未踏 19号 「ある死刑囚との対話」
「ある死刑囚との対話」
罪も無い者を殺した、殺されたものは帰って来ない、無念、殺しても殺し足りないと、残された者は言い、一人で行った殺人、一人で背負わなければならない罪、絶たれた絆、疎外された生命、かつて文学において、どれだけ殺人のモチーフが描かれたことか、そこにある人の懊悩、人の意味、作家は殺人を犯すことなく、ただ考察で描くばかり、いま私においても、貴方を考えることで、辿るばかり、私は自分の父が獄死したこと、嘗て癌の宣告を受けたこと、これら二つの体験があって、世界を見ようとしている、一体これらは何だろうと考えるばかり、歴史に、戦争が絶えることは無い、人は戦争という罪を、死刑囚のようには考えない、罪を個人では背負わない、実存とは、不条理の理解ではなく、不条理を知ったその後の行為であるとカミュは言っていたが、その行為の後の人の心と言うもの、全ての実存に通じているように思える、それこそが実存の出発点、入口のようにも思える、
「ある死刑囚との対話」
罪も無い者を殺した、殺されたものは帰って来ない、無念、殺しても殺し足りないと、残された者は言い、一人で行った殺人、一人で背負わなければならない罪、絶たれた絆、疎外された生命、かつて文学において、どれだけ殺人のモチーフが描かれたことか、そこにある人の懊悩、人の意味、作家は殺人を犯すことなく、ただ考察で描くばかり、いま私においても、貴方を考えることで、辿るばかり、私は自分の父が獄死したこと、嘗て癌の宣告を受けたこと、これら二つの体験があって、世界を見ようとしている、一体これらは何だろうと考えるばかり、歴史に、戦争が絶えることは無い、人は戦争という罪を、死刑囚のようには考えない、罪を個人では背負わない、実存とは、不条理の理解ではなく、不条理を知ったその後の行為であるとカミュは言っていたが、その行為の後の人の心と言うもの、全ての実存に通じているように思える、それこそが実存の出発点、入口のようにも思える、
「しなやかに動き回る物を見たい」
飛んでいる蝶を思い浮かべてみて下さい、菜の花畑の暖かな春の陽の中を、花から花へと、喜びを舞う生命となって、今を生きている、あの子供の頃の蝶、全ては貴兄のために、貴兄に見られるために、この春はあるのです、
「太陽は何のために、今日も昇るのだろう」
少年の日の記憶でいいのです、魚を釣ることに夢中だった午後の溜池、友達と遊ぶターザンごっこの森、父と母が仲の良いことだけで満ち足りていた夜、宿題をちゃんと片付け、明日の学校が楽しみだった日々、
「世界の果てまで歩き続けたら貴方に会えるだろうか」
歩き続けましょう、あの人に会うために、たとえ立ち止る時があっても、又の時、歩き始めましょう、決して諦めないで、途中で倒れたって良いじゃありませんか、たとえ会えなくとも良いじゃありませんか、貴方に会いたいと言うその思いだけで、
「あの方の声が又聞えなくなってしまった」
もしあの方の声が四六時中聞えていたら、貴方は気が狂ってしまうでしょう、それにいつしか聞き耳を立てなくなってしまうでしょう、あの方の声は一瞬、苦しみに苦しみ、悲しみに悲しみ、その後の一瞬の時に聞えてくるのがあの方の声、あの方が声を掛けて下さったことを忘れないで、又いつの日か、絶望の淵に貴方が居る時、きっと声を掛けて下さいますよ、
「人生とは細い目を見開いて夢を見ること」
牢獄が棲家で、絶望が食物だと、人生とは、そんな世界から覗いているようだと、貴方は言う、気が狂いそうな心の状態も、愛に満ち足りた恋人たちの姿も、時空から見れば、みな現在のこの時の中に在る事でしょう、貴方も、恋人たちも、みなこの時の中に唯在る者です、その上で人の心に降り立って、時に泣き、時に訴え、今去ろうとしている者と、やがて去るものとの差を越えて、
内戦で傷つき、恐怖に震えている兵士を、銃弾の飛び交う中、一人の神父が、その兵士を抱き抱え、撃つ者に訴えていた、兵士は今傷ついていると、
「蛇に見込まれた餌食のような私」
動いても動かなくても、いずれ食われる蛙、思い切ったら動けるかもしれないが、蛇の方がずっと早い、動けないでただ運命の時を待つばかり、それでいいのです、運命とはそうしたもの、今一度美味い物を、今一度何かをと、でも切りがないのです、どれだけ生きたって同じ事、蛇に食べられるその時まで、自分を見つめているだけでいいのです、
「死と対等に戦おうとしても無駄なこと」
駄目です、闘うのです、たとえそれが処刑という、人の手によるものであっても、死というものに立ち向うのです、蛇に見込まれた蛙であっても、この死とは何か、この私とは何か、生きるとは何だったのか、これからも人は生きるというが、それは一体何なのかと、死と闘うのです、無駄なことではありません、後を生きる人のために、きっと力に成るはずです、
「生命の美しさに触れさせて欲しい」
私は貴方へ、その刑場に咲く名も知らぬ雑草の、米粒ほどの花を咲かせる草を一株さし出すでしょう、見てください、この花の、この葉っぱの、ありふれたいつも目にしている、その中に、白い花びらに黒い模様があり、それを包む緑の鍔があり、又それを支える茎があり、と人のどれ一つ造れないこの生命、人の人生とは、これらの生命を慈しんだ、見た記憶なだけなのです、かつて人々が見た、そして今貴方も見ている、それが人の一生と言うもの、
「愛は生命の泉、愛は奇蹟」
人だけがもっている愛、犬に、動物に愛は求められない、人が愛してやらねばならない存在、愛することが出来る人の存在とは、奇蹟の存在の何ものでもない、母に、父に、幼き日愛されたがゆえに、人が見る生命とは、愛のこと、愛する心のこと、五百万年かけて人は愛を育んできた、人は愛されなくとも、愛することが出来るいきもの、あの木に、あの小鳥に、愛を注ぐことは出来る、
「私の聖なる目的とは何だろう」
泣いて、叫んで、恨んで、嘆いてと、でも最後までそうした私というものを、見つめ切る事、それだけが人の出来る唯一の聖なる目的、人とは、人という身体を生きているばかり、魂は、そんな身体を窮屈にも、頼りなくも思うもの、しかしそんな身体を借りてしか、形として存在し得ないもの、魂にとっては、灯心が燃えている間だけの蝋燭のようなもの、聖なる目的とは燃え尽きること、見つめ切る事、
「神様救って下さい、たとえ明日死ぬとしても、今日安らぎを与えて下さい」
心に浮かべる事、人類が考えてきたあらゆる神の姿、両手を広げ、胸に抱きかかえ、光と花園、少々の酒と音楽と、そして私の涙とを、つまらぬことは吹き飛ばし、泣く私を思いやって、この世には泣いてくれる無数の人が居ることをしっかり知って、その人たちと今を生きているのだと、確かめあって、罪は貴方の所為ではないと、しかし罰は受けようとしているのだからと、もう一度生きなおしたいなどと嘆かないで、罪人であっても、鎖につながれていても、貴方への愛を、多くの人の許しを得て、多くの人に支えられて、愛を受け入れ、今日を安らかに生きていて欲しい、
