第54話:家族のカタチ
僕がポツリポツリと話す母の話を、井上さんは黙って聞いてくれた。
お弁当のエピソードも、もちろん話した。
ひと通り感じていたことを話し終えると、僕の頭を井上さんがポンポンと叩く。
「明日もお弁当作ってあげる! カケルッピ、他に何が好き? ね? 明日は『夢のお弁当』にしてあげるから!」
突然の申し出に、僕は言葉がでない。
もちろん、嬉しすぎて、だ。
「カケルさん、夢のお弁当ですよ! 明日も楽しみですねっ! 私はレタスがいいです」
「あたちはカツオブシがいい!」
「モップはしっとりのごはん!」
「あたいは骨っこね!」
「オレはマヨネーズだな」
みんなそれぞれ食べたいものがあるようだ。
いつの間にか参加していたカンタに驚きながら、僕はおもわず笑ってしまう。
笑ったらまた涙がこぼれたけど、それでも笑顔になれたのは、みんながいるから。
「ありがと、みんな……」
顎に伝った涙はハチミツがべろりと舐めとってくれた。
その感触が初めてで、くすぐったくて、それも嬉しかった。
僕は生まれて初めて、生まれてきてよかったって、思った瞬間だった───
午後からの流れもなんとかこなしたものの、迎えに来ない飼い主もいるわけで。
「明日も引き渡しを行うけど、期待はできないかも……」
リストを眺めながら風間さんはいうが、僕も同じ気持ちだった。
普通なんてわからないけれど、自分の家族が解放されたら、いの一番で飛んでくるよなって思うから。
近日中にどうしても無理な人はなんらかの手段で連絡を取ってくるわけだし。
残った彼らは、なんの連絡もなく、そして、諦めた目をしている子たちだ。
「残った子たちは安心して、私がなんとかするから!」
その力強い声に、僕は安心する。
本当に、すごい人だと改めて思う。
「本当に、駆くん、凛ちゃん、お世話になったわね」
「やめて、風間さん。あたしはカケルくんがいなかったら、ハッチを助けることもできなかったし」
「……そんな! 僕はみんながいなかったら助けられなかったから」
はにかんで笑うと、頭の上が急に重くなる。
「カケル、帰ったらマヨネーズな」
「お前太るぞ?」
「オレは毎日飛んでるから問題ねぇよ」
耳元のイケボが腹立たしい。
僕がカンタを虫のように払うと、風間さんはそれに笑う。
「本当に駆くんはバードテイマーさんね」
明日の手伝いは不要とのことで、改めて何か手伝いがあれば連絡をもらう約束をし、僕たちは解散となった。
こうして井上さんと並んで帰るのも、慣れたもの。
だけど改めて女の子と一緒に帰っているのだと思うと、妙に意識してしまう自分がいる。
………だって、男だからね!
「ねぇ、カケルッピ」
「……へ、え、はい!」
「明日は秘密基地に集合でいい?」
「も、もちろん。時間は10時ぐらい? もう少し遅くてもいいし」
「ダメなの! 時間厳守なの! ハチミツと遊ぶの!」
リュックから顔を出したハチコが10時集合と言って聞かない。
「遊びは、あたいがいないと始まらないわ! 早く行かなきゃだめ!」
「……て、ハッチも言ってるから、10時ぐらいに行くね」
「わかった」
「また明日ね、カケルくん!」
颯爽と走り去って行く井上さんを見送り、自転車を庭へ移動したとき、自転車のブレーキの音が響いた。
あの独特の音は兄の自転車だ。早く油をさせばいいのに。
振り返った僕に、兄が手を上げ言った。
「お、駆、お前も今ついたのか」
その声があまりに棒読みで、絶対後ろからついてきていたんだと理解する。
「……兄さん、声かけてくれたらいいじゃん」
「やだね。井上さんに怒られる」
「なんで井上さんの名前が出てくるんだよ」
「さぁな?」
「なんだよ、その言い方」
僕のリュックからハチコを抜き取ると、兄は優しく抱えて家の中へと入って行く。
「ハチコ、今日も泥だらけだな! あとで俺とお風呂だなぁ」
「おふろ? それきらいなの!」
わいわいしゃべる兄を見ながら、僕もモップを抱き上げ、カメさんを肩に乗せると、すぐリビングへと向かった。
今日は父がオムそばを作ってくれるといっていたので、とても楽しみだ!
