一
雷鳴が鳴り響いた。ただでさえ叩きつける豪雨に子の体は震え、泣きやまないというのに。母は泣き震える子を、自身は震えを一つだっておこさないように走った。
男達は追い続けた。雷鳴が二人の姿を照らしだし続けたからだ。男二人は手にナイフを持っている。所々ボロボロになったみすぼらしい二人。しかしナイフだけは綺麗に研がれていた。彼らは手馴れている。
親子は懸命に走った。慣れた道であったが、男二人を相手に豪雨と雷鳴の中で逃げ切ることなど出来るはずも無かった。
二手に分かれた道に差し掛かった所、母は気が付いた。左に行けば道が続き、右に行けば廃墟がある。そこは鎖で侵入を阻まれているため隠れ蓑には使えない。それは盗賊も知っていた。ただの行き止まりだということを。
貧しい民が雨水をためておくための桶を掴んだ。追いかけてくる二人にめがけて投げつけた。再び雷が道を照らしたそこには二人の姿は無くなっていた。
二人は廃墟に置いてある、重ねられた木箱の裏に身を潜めた。
やめて、お願い・・・泣きやんで・・。
母が強く抱きしめると、いつもと違う何かを感じ取ったのか、それとも母の優しさを感じ取ったのかは分からないが子は泣きやんだ。
「大丈夫、あなたは私が守る・・お父さんだってあなたをしっかり見守ってくれる・・!」
どうか神の御加護を・・御慈悲を・・あなたの勇者を救いたまえ・・。
雷鳴が鳴り響いた。また泣き始めた息子の目を見た。
「大丈夫、あれは神様の光。あなたを救うために神様が叫んでいるだけ、だから安心して・・ね?」
母がこれまで見たことのないほど愛の溢れる笑顔で見つめても子は泣き続けた。次の轟音とともに、静かにナイフが振り下ろされた。
「カイ・・あなた・・・」
母は静かに息を引き取った。
商いの町ティトリ。『一夜富者』として知られるこの町は今日も活気に満ち溢れていた。奇なるものあらばティトリに向かえ、という言葉がある。それは町の溢れんばかりの商人たちを上手く相手取り、一夜にしてこの世界で一握りの大金持ちになった男の話から来ている。あくまで噂話ではあるが、一度足を運び、行き交う人と金の流れをみれば夢物語と笑うことは出来なくなるだろう。
伝説はもう一つの伝説を生んだ。それは、話を聞いた者達が本当に伝説級の大物を町に運んでいるのではないか、というものだ。きっとそれは『物』に限った話ではないのだろう。そして今日もまた、新たな物語の紡ぎ手がやってくる。
ぼろ布を纏った流れ者が果物屋の前で立っていた。
「失礼、こういう者を知らないか?」男は店主に紙を見せた。そこには二足で立って歩く猿が描かれていた。
店主は絵よりも男の身なりを見た。
「兄ちゃん金と情報ってのはお友達なんだ。分かるかい?」店主はお天道様を見ながらぶつぶつとぼやいていた。
男は表情一つ変えず、果物を一つ手に取った。
「これだから無学ってやつは・・・っておい!あんたなにし」台の上にバンと紙が置かれた。そこにはしっかりと果物代が上に乗せられていた。「あ・・あんなら最初から出せってんだ・・」
店主はしばらく絵を見たが、その後ゆっくりと首をかしげた。
「悪いがあんたの力にはなれないね。だがあんたの狙いは間違っちゃいないと思うぜ。なんたってここはティトリさ。伝説の流通ならこの町に勝るものはナシってな」
男は笑みを浮かべた。
「泥棒だ!」男は大声の方を向いた。反対の店の主人が見る方向には、布で顔を隠した何者かが家を軽々と登っている姿が見えた。そして登り終えると、店主の方を見た。
「くそ!猿みてぇな野郎だ!」
(猿・・か)
「また出やがったのかアイツ」店主は髪の無い頭を掻いた。
「知っているのか?」
「ああ、度々ここいらに現れては食糧を盗んで、ああやって天井飛び越えて逃げてくんだ。俺も二度ほどやられたよ。次の日にゃあ悪評がふれ回ってたよ、『北の果物屋は水なしリンゴを売っている』ってな。」
「ご愁傷様」
天井を見ると泥棒は自分の尻をペンペンと叩いたあと、南の方角に逃げていった。
「・・ふん、あんたいい狙いしてるぜ。行きな」
「ああ」
「兄ちゃん」店主は背を向けた男を呼び止めた。振り返ると、先ほど払ったお金が帰ってきた。男は不思議そうに店主を見た。「金と情報はお友達、だろ?」男は人だかりの中、ムシャムシャと上手そうにリンゴを頬張った。
「こいつは瑞々しい!世にも珍しい上物のリンゴだ!」男は言い残すと、その場をあとにした。
北の果物屋から南東にしばらく走っていると、貧しい者たちの暮らす路地に出た。
(なるほど、ここを通れば必然的に追う者はいなくなるか。金持ち相手でないのなら汚れ者を使わされることもない・・)
暗く薄汚い路地を歩いた。異物を嫌う者達の視線が刺さる。ドアの隙間から、背丈を見るに歳は五つから九つ程度の子供たちが覗いていた。それも一人や二人ではない。目は五組か六組といったところだった。荒事にならないのなら、と男は構わず歩いた。怖れの目で見るだけの子供がいかに無力か、よく知っていた。
複雑な路地を進むと先ほどの泥棒らしき姿が見えた。しばらく追っていると、泥棒は途中で足を止めた。しばらく右手の家を見ていた。
(・・・さっきの子供たちか!)