「私は激しい努力なしに、現在を生きられない」
誰もが努力して生きていると言う、だがあなたが絶望の中で言う言葉のそれは、何と意味でしょう。生きるという事が努力してであると、どれほど切実なことでしょうか、生きることを努力する。あなたの病苦と思って下さい。苦しみ、痛み、努力して生き抜けば、時には安らぐ時も訪れ、いずれ末期であっても、死の時までには、一瞬の喜びもあり、努力して生きてやってください、
「消しゴムのように生命が日ごと磨り減っていく」
何を考え、何を見聞きしても、記憶の喜びとはならず、アウシュビッツへの、列車の窓の景色にしかならず、いいのです、外の景色は見納めです、心の景色へ、貴方の景色へ、貴方が誕生しているこの時空の景色へ、同じ事なのですから、何を見ても、何を感じても、悠久の時の中にあっては、人の意識など全て非在なのですから、奇跡的に存在している今と言うものが唯在るばかりなのですから、
「だがいったい自由とは何であろうか」
青年の時、自由に憧れた、あらゆる事の可能性が開けている状態、人の美しい姿としての理想形を自由としていた、貧しくとも、奪われた時の中であっても、心の自由、心の主人公であることが、自由を自覚させていた、しかし、それは、怠惰や、倦怠や、偶然やらの日常の中に、繋ぎとめた渇望であった、見てもいいものを見、食べてもいいものを食べ、やってもいいことをやって、すべて許されていることの中での満足があっての自由であった、やってはならないことまでやる自由は考えてはいなかった、できない事への欲望もまだ持ってはいなかった、出来ないこと、やってはならないことの中での自由とはいったい何だろう、かつて即身仏という風習があった、即身仏の自由とは何であろうか、自由が感情の中以外にはないであろう、それが人の自由であろう、その中に在るものが自由であろう、全て開かれてあると言うのは、言ってみるだけ、限りある時間の中にあって、相対性理論のようなもの、
「ぎりぎりのところ、人間とは何なのか」
イエスであったり、釈迦であったり、ドストエフスキー、ヒットラーであったり、無数の名も無き人々であったり、しかし、人間とは、人間とは何かと問う、その人の今にだけ存在するものであり、苦悩の問いかけも、喜びの問いかけも、人とは作り作られるところの存在で、
「夢さえ私には生と死の戦場であった」
病んだ日、私もよく夢を見た、怖いものから逃げる夢、怖いものと闘う夢と、心の戦いが夢の中でモンタージュされていた、待つ者が居る、悲しむ者が居る、愛する世界がある、戻りたい世界がある、受けとめてくれる記憶がある、だからこそ生きたいと望み、死を拒んだ、しかし運命はお構いなし、転移があればお陀仏、一人で闘う以外に無かった、一人で努力する以外に無かった、
「私は生きながら埋葬されています、しかし私はまだ輝きわたる豊かさを深く感じています」
エルザへの共感、絶望を生きる人との共感、それが一番なのです、孤独の時、絶望を解ってくれると思える人との共感以外に喜びはなく、生きながらの埋葬、その中にもある豊かさの味わいとは、去って行った人すべての感情、死者の感情とはそうしたものでしょう、
「ゲッセマネにあって人は身もだえすることが出来るでしょうか」
結局私は家族のもとへ帰ってきたような気がするのです、人々や社会ではなく、私を必要とする人、私を愛する人の元へ帰ってきただけなのです、イエスを人は誰も身もだえして悲しみはしないでしょう、人にとってイエスとは生贄としてのものでしょう、
「いったい私は何によって存在の密度を確めるべきか」
人の悲惨を描いても、人へのメッセージを綴ったとしても、残すものとしてのものであるのなら虚しい、世界に向かってイエスを生きるのならまだしも、生を受け、その生を自ら楽しみ味わうものでなければ、孤独、結果として人は全て孤独、沈黙対私の世界があるばかり、たとえ世界をイエスによって愛したとしても、あるのは沈黙ばかり、より良く生きるための愛であり、楽しみであるばかり、時はただ座して見るもの、
「私は何のために、誰に向って書くのか」
私を、私のために、私に向って書くばかりです、どのようにかは、私が怯え、嘆き、惑いと、在る私を、怯えなくていい、嘆かなくていいよと、
「魂の呻きを文字に表す」
自己観察、内部世界、死の観念、疎外の中にあって、魂というものが呻き声を上げないわけは無い、多く人はそのような状況に無く、従ってそのような文学は成立することも無い、しかし、貴方には存在の密度を確かめるための文学こそが意味ですから、
「私には愛を求めるものが居ることが必要であった」
小学四年の私が、お父さんぼくは一生懸生命勉強しています、と獄中の父へ出した手紙、私が忘れていても、父は何度もその手紙を読み返していたと日記に書いていた、
「たとえ地獄の業火に焼き尽されようと、この苦しみは失うまい」
孤独が張りついて離れない時、孤独を友とする以外に癒されない、孤独を食べて、孤独を呑みこんで、やっと人は安心できるのだった、
「貴方と呼びかけることの出来る人と出会うことが」
私の敬愛するマルセルの言葉を引いて、貴方は書いている、真に私もそう思う、父のように、導き、諌め、諭し、示す、イエスとその書物である聖書、人類が求め描き、理想してきた貴方と言う存在に、
「敗北においてのみ実在しうる魂の帰る港は何処にあるのだろうか」
貴方と呼びかけることも出来ず、魂の呻きに苦しみ、愛の不信、恩寵も知らず、引裂かれた魂の住む場所、そして行きつく港とは、ラスコリニコフさえ大地に口づけし、阿弥陀如来だろうか、釈迦の手の中だろうか、方下、他力、忘却、無心、無知だろうか、殺しても、殺しても、忘れても、忘れても、残る我と言うもの、我とは本来そうしたもの、そのチッポケなチリのようなものが、無限の時空をも感覚するところの、アミーバーに、石に帰るところの者、
「絶対的他者の眼差し、つまり神と出会うと言う時」
絶対的他者の眼差しとは、人の人たるところのもの、絶対的他者を永遠と同じように、想定する人と言うもの、人を至高へと誘い、人を人たらしめている、人が絶対的他者を得たいという事、そこに出会おうとすること、人の限りない心、魂と言うものの予感が其処には在り、どれだけの人がそこを目指したことだろうか、絶望と、祈りの歴史であった人の困難、悲劇、人は常に求めて、思い浮かべて生きてきた、その記憶は、その歴史は、人に刻まれてあり、求めれば出会える、絶望にあってはいともたやすく出会えると、誰か一人でいいから、導きの人となって、貴方と生きて、貴方を引き受けて、
「私はまだ泣くことも、笑うことも出来る」
死の瞬間まで、泣いて笑って、又そんな自分を笑ってと、この時空にまだ存在しており、呼吸しており、孤独と語りあい、おののき、美しいものを求め、子供の頃を思い、その心で神を思い、まだ生きていると、
「人によって処刑されるという事」
