第13話:真夏なのに、肌寒い
「……ちょっといいかな?」
細長い男の声に、僕は思わず睨みつける。
「あぁ、これは失礼。私はこういう者で……」
胸ポケットから差し出された名刺には、Twitterで見た仰木靖という名前と、すぐ上に教授とある。
目があった。
なのにあった気がしない。
目の奥が黒いからだ……
僕はそれでも怯んだとは見せたくなかった。
だから目は離さず、リュックもしっかり握って仰木を見る。
……年齢は40代半ばだろうか。
年齢よりもひどく落ち着いた感じがする。
だけどそれは風呂敷のようなもので、中の何かを覆い隠している………
「京貴大学……って、すごい……!」
井上さんがそう言うのも無理はない。
この国で、一番頭のいい大学の代名詞だ。
井上さんのその声に、仰木はさらに優しく目を細めた。
「私はね、大学で動物行動学の研究をしているんだ。
それで最近、いるでしょ、あれ」
含んだ言い方に僕はさらに目を細めた。
「あれってなんです」
僕の言葉に微笑むように男は唇をつりあげた。
「……しゃべる、アレ、だよ」
寒気がする。
仰木は笑う。
それは営業スマイルでもなんでもない。
どの感情の笑顔なのか、全くわらかない笑顔だ……
「よかったら私に連絡して。大切に引き取るから、ソレ」
僕のリュックと井上さんの犬をちらりと見る。
そしてさも紳士のように、仰木は帽子をつまんで背を向けた。
黒い背中が、熱でかすむ。
あれが死神だと言われても、今の僕は信じると思う。
「……なに、あの人」
井上さんの声に、僕の緊張がほどける。
もう、仰木の姿はない。
でも、あの伸びた影が視野にはりついて、黒い存在が刻まれている。
「アイツ、病院の臭いするわ! あたい、アイツ嫌いよっ」
それに同意するように、井上さんはハチミツを抱き上げた。
優しく抱きよせる井上さんの眼差しはとても優しい。
僕は名刺をポケットに無造作につっこみ、2匹を改めて外に出した。
「暑かったの」
言いながらハチコは体を舐めはじめた。
「モップ、こわかった」
そういうモップだけど、すぐに地面に落ちた葉っぱにじゃれ始める。
「モップ、ハチコ、絶対に僕のそばから離れないでね」
かけ寄った丸い頭がこくりと揺れた。
ゆっくりなでてやると2匹とも目を細めて気持ちよさそうだ。
思わず僕も笑顔が浮かぶ。
「よし、ハチコ、モップ、オヤツにしようか!」
僕は持参した器に水をそそぎ、チュールを紙皿に絞り出した。
皿に出したのは、持ったまま食べさすには僕の手が足りないから。
オヤツタイムとなり、ハチミツも同じようで井上さんから骨型の小さなガムが与えられた。
「あたい、これ好きよっ」
ハチミツのがっつく横で、
「モップ、もっとほしい」
「あたちも食べる!」
僕は2匹に水を飲むようにうながしながら、
「ハッチと遊んだら、またオヤツあげる」
そう言うと、ハチミツも嬉しそうに顔を上げた。
「あたいと遊ぼうだなんて、いい度胸ね! ボール持ってらっしゃいっ」
再び仲良く追いかけっこをしながら遊び出した3匹を眺め、僕と井上さんは、ため息をつく。
これは安堵のため息だ。
「びっくりしちゃったね……」
井上さんの声に、僕は頷いた。
「うん。あんなのがいるなんてね」
「私もあの男は見逃せません」
カメさんの声にふたりで驚きながら、ベンチを見下ろす。
「カケルさん、オオバコの追加お願いします」
どこまでもマイペースなカメさんに、僕と井上さんは思わず笑ってしまった。
僕は何を話したらいいのかな、なんて昨日から悩んでいたけど、そんなことはなかった。
というのも……
「ね、松岡くんってさ、ドラマとか見る? それともユーチューブとか?」
「僕は映画とか、そういうのは見るけど……」
「へぇ〜、私最近見た映画は、ゾンビ映画なんだけど」
という具合に、サンドイッチを食べながら、彼女が会話の主導権を握り、話を進めていくれるのだ。
いい具合にカメさんのコメントがあったり、ハチコやモップ、ハチミツが顔をだしてくれるのもあって、終始和やか!!!
それに、こんなに女の子とおしゃべりをしたのは初めてなんじゃないかと思う。
なによりも、頬が痛いっ!
でも、声を出して笑うのがこんなに気持ちいいなんて。
学校でも笑ってはずだけど、夏休みはほとんど笑ってなかったからかな……
「ね、松岡くんさ、頭いいもんね?」
急な頭いい発言に僕は戸惑ってしまう。
「え?……いや、僕は……」
「南くんって中学一緒なんでしょ? 南くん言ってたよ? 松岡くんのお兄ちゃん、常陽高でトップだしって。常陽高っていったら超進学校じゃんっ! すごいよね、そんなところでトップだなんて」
また、兄だ。
「……それは、兄だから。僕はぜんぜん……」
「南くん、松岡くんもめっちゃ頭いいって言ってたけど」
「買いかぶりだよ。兄が頭がいいだけで、僕は全然だから」
「そうなの? 勉強教えてもらおうと思ったのに……」
小さくしょげた井上さんを見て、僕はどう返せばいいかわからなかった。
ただ言葉を探していると、3回目の追加オオバコを食べおえたカメさんが僕の膝に登ってくる。
「カケルさん、あなた、頭はいい。なんで嘘をつくんですか?」
思わぬ発言に僕は固まってしまう。
……でも、ちょっと待って、今、頭は、って言った……?
「参考書の数々、私は見ています。学校の教科書以上の内容であることは、亀の私でもわかります。
それに昼間はのんびり過ごしていますが、夜にはしっかりと学習の時間をとっていることを私は見ています。
あなたの場合、それは謙遜ではありません。自身を卑下しているだけです」
あまりの鋭い指摘に僕は完全に言葉を失くしてしまった。
────なのに、
「やっぱり、そうだよね、カメさん! もぉ、松岡くん、ちゃんと言ってよぉ」
ケラケラと彼女は笑っている。
何も言い返せない僕なのに、彼女は大したことないように笑っている……
「なので、明日、お昼から我らの秘密基地で勉強会ですよ、カケルさん」
「いいね、それ! 秘密基地、私も行きたい!」
同意した井上さんに、僕は返事ができない。
なのに、明日の14時に彼女が来ることになって、それに合わせて彼女は食べおわった容器をリュックにまとめて、颯爽と手を振りハチミツと帰っていった。
「……セミ、うるさいな」
僕の夏は、僕の予想しない速度で変化している。
僕はこの変化に追いつけるのだろうか────
ちょっとどんより。
ですが、これからドタバタしますよぉー!
イケボのカラスも次回、登場!
お楽しみに!!!