気づき走り出した男の方に軽く目をやると、嘲るように笑って見せた。そして男に追いつかれる前に角を曲がった。男も後を追って角までたどり着いたが、その先は行き止まりだった。
「・・・」
「よぉ兄ちゃん」男の声に振り返ると、そこには鉄パイプにぶら下がった泥棒の姿があった。
「あんたに聞きたいことが」近づこうとした隙に、隠れていた子供が先を輪にしたロープを浮いた足にかけた。一瞬の間に泥棒の姿が上下正しくなっていた。見ると子供達もまた、泥棒と同じ様にぼろ布で顔を隠していた。
「・・・はぁ、聞きたいことがある。人探しだ」
「ほう、そいつは大変な仕事だな、兄弟」泥棒は鉄パイプから降りた。その際、チラリと人の肌が見えた。
「しかしながら、どうやらあんたは人違いらしい」
「おいおい、見えるモノだけがすべてじゃないぜ?丸々と見えるリンゴの中身がスッカスカなことだってある、そうだろう?」
「言葉を間違えたようだ、あんたは種族違いだった。そして訂正しておくが、あそこのリンゴは上物だ」
「ほう?あそこのリンゴを買えたのか・・・いや、同業者か?」
「見えるモノだけがすべてじゃない、だろ?俺は泥棒じゃない」
「ヘッ、その返し、あの皮肉おやじそっくりだ」
泥棒は男のぼろ布を取った。短い黒髪に黒の瞳をした二十代の男の顔があった。口もとに手を当て、男を見た。
「ふむ、鍛えてはいるが暗殺者ってわけじゃなそうだ。体に傷もない。ただの人探しの線を信じてやるってのもやぶさかじゃあない」泥棒はそのまま鉄パイプを掴み、天井へと姿を消した。「人違いと分かったのなら俺を今後嗅ぎまわるな、兄弟?」天から声がした後、ロープが切れて男は頭から落っこちた。
「・・・」
夜が来た。暑さのなくなったティトリでは日差し対策のぼろ布は必要ない。男は貧層な袋に布をしまった。
(町中ではこれを日中も着るべきではなさそうだ)
酒場に入ると男どもが豪快に酒を飲み、笑っていた。人通りの多い日中は物の調達のみをし、夜に卸しを済ませている。そういった者たちは等しくみすぼらしい格好をしていた。しかし誰もが皆、人生を苦と感じている様子は無かった。見かけで言えば日中に出会った子供や泥棒とそう変わりはしない。別段、肉体労働できる者たちだけがそうであるといった様子もない。
(彼らはどうしてああなってしまったんだ)
カウンター席に男は腰を下ろした。マスターは見知らぬ顔の男を見た。
「あんた、名は?」
(流れ者お断りの店か・・?)