色々な死に方があるが、自死する時はやはり迷うものだろう、他人の手によって、苦しみもなく、瞬時に死に追いやってくれるというのが処刑、死のしもべが付き添ってくれるとは心強いこと、孤独に生きたとしても、連帯して生きたとしても、憎悪と、悲嘆に生きたとしても、悦びと愛の絶頂に生きたとしても、在ったのはその現在なだけ、それも全て跡形もなく、その肉体において消滅するところの生命と言うもの、木に生きたとしても、鳥に生きたとしても、肉体の外から眺めるとき、時の流れの中に見るとき、何の痕跡も有りはしない、きれいな一本の時空の線が、そこにはあるばかり、
「人は愛のみで存在が可能なのか、愛とは別の方法で存在できないのか」
人や世界から愛されていると感じるから、人や世界を愛するのか、愛されて育ったから愛することが出来るのか、生命は愛の中から誕生しているのだから、いかなる生命も親の庇護という愛の中から誕生しているのだから、愛以外の、愛の不能の中での生命などは無く、無と有、有があって無が在るのは自明のように、愛がたとえクローンの生体実験用の生命であっても、育てる、誕生させるという事の中に、生命を育む作用とは、愛が存在しているこの世界への誕生、意味の世界への誕生、誕生したからには、その生命の持つ時間、その生命の持つ世界、あとは誕生を生きるばかり、たとえ貴兄であっても、貴兄の生命は、この世界を生きようとする、
「小鳥には小さな鳥篭と餌箱があるだけなのだが、それにもかかわらず、喜びに満ち」
その小鳥、親に大切に育てられてきたのでしょうね、生きていることを楽しんでいるという事は、愛されてきたという事、そして世界を愛しているという事、その姿を人が楽しんでいるという事、無心に餌を食べる姿とは、食べる喜びを味わっているという事、飛ぶ姿とは、飛ぶ喜びを味わっているという事、
「君は海辺の夏の朝の光景を知っている」
もう一度、死ぬ前に、その海辺に立って、潮風を浴びたいとは思うでしょうが、海にも潜って魚たちと遊びたいとは思うでしょうが、思い起すことで、記憶を手繰り寄せることで、また目の前の草や木の姿を確めることで、見ることは、目が在るという事、盲しいてはいないという事、その目で見ることを味わって、
「有るがまま全ての花々と、自分が一つの生命を生きている」
花と私は心通わせられない、私が花に思いを寄せるだけ、花は次々と蕾を開き咲いてはいくが、時が来れば、萎れ、枯れ、いずれ消えていく、それまでの生命を有るがままに私に見せている、見る私が居る、わたしは絶望の底で自己に出会い、不安と恐怖に囚われと、しかし生命は生きている、花と一緒の生命を生きている、時が来れば花のように生命を終えるもの、私と花と同じ生命を、今を生きているのだねと、同じ一つの生命をね、
「生きている限り、一つの秩序がある」
絶望の淵にあって、自暴自棄の中にあっても、自殺への道行きであっても、疲れては眠り、起きては食べ、水を飲んでは排泄しと、生きている限りは、有る生命の秩序、肉体は意識するしないにかかわらず、生きようとしている、心臓は脈打ち、肺は呼吸し、あらゆる臓器はそれぞれの役割を果し、脳だけがつまらぬ事を考えて、この生きようとしている細胞の一つ一つを脳は生かしてやらねばいけない、肉体は死ぬまで生きようとしている、たとえ瀕死の状態であっても、まだどこかで生きようとしている細胞が有る限り、脳は最後まで生きてやらねば、
「真に貴方と呼べるものとの出会い」
求めても得られないものは一杯有るが、まして貴方と真に呼べるものとの出会いなど、
どうイメージすれば、絵で、音楽で、哲学で、書物でと、または生涯の思索、行動でと、それで人は貴方に出会えるものか、人の困難、悲惨を助けたいと願い、生きるとき、貴方を求めて祈ることは有っても、私を助けて下さいと言っては出会えないもの、貴方とは自己犠牲の愛の化身なのです、その人の愛の姿が現れたもの、私にとって貴方とは、宇宙です、この無限の存在そのもののこと、思し召すまま宇宙の懐に抱かれてあるという、生きても死んでも私はその中に在るという、
「食べる、寝る、起きる、愛する、信じる、存在する、祈る」
この今、食べることが出来る、寝ることが出来る、愛することが出来る、信じることが出来る、祈ることが出来る、まだ生きている、食べよう、寝よう、愛していこう、信じよう、祈ろうなのですね、
200四、三
「森有正との対話」
愛
「愛はそのもの自体としては存在しない。しかし、だからと言って、愛が存在するすべてのものよりも強いことに変わりはない、死についても同じ事が言える。死は存在しない。が、それが我々の存在にとって本質的であることに変わりはない。愛することと死ぬこと、この生の二面が、恐るべきある瞬間に合体する。愛は死を鎮め、また、死がなければ愛には何の意味もない」
芸術の中で、人の歴史の中で多く愛は死に打ち勝つ形で存在を許されてきた。それらは、人としての心を覚醒させ、生きることの勇気と希望を与える、が、生身のこの日常の私にあって、先送りされている死のように、愛は変化し、時に色あせ、見失いもする。私においての愛とは、人や世界と比べてのものではなく、この生身において、この日々の、この瞬間において成就していく所のものと知る。
意思
「それはただ感覚の迷妄として片づけてしまうことが出来るであろうか。デカルトははっきりと片づけた。それはかれが、完全に自己を、未終了の感覚の印象に向かって、注意深く対立させることができたことを示している。意志は自我を中心とすることの正反対である。真実の意志は、死の瞬間に現れる。肝要なのは、経験における意志の重要性を明確にすることだ」
青年期、実現したい理想や、希望は社会的、政治的な行動にむけて生きていた。主体性や、情熱的という感覚は喜びだった。壮年期、個我の発露としての生き方に変わった。いま時を経てきて、それは指向性というような、植物たちが持つ向日性にも似た私の生の要求となっている。植物たちが光に向かうように、私は死ぬ日のその時まで、どこまでも個我に向かって突き進もうとしている。
疑い
「疑いの精神というものは、人間経験が内面的に完結しているものであると考えるのと全く同じことなのです」
疑いの精神を持つということは、切断が体験されていないと持てない。人は多くの信じるものと繋がって生きている。が、その信じてきたものからの切断があって初めて、疑いが信じられるものとなる。そして、そこから新しい生き方も始まる。
運命
「根源的なこの行為は、まさに根源的であるがゆえに、いかなる限定も受けない。そこに客観化可能性を限る境界がある。この最後の限界の彼方で生起することを人は運命と名づけるのである」
自己の運命に忠実であると言えるかは分らない。ただ、生と死の分かれ道を体験し、それを運命と捉えるか、偶然と捉えるか、私において胃癌が早期発見で転移がなく、現在が生きられているのだが、医師の言った「運が良かったなー」は、自己の運命に忠実であれと捉えたい。
老い
「老いはけしてそれを乗り越えて先へ行くことは出来ない。従って、その定義から言って、最終的な位置付けのできないものであり、経験の内に記録することも出来ない」
