第8話:ちぐはくな現実と、予期せぬ青春!?
騒音に近いダミ声の元へ駆けつけると、地面にへたりこむお婆さんが目に入る。
覆面男は1人のようだ。
……いや、奥に人がいるが、200mは離れている。
「な、何してるんですかっ!」
なんとか声は出た。
が、それほど効果がない。
だがシーズーは僕に気づいたようで、
「ボウズ、婆さん助けろ!!!」
犬に指示を出されるとは……
僕はお婆さんに手を伸ばして立たせながら横目で覆面を確認する。
覆面男は全身真っ黒なスエット姿で、必死にシーズーを抱え込もうとしている。
だが、急に現れた助っ人の僕に驚いたのか、シーズーを抑える腕の力が緩んだようだ。
前脚を踏ん張り腕をすり抜けると、僕の前にシーズーが駆け寄ってくる。
走る姿は可愛らしいシーズー。
「ボウズ、助かったぜっ!」
声はどこぞのオッサンだ……
僕はシーズーを抱え上げ、お婆さんの前に立つ。
それでも覆面男は諦めていないようだ。
まるで人質交渉をするネゴシエーターのように犬に向かって手を伸ばし、優しい声をかけてくる。
「……悪いが、それはしゃべる犬だ。色々調べなければならない。人類のためだ。……さぁ、渡してくれ」
飴と鞭の使い分けができるようだが、そんな言葉に惑わされるわけがない。
腕の中の犬は唸り声で威嚇する。
「調べられることなんかねぇよ、ボケっ!!!」
僕は、ぎゃんぎゃんと文字通り罵る言葉を繰り返すシーズーの口を抑えると、まっすぐ見つめて言った。
「警察に電話してあります。話す犬の対応はしてくれなくても、お婆さんへの危害は傷害罪ですよね」
……実はまだ電話はしていないんだけどね……
………が、効果あり!!!!
覆面男は焦った表情を浮かべると、踊るが如く背を向け走っていく。
振り返ることなく200m先の仲間と合流すると、すぐ横にあった車に飛び乗り、去っていった。
本当に、竜巻のようだ……
見送り終えたとき、僕の膝から力が抜けていく。
ぺたりと地面に座り込み、はぁと息をつくと、シーズーが僕の頬をべろりと舐める。
「ボウズ、やるじゃねぇか!」
「冷たっ! いやぁ、なんとかなって、よかったよ……」
背中にあったリュックを前に背負い直し、ファスナーを開けると2匹同時に顔を出した。
「おっかないのいない?」
「ああ、いないよ、モップ、大丈夫」
「あたち、こわい」
「大丈夫。このリュックの中は安全だよ、ハチコ」
僕の心を落ち着かせるためにも2匹の頭を撫でやる。
すると、おっさんシーズーは2匹の顔をべろりと舐めた。
「お前たちの飼い主、やるじゃねぇか」
「顔、くちゃい……」
「モップも顔くさい……」
「てめぇら、怪我してぇのか!!!!!」
またぎゃんぎゃん始めたシーズーをお婆さんは抱えあげ、しっかりと抱きしめた。
「シロちゃん、ありがと。そして、ボクも、本当にありがと。まさか散歩している犬を連れ去ろうとするなんて思ってなくって……」
まだ手が震えているのがわかる。
「いいえ。あ、この近所ですよね? 一緒に帰りませんか?」
僕は自転車を取りに行き、お婆さんと並んで自転車を押す。
風は切れないが、のんびりと歩くのもたまにはいいだろう。
もういない祖母との帰り道のようで、なんだか懐かしい気持ちになる。
だけどこれは、飼い犬と飼い猫を守るため────
あたりに目を配りながら進んでいくが、お婆さんにとって散歩が危険とはかなり非常事態だ。
「何時の散歩がいいのかしら。早朝とかかしらね……」
「黒い集団が何時ぐらいに活動しているのかが気になりますよねぇ」
「本当に。はぁ……困ったものねぇ…」
少し悩んでみるが、抱えられたシーズーが顔を上げた。
「婆さん、俺、庭でいいぜ。庭ならあいつらもこれねぇだろ」
「でもシロちゃん、『猫の額みたいなとこ、歩けるかー!』って怒ってたじゃない」
「背に腹は変えられねぇよ」
「カケル、ねこのひたいってどういう意味?」
ハチコの不意な質問に僕が言葉を濁していると、お婆さんがクスクスと笑う。
「小さなお庭ってことよ。あ、ここでいいわ」
左に避けたお婆さんにつられて視界を回すと、
……豪邸……!!!??
「いつでも遊びに来てちょうだい。私は春子、風間春子っていうの。ボクは?」
「あ、僕は松岡駆、です」
「ではまた、ね」
「じゃあな、ハチコ、モップ」
「チロもまたね、なの!」
ハチコが返すと、
「チロじゃねぇ、シロだ、ボケェ!!!!」
その返事にごつんとお婆さんがげんこつを落とす。
「やっぱり山に捨てに行こうかしらね」
「婆さん、それはやめてくれよぉ! 助かったのによぉ……」
小さく会釈をして豪華な玄関へと入っていく。
表札には『風間』の2文字!!!!!
「元からお上品な人だなぁとは思ってたけど、こんな次元が違うなんて……」
僕が驚愕の事実に打ちのめされていると、モップがクリンとした目をこちらに向いた。
「モップ、ここのお庭で遊べる?」
「そうだね、今度遊びに来ようか」
「モップ、楽しみ」
「ハチコも、ハチコも!」
「はいはい」
僕らは再び自転車の風を浴び、走り出した。
腕時計を見ると、もうお昼を回っている。
「帰ったら、ご飯にしようか」
僕が言うと、ハチコとモップはリュックのなかで喜んでいる。
ただのご飯にこれほど喜ばれると、僕の菓子パンも楽しみになる。
「あ、今日の菓子パン……たしか、メロンパンだっ!」
顔ぐらいあるチョコチップメロンパンが僕の好物!
ちょっとだけ、母親に感謝する。
……たぶん、安売りしてたんだろうけど。
「……の前に、カメさんの家と……井上さんにLINE入れなきゃ……なんて入れたらいいんだろな……マジやばい…スタンプ? そんな可愛いの持ってないし……えー…マジやばい……」
リュックの中と、僕の心の中の騒然さの意味は違えど、楽しい気持ちには変わりなかった。
不意に目が合うと、コロコロと笑い声が聞こえる。
僕も一緒に笑うと、よけいに笑う2匹に、僕は頬をさらに緩めた。
誰かと笑いあうなんて、久しぶりな気がする。
遠い記憶の兄が目に浮かんだ気がしたけど、すぐに泡のようにはじけてしまう。
「僕には、お前たちがいるからな!!!」
胸前に背負ったリュックに片手を突っ込みもぞもぞと動かすと、明るく楽しそうな声が返ってくる。
僕はそれだけで、幸せだ!!!!
心の中で叫びあげると、僕はペダルを踏むのを強めた。
びゅんとなる風の音にみんなで歓声をあげる。
ようやく僕の夏が来ている────