まわりを見ると、先ほどまで見向きもしなかった男達がこちらを見ていた。
「名はカイという。見ての通り流れ者だ、気を悪くしたのなら謝る。店を出よう」
「カイ・・・」マスタは眉をひそめた。それからマスターも客も、みんなが笑い始めた。
「ダハハハハ!聞いたこともねぇ名だ!ダハハハハ」
「・・何かおかしいことでも言ったか?」カイはただただ不思議そうにマスターや客の顔を見た。
「いいや、歓迎してるのさ!ここは名もしれぬ文無し野郎どものための酒場さ、だからよう、歓迎するぜ、カイ」
聞くところによると、ここはティトリの金持ちに雇われている日払い労働者たちが集まる酒場だという。彼ら、その日暮らしたちは長くこの土地で暮らし、そして多くの金持ちたちの名を知った。そのため彼らは無名を好んだ。
(なるほど、彼らなりの『奇なるもの』というわけか)
口数の少ないカイは彼らの『素晴らしい聞き手』として気に入られた。人の話を聞くことが嫌いではないカイは、すぐに彼らと仲良くなった。何より一方的に情報を得るという状況はこれ以上なくありがたいものだった。
「―だからよ、エルヴで見たあのネーチャンは絶対に魔女だって!」
「で、美人だったのかよ?」
「それがもうすんげースタイル良いのに胸はでかくてよ!しかもまた清純そうな顔してるんだよこれが!」
「ダッハッハ!清純ならどの変が魔女なんだよっ」
「いやだから魔法がだな…」
(猿人間の情報はナシか)
気づけばもう夜中の三時頃だった。男衆はとぼとぼと店を出て行った。「じゃーなカイ」カイは去る男達に手を振った。カイもぼちぼち帰ろうと、荷物を背負った。聞くばかりで出すタイミングの無かった絵をカウンターに置いた。
「マスター、この絵の人物・・?を探しているんだが」
「なんだこのへんてこな・・・ん?まてよ」マスターは立派な顎鬚を触りながら考えた。「昔俺がまだ新米だった頃な、一人の客が来たんだ。この国の元衛兵だそうだ」
「衛兵」
「ああ、そいつが言うに・・城内で猿を何度か見たと言っていた。それを大臣に伝えたことでサボりがばれて城を追い出されたって話だ。そいつはそうとう落ち込んでたが、あまりにも馬鹿らしいんでみんな冗談だって笑ってたことがあってな」
「ここらに猿が住みついているという話は聞いたことはないが・・」
「だからこそ信じてもらえなかったんだろうな。ま、猿どもに店を荒らされちゃあこの町もここまで金持ちがのさばることもなかったろうよ。奴ら金でどうにもならない物を嫌うからな」
(店を荒らす・・・か)
「マスター、度々見かけるという泥棒については知らないか?」
「泥棒?はて・・だれだろうか」
(日中にことについては疎いか)
「そうか、ありがとう」
カイはその店を立ち去ろうとした。
「ああ、もしかしてサンのことか?あいつ盗みをしてやがんのか」
「サン?」
「お前さんと同じ流れ者だよ。いや、かれこれ十数年経つから『元』流れ者だな。だがここにも顔は出さないんで俺も良く知らないんだ。何人もチビ連れて裏路地うろついてるヤツなら、そいつはまぁサンのことだ」
(サン・・か)
マスターに礼を言い、酒場を出た。
サンと出くわした付近には廃墟が多い。決して宿代をケチっているわけではないが、カイは廃墟で一晩過ごす事にした。屋上で町を見た。ここからさらに南には城が見えた。城を見るカイの目はどこか曇って見えた。寝転ぶと空には満点の星空、下には懐かしさを感じるボロ屋、それがカイにとって落ちつける場所だった。
「父さん・・母さん・・」
カイは静かに目を閉じた。静かな町をそよぐ風、それが運ぶ遠くのにぎやかな音、心地よい空間だった。
「サン、来たのか」
「俺を詮索するな、そう言ったはずだが?なぜここにいる」
「文無しが廃墟で寝泊まり、それだけだ。詮索はしていない」
「昼間に言ってることと違うな」
サンは姿を現さない。
「リンゴを買うだけの金、それが全財産だ」
「・・ケッ、悪いがここは俺の特等席だ」
「ああそうか」カイは立ち上がった。そしてあくびをしながら階段を降りた。
(・・・面倒な野郎だ)
「お前は何だ?何が目的だ?」
「俺は、勇者だ」
「なっ・・」
「邪魔したな」狼狽えるサンを後目にカイは去った。
サンはカイと同じ様に城を見つめた。しかし彼の瞳は、まるでカイとは真逆のようだった。
目覚めは格別に気持ちのいいものとなった。カイは肩を回し、首を回し、準備運動を行った後、外に出た。空はまるでカイの心のように晴れやかだった。裏路地から表の通りに出ると、昨日とは別の騒がしさがあった。町の人々が顔を真っ青にしたり、鬼の形相で部下を叱りつける者がいたり、まるで台風前日の様だった。
カイは一人の肩を叩いた。「失礼、この騒ぎは一体・・」
「魔の軍勢が攻めてくるんだ!悪いが急いでここを出る用意をしなきゃならない!」そう言って去って行ってしまった。
「魔が・・ここに」カイの表情が険しくなった。