第29話:楽しい夜と、厳しい目と
「お、井上さんが着いたみたい」
外を見ると、雨は上がっているようだ。
「ハチコ、モップ、行こう。カメさんもいこうか」
カンタをベランダに出し、カメさんを手に乗せ階段を降りていく。
ハチコとモップは部屋の外では話してはダメと言ってあるので、口をむっと閉じて歩いている。
その姿が可愛すぎて僕の顔は緩みっぱなしだ。
「気持ち悪い顔ですよ、カケルさん」
「……静かにカメさん」
玄関を出ると、自転車にまたがる井上さんがいる。
なんだか新鮮な気分だ。
今日も滑らかな脚線美が輝いています……!
「おっつー、カケルッピ」
「お疲れ様、井上さん」
「そこは、リンちゃんでしょ?」
「はぁ……リンちゃん、お疲れ様」
「うんうん、いい感じ」
適当に自転車を停め、文字通り、猫の額ぐらいの庭で井上さんはお土産を広げ始めた。
カンタも降りてきて、じっくり見ていたが、
「俺のはねぇな」
そう言い、飛び立とうとするカンタの足を井上さんがむんずとつかむ。
イケボな悲鳴が響くが、すぐに羽をたたんだカンタは、地面で静かにうなだれている。
「一緒に写真撮るの。カンタも一緒に撮るんだから、行っちゃだめ」
「ならそう言えよ。つかむなよ。すげぇ焦るだろ……」
「つい反射で」
そんなやりとりの横で、ハチコとモップに僕はチューブのおやつをあげる。
小皿にしぼりだしてあげると、目をキラッキラにさせながら、必死に舐めとっている。
もう皿まで食べる勢いだ!
「やっぱり猫ちゃんって、これ好きなんだねぇ」
井上さんが優しく2匹の頭をなでると嬉しそうに目を細めながらも、舐めるのは止めない。いや、止められない!
「嫌いな猫もいるらしいよ。猫はグルメっていうしね」
「そうなんだ」
井上さんは必死に食べる2匹を動画に撮っていたが、急に空を見上げて指をさした。
「虹!」
温い風が吹くなか、くっきりと七色の虹は青い空に浮き出ている。
「大きな虹だね」
僕が言うと、井上さんは頷いた。
「ね、あの虹バックにみんなで写真撮ろ!」
僕がハチコとモップを抱え、井上さんはカメさんを手のひらに。そして、カンタは井上さんと僕との間に舞い降りると、お互いの肩に片方ずつ脚をおいた。
「ちょ、カンタ、僕の方に乗るとかしてよ」
「ちょうどいいんだよ。離れたら俺が停まれねぇからくっつけよっ」
イケボが耳に響くが、今ウィンクが見えた……
余計なことを……!
「カケルさん、笑顔ですよ」
そんなこと言われても、肩が触れてるんですよ。
井上さんの華奢な肩が触れているんですよっ!!!!
この感触、一生忘れないようにしますっ!!
「おー、カンタ、絶妙なバランスっ!」
この心踊る僕に構わず、井上さんはマイペースにスマホを構え、虹が入るように調整している。
「よし、ここ! 撮るよぉー! せーの!」
『明日もいい日になりますように!』
みんなの笑顔が、自然な顔が、スマホいっぱいに切り取られた。
颯爽と腕を振って帰っていく井上さんを見送りながら、僕らも家へと戻る。
いつもどおりに学習時間を過ごしたりしながら、たどりついた18時。
それを過ぎたところで、母が今日は帰らないことがわかった。
隣町の実家に泊まるそうだ。
とたんにはしゃぎだしたのは父だ。
「簡単だけど、父さんがご飯作るからなっ!」
鼻歌交じりで父はフライパンを取り出している。
冷蔵庫を眺め、食材が決まったのか、手際よく準備されていく。
1時間もせずに出来上がったのは───
「父さん特製オムライスだ!」
そういって出てきたのは、ふわふわ卵がのったオムライス!
まだ半生の玉子に、ハヤシルーがにじんでいる。
この黄色と赤みがかったブラウンのコントラストがたまらないっ!
「ハヤシルーはレトルトだけど、オムライスは父さん作ったぞぉ。ご飯はバターライスにした。サラダも作ったからしっかり食えよ」
サラダもボウルにごそっと盛り付けられてはいるけど、しっかり水気が切ってあって、ちゃんと手間がかかってる。
「意外と父さんって料理好きだよね」
「母さんいると台所使わせてくれないからな」
いつのまにか現れた兄が料理を運ぶのを手伝い、3人の食卓がすぐに完成した。
「じゃ、いただきます」
父の号令で、僕たちも「「いただきます」」と声を合わせると、スプーンを取り上げる。
するりと入るスプーンがすくいあげるのは、ライス&玉子&ハヤシ!
この割合をどうするかで悩んでしまう。
卵を多めにすれば、甘みのあるオムライスになるし、ハヤシが多すぎるとライスとのバランスが悪くなってしまう……
なんて考えられないほど、父のオムライスは激ウマだった。
「父さん、おかわりってあるの?」
僕が言いたかった言葉だ。
兄が言ってくれた。
「もちろん! 卵もまだ1パックあるから余裕だぞ」
その言葉に僕らのスプーンの勢いが増したのは言うまでもない。
僕は2皿、兄は2皿半を平らげた。
なんだろう、とてものびのびした夕食だった。
久しぶりに笑った夕食だった。
あの兄ですら、笑い声をたてたんだから!
だけど、現実は厳しい。
世間の目は厳しい。
食事をしながら流していたニュースでは、話せる動物が順調に預けられていることが語られていた。
悪さをするカラスやネズミが増えている一方、捕らえられている動物も増えていて、2日前よりもずっと落ち着いてきている、そうアナウンサーは伝えてくる。
街角の声が流れてくる。
『喋るのほんとびっくり。少し慣れてはきましたけど、やっぱり変ですよ』
『僕はしゃべるの賛成です。ただ原因がわからないと怖いですよね』
『うちは預けました。やっぱり怖いですよね、こういうの』
現実はこういうものなんだ。
バターの甘みを感じる玉子とご飯のマリアージュを楽しみながらも、僕の耳はその音に集中してしまう。
明日の買い物は、ちょっと用心しなくちゃいけない。
それを決意しながら、僕は2皿目のオムライスをお願いしたのだった。
2皿目も、とても美味しかった!
父さん、ありがとう!





