないのに、出会ってからのやりとりを語る。贈り合いや手紙の話は羨ましく下賜されてもリーンの手に渡ってルオを思い出してくれるなら十分だった。
「ルオ、お前、諦めてただろうが」
「リーンは俺のこと忘れてるって」
「帰国した後、父上宛に感謝の手紙と贈り物が来てたけど。俺達宛の双球は売ったな。あんまり金にならなかった」
ルオは父に文句を言うことを決めた。なんで自分に渡してくれなかったのか。そしたらリーンに手紙を送れる口実ができ夢の文通生活だった。
サタはオルの言葉に目を丸くする。
リーンは父が認める目利き、まして大国の物は高価である。特に大国と貿易していない国では高値で取引される。小国の商人なら原価の2倍で買っても、十分な利益が出る。
「殿下、どこに売ったんですか?」
「露天商」
「どんな物でもいいので代金と品物を教えてください」
「結婚祝いに贈られた長剣と短剣の鞘は銀貨20枚」
サタは世間知らずの皇子にため息を我慢する。
「売ったのかよ!!それなら俺が買い取ったのに。リーンが俺のために長剣を。実用の鞘と装飾用の鞘を用意して。宝石と装飾に魔除けと守りの呪い施して」
ルオが声を荒げた。ルオにとってはルオを想って用意された物で、ルーラとの婚姻祝いという事情は抜け落ちていた。
「殿下、大国の剣は金貨で取引されます。露店ではなく信頼できる商人に売るべきです。カモにされてます。リーンのことだから屋敷くらい買えましたよ。リーンは目利き。大事な友人に贈るものは手を抜きません。大国の王族御用達の鍛冶師の物は貴重です。大金を叩いても手に入れます」
オルは顔を顰めた。
「リーンの奴、なんで教えないんだ!?説明が足りないだろうが」
「贈り物を売られるとは思わないよ!!売る方が非常識だよ。リーンを責めるな。サタ、取り戻して!!俺が買う」
サタは商人であるがリーンの友人である。ルオのやろうとしていることを知ればリーンは頭を抱える。リーンが倒れると支障が出る。商才があるリーンがいればいくらでも儲けられる。目先の利益に目が眩めば商人失格である。
リーンのおかげで初代の洞窟も儲かり、ルオの心象を良くしても全くお金の匂いがしない。
「ルー殿下、リーンに事情を話してください。リーンからの剣が欲しいといえば親子でお揃いで贈ってくれますよ。過去のリーンと今のリーンは違います。大国の剣は一生物。1本あれば十分です。今のルー殿下を想って鍛えたもののほうが良いと思います。それに誤解してると思います」
「誤解?」
「リーンがルー殿下に何も贈らないのは贈っても迷惑と思ってるかもしれません。ルー殿下が近くにいすぎて、贈り物が必要ないと思ってるかも知りませんが。」
「帰る。サタ、世話になった」
ルオは頭の中はリーンへの謝罪でいっぱいになりオルの説得は頭から抜けた。
サタに銀貨を投げて、ルオは離宮に駆け出した。サタはルオがリーンを中心に生きているのは知っているので気にしないが頼んだ土産さえも忘れて走り去った後ろ姿にあれが皇帝になって大丈夫かと不安を覚えた。
リーンがいれば大丈夫かと思い直し、仕事に戻った。
***
リーンはルオが出かけた後、島国からの手紙を読んでいた。ルーラから会いたいと一言だけ書かれていた。会いたいと言われるのは初めてだった。ルーラは島国から出られない。また体調を崩しているかもしれない。リーンは兄の顔を思い出して決めた。
「デジロ様、島国のお友達に会いに行きたいんですが、お付き合いいただけませんか?お友達の診察をお願いしたいんですが。もちろん特別料金をお支払いします」
デジロは苦笑した。リーンはいつも低姿勢で命令しない。デジロの知る王族なのに横暴でないのはリーンだけだった。
「殿下の命なら特別料金をもらいますが、姫様からは受け取れません。俺は姫様の家臣なので好きなように命じてください」
デジロがいるなら何があっても大丈夫である。デジロに絶対の信頼を持つリーンは笑みを零した。
「ありがとうございます。イナ、スサナ、一月だけ留守にします。ラディル、お母様は大事なお友達が困っているので助けに行ってきてもいいですか?」
リーンはラディルに視線を合わせる。ラディルは一番母が好きだった。
「一緒に行きたい」
「ごめんね。もう少し大きくなったらね。お手紙を書くわ。お父様と二人で待っててくれる?」
ラディルはお友達は大事と教わっていた。困っている人は助けてあげることも。
ラディルは寂しいのを我慢して頷く。
「うん。待ってる」
「ありがとう。いつか一緒に行こうね」
「帰ってくる?」
「うん。絶対に帰ってくるわ。約束します」
リーンはラディルと小指をからめてにっこり笑う。
「姫様、ただいま帰りました」
リーンはいいタイミングで帰ってきた侍従に笑う。
「待ってたわ。時間がないの。私が動くことはある?」
「ありません。全て終わりました」