老いとは肉体においての表現であって、本来人は至高性に向かって生きる存在だとする者においては、精神はなんら変わらず、ただ肉体にその衰えを見せるだけ、老いとは人間を規定する何ものをも持ってはいない。精神より先に肉体が老いて行くだけの事。
外界
「経験の中に発現してくる事物の秩序は、外界と等質である」
外界といえど私を存在たらしめている世界。「私対世界」と、病気以来、私という一回性の意識から世界を対峙的に見て来ても、その私という意識も、外界の中の私であることに変わりはない。存在というものに内も外もないのだから、全宇宙を無限なものと想起してみれば、存在の器の中での私の呟きなだけ。
過去
「私にとって、過去が非常な重みを持っているとは言っても、それは本当のところ、未来と同じくらい未知の世界なのである。それは刻々と変化して止まない」
思い出すことは出来ても、生きた時を共に語り合うことは出来ない、友人、知人の死。人の死と言うものが自分の様々な過去のように一般化していく。かつて、人との繋がりが神秘なものに思えた。が、今、それらも一枚の写真のように物と化していく。その人を知る者と語っても、過去としてのその人が在るばかり、未だ現像してないネガフィルムのような過去は何処にも無いのだった。
悲しみ
「悲しみの中に自分が本当に生きていることを意識する。自分がその細い流れとともに在ることを意識する。それは一つのミクロコスモスのように、極微でありながら、その中に一切が含まれているような気がする」
かつて悲しみこそが私を規定している性情ではないかと、浸り、漂った。が、病気を体験し、いつ死んでも良いように生きはじめて後、悲しみは瞬間的な事象に対してのものとなってきた。悲劇への共感も、不条理への抵抗も、人の虚無、徒労も、すべて生きることの属性であると捉え、悲しむことを悲しみ、喜ぶことを喜ぶことへと変化した。
神
「神は万物の原理であるから、当然、最後になって、時が尽きる時に現れるのであるから、我々の辿るべき道はすでに限界が画されているのである」
万物の原理として神を定義したいとする人の心、神という定義し難いものを、定義しようとしたものが経典というもの。定義することにおいて、歴史的、限定的なものとなる。万物への人の認識が進むにつれ、後付、解釈付けをしていくこととなる。譬えそれが真実であるとしても、時代的、限定的なものに。
感覚
「ゆっくりと自己を造形しつつ表わす純粋感覚。このどろりとした重いもの、これがなければ、何もかも駄目だ。それはおのずから形に結晶するもの、どうにもならない形成の必然性を具えているもの」
かつてリルケの持つ感覚に羨望した。同時に自分にはないその感覚に絶望的な距離も知った。それは実存の感覚というものであった。意思、感覚、感情、思想、どれも私の心から出ている問題だが、それは私にあって哲学的に規定したいとするものではなかった。存在を楽しむ感覚、存在を感じるためのものだった。感覚はその時々の気分、心の状態から日々に変化した。
癌のサバイバーとしての五年間の感覚は、私における実存の感覚を生きている気分だった。全てを解かろうとし、全てを感じ取ろうとした。絶体絶命の体験を経て、肉体的に形成された感覚。私における実存の感覚とは、私対世界としての一回性の私が、今という時の中に奇跡的に存在しているという感覚であった。
観照
「今僕は、決して譲り渡すことのできない観照者としての立場、というものがあることを知っている。ただ、この観照を再高度に力動的なものにしなければならない」
私対世界とは観照者そのものだが、ただ眺めているのではない、見る事を見る。世界、存在すべてを見つめきろうとする心。単独者としての意識は、全歴史、全存在を自らの目で見、意味として繋がろうとする。
感情
「感覚の燃焼の過程と終結に関して知覚が全部ではないと言いたいと思う。ある仕方で、感情もまた結晶する」
意志され、感覚的に知覚された、生きた時間が事物への好悪、または思想としての感情を形作っている、私において支配的だった異邦人、一人という感覚が作り出した感情が、哀しみ、人恋しさとなっていたのかもしれない。
カント
「かれははっきりと言う、いくら経験の中をさぐっても、そこには神も内面も永遠も見つかりはしない。それらが無いということさえも判りはしないと」
世界には、アプリオリなものが在る。それが何なのかは定義しない、ただ有るということを証明しようとした。有ることを肯定することで世界への認識は開かれたものとなった。私という集合体である人という種、たかだか七、八十年の寿命の中でどれ程のことを認識できるというのかと。アプリオリなるものが有るのだと、希望というものの定義のような、理想をそこに。
虚栄心
「だいたい人ばかりあてにしている。そんなものは文化でもなんでもない。たかだか虚栄心である」
他と比較しての自分、その自分の過大評価、または繕う心。私とは何者かと、私の実存を問い続ける作業に、虚栄心も自惚れも無い。あらゆる営為は自分における意味なだけ。
共生
「日本人の、共生に究極する経験に根本的に欠けているのはアンゴワッス(苦悩)のトナリテ(調整)であり、それが欠けていることと共生とは、実は同じことなのである」
日本文化の特質のような、共生意識。存在の本質的な罪の意識とそこから来る苦悩は無い。共生が孤独のトナリテとはしていない。
恐怖
「恐怖は僕の存在の中核から噴き出て止まらなかった。しかしそれは恐怖ばかりではなかった。それは悲しみでもあった。果てしない悲しみでもあった」
私においての恐怖は、常に死へのものであった。親しんできた私というものの消滅。まだ体力のようには衰えてはいない、この私という意識が消滅することへの哀しみ。もう転移は無いと五年を経るまでの、不安と焦り。
経験
「私には深まりが大切なのである。私にとって経験とは現実そのもの以外の何ものでもなく、しかも経験であることによって、現実には無限の深まりが可能であり、神にさえ到りうるのである」
「経験の成熟とは、自分の個人的な経験が歴史と伝統の中に伝えられた言葉を定義するに到ることである」
経験を重ね、得たものと失ったもの、得たものは生身性、失ったのは初体験の純粋さ、仕事へ、家族へ、文学へ、様々な経験を経て得たものと、失ったものが今わかる、が、失った初体験的なものであっても、記憶はしている、再生も自己の文学においては可能、人生とは経験の総体であり、それらは物事の定義を可能にさせるとは思うのだが、衝撃を以って思い知らされた、生身性という私においては、何を定義したとしても、信じるに足るものではなくなったのである。
啓示
「この接触に接した瞬間に、僕は自分の中の、人間についての報道に対するあらゆる渇きと興味とが死滅するのを確実にした」
啓示のように、癌からの生存者を意識した時期があった。私を生きることと、生き始めたのだった、人間についてではなかった、私というものについて、私、私、全てが私を通してであった、恐れず言葉を発し続けたのだった。
