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第25話:混沌と書いて、CHAOSと読む

 駆け上がった僕たちが見たものは、まさにカオスだった───


 埃が舞うこの狭い部屋の惨事は、動物という獣によってではない。

 人間という知性があるはずの、小さき獣・心愛の仕業だ!


「ちょっと、あたいのお尻の毛、むしってんじゃないわよっ!」

「まって、わんわん!」

 彼女はキャッキャと叫びながら、狭い部屋をぐるぐると走り回っている。

 本当に、ぐるぐるぐるぐると、ぐるぐると……

 いつかバターになるのではと思うほどの回り具合だ。

 歯を見せてはいるが、噛みついていないハチミツに、あとで大好きなオヤツを買ってあげようと思う。


 だがそのハチミツは、うまく逃げ果せたハチコに向けてギャンギャン怒鳴り続けていた。

「ちょっと、ハチコ、助けなさいよ! ちょっとあんたが降りてくればいいのよっ!!」

「あたち、むり! むーりーっ!」

 ハチコは本棚の上までのぼり、我が身に降りかからない位置で身を縮めている。


「ままままずいですまずいです………! あわわわわわわ」

 机の下ではスマホを必死にタップし続けているカメさんが。

 おかげで今もスマホは震えっぱなしだ。


「モップこーわーいー!」

 ベランダのすみで叫んでいるのはモップだ。

 うまい具合にマットの下にもぐりこみ、隠れている。

 だが頭しか入っていないため、大きめのお尻と尻尾がよく見えている。


「いやぁ、ひでぇ有様だなぁっ!」

 カカカと笑いながら余裕の顔で見下ろすのはカンタである。

 悠々と低い天井のこの部屋で旋回しながら飛んでいる。

 時折ハチミツと心愛をからかうように急降下したり、横切ったりして遊んでいるのが、とてもカラスらしくて目障りだ。



 そう、目の前で繰り広げられているchaos!

 それは、犬を追いかける幼児に、その上を飛び回るカラス。猫はガタガタと震え、亀が机の隙間で必死にスマホをタップしているという、本物の未曽有の状況だ────!!



 僕は一度大きく息を吸う。


「井上さん、心愛お願い」

「カケルくんはハッチね」


 これぞ阿吽の呼吸!

 僕が逃げ回るハチミツをすくい取り、幼獣と化した心愛を井上さんががっちりとキャッチした。


「ココアちゃん、ここにひとりで来たら危ないよ?」


 井上さんの優しい言葉では意味がないようだ。

 心愛は奇声をあげながら無理やりすり抜けようとしている。

 それを無理やり押さえ込んでくれているうちに、僕はハチミツをベランダに投げ、ハチコをキャッチしベランダへと移動させる。

 さらにカメさんをむんずと回収してベランダへと置くと、窓をそっと閉めた。

 カンタは何気なく僕の机の上にいる。

 出すのを忘れてた。


 だが目の前には、問題の奇声獣だ。


「いーやーだー! ココ、わんわんさわるのっ!!!!」


 絶叫だ。キツい。かなりキツイ。

 小さいくせに腹の底からの音量は壮絶にデカい。

 井上さんも手がつけられず、寝そべり駄々をこねる姿を冷たい目で見下ろしている。

 僕は奇声に耳をふさぐことで精一杯。

 窓の外を振り返ると、ハチミツを盾にするように猫2匹と亀が寄り添い固まっている。


「ココアちゃん、ワンちゃん困ってるから、もう少ししてから遊ぼうよ」

「いーやーだー!」



 これぞ、暴君!!!!



 と思いながらも、子供ならこういうもんじゃないのかな、とも思う。



 が、うるさいっ!!!!!!!



 どう宥めすかそうかと思案していると、


「わんわんとおしゃべりすの!」


 僕は井上さんと目を合わせた。

 まずい。

 こんなところから、情報漏洩なんて……!!!!!


 騒ぎを聞きつけたのか、大人も動き出したようだ。

 階段の下から、「ココ、上にいるのかぁー?」なんて呑気な声が聞こえてくる。


「やばいな、カケル」


 イケボが胃に響く。



 やばいやばいやばい!!!!!!

 どうする……

 どうする……!!

 どうするっ!!!!!!




 階段を踏みしめる音が続き、そして、ドアノブがゆっくりと回されたそのとき……


「……こら、ココ、お兄ちゃんの部屋に勝手に入っちゃダメなんだぞ?」


 現れたおじの目の前で繰り広げられていたのは、動物を使ったおままごとだった────




「ほら、ココアちゃん、ハッチと手遊びしようかぁ」


 井上さんがココアを抱え、僕がハチミツを抱えてのおままごと。


「はーい、ココアちゃん、ハッチにタッチしてぇ」

「はい、心愛、タッチだよぉ」


 いいながら短いハチミツの前脚をぐいっと伸ばす。


「い、ワン!」

「あ、ごめんハッチ。もちょっと近くいこうか……」

「わんわん、おしゃべり!」


 心愛の視線に、僕は負けない!

