第47話:元どおり
しっかりとハチコとモップを抱きしめるが、もう、涙と鼻水でぐちょぐちょ。
そんな僕に、ポケットティッシュが差し出される。
すぐに受け取り、顔を洗うようにいろんな水分を拭うと、ケラケラと笑われる。
「カケルッピ、泣きすぎ」
僕はその声にふてくされながら、ちょっとだけ睨むけど、井上さんの目も、鼻も、全部真っ赤。彼女だってボロ泣きだ。
井上さんの右手にはハチミツが抱えられ、もうべったりもいいところ。
ハチミツは、べろべろと何度も井上さんの頬を舐めて、慰めて、甘えている。
さらに外を見ると、シバマルは金川さんの犬だったようだ。
あいかわらず、はち切れんばかりの尻尾を振り回しながら、いい子にしてたよと話し続けている。
ただ、ケンジくんとシロ、それにキャンディーちゃんは、じっとその光景を眺めていて、いたたまれなくなる。
すぐに僕は2匹をリュックに詰め、カメさんも入れて、黙って見つめる彼らの元へと駆け寄った。
「ごめんね。大丈夫?」
そう言う僕にシロが笑う。
さらにケンジくんとキャンディちゃんも首を横に振った。
問題ないというのだろう。
だけれどその目はとても寂しそうに見える。
「カケル、婆さんは元気か?」
「もちろん。風間さんの力がなかったら、ここまで僕もできてないよ」
「それならよかった。……が、お前たちだな」
シロが見た相手は、ケンジくんとキャンディちゃんだ。
「本当に。帰れるかなぁ……」
「あたしもよ」
どういう意味かと尋ねようとした時、ちょうど警察が到着した。
誰が通報したのだろう………?
警察に手を振る男たちは、間違いなく運転手と助手席の人。
先手必勝、ですね!
ここまでは読んでなかったな……
確かに、あのフンとフロントガラスは、ちょっとやりすぎだもんね……
あーこれはもう停学とか……?
でもそんな直に僕の手は下してないけど……なんて、生易しいことは言えないよねー
停学くらいで済めばいいけど……
「カケルさん、顔色悪いですね」
胸で背負ったリュックから、カメさんが覗きあげて僕に言う。
「だって、見てよ。警察の人来ちゃったもん」
僕の声につられて、ハチコとモップ、カメさんが、ついでにカンタも僕の頭の上にずっしりと乗って、警察を目視した。
「「「「あー………」」」」
ハチコとモップにまで、「あー……」と言われる始末。
僕の頭がカンタの重さもあってだんだんと痛くなるのも無理はない。
さながらブレーメンの音楽隊のような僕に狙いを定めた警察のおじさんが僕に颯爽と近づいてきた。
怒鳴られるのか………?
僕は肩をすぼめて、第一声に耐える準備を整える。
「こんにちは。君は、松岡カケルくん、……かな?」
名前までバレている現実に、もうめまいがしそう………
「そう、です、けど……」
「わかったよ。お疲れ様」
素敵な笑顔で肩を叩かれた。
みんなで疑問符を浮かべながらおじさんの背中を見送るが、もう1人の警官に説明をしているようだ。
「カンタ、なんて話してるか聞こえる?」
「俺は無理」
「じゃ、クマチビ隊長、聞こえる?」
「……んー、なんとかですけど………ん? カザマさんの……? 今回は鳥がした事だから、とか……聞こえるであります!」
───風間さん、あなたは何者なのですか?!?!?
職質的な何かを山ほどされるのかと構えていたのに、まるで野良犬でも払うように、ぽいぽいと手であしらわれてしまった僕らは、それならと移動を開始した。
僕は自転車で、井上さんたちは車での移動だ。
車の後部座席には、みっちりと動物たちが詰まっている。だが、僕もハチコとモップで精一杯。
でも、僕のリュックの重さが、あの車のみっちり感が、幸せの形なのだと思うと、すごくあったかい気持ちになる。
お互いに手を振り走り出したが、向かう先は大学近くの公園だ。
そこで研究室に回収された犬や猫たちを帰す作業をしているのだ。
風間さんも、シロをものすごく待っているし、ケンジくんやキャンディちゃんの飼い主も探さないといけない。
ツイッターを見ると、兄が井上さんのツイートに絡めて、取り返した猫や犬たちの自己紹介動画を上げている。
彼らの飼い主であることを確認するものとして、一緒に写った写真や彼らが使っていた道具の持参を求めたツイートもある。
やっぱり嫌な人間もいる。飼い主だと嘘をついて動物を奪っていく、なんて、ないわけじゃない。
そんなこと、絶対あってはならない事。だからこそ、抜かりなく、絶対間違いなく渡さなければならない。
でも、今は動物たちが喋れるから、そんな間違いはないだろうけど。
でも、油断大敵!
前に背負ったリュックから、ハチコとモップ、カメさんが顔を出している。
なぜかカゴの中には、カンタ隊長とクマチビ隊長立ちが居座っている。彼らは報酬のためだろう。
クマチビ隊長には魚肉ソーセージを、カンタには業務用マヨネーズを差し上げることになっているのだ。
そりゃ、報酬を得る前に去るわけにはいかないものね。
風が背中を押していく。
「「わぁー」」
ハチコとモップが歓声をあげた。カメさんも気持ちよさそうに目を細めて風を浴びている。
カンタは青黒い羽をなびかせながら、くるりとこちらを向いた。
「カケル、ようやく、元に戻ったな」
その言葉を一瞬飲み込んで、僕は返事をした。
「そうだね。元どおりだ」
僕が自転車を漕ぎ、リュックには猫とカメがいる。
これで、元どおり!
頭の中で復唱したとき、少し違和感がある。
元どおり……?
「カケル、モップね、帰ったらおいしいごはん食べるの」
「あたちも! カリカリじゃないやつ!」
2匹の声に僕は引き戻され、返事をする。
「うん、いっぱいあげるよ」
「私はレタスを山盛りいただければ」
「カメさんももちろん! 葉っぱが柔らかそうなのを選ぼうか」
繁華街から少し離れると、空が高く、広く見える。
今日は雲が薄くて、空は真っ青だ。
だけど、日差しの色が少し赤みがかっている。
夕方が近いのはもちろんだけど、それとは違うニュアンスがある───
「秋が、ちかくなった」
ハチコの言葉が、今、少しだけ見えた気がする。
歩行者用の信号が赤になった。
僕は信号待ちの隙に、ハチコとモップの隙間に顔を埋めてみる。
食パンの焦げた匂い。
温かくて、柔らかくて、2匹の感触───
「大好きだよ、ハチコ、モップ」
僕が言うと、2匹がコロコロと笑い声をあげた。僕もそれにつられて笑うと、信号が青になる。
ペダルに足をかけたとき、
「あの、」
カメさんの声が僕を止める。
「日にちが、今、決まりました」
───僕はすぐに理解できなかった。
だけれど、あの日にちだ。
本当の、元どおりになる日が、決まったのだ。





