第56話:僕らの夏休み最後の日
朝起きると、父がすでに家を出ていた。
テーブルに僕宛にメモがある。
その父からのメモには、
『駆へ
井上さんによろしくね! 男子たるもの、責任ある行動をするように!』
男親に言われると、妙な感覚が……
というか、まだ付き合ってもいないからね!!!!!
心の中で強く反論して、僕は朝食の準備を整える。
いつもの通り、シリアルにレタス、ハチコたちのカリカリと、カンタのマヨネーズ、そしてクマチビ隊長たちのひまわりの種。
クマチビ隊長たちの報酬は今日までの約束だ。
ただ大袋でひまわりを買ってしまったから、ある分はあげようかと思ってる。
僕がトレイに乗せて部屋へ戻ると、なぜか兄がいる。
「お、駆、おれのシリアルは?」
「……あるわけないでしょ」
ハチコとモップと遊ぶ兄にため息をつきつつ、もう一度僕はキッチンへと戻った。兄のシリアルを用意するためだ。
全員にご飯が行き渡ったのを確認したハチコが号令をかけた。
「はい、いただきますなの!」
いつものとおり始まった朝食。
じゃりじゃりとシリアルを兄と並んで頬張るけど、ちょっと違和感。
でも、楽しい違和感だ。
「駆、お前、こやってみんなで朝飯食ってたわけ?」
「うん。ハチコがみんなで食べるっていうから」
「いいな、これ、開放感あって」
「うん。ちょっと気分転換なるよね」
「……なんか、懐かしいな」
「……うん。たしかに、そうだね」
きっと兄が思い出しているのは、小学生の夏休みだ。
ここに越してきたのは小学2年の時。
大きなベランダに僕らははしゃぎ、秘密基地を作った。
本当に簡単なものだった。
ふろしきをベランダの柵にかけ、屋根にダンボールを置いて、床にはレジャーシートを敷いて、さらにお気に入りのタオルケットとクッション。
そこに持ち込んだのは漫画に小説、カードゲームにおやつにおもちゃ。あっという間に物だらけで、基地にもならないベランダだったけど、僕らはあのとき、ここを基地と呼んでいた。
歪で、不完全な、秘密基地。
でもそれが本当に楽しかった。
本当に楽しかった────
「ねぇ、兄ちゃん、また、ここに基地作る?」
「……は?」
兄は一度不服そうな声をあげたけど、ちらりと見回し、鼻で笑う。
「……そうだな、いいかもな。昼寝の場所には最高だもんな」
一緒に見上げた空は、昨日と変わらない青。
間違いなく、明日も青。
だけど、今と同じ気分で、この空を見ることはできないと思う。
雲の形が常に変わるように、毎日繰り返していても、ちょっとだけ違う毎日になる。
そんな当たり前なことも考えてこなかった僕は、子供なんだと理解する。
でもそれに気づけただけ、僕はちょっと大人になれた気もする。
「よし、おれ行くわ」
食べ終えた食器を兄がトレイへ乗せてくれる。
「さげとくけど、洗わねぇから。あ、帰りは5時かな」
「わかったよ。父さんの魚があればそれだけど、なければチャーハン」
「おう。任せとくわ」
今日は僕が夕食担当。
父が坊主で帰ってこないことを祈るばかりだ。
「タモツさん、」
カメさんがレタスを食みながら声をかける。
「ん?」
「お勉強、無理しないでくださいね」
「カメに言われるほどやってねぇし」
「いえいえ。あなたは相当努力されてる。あなたは口が悪い割には責任感があり、将来のビジョンもしっかりあります。そこに到達するための努力は決して惜しまない人だ。だけれど、1人ではそれにはなれない。いや、実際は1人でなるのです。あなたの努力だけが身を結んでくれます。だけれど、無理なのです。あなたはまだ子供だから、やはり、あなただけではそれにはなれない」
「……なんだよ、カメのくせに」
「カメだからわかるのです。人間は集団の中で生きていく動物です。家族というカタチが一番小さな集団になります。あなたはとてもそれを大切にされているのですから、もっと態度で示されてもいいと思います。大切にした分、あなたに有利な形で人は動いていくはずです」
「カメのくせに……」
「ええ、カメのくせに言います。だからタモツさん、みんなと仲良く過ごしてくださいね」
「……わかってるって」
カメさんは最後のレタスを頬張りおえると、水槽へと戻っていく。
「まだ夏が終わりませんね。甲羅が焼けます」
水の中に潜るカメさんを見ながら、本当にどこまでもすごいカメだと思わずにはいられない。
兄は改めてハチコとモップを抱き上げると、しっかりと頬ずりする。
「ハチコ、モップ、今日はハチミツと楽しく遊べよ」
「あたち、いっぱいあそぶ!」
「モップも、モップも!」
そっとベランダに下ろした兄は、カンタに目を合わせ、
「じゃ、カンタ、一応見回りよろしくな。クマチビ隊長もひまわりの種、しっかり食えよ」
そして、クマチビ隊長へひまわりの種を進呈する。
「駆、今を楽しもうぜっ」
兄はそう言って、自分の部屋に戻っていった。
兄は兄の考えがある。
僕はそれを聞こうとは思わない。
だけれど、兄が言った「今を楽しむ」これだけはわかる。
「よし、今を楽しもうか!」
僕がみんなにそう言うと、元気な声が返ってきた。
今日の楽しい日が、もう始まってるんだ!