ここ
「こうして、逆流しつつ前進する僕の中の時の成熟は、僕をここまで連れてきた。もうどこにも外に行く先がない、という「ここ」の暗示へ」
私を生きるとは、常に「ここ」、あそこや、明日や、誰かではない、今の「ここ」、どこに居ても、何をしていても、私を生きている意識。
個人
「個人というものの重さは、経験そのものの質とその純化の程度によって定義されている」
私を手中にして初めて個としての私を感じた、それ以前は類の一員としての個人であった。生命の重さも、時の重さも、存在の重さも、私の獲得によって初めて解かった。
孤独
「感覚は全ての思想、全ての作品の根源であって独立していなければならない、それが孤独ということの本当の意味である、それ以外の孤独は感傷である」
根源的孤独というものを私が知ったのは、「沈黙」「汝と我」「死に至る病」においてだった。癌の宣告体験は死の予徴としての恐怖から来る私の生物的な孤独ではあったが、これらの思想の中にある孤独は、生の中にあって、人として存在しようとすることの孤独を伝えていた。宇宙における沈黙の支配と、その中の人の存在としての孤独、汝と問いかける我の絶望的孤独、絶望しても死ねない神の絶対的孤独、人を生きるということの底知れない深淵、
言葉
「いいかえれば経験そのものが深まり、徹底し、いかなる言葉も経験から遊離しないような条件が、僕の中には出来ていなかったのである。それは今も出来ていない」
傲慢、不遜、厚顔無恥、独善、エゴイスト、出鱈目、独りよがり、と私の発する言葉に投げかけられる言葉、私は私の経験から全ての言葉をつむぎ発している、それが人においてどのように取られ、時に傷つけようと、私は私を偽ることは出来ない、権力に対して、無知にたいしては沈黙するだけ、それでも地球は回っているとは言わない、謝罪を拒んで毒杯はあおがない、私は私の言葉を生きるばかり。
作品
「よい作品が書けるのは、情熱からでもなければ、霊感によるものでもない。作品というものは、その生成過程からみると、まったく別の範疇に属しているのだ」
作品に、良い、悪い、深い、浅い、芸術的、通俗的、とあらゆる形容を人はするが、それらは、その時代、その国、その人々の価値、志向性によっているもので、私はそれらから出来るだけ遠くへ、遠くへと、私対世界だけで、花を育てるように思索をめぐらせているだけ。
三人称
「第三人称は第一人称の生みの親である。それこそは、ヘーゲルについてアランが、概念と呼ぶものである」
未だに小説における三人称が嘘っぽく感じられてならない、喩えそれが概念化、普遍化に成功しているとしても、一人称に変わりはないと、何故なら一人称の、一個の私が書いているのだから、ドストエフスキーの人物達、どれもドストエフスキーだと思う、何をどのように書いても彼の頭から発想され、彼の思索の産物なのだから、虚構におけるリアリティの為の人称、彼はと言いながら都合よく動かしてしまうことの嘘っぽさを何とか本物らしくするための方法、私に方法論など要らない、一人称も三人称もない、私へのメモ書きで充分だ、私とは生身の今において開示されているものに過ぎない。
裂け目
「それは認知しがたいほどかすかな裂目である。空間と時間の裂目である。このかすかに見える割れ目をこえて一方から他方に行くのに一人の人間の全生涯を必要とするものである」
有正は裂け目を歩いているのだった。自己の実存という裂け目、裂け目の向こうには無限の虚無が、沈黙が広がっており、実存とはこの裂け目から無限を垣間見ながら歩むことであるのだった。
死
「死は生涯の果てにあるものではなく、一つの存在が、存在そのものに純化された時、いつもそこにあるのだ、死というものは存在の純化そのものだ」
子規がカリエスの痛みに耐えながら、死というものの様子を書いている。そして一度ぐっすりと眠りたいと、そしてまた元気になりたいと。死は生命にとって自明。死や、死以後を考えることは出来るが。それは死に至るまでの生の部分が考えているだけ。呈示も証明も出来ない。カリエスを生きるとは、宿命とか、運とかではなく、その生の部分の生命のバリエーションとして、障害を負って誕生した生命においても、誕生さえも叶わなかった多くの生命に替わって奇跡的に誕生したという、その存在のバリエーションを生きるという、誕生したということはそういうこと、私にしてみれば五十億分の一の奇跡的な誕生、と存在。
ジイド
「ジイドは絶望して死ぬことを念願としていた、これは人間が持ちうる最大の野心であろう」
絶望して死ぬか、満ち足りて死ぬか、どちらも等しいということ、生の絶望も充足も、全て等しく存在としてあったということ、太古より人類、何と罪多く、何と絶望の内に消滅して行ったことか、これは今在る私においても同じこと、いくら私は私独自であるといっても、類として存在している。死への行脚僧のように、死さえも生きんとする人というもの。
自覚
「ものと人とは、ほんとうにものと人とに還らなければならないのであり、それは認識の問題であるよりは、自覚の問題であるように思われる」
ものに対して、去り行く世界として、ビルの屋上から眺めたとき、そこには私と隔絶された時間、空間としての、ものの世界が広がり、私、人と言うものが、無きがごときの、否、私、人というものが彼らの蜃気楼に過ぎないことに到るのであった。
時間
「ある事態がすでに自分の中に生まれて来て、これが時間だと判るのである」
時を意識して過ごした時だけが時となる、生命とは時であると思い知ったときから、時が始まった。ガンから生還して十八年、この間ずっと時を意識して生きて来た、一年、三年、五年と、転移がもう無いと安心する時まで、そして十年というものがどういうものであるか、どんな長さで、どんな感じでと、人生の物指しのように時の記憶は刻まれ、これからの十年もこんな感じでと、意識された時は、死刑囚が死ぬ前にタバコを吸うような時間で、毎日が見納めの時である。
自己
「混沌としていた自己が「が在る自己」と「である自己」に分解され、その割れ目に、両つの自己から最小限の供与を受けながら、おもむろに増大してゆく自己でない自己が現れてきた」
絶体絶命の生命の危機に遭遇して後、見る私、見られる私といった、二つの私の他にもう一つの私が出現した。反省や、不満ばかり言ってきた二つの自己とは違った、それらを見守る自己、
思考
「人間の思考の中に、造形とまったく同じように、真実なフォルムがあるという事が触知されてきたことは実に例えようのない喜びである」
思考とはプロセスであるのだが、何に向かっての思考であるのかが問題であり、かつて生きるということの意味を考えたとき、そこには誕生から成長へと、降り注がれたものがあり、恩寵、慈悲、愛という、それらへの感受、喜びの時があり、この人存在の意味、意志へ向かっての思考こそが、人存在の意味であると、
仕事
