歪んだ皇太子夫婦の日常6 後編
リーンは離宮の執務室で過ごしていた。オルの滞在中はルオは執務は宮殿でこなしていた。
リーンの会いたくないという我儘のためだ。優しい夫がリーンは好きだった。それに民のために頑張る姿も。リーンに外交を任せる時に頼りにならない自分自身に落ち込む姿も。ルオが愛しかった。リーンは政略結婚に恋や愛は求めていなかった。夢みることさえなかった。まさかこんな幸せになれるなんて思っていなかった。ルオを思い浮かべていたリーンは執務室の扉の前で騒ぐ一番聞きたくない聞き覚えのある声に幸せな気持ちが霧散する。しばらく待っても騒がしさは収まらず耳障りなので、相手をして退散願うことにした。自分の夫の振りをして乗り込んでくるなど恥をしれという言葉は飲み込む。リーンは社交用の平静な顔を装い隣にいる侍従に目配せして入室許可を出す。
穏やかな顔をしたオルが近づいてきた。リーンは机の下で拳をぎゅっとにぎって殴りたい衝動を我慢して笑みを浮かべる。
「リーン、体調はどうだい?」
「ご心配いただきありがとうございます。」
「無理はするなよ。ルオが帰国して会いたがっていたよ。友達だろう?」
目の前の嗜める顔を浮かべる男にリーンはイライラを抑えて申しわけない顔を作った。無理をするなといいながら面会をすすめる言葉の矛盾に突っ込むのは我慢する。まず友人のルオは体調の悪いリーンに面会依頼はしない。見舞いの手紙と贈り物ですますだろう。
「申しわけありません。気分が優れず、礼節をつくせません。謝罪をお伝えください」
「そうか。困っているようだから相談にのってほしかったんだが」
「私では力不足でしょう。殿下には敵いません」
「ただ私としては弟の力になりたい。どうしても頼めないか?」
「申しわけありません。お受けできません」
「私の顔をたててくれないか?」
「仲の良いお二人には不要なことと存じます。」
「弟のためなら私はリーンに命じるよ」
オルはしつこかった。それでもリーンは胎教に悪いから穏便にすませようとしていた。ただもう我慢できなかった。貿易制限を一生解除する気はなくなり、むしろもっと嫌がらせをしようと決めた。優しい顔で嗜めるように吐かれた言葉にリーンの中で何かが切れる音がした。
「私は貴方の命令に従うことはありません」
リーンの拒絶にオルは驚く。どれだけ生家の身分が高くても夫のほうが立場は上である。
「は?もう大国の姫ではない。私の妃だろう」
リーンは一度も目の前にいるのがルオとも夫とも認める言葉は残さなかった。
嘘でもこの最低な男の妃という言葉に頷くなんて屈辱は耐えられない。
「私は貴方の妃ではありません」
「は?」
リーンはとぼけるオルを冷たい瞳で睨みつける。
「私は自分の夫を見間違えるような愚かな女ではありません。島国の人間の命令に従うほど安い地位にはいません」
オルはリーンの言葉にようやく気付いた。
「まさか」
「私のルー殿下は決して私の嫌がることを強要したりしません。」
オルは切り替えてルオとして話すことにした。自分を強い瞳で睨む女を騙せるとは思えなかった。
「見分けがつく人間がいるとはな。なら話が早い。リーンなら島国にかかる貿易制限を解除するなど簡単だろう?頼むよ」
「嫌です。私が動く必要がありません。手紙にお返事をしなかった時点でお気づきください。」
「わざとか。まさかそんなに嫌われてるとは思わなかったよ。ただ民の生活を豊かにするためだ」
「不遇をおわされている者の話は聞きません。嗜好品ですし、ルオが必要とするものにも思いません。甘味も嫌いだし、嗜好品に興味を持つ人ではありません」
確かにルオは何かに執着する人間ではなかった。菓子も好んで食べないからオルがよく譲ってもらっていた。
ルオが動く理由が弱かった。
「変わったんだよ。それに商人も取引相手が減れば困るだろう?」
「そんな話は聞きません。それにどれも貴族商人が扱う品物ばかりです。島国に利益を感じず商人たちが引き上げたんでしょう。今は島国は布の貿易で大忙しですよね?そんな小さい取引を気にしている場合ではないと思いますよ」
「詳しいな」
「情報は大事です。」
「妻が好んでいるんだ。私は妻のために」
「奥様思いですね。ただ自国の名産品をなによりも愛する王族が好む内容のものがあるとは思えません。」
「私の知るリーンは快く協力してくれるんだが」
「昔とは立場が違います。大国の姫のころのように好きな様には動けません。私は小国の皇太子妃ですから。私利私欲で干渉したりしません。どうしてもなら殿下がご自分で商人を見つけて交渉すればよろしいかと。ルオ殿下は外交も熱心に学ばれていましたし」
リーンの個人のお願いで動いてくれる友人のおかげで貿易制限になっているがあくまでも個人であり、国としては関与はしていない。リーンが個人としてお礼もしている。どうしても嫌がらせしたいと頼んだら良い笑顔で了承してくれた友人達に感謝している。
「さて、もうよろしいでしょうか?」
「話は」
「私は貴方に協力する気はありません。皇帝陛下の命なら従いましょう。お引き取りください。」
オルは思い通りにならないリーンとルオに面白くなかった。
二人の説得など簡単だと思っていた。
「本当に趣味が悪いよな。お前と婚姻しなくてよかったよ」
はき捨てたオルの言葉にリーンは微笑む。