 裏声で対抗だ!!


「はい、あたい、わんわんのハッチ。仲良くしてね」


 ハチミツを腹話術のように扱い、しゃべってやる。

 「ワンって言って」とハッチに耳打ちすると、わざとらしく「わん」と言ってくれた。


「ほら、ハッチとおしゃべりできたねぇ」


 なだめすかした井上さんから、心愛がおじによって抜き取られていく。


「もっとおしゃべり!」

「だめだよ、ココちゃん。ワンちゃんに触ったらぁ」

「おしゃべり」

「お話できてたでしょぉ〜?」


 階段を降りていく足音と、暴君の叫び声をサイレンのように遠くに聞きながら、僕たちは放心していた。


「……ごまかせた……?」

「3歳の子がいう『おしゃべり』がどこまで思うかだけど、心愛、まだ単語でしかしゃべれないから、多分大丈夫だと思う」


 なんとか心臓の高鳴りが落ち着いたとき、ドアにノックの音が響く。


「……あ、はいっ」


 上ずった声で返事をすると、「あ、父さんだよ」そう言ってドアが開いた。


「はい、ジュース。少し落ち着いたら、ケーキあるから降りといで」


 再び僕らの腰が浮いて、すとんと落ちる。

 ちょっと井上さんと笑い合う。苦笑に近いかも。

 すると、カンタが言った。


「意外と俺、部屋にいてもバレねぇな」


 出すのを忘れてた……



 動揺した気持ちと暑さのせいか、ぐったりと伸びたハチミツに、ハチコとモップ、カメさんがいる。

 それぞれを部屋に戻し、さらにカンタは外に出し、エアコンを入れてから僕たちは居間へと戻った。


 普段通りの顔を作ってケーキを頬張り、見渡すが、居間の雰囲気は特段崩れてはいないようだ。

 一方、心愛はかなりの粘りを見せている。

 ひとりふてくされて床に座り込んで、一丁前に腕なんか組んで抗議をするが、どうしてもその意見が通らない。

 いつもならすんなり通るのに、だ。


「わんわん」


 心愛の心はもうハチミツで満たされたのだろう。もうハチミツの体を触らないと解決できないところまできている。ように、僕は思う。

 だがおじとおばは、お菓子やジュースで意識をそらそう必死だ。

 そこまで必死の意味もわからず、見かねた母が声をかけた。


「井上さんのわんちゃん、連れてきてもらえば?」


 だが弟夫婦はそれに難色を示す。


「ワンちゃんってどこにいくかわかんないから、あまり触らせないようにしてて……

 あ、井上さんのワンちゃんがどうって意味ではないんだけど」


 いや、どうって意味だと思うよ、僕は。

 その発言に、井上さんは営業スマイルのまま大きくうなずいた。


「そうですね。散歩大好きな犬なので。一応脚はアルコールで拭いてありますけど、心愛ちゃんには危ないかもしれないですね。

 特に手とか口とかよぉーく拭いてあげてください。かなりうちの犬のおしりの毛、むしりとっていましたので」


 井上さんがいうと、ふたりは目の色を変えて手や顔を拭き始める。


 しまいには……


「心愛、お風呂に入れたいから、姉さん帰るね!」


 この言葉を皮切りに、今日の歪なお食事会はいつもよりも早くに終了した。

 なあなあにダラダラと続くよりはずっといい!


「僕もい…リンちゃん送ってくる」


 リュックにハチコ、モップ、そしてカメさんも詰め込み、僕はハチミツのリードを引く井上さんの元に自転車を押していく。

 頭上にはもちろんカンタ隊長がついている。



 僕たちはこの日を、なんとか乗り切った。

 そう、この日を────



「ハッチ、今日はありがとね」

「あたいがいたからよかったのよ!」


 自転車の横でのんびりと歩く井上さんに、ハチミツは歩幅を合わせて忙しなく足を運んでいる。


「井上さんもありがと」

「またカケルくん戻ってる。彼ピッピは帰るまで!」


 僕が二度見するほどに驚いていると、胸元においたカメさんが指を立てるように小さな前脚を振り上げた。


「そうですよ、カケルさん。ちゃんと名前で呼ばないといけません」

「カメさんまで……」


 リュックから顔を出したハチコとモップが声を添えて僕に言う。


「「カケルピッピ」」

「うるさいぞ、ハチコにモップ」


 頭上から旋回する影が頬にかかり、さらにイケボが降ってきた。


「カケル、今日はマヨネーズないのか?」

「帰ってからね、カンタ」



 誰もいない道を選んでの帰り道。

 楽しくおしゃべりしていただけなのに。

 おしゃべりしたいだけなのに。


 これほど、あの日に戻りたいと思った日はない。

 たった16年の時間だけど、その中でも一番楽しくて、一番キラキラしてて、これが青春なんだって、僕が初めて思った日だった。


 それぐらいに、素敵で、忘れられない、()()()になった。


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