「仕事をするということは、自分の経験の内部で、常に新しい自然と人間とに触れ、それを堅固な、自分に属する「もの」に変化させることであり」
多く人は、文化や歴史における意味や影響を与えて来たものを価値ある仕事であると捉えるのであろうが、個人において仕事とは本来私とこの世界という、私がこの世界と如何に関わり、何を求めたかだけである、疎外があろうが、喰うためであろうが、私とこの世界の関わりなだけである、
自然
「自然と実在的に触れるためには、感覚的になってはならない、感覚から出発するということは、精神が感覚化してしまうこととは何の関係もないのみならず、むしろ逆のことである」
花鳥諷詠的に親しんだことはない、親しむ、楽しむといった依存がない、田舎や、自然の四季を味わいはするが、詠嘆することはない、自然とは大いなる異邦であり、あらゆる存在の現象は自然の為せる業であり、人に根本的には操作できないところの、最終的には受容するするしかないのが自然であり、存在の前提が自然というもの。
思想
「定義と経験との間に立てられる等価関係が私の思想の基本をなしている、思想は、論証や議論とはおよそ縁のない、経験が緩やかに近づいてくる極限のフォルムだ」
かつて私において思想と呼べるようなものを、唯物論から得たのだが、しかしそれらは私の自由、個人主義と相容れないものとなった、私の自由、私の実存を問うとき、いかなる思想も哲学も必要ではなかった、私の経験された感情、覚悟だけが思想となった。
視野
「この向こう側とこちら側とは、現実には一つに重なり合っている。だから同じものについて二重の視野が規定されてくる」
人間存在のエキリーブル(均衡)も自然界の二重の視野のように在らねば、二律背反や、正反合や、矛盾のアウへーベンと、常に人は指向性の前に偏向する、視野とは生と死のエキリーブルの下にあらねば。
社会
「社会とはごく稀にしか実現しないものである。それは到る所にあるが、どこにもない」
病気が癒えると共に社会が戻ってきた、病者において社会はない、まして末期の病者にあっては、異邦人の感覚、社会、国家とは健康者のものであって、それが真の社会であったのかどうかは分らない。
主体
「主体を定義する場合には、この主体が先ず客体化されなければならない」
かつて主体性論を社会運動の中で、運動の原動力として考えていた、主体的に、能動的にと、客体化など考えに入れず、自己犠牲と同義語的に、しかし、自己による客体化のないままの主体性は矛盾と不自由を感じ、逃避へと、人生の時を経てやっと今主体を手にしている。
自由
「自由とは自己同一を証することである。日本は自己同一性を証するものを見出さなければならない」
自由を実存的、サルトル的に定義すると、主体によって可能とはなるが、本来その自由と言う概念が不明確、この地上で有限を生かされていて、自由だと定義できるものではない、釈迦の手のひらの上での自由でしかない、だがその手の中に在る自分を知っていることが自由だとするなら、それはただ知っていることにしか過ぎず、その限定の中での、選択の自由である外ないのであった。
生涯
「この(存在と本質の)微細な隔たりを埋めるものが、一人の人間の誕生と死とを含む生涯そのものだ」
人は時代や歴史、国、文化etcの自らが育った地から自由になることは難しい、過去の人間においても、これからも、人の生涯とはその地で、その時に生まれ、その地でその時の中で死んでいく、種として、有機物として、その連続なだけ、人の本質とはこの存在を、想像で超えていく所のもの。
情念
「情念は意思より根本的なものであるか、ある意味でそうである。情念がなければ何もありえないという意味で。意志は情念があって始めて意識をもつということによって」
この感情をかつて愛した、が私の意味を知ったとき、日常のありきたりの中の私も、意志を持った情念的な存在であると知った、意識を細分化、定義化しなくとも、私というものの自覚において充分これらは統一された私の意識であると、
人格
「人間が美しい人格と共に、避けることの出来ない欠点や暗さを終わりまで持ち続けることは、それ自体偉大なことではないだろうか」
ことさらの人格を良しとはしない、ことさらの芸術や、ことさらの何かと差別、特定化することなく各々の人格、原始から現代へ、人は人格というものを意識してきたが、人格とは人の特性の保有でいいと思う、死を知ったとき、自分を知ったとき、ただ在る私でいいと、今世界に存在している私という感覚だけで良いと、これが人の人格というものと、
信仰
「信仰とは、私どもに信頼の念を起こさせるような積極的要素を欠いている時に、ある一つの言葉を真実として信じることです」
愛、慈悲、初めに言葉ありき、それらは定義されたものとしてあり、人が信じようが信じまいが有るという、私が存在する以前から在る人発達史としての、経験された人の感情としての信仰、マルセルの「希望の現象学的考察」、病床で唯一読むに耐え得た書物、私に与えた信仰の定義、
宗教
「それはあらゆる限定から離脱した、どこにでもその究極の点に現れる何ものかであり、それに意味付けをすることは出来ず、逆にそれはそのものに究極的な意味を与えるのです。人はそれを説明する代わりに、「宗教」という名を与えるほかはないのでしょう」
人における究極、それは生か死かの分岐、対面であろう、宗教がその究極から発想され、生まれ、生き続けていく、
主観
「純粋な主観が細部の末端に到るまで分岐して行きわたって、その細部を通じて客観が浸透しはじめ、遂に主観がとってかわる」
客観性を持った主観を言っているのだろうが、私は私の人生を考えるとき、主観も客観もない、私の人生とは私の主観であるといえる、人の人生とは人それぞれの主観であると何より人存在そのものからして主観であると、
無意識は客観だが、意識することとはもはや主観である、生きた時間、生きられた時間とは、時間、存在という客観からすれば意識とは大いなる主観である
生
「こうして生は、その外延が不断に拡大し、その中心が不断に深化する球のようなものだ」
生きることを生きられる生が、人の生、生きることを生きるのが、他の生物の生、生きることを生きられるから、人は様々な生を営む、様々な生の中に質的差異は在るが、生きられた時だけのこと、多く生き物たちと変わらぬ、生きることを生きていくに過ぎない、それて良いと思う昨今の私。
精神
「精神とは、一種の作用を持つ能力ではなくて、存在そのものの奥底から湧出する創造的意思だ」
ヨーロッパの建築に、支配への意思を感じる、人の精神ではあるが、石という存在が定義させたような、私の精神が日本建築的で、支配よりは融合を好む。それは木の存在の意志であるのか。
静寂
「この静寂は、常に我々の中に在るとは言えない。ある日、突如として我々の内部に入り込んでくるのである。ある日、誰かが訪ねて来るように」
万物の諸行無常を存在の自明と理解しても、穴ぼこのように友らの死がそこここにあり、いずれ私もそれらの穴ぼこになるのだと考える時、その穴ぼこの中の静寂は身に染む。
