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痛い女

作者: 偽ゴーストライター本人

 わたしがそのことに気づいたのは弟が生まれた頃だった。

 まだ五歳だったわたしは眠っている弟の頬を何気なくつついていた。わたしは弟が大好きだったし可愛くて仕方がなかったのだ。しかし弟はそこで目を覚ますと急に大声で泣き出してしまった。

 わたしの中のケダモノはその時に産声をあげた。

 自分がドSであることに気づいた瞬間だった。

 わたしは親から『意地悪なお姉ちゃんは弟に嫌われるよ』と言われたのでそれ以来弟を泣かせることはなかったが、本心では可愛くて無防備な弟を苛めたくて仕方がなかった。わたしは弟に嫌われるのが嫌だったので、なんとかその気持ちを抑えていたのだ。

 その代わりといってはなんだが、わたしは同じ幼稚園に通っている嫌いな男の子を泣かせてやろうと思った。

 とりあえず思い切りぶっとばしてみた。

 すぐに幼稚園の先生に叱られた。

 こうして人を殴ったら叱られることを学んだわたしは『どうすれば人を泣かせても叱られないか?』ということを真剣に考えるようになっていた。

 そんなわたしの前に恰好の獲物が現れた。

 その男の子は悪ガキと呼ばれるタイプの男の子で、女の子のスカートをめくったり他の子を叩いたりする乱暴者だった。この子が悪さをした時であれば、その子を止めるふりをしてその子を泣かすことができるのではないか、と考えた。

 そしてチャンスはすぐに訪れた。

 わたしは男の子を止めるふりをして彼の前に立ちはだかったのである。

 積み木で頭をボコボコにしてやった。

 すぐに親を呼ばれて鬼のように叱られた。

 わたしは女の子なので武器を使っても許されると思ったのだが、どうやら今は男女平等な世の中らしい。

 そんなわたしに転機が訪れた。

 なんと近所に空手道場があることが判明したのだ。まさに殴り放題と蹴り放題の夢のパラダイス。小学生になったわたしは道場に通い詰めるようになり、わたしの空手の実力はメキメキと上達していった。

 そんなわたしも高校生になると人並みに恋をした。

 相手は同じ高校に通う同級生の男の子で、とても頼り甲斐のない弱々しい青瓢箪だった。友人達はそんな彼を見て『あんな情けない男のどこがいいの?』と驚いていたが、わたしの強引なアプローチによって二人はつきあうようになった。彼はわたしが強く物を言うとすぐに泣きそうな顔になるので、そんな彼と一緒にいるとわたしのドキドキは止まらなかった。わたしが彼の尻を蹴ると彼は必ず泣いてくれるので、彼と過ごすひとときはわたしにとって至福の時間といってもよかった。わたしは彼のために空手を習っていたのだと思うようになり、二人が出会ったことは運命だと信じるようになっていた。

 しかし高校三年生の秋、急に彼から別れを告げられた。

 わたしは彼がどうしてそんなことを言い出したのか全く理解できなかったし、彼に別れを思いとどまるように何度も説得した。この世にわたし達ほどお似合いのカップルはいないはずだった。

 しかし彼はわたしの前から去っていった。

 わたしは黙ってその事実を受け入れるしかなかった。

 それから間もなく、彼が別の女と付き合い始めたことを知った。

 わたしの心にドロドロした薄暗い感情が芽生えたのは言うまでもないし、わたしは彼と彼を奪ったその女を殺してやりたいと思うようになっていた。その頃のわたしは空手の有段者だったので、思い切り拳を振るって欲求を満たすことができなくなっていたし、わたしは自分で自分がコントロールできなくなることを恐れていた。気づけば暴力的な映画や人が痛めつけられるテレビ番組などを好んで見るようになっており、それらの番組を見ると自分の欲望が抑えられることを知った。それらの内容が過激であれば過激であるほど長い期間に安定して自分を抑えることができたし、いつしかそれを求めている自分にも気づいていた。

 この頃になるとわたしは自分の異常性をきちんと理解するようになっていた。

 わたしは壊れた人間だったし、これからも壊れ続けていくだろう。

 おそらくわたしのような人間が人を殺すのだ。

 いつかわたしも自分の欲望を抑えられなくなる時がくるのかもしれない。

 わたしは自分の将来に不安を感じていた。


     ★


 それは生殺与奪の権利を握っているといってよかった。

 今の彼女は絶対的な存在としてそこに君臨している。

 室内には鼻をつくような独特の匂いがしていた。

 室内に響く機械的な音は人聞が本能的に恐怖するものだった。

 彼女は無表情でそこに立っていた。

 その冷たい視線の先には一人の男がいた。

 男はまるで囚人のように身体の自由を奪われ、生ける屍のようにその場に倒れ込んでいた。今の彼女はその男に特別な感情は持っていなかったし、彼女にとってその男は自らの欲望を満たすための道具でしかなかった。

 男はこの環境に身を置くことを望んでいたわけではなかった。

 男は両拳は固く握りしめながら自らの運命を呪っていただろうし、男はまちがいなく心の底から恐怖を感じていたはずだ。

 男は哀れな犠牲者となることを知ってか知らずか、絶望的な気分で両目を閉じていた。

「・・・うぐっ」

 男が小さく呻き声をあげた。

 鋭い痛みが男を襲っていたが、男はこの痛みが最後ではないことを知っていた。目の前にいる女が最初に男にそう忠告したはずだった。

「ぐっ・・・う・・・う、ぐうっ!」

 神経を突き刺すような痛みが再び男を襲っていた。背中から大量の汗が流れ、手足の先端が急激に冷たくなるのがわかった。閉じた男の瞳からは涙が滲んでいた。男は心の中で悲鳴をあげていた。

 お願いだから俺を眠らせてくれ・・・それが無理なら・・・いっそ、ひと思いに殺してくれ!

 しかし男は口を利くことを許されていなかった。

 男の願いは彼女の耳には届かない。

「・・・動かないで」

 彼女は冷たく言い放った。

 そして男を見下ろす彼女の目はとても冷ややだった。

 彼女の口元に微笑が浮かんでいることを誰も知らない・・・彼女は男を痛めつけながら興奮していたのかもしれない。

 彼女は自らの歪んだ欲望を満たすためにここに立っていた。彼女に潜む情念は煮えたぎるほど熱く、その陰鬱とした欲望はマグマのようにドロドロしていた。 

 そんな彼女の目の前では犠牲となった男が苦悶の表情を浮かべており、まるで彼女の玩具のように大きく口を開けていた。


    ★


 ようやく男はその部屋から解放された。

 男は先ほどから自問自答を繰り返している。

 自分はいつまでこんなことを続けなければならないのか? この地獄はいつになったら終わるのか?

 それでも男は自らの運命に立ち向かう覚悟を決めていた。

「・・・すいません」

 男は窓口のスタッフに声をかけた。

「来週、別の歯の治療も予約したいんですけど・・・」《完》


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