「ただい……」
僕はぎゅっとモップを抱きしめる。
それは兄も同じだった。
そこには、あれがいた。
「……また気味悪い猫連れて……」
───母だ。
僕の胃がぎゅっと絞られる。
僕と兄は母と異様な距離を取りながら、父がいるキッチン側に体を寄せた。
そして父が言う。
「正直な気持ちを言って欲しい」
父の声が一段と低い。
何かを覚悟し、何かに怒り、何かを殺している声だ。
父が思うところは全く読めないけど、ただ、僕の心は決まっている───
「母さ」
「維、母さんと一緒に行きましょ?」
僕の方を見ていない母は、僕の声など聞こえない。
そうだ。
いつも、そうだった。
兄の声には返事をしても、僕の声には視線すら向けない。
僕は2番だから────
僕はぎゅっと口を結んだ。そして、モップの頭を優しくなでる。
目を細めてくるくると鳴くモップがかわいくて、僕がにっこり笑うと、頬を伝った涙をモップが舐めとってくれた。
ハチミツと違って舌がザラザラだから、ちょっと痛かったけど、でも嬉しい。
この重く沈んだ空気を破ったのは兄だった。
「母さん、」
兄の声に、母が目をぎらりと開く。
「……おれ、間違ってた」
兄の声に、母は猫なで声で返事をする。
「維はなにも間違っていないわ」
「いや、間違ってた。おれは兄として、駆を守れていなかった」
母の顔は、「なにを言い出すの?」と言っている。
「……おれさ、おれが優等生でいれば駆になにもしないかと思ってたけど、あんたはつけあがるだけつけあがって、おれとあんたの世界を作ろうとして……。おれが家族から離れるようにしてみても、あんたはなにも変わらなかった……。むしろ、駆を除け者にして、3人家族のような、そんな風景を作ろうとして…もっと早くにおれが…………おれが、あんたになんて期待しなきゃよかったんだっ!」
兄の声と一緒に落ちたのは涙だ。
まさか兄も苦しんでいたなんて思ってもいなかった。
兄は兄なりに、母との距離に悩んでいたんだ。
僕の方こそ、兄になんで歩み寄れなかったんだろう。
僕は、兄の辛さをどうして気づけなかったんだろう…………
「に…兄ちゃん、ごめん……」
僕が涙で喉を潰されながらようやくつぶやくと、兄は腕で顔を拭い、大きく横に振った。
「これは、おれの落ち度だ」
兄の感情の大きなブレを初めて目の当たりにして、僕はどう声をかけたらいいのかわからない。
なのに、ハチコはどうするかわかっている。
たった3年程度の付き合いなのに、兄にどうしたらいいのかわかっている。
するりと体を伸ばし、頬に自分の頬をこすりつけた。
それだけで、兄の心は、尖った心が丸くなるんだ───
「維、ちょっと、それ、どういう意味……かしら……?」
戸惑う母が兄に近寄ろうとしたとき、父の細い背中が壁になる。
「……母さん、あとは俺との話し合いだ。どちらの親権も俺が取る。弁護士を入れて話し合おう」
父がはっきりと言った。
その言葉に、誰も味方がいない現実に、母は打ちのめされたのか、何か叫びながら家を飛び出していったが、誰も追いかけようとはしなかった。
バタンと閉じた玄関の音に僕はびくりとする。
目を覚ましたように前を見ると、父がかがんでいる。
いや、土下座だ。
「駆、今まですまなかった……」
「ちょ……父さん、やめてよ」
「気づいていたんだ……でも、そうじゃないんだと思い込ませていた……自分の家庭はうまくいっているんだって、そう思おうとしてたんだ……だけど維にはっきりと言われて、お前がされてきたことを日記で見せられて……なんでこんなになるまで放っておいてしまったのか……」
うずくまる父と、その前に正座する僕。
兄の顔は、とりあえず赦してやるという、そんな顔つきだ。
僕は何を言えばいいのだろう…………
ただ床を見つめる僕の前に、カメさんがのそのそと現れた。
「カケルさん、あなたの家族は?」
「…………え?」
「今一度、確認しましょう。あなたの家族は誰ですか?」
「…………えっと、……うん、……僕の家族……僕の家族は、」
僕はぐっと息を吸い込む。
「父さんに兄さん、ハチコ、モップ、そして、カメさんの5人家族。だって5人で1つ屋根の下に住んでるからね!」
「ほう。私も家族と認めてくれるのですか? これは嬉しい誤算ですね。では夕食はレタスでお願いします。柔らかい葉っぱですよ?」
僕は頷きながら笑ってしまう。
その声につられて兄も、父も笑い出す。
本当に図々しいカメさんだけど、僕はカメさんが大好きだ。
兄よりもなんだか兄らしくて、変に人間臭くて、ちょっとワガママで、そして憎めない。
本当に素敵な素敵な宇宙の使者だ。
「もちろん。柔らかいのちゃんと選ぶから、楽しみにしてて」
まだうちの問題は片付けきれていないけど、僕らの家族のカタチは整った。
いびつなカタチだけれど、これからきっとキレイな円になる。
僕はそう、確信している。