第16話:本当の敵は、すごく近いっ!
たった30分、されど30分───
ただ井上さんを待つだけになった僕らは、ベランダでだらりとしていた。
みんなは夏の熱を楽しんでいるよう。
だけど、僕は冷えた部屋にいるとそれだけで緊張が増す気がして、暑い日光浴を選んだわけだけど……
「暑い」
窓に寄りかかりながら炭酸水を飲み込む。
ハチコとモップには水を与え、ついでにカメさんのお部屋の水換えも簡単に済ませた。
それでもあまる時間に、僕はふうと息を吐く。
「……このちょっとの時間が長いんだよね〜…」
ぼやくと、カメさんが大きく頷いた。
「待つ、という体感時間は、長いものですよね」
「俺、偵察に行ってやろうか?」
「カンタ、それ、名案っ!」
僕が手を叩いたとき、住宅街で悲鳴が上がった。
さらに、
「あたいに触るんじゃないわヨォ!!!!!」
怒鳴り声だ。
そして、この声は間違いなく、
「……ハチミツだ!」
僕が出て行くよりも早く、カンタが飛んでいく。
玄関を飛び出すと、すぐ頭上にカンタがおり、僕はカンタに目標に向かって指をさした。
道路の先の集団……
あの、黒い竜巻、にだ。
「カンタ、コーギーと井上さん守って」
「任せろっ!」
どう見ても強盗団でしかない。
黒い集団が井上さんを囲み、ハチミツを奪おうと躍起になっている。
ただその面子に違和感がある。
この前出くわしたときは男しかいなかった……
なのにその集団に今日は女が混ざっているのがわかる。
「なんなんだよ……っ」
僕は必死に足と腕を振り上げる。
ここから500mほどなのに、すごく遠い!!!
自転車ならすぐなのにっ……!
大きく息を吸い込んだとき、黒い影が体にかかった。
見上げると、それはカラスの群れ────
「カケル、黒いやつだろ?」
「そう! お願いっ!」
僕の声と同時に、カラスの群れは黒い集団へと降りかかっていく。
次々に降りかかるものは、カラスの脚だ。
カラスの攻撃はくちばしではない。
急降下し、あの3本脚でぐわしっと頭を叩くのだ。
「てめぇら、追っ払うぞーっ!!!」
カンタの声に合わせてカラスの集団が波のように動いていく。
何度も寄せては返すカラスの波は、砂浜の波のように生易しいものではない。
鋭い爪脚が顔面目がけて急降下していくのだ。
まるで鳥の爆撃機。
「カケル、今だ!」
カンタの声に合わせ、足止めと攻撃をするカラスの群れから隙をついてハチミツを奪う。
距離を取ながら井上さんの腕を掴み、僕の背中へと隠す。
「カケル、来るの遅いわよっ!」
胸の中のハチミツに怒鳴られ、ごめんと頭を下げると、ハチミツがふんっと鼻を鳴らす。
カラスの軍隊は一旦攻撃をやめ、僕らを囲むように電線へと待機だ。
にらみ合いがつづくなか、僕は声を張りあげた。
「……け、警察に電話しましたからっ!」
なのに、黒い集団は余裕の表情だ。
するりと集団から体を出してきたのは、背の高い男……
ホームセンターで悠然と演説した、あの男だ。
なぜそうとわかるのかは、簡単だ。
腕に縛りつけた赤いバンダナと、あの横柄な態度だ。
男は両手を広げ余裕の顔で歩いてくる。
顔は仮面に覆われておらず、年齢は大学生ぐらい。
薄い唇をにちゃりと歪めがながら、男は言う。
「しゃべる動物の保護が認められたの知らないのか? もう、その犬は提供しなければならない検体なんだよ」
一歩ずつ近く男に、僕は思わず後ずさる。
体格差はない。
なのに、僕は威圧で負けている。
……向こうが大人に見えるからだ。
その意味は、声高に僕が何かを叫んでも、彼らのほうが世間で意見が通りやすい。
そういう年齢差が見える。
まだ子供と認識される僕らは、立場的に彼らに勝てない……!
なら、どうする。
でも僕はここで守らなきゃいけない。
この温かいもふもふの生き物たちを、守らなきゃいけないんだ……
目前にまで迫った男を僕は見つめ、はっきり言った。
「……集団誘拐だと言います。女性の」
「は? オレたちは、公認だぞ? そんなのが通用するわけないだろっ」
「動画に撮ってあります。寄ってたかって彼女を囲んでたじゃありませんか。
だいたい、あなたたちがいう検体を奪う行為は、略奪と一緒ですよ?」
「ガキがガタガタ抜かしてんじゃねぇよ、高校生のガキが。さっさとそいつを渡せばいいんだよっ!」
「ホームセンターのときのように、僕らに演説して見せないんですか?」
「ガキに講釈たれても、わかんねぇだろぉがよっ?」
掴みかかる瞬間、井上さんが前に出た。
「私、証言します。誘拐されそうになったって」
その手にはスマホがあり、間違いなく動画を撮っている。
その彼女の行動にたじろぐ彼らの隙をついて、僕はカンタに目配せする。
男の手が僕ではなく、井上さんに伸びていく。
その寸前、僕は顎をしゃくった。
「てめぇら、かかれ!」
カンタのイケボの声に合わせて、一斉に急降下していく。
男の手を引っ掻き、目をめがけて脚が伸びていく。
羽のゆらぎすら、彼らの顔、目に向けて繰り返させる。
一気にカラスに全方位を囲まれた彼らは、身動きが取れず、腕を振り回すだけだ。
その瞬間、僕らは家に向かって走り出した。
「覚えてろよ……!」
背後から叫ばれた捨て台詞に構うことなく、僕たちは一心不乱に走った。
たったの500m。されど500m。
再び息を切らした僕らは、なんとか開いた玄関にどさりと腰を下ろす。
「……なんなんだよ、あいつら」
僕がぼやくと、井上さんは両手で顔を覆いながら、「ありがと」小さく呟いた。
屈み込んだ彼女の肩がかすかに震えて、ハチミツが心配そうに井上さんの手を舐めている。
ハチミツをしっかりと抱きしめた井上さんに、僕はどう言葉をかけていいか戸惑ってしまう。
背中をさすることも、かける言葉もわからなくて、僕は肩で息をするのを落ち着くのを待つしかできない。
そんな僕を置いて、よしっ! と顔を上げた井上さんは、手のひらでぐいっと顔をぬぐい、僕を見た。
「……さ、カケルくん、お昼にしようよ!」
カケルくんの部屋は2階? そんなことを言いながら彼女は簡単に僕の家にあがり、僕の部屋へと向かっていく。
開いてあった扉から、カメさんとハチコ、モップが揃って顔を出し、出迎えたようだ。
それぞれに話しかけながら井上さんは部屋へ入っていくのを見つめ、僕は現実に置き去りにされていた。
唐突な名前呼びに、公式となったしゃべる動物の保護。
僕はどっちから気持ちの整理をつけたらいいのかわからない……
言われるまま、みんなでベランダに並んで座り、井上さんから手渡されたおにぎりをゆっくり咀嚼することに、まずは専念しようと思う。
「……うまっ」
一気に3個も食べたこと、僕は後悔しないっ!