「それだけは同意致します。さっさと消えてください。目障りです」
「まさか」
立ち去らずに自分を凝視する男にリーンは最後の我慢をやめた。これでも、先程までは気を遣って、社交用の顔を浮かべていた。
リーンは静かに立ち上がり、オルの前に立ち冷笑を浮かべる。
「人が穏便にすませてあげようとしたのに。誠意のかけらもない男と添い遂げずにすんだことは感謝します。自分の欲望のために人を利用することをなんとも思わない人間なんて不快です。自分の見る目のなさに呆れます」
「気付いていたか」
自分の夫と違い察しの悪い相手にこれは皇帝の器ではないとリーンは思った。
色んな嘘を並べて説得しようとする姿にリーンのもしもが確信にかわる。リーンは島国のこともしっかり調べている。
「はい。貴方の身勝手さに言葉もでません。それに許せないことが増えました。ずっとルオを利用してましたね?双子という立ち位置を利用して、純真なルオに。二人が見分けをつける必要がないように印象操作して、ルオも騙して。自分勝手にルオに嫌なことを全部押し付けてたんでしょう?ルオに価値がないなんて悲しいことを教え込んで。」
「本人が嫌がってないからいいだろう?それに強要していない」
「最低です。ルオの人生めちゃめちゃにして。今後入れ替わりなんて許しません。民に求められるのは双子皇子じゃない。ルー殿下です。島国が嫌になっても貴方の居場所はありません。」
「すごい自信だな」
「あの人の代りは貴方には無理です。全然違う人間です。ルオが決めたなら、いずれ貴方に騙される人間などいなくなります。少なくとも私の護衛騎士達は貴方がルオじゃないと気づいてます。ルオなら私の入室許可などなく招き入れます」
ルオは執務室の光景に言葉を失う。リーンが見たことのない冷笑を浮かべ兄と睨み合っている。
「兄上!?どうしてここに」
「話をしただけだ。なぁルオ、お前はルオでありオルだろ?」
昔のルオなら頷いた。ただ当然だろと聞いてくる兄の言葉に首を横に振る。
「名前は関係ない。俺は俺だから。名前に価値はない。俺はリーンの夫でこの国の皇太子。誰にも譲る気はない」
リーンはルオをじっと睨む。名前に価値はちゃんとある。
ルオは自分を悲しそうに見るリーンをそっと抱き寄せ頬に手を添えて笑いかける。
「誰に呼ばれるかで価値はかわるけど。」
リーンを愛しい顔で見る弟にオルは呆れた顔でため息をつく。
「弟の成長に複雑だ。女の趣味が悪すぎる」
「俺には最高の妻だよ。妻の魅力は俺だけが知っていればいい」
惚気るルオを無視してオルは何も言わずに出て行った。
オルにはルオの世界に自分が存在しない気がした。ずっと一緒だった自分の半身が奪われた気がした。オルとルオの世界は二人だけのものだった。
ルオは兄は放置してリーンを抱きしめる腕に力をこめる。
「リーン、よく我慢したな」
「私の今の状態だと躱されるし渾身の一撃をお見舞いするのは今ではないの。それに失敗して転ぶわけにはいかない。でもイライラする。あんな男が私のルオと同列に扱われるなんて耐えられない」
荒れているリーンの背中をルオかゆっくり叩く。
「落ち着いて。また倒れるよ」
「いずれわかるわ。自分がルオに敵わないことを」
「兄上は俺より優秀だよ」
「バカね。私のルオがあんな男に負けるはずない」
「あれでも俺の兄なんだけど」
「可哀想なルオ。あんな男が兄なんて。でも王族に変な男はたくさんいるから宿命よね。私の兄も変人ばかりだもの。」
「大国の優秀過ぎる王族にそんなことを言うのはリーンだけだ」
「大国の貴族は知ってるわ。王族は変人って。失礼しちゃう。私も同列で扱われるのは屈辱よ」
大国の王族は優秀で曲者揃いといわれていた。リーンの兄も優秀だが変人だった。
ルオはリーンが変わっているとは口に出さず愛しい妻の機嫌をどうとろうか頭を悩ませる。
ルオはリーンの願いで皇帝に即位するときに名前をオルからルオルに改名した。リーンはオルの名前が歴史に残るのは嫌だった。
ルオが大げさと言っても、私の夫は最高だもの。絶対に名を残すと断言した
リーンの予言通り、ルオルは小国を大国に引けをとらない大国にした名君として名を残した。皇后だけに愛を捧げたことも有名だった。
オルは島国に帰ると穏やかな妻が出迎えた。
たった一人の半身は自分よりも大事な相手を見つけた。いつも隣にいて自分の言葉に疑いなく頷いていた弟はもういない。物悲しかった。
妻は夫に何も聞かない。
ただオルを見て申し訳なさそうな顔をして手伝ってほしいと頼んだ。オルが頷くと安心したような笑みを浮かべる。
オルはリーンよりは妻のほうが好ましかった。
オルは穏やかな島国で他人を利用せず生きるすべを学んでいく。女系なので、王位を継ぐのはオルの妻である。
オルは算術が苦手な妻を手伝い、自分の好物を食べながら過ごすことにした。手に入らないオルの好物は隣国に買いにいけばすむと提案した妻に笑う。
自分を頼りにしてくれる存在がいることがオルはなぜか嬉しかった。また自分のために尽くしてくれる存在も。
リーンとオルの仲は修復されなかったが、特に問題はなかった。
二人はそれぞれの伴侶のもとで幸せに暮らしていた。
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