接触
「感覚の処女性という表現によって、私は、ものとの、名辞、命題、あるいは観念を介さない、直接の、接触、を意味する。その接触そのものの認識を私は経験と呼ぶのであって、感覚が経験の一部なのではない」
実存開明としての接触、一期一会としての出会いとか、認識という経験的感性で捉えていたものが、根本的な本質を問われるその時立ち現れる感覚、ガンの宣告など、そこから初めて、万物への接触が始まる。
絶望
「絶望して死ぬ、何という贅沢か、それにしても、これが真理の一端を包含していることに変わりはないのである」
人は簡単には絶望はしない、絶望しても希望は存在するものだし、キルケゴールが言う絶望しても死ねない人など稀有なことだが、多くは徒労の中に生まれては死んでいくばかり、生きて在ったというと言う事実なだけ。
想像
「感覚は自己自らの可能性によって、この欠けているものを生み出す。想像が働き出すということは、感覚の自由と独立との証拠であるとともに、その欠如の痛ましい漂白である」
人が行ってきた様々な創造行為は、人の欠如の証拠では在るが、この限りない行為は人の脳の持つ属性で、痛ましくも微笑ましい。
存在
「ぼくはこの両者(存在と本質)の交点はどうしても合致しないこと、本質は存在しないこと、などを言った。少なくとも存在する証拠はない、と友人は言った」
実存は本質に先立つというテーゼが最初の出会いだった、人は先ず以って食わねばならないは私の実存であり本質であった、両者は(私の存在と本質)まだ未分化であった。病んで初めて本質に目覚めた、私の本質とは存在を味わう、存在を存在するということなだけであったと。
体験
「どんなに深い経験でも、そこに凝固しますと、これはもう体験になってしまうのです。これは一種の経験の過去化と呼ぶことができましょう」
私は癌を運良く体験することができたのだが、もしこれが経験であったら疎ましい、過去化してはいるが、生身の存在は体験を凝固も過去化もしはしない。
対象
「それは、対象が対象に還ることである。私たちの気取った感動や知識や連想や追憶などは、対象とは何の関係もない、私たちの女々しい自己装飾だ」
存在としての対象、それに対する私の向き合う位置、時が対象、私の存在そのものが対象。
血
「私たちの存在から抜きがたいほど深く根ざしている残酷さをどのようにして克服したらいいのか。この血の塊」
存在は世界、歴史に、抜きがたく支配され、捉われ、しかし、一度私対時間の地点に立ったとき、血も、残酷さも、衣食住と同じ私が存在していくことの武器となった。
父
「つまり父の死は、私における経験の自覚を少なくとも十五年遅らせたのである。私において経験の起源を問題にするならば、それはフランスへ渡ったことではなく、父の死をめぐる私の姿勢の中に求められなければならない」
私の小四の歳、獄に繋がれた父、父というものの視点を持たない私にあっては、私が父であり、私の経験が全てである、病気以前と以降、真の私を生き始めたのは、病気以降、私たちではなく、私。私という媒体を借りて生きることを生きはじめた私。
秩序
「こういう隠れた秩序が人と人を結び付けているから、あるいは、そのあるべき関係の中においているから、人間は最後まで自己の道を歩み抜くことが出来るのだ」
自己への、自己を取り巻き、関わる家族との感情、記憶があって私は私を生きることが出来る。無限大の宇宙の中の漂う宇宙船の一コマが人類の歴史といわれるもの、在る、在ったという秩序。
直感
「直感とは、まさに主観が客観に内部において転換する働きである。直感に至るまでは、統一を欠いた断片的な経験の感覚でしかない」
直感、客観、芸術、非芸術、高低または優劣と、私はそうした捉え方が嫌いだ、総合的も、理論的も、どちらも意味である、この私というフィルターを通した存在である。一つのリンゴを見ても、フィルターで映像が違うだけ、リンゴとはフィルターの前に存在しているもの、全ての存在は人間というフィルターで見ているだけ。
罪
「自分の魂のそこにある不安が何であるかということを考えてみますと、どうしても罪という問題に帰ってくるのです」
人に罪が有るか無いか、キリスト教的と、仏教的の差、人に罪を説かねば人は罪を知らず、説けば罪を知る。規範を知ってはじめて生まれるもの。日本人は教えられてはいない、私にしても、誰が罪を規定し、罰を与えるのかに対して、神や、絶対の意識を持ちあわせた者としても、それらは不安や怖れとなるだけで、罪の意識とはならない。原罪の意識こそ、人をして人に留まれる意味であるのだが、
定義
「内面に凝集してくるものが、未来に向かって延び出す様態だけが問題の核心を形成する。経験の先端が触れる人生の事実」
学問が分離、分類、定義によって成立していくが、芸術、音楽のような想像、統合をこそ人生の意味だと考える、定義より例え、具体こそが定義の本体に思える。
抵抗
「自分の中に、想いの流露に対する巨大な抵抗が生まれて来て、何かが、外界でない何かが、自分の外にあって、この抵抗作用は、それに向かって、またそれによって不可避に方向付けられている」
全人間的に、または超越的にと自己コントロールしても内なる抵抗に出会う、存在のままで良いのではないかという、いずれ無に帰すもの、深い喜びや、世界との一体の感情に出会うとしても、それらは存在そのものの中に有るべきものといった、全肯定への、自己肯定への。
転調点
「たしかにそうだ、これが正しい表現だ、点調点。それは移行であり、自己同一であり、変貌であり、転調である。これこそ、転調のもつ意義である」
例え何パーセントかでも転移の可能性があり、五年間は用心をしなければと考えていたからではない、死を考えては来たが、それは他人の死であった、自分の死に突き当たったときに、自然ともち上げて来た私と言う意識、多くの死んでいく私という意識、この私とは一体何なんだという疑問、癌の宣告以来ずっとこの私というものを考えていた、そしてある時、ふっといつ死んでも良いかなあという感情に見まわれた。私を考えるという作業を通して、私という生身をもう充分に味わったと思えた、この味わった時間が私であった。癌の宣告も私の転調であったが、このいつ死んでも良いかなあも、もう一つの私の転調であった。
時
「この推移が限りなく醗酵を重ね、その内側から、時の流れに抵抗する重みが生じてくる時、それは結晶して、時を超える形を獲ようとする。ここに流れと動きを超える、動かない、静かなフォルムへの、嘆きにみちた憧憬がすべての芸術の根底となる意味をもってくる」
時を越えたいと思って思索し、ものを書いているのではない、私の中に時を刻みたいだけ、時は私と共に終わることは疑いようのないこと、死後は私において何の意味もない、ただこの生身の呼吸している私の時において為すだけ。
咎