大国の件で動く必要がないなら報告を聞くのは後でいい。リーンは時間が惜しかった。島国の医療は酷い。急がないとルーラが危ないかもしれない。姉は妹を守る。リーンが兄にしてもらったように。
「ありがとう。一月だけ島国に行ってくる。委任状はいつものところに。デジロ様と」
「かしこまりました。お気をつけて」
リーン不在の非常時の準備は常に整えられ、護衛騎士達も動き出した。
「20分後に発つ。必要なものは道中手に入れる。お忍びで行くわ。イナ、準備を。スサナ、ラディルをお願い」
「お任せください。馬屋でお待ちしてます」
リーンは皇帝の下に向かった。先触れはないが許してもらうことにした。リーンが先触れなく訪ねるのは初めてだった。
「皇帝陛下、先触れもなく申し訳ありません」
「構わない。どうした?」
「小国のルーラ姫より会いたいと手紙をいただきました。ルーラ姫は体調を崩しやすく出産を控えてます。義姉として医務官を連れ、会いに行って参ります。執務等の指示は出しております。出立の挨拶に参りました」
「リーン、ルオには」
「殿下は外出中です。時間がないので、出立の挨拶を。」
皇帝はリーンの顔を見て止めても無駄とわかった。まっすぐに自分を見つめる強い瞳に逆らえなかった。つい最近のオルとの騒ぎはトラウマになっていた。
「気をつけて行ってきなさい。必要なら皇族証を使っていい。」
「ご配慮ありがとうございます」
リーンは礼をして退室した。馬屋に向かうとリーンの家臣が揃っていた。リーンはイナに渡されたローブを着てラディルを抱きしめた。
「ラディル、行ってくるわ。お父様をお願いね」
「うん。お母様、行ってらっしゃい」
リーンはラディルの額に口づけを落とし家臣達一人一人の顔を見てから、口を開き優雅に微笑む。
「皇帝陛下の許可はいただいたので、後は任せるわ。」
「お任せください」
侍従が頷いた。主の願いを叶え留守を守るのも家臣の務めである。
リーンはラディルをスサナに預けた。
「姫様、今回は相乗りです」
リーンが護衛騎士の指示に頷き馬に乗った。
「デジロ様、道案内をお願いします」
「わかりました」
礼をする家臣達に見送られリーンは旅立った。リーンの家臣達は主が決めたら揺るがないことを知っていた。リーンの背中が見えなくなり各々仕事に戻った。誰もルオに伝令に走らなかった。
***
ルオが離宮に帰るとリーンはいなかった。
「リーンは?」
ラディルの教師はイナが引き受けていた。小国の歴史以外にも教えることはたくさんあった。大国の王族に仕える侍女は有能である。教養のないものは傍においてもらえない。国主に嫁ぐ姫には特に有能な侍女でなければ付き添うことは許されなかった。イナはルオの言葉に反応しなかった。
リーンの家臣達が慌ただしく動いていたので、ラディルの護衛に話を聞いたルオの侍従が気まずそうに答えた。
「島国に旅立れました」
「は?俺、許可出してない」
「皇帝陛下より命をいただいてます」
リーンの侍従が皇帝に書かせたサイン入りの勅命書をルオに渡した。侍従にとって皇帝に書状をもらうのは簡単だった。つい最近まで一緒にいた大国の王子達と比べれば子供の相手をするようなものだった。
ルオは固まった。
リーンの侍従は執務に戻った。ルオの相手をする余計な時間はなかった。
しばらくしても動かないルオの肩をルオの侍従が叩いた。
「リーンはなんで・・」
「島国のルーラ様より会いたいと手紙が来て、緊急と判断して動かれました」
「なんでリーンが」
「知りません」
ルオの家臣達もよくわからなかった。リーンの家臣達はリーンがいなければルオ達を気遣わない。リーンの思考を説明する親切心はない。唯一の常識人のラセルも聞けば答えるデジロもリーンに随行していなかった。そして主の手を煩わせる前にオルを送り返さなかったルオにも冷たかった。
「島国って、リーンに何かあれば・・」
「デジロも護衛も付いてます。安全です。」
顔を青くしているルオを見てラディルが手を繋いだ。ラディルは母のお願いを思い出しニッコリと笑いかける。
「お父様、ラディルがいるから大丈夫です」
ルオはラディルを抱き上げる。
「お母様はラディルと約束しました。絶対に元気に帰ってきます」
リーンにそっくりな顔で笑う息子の頭を撫で、情けない所は見せられないと気合を入れる。
ルオは一番帰国しないといけない人物を説得するために部屋を出ようとした。
「殿下、執務に戻ってください。リーン様が一月もいないと大変ですよ」
「一月!?」
「さっさと手を動かしてください」
「お父様、頑張ってください」
ルオはラディルを降ろし執務を始める。オルを説得したくても執務に追われたルオには時間も余裕もなかった。リーンの家臣はルオの姿を冷たく見ていた。どんなに時間が経っても兄弟喧嘩にまきこまれ、ことを収めに行った主を思うと優しくなれなかった。
リーンに仕えるのは主が第一の曲者揃いの大国貴族出身者ばかりで小国の皇太子に払う敬意は持ち合わせていなかった。




