第61話:懐かしい雨
今日は9月24日。
あの日から、もう3週間が経とうとしていた───
僕とリンちゃんは風間さんが経営する保護犬・保護猫カフェ『next』のバイトとなり、週に2〜4回働かせてもらってる。
ただ僕はバイト初心者。
リンちゃんから色々接客の仕方を学ばせてもらってるけど、本当、リンちゃんはすごい。
どんなお客様にも親切丁寧!
一方の僕は、ちょっといかつそうなお兄さんが来ちゃうとワタワタしちゃう小心者です……。
「カッケ、お疲れ〜。明日バイトないもんね?」
「うん、ないよ」
「明日って予定ある? あたしさ、あの映画見に行きたいんだ」
「この前いってたやつ?」
「そそ。前売りまで買ってるのにみんな予定合わないし。ランチ奢るから!」
「奢らなくても付き合うよ。僕も見たかったし」
「さすが、カッケ。したら明日11時に駅前集合しよっか」
「わかった」
「じゃ、カッケ、また明日ね〜」
リンちゃんは扉口で早口に言うと、そそくさと行ってしまった。
いつもなら一緒に帰るのにな。
僕も帰る準備を整えようと立ち上がるも、後ろのケージのかれらを見て、カバンを置きなおした。
「……お前たちの水換えていくか」
現在犬と猫合わせて23匹が滞在中だ。
あの日の子達ももちろんいるけど、この3週間で家族になった子達もたくさんいる。
逆に言えば、あの日以降に増えた子達もたくさんいる。
人間は身勝手だ。
だから、ここにいる間も楽しかったと思ってもらえるように、新しい家族の元へ行ったときに遜色ないように、ケアしなくちゃいけない。
人間は身勝手だけど、いい人もいる。そう思ってほしいから。
「……あ、こらこら、君は今日お休みの日ですよ? 出れません。はい、お水換えますよー」
全てのケージの水換えを終えると、僕はカバンを引っ掛け、カフェを出た。
裏口から出た空は、黒い。
あの雲は間違いなくたっぷりと水が含んでいる。
「……やば」
自転車にまたがり、激しくペダルを踏み込んだ。
家までは20分弱。うまくいけば15分!
僕の焦る心とは裏腹に、空が明るく照らされ、すぐにドゴンという音が鳴る。
「……うわ、近いじゃんっ!」
さらに立ち漕ぎで走り出すが、大粒の雨が降り出した。
もう、びちょびちょ。3秒でびちょびちょ!
9月半ばの雨は意外と冷たい。
「うわぁ……やばい寒い……」
うっすらと水の膜ができているアスファルトを走り、なんとか家にたどり着いた。
自転車を投げるように庭に置くと、少しでも雨を避けたくて玄関へと飛び込んだ。
「はぁ……さむっ」
玄関の戸を閉め振り返ると、前足をきっちり揃えて待つ2匹がいる。
「ただいま、ハチコ、モップ」
最近、僕の部屋と兄の部屋、そしてリビングにキャットドアをつけたことで、彼らは家の中を自由に歩き回れるようになったのだ。
なので、お迎えも最近増えてきたんだけど、ちょっと今日はおしとやかな気がする。
ゲロでも吐いたかな?
「なんかあった? ゲーゲーしたの?」
僕はあまり床に水が落ちないように素早く洗面所へと向かったが、猫の嘔吐物は見当たらない。
棚からタオルを取ろうと引っ張り出したら、数枚転げ出た。
ぎゅうぎゅうに詰めすぎ!
「兄さんだな、これ……」
家の中は整っていはいる。
だが、丁寧さはない。
すべて、僕らの不器用さのせいだ。
なぜならあれから母が帰ってきていない。
このまま帰ってこないのかもしれない。
母がどうしているのか僕らは全く知らないし、僕は知りたくもないから、これからどうなるのかもよくわからない。
ただ父は、僕らの笑顔が嬉しいとよく言うようになった。
たしかによく笑って喋るようになったかも。
タオルをかぶって着替えを済ませて洗面所を出ると、またハチコとモップがいる。
「待っててくれたの? ありがと。部屋に行こうか」
僕が言うと案内するように階段を歩く。
時折振り返るのが可愛らしい。
しかし今日の雨はひどい。部屋の窓もべっちょりだ。
ベランダは改造済みで、マットやクッションはすべて濡れないようにしまうようにしているし、床には銀マットを敷いてあるから、雑巾で拭けばすぐに綺麗になる。
バージョンアップしたベランダの秘密基地。
これは最終日にみんなで出し合った案を形にしたものだ。
雨だれにまみれた窓を見て、僕は思い出していた。
あの日も、こんな雨だったこと────
「……ハチコ、モップ、外見てみる?」
思わず聞くと、2匹は必死に顔を上げて、開くのを待っている。
ちょっと見る程度かと思えば、細く窓を開いたとたん、するりとベランダへ出ていってしまった。
だけれどこれで出られると、まずい!
「びしょ濡れなるから入ってよっ」
慌てて僕も飛び出したけど、ハチコとモップは雨にあたりながら、ゆっくりと上を向いた。
雨を見る、というより、空を見ている。
ただじっと見上げる2匹はあの日と同じで、同じすぎて、胸がつまる。
「……ハチコ、モップ、ごめん……」
謝った僕に、ハチコが「にゃあ」と返事をする。
モップは僕の濡れた腕に体をこすり、甘えた目を向ける。
その声が、瞳が、僕には辛くて辛くてたまらない。
だって、ずっと僕は後悔してるから──────
「……もっとお前たちと話ししとけばよかったって毎日思ってるんだ……」
2匹は僕を見上げた。
濡れた鼻をべろりと舐めて、僕を見る。
「お前たちの好きな食べ物とか、寝床とか、爪とぎとか、おやつの種類とか、……あとからあとから聞きたいこと出てくるんだ……カメさんにだって、もっと相談したかった……リンちゃんに告白の仕方がわからないんだ……大人なカメさんならわかるんだろうなって……」
僕は濡れそぼった2匹を抱きかかえた。
「……現実は、なにも、変わらない……あの特別な日の前と、何も変わってないんだ……」
ひと回り縮んだ2匹は温かくて、優しくて。
なぜかゴロゴロと喉を鳴らしていて、その音が心地よくて。
その音を聞きながら、僕はスマホを取り出し、あの日の思い出を画面に呼び出した。
「──あの日に帰りたい……」
僕の声は雨に沈んで、雷鳴が僕に言う。
過去は取り戻せないと────