「この咎の意識は、何ものにも撹乱されずに静かに延び拡がっていった。この咎こそは、パスカルが星辰を前にして感じたあの人間のミゼールなのだ、僕はふとそう思った。人間がその真の量に還元しきるとき、そこに露れてくる人間の質なのだ」
咎の意識こそ人間の意識を決定するのだろう、歴史において何と多くの人間がこの咎に苦しみ、挑み、受け止めたことか、が、私には無い「咎」の意識。
内面
「いくら経験の中をさぐっても、そこには神も内面も永遠も見つかりはしない。それらが無いということさえ判りはしない。経験は内面に参与するものである。内面そのものではない」
自分の内面をいくらさぐっても何も出て来はしない、経験にしたって、人の真の内面が神だとするなら、自然の中の存在こそが人の真の内面に思える。花に虫に石に、そこには計り知れない人間の内面があると、それらに魅せられた人々。
二項関係
「日本人と自然、神話、言語、宗教と検討して来ると、上下関係を枢軸とする二項方式的私的結合がその中心になっていることを認めざるをえなかった。日本人の共同体はこういう方式が無限に錯雑した形で重なり合っている集合体」
日本人論として、二項関係がその中心になっているとは考えられるが、世界を知らなかった日本においてそれは必然であった、が、今それらが急速に壊れていく中で、何に依拠していくのか、個としての覚醒、私というものが私とこの世界という関係に向き合わないではいられなくなるはず、神にではなく、一個の私が、この世界という、時に向き合わないではいられないはず。
認識
「内的体験いつも認識の限界状況と深く絡み合って現れる。ここで僕は一つの認識に達した、認識を拒否するものの一つの認識に。それは触知だ。あるいは端的に「接触」だ。そこから新しい認識の系列が生々と生まれて来る」
私が認識してきたものの多くは、感情、心、人そのもの、したがって接触、繋がり、想像が認識の通路ではあった、しかし、肉体の限界状況は、それらを拒んだ、否定した。全く新しい、有効な認識が必要であった。私は私の内的体験だけが支えとなった。結果、私対世界という、私の全肯定の地点からの世界と向き合う関係に至った。
母
「母を考えると頭が狂いそうに懐かしさでいっぱいになる。母を考えると、僕の悲しみの根源が深く母から流れ出しているのが判る」
母を考えると、私は遣り切れなさでいっぱいになる、父についても同じことが言えるのだが、私の一人という感覚は、実にこの父、母の不在から来ていると思える、父も母も孤独のうちに死んでいった。最後まで頼れる存在ではなかった私から消えるようにして。
不可知論
「フランス精神の本質的契機をなす不可知論的心性と意思決定の能力。この不可知論は、自己に対する根本的懐疑とすれすれのものであり、自分は間違っているかも知れない、ということを決して忘れない心性である」
かつて、無知から可知論を肯定していた、自分が何であるかも知らず、自己肯定していた。歳を経、自分や世界を知るに従い、不可知論と自己懐疑へと、
フォルム
「フォルムは全ての時間と空間とが、いいかえれば生が精神の光の下に収斂していく極限にほかならない。フォルムはしかじかの物体ではない精神の規律である」
探りたいものがあって、おぼろげに、しかし感じられ、解かっているものがあって、その時々に応じフォルムは様々に変容することはあるが、私であることへ向かっての生きた証である。
変貌
「変貌<mutation>それは私自身の変貌というよりは、私を通過する世界の変貌だ。そして私は、あの混沌とした潮の中に解体し、単なる通過点である「私」を通して真の私に変貌する」
私が変貌する以上に、世界が変貌した。世界は私の死など無関心、世界は沈黙、存在があるばかりと、私の死を現実のものと知ったとき世界は有、私は無という、世界が絶望以前の測り知れない異形世界となった。
本質
「本当は、実にわずかな捉えがたい本質的な事が、この人生には存続する。それを見きわめる必要がある。この名づけようもない、不透明な何ものか、ここに一切は帰着する。各々が、自己の奥深く、それを所有しているのだ。何れにしても、一切はこの見がたいもの、聴き分けがたいもの、の中にある」
人の本質とは、問う心、ものの原理や、構成への問いではなく、太陽が沈むのを見て、人の死を見て、自明と判断するのではなく、問い続ける意識、この意識だけが人をいつまでも人らしいものにする。
本質圏
「私の中に、原初感動に隈どられた風景と人間とがあり、それが私の経験の中核を構成しているように思われる。それを私は経験の本質圏と呼んでいる。それは意識の誕生とも結びついた不思議な圏である」
私の意識の誕生、私の本質圏、私の経験の本質、今の私を規定している。問い続け、問い続け、明らかとなった。意識の誕生が何時、どのようにして、それはどのようなものであり、と、問い続けた記憶が経験の本質であり、問い続けてきた先人達の営為が重なり、私は私という生身の現在を存在しているのだった。
本物
「作品における本物とにせものの意味。その一つは、その人の存在から自然の呼吸のようにその存在にぴったり即して出てくるものが本物である」
作品における、良いもの、本物の意味は、他者にとってのものであり、私に於いて本物とにせものの違いは、そのものが私という存在を生きようとしているか、否か。生きることが基本で、作品は派生のもの。
見える
「それは、その見えてくるきかたが、その見えてくるもののもっとも深い恒常的な姿はこれなのだということを明らかにしてくるような風に、そういう風に見えてくるそういう見えかた、なのである」
見ることを見る、が、私の見えるなのだが、
見ることを味わい、感じ、喜ぶ、私の時があって、そこに印象付けられたあらゆる現象が、再びは見られないかも知れないといった、物、存在、出来事への、確かに見ている、見ることが出来るといった、眼への感謝のようなものなのである。
空しさ
「僕は空しさと言うもの、一つの重みだということを知った。自分は錬金術師になることができるだろうか」
空しさとは、死にゆく者への、生き延びる者からの共感のようなもので、空々しく、無意味で、そこには深い断絶が横たわり、
明晰
「明晰さとは、明るさの限界を知り、いさぎよく闇を引き受け、前進しようとすることを一切放棄することにある。そうとすれば、悲劇的でも劇的でもない普通の道を辿って行くだけである」
限界も、闇も、感知しないで、ただ私の信じるところを歩いているだけ、前進なのか、後退なのかも知らない、ただ過ぎ行く時の中を。
老年
「僕にとって老年は静謐などではなく、年を重ねるにつれてますます激しく吹きつのって罷まない嵐に対抗することなのである。何となれば、老年においては、進むにつれて既知が未知に吸い込まれていくからである」
まもなく還暦を迎えようとしている、かつて考えられなかった未知の時を私は迎えている、記憶している小学生の頃よりの、拡げ、深めてきた私というものと、まもなくおさらばという、残されている時のその短さが手に取るように判る地点に今立っている。
2006 12