三、好奇心に殺されかける少女
春明とムラマタが秋奈を助けてから一週間が経過した。
相変わらず、秋奈は春明にしつこくつきまわり、自分の空白の記憶の正体を探ろうとしていた。
あるときは休み時間、またあるときは昼休み。またあるときは放課後。
そして、またあるときは登下校中。
ありとあらゆる時間、場所で、秋奈は春明を追いかけまわし、問い詰めていた。
もちろん、追いかけられる側はその追跡をすべて回避し、秋奈が求めている「答え」を隠し続けた。
しかし、その逃避行もいつか限界が来る。
そして、その時は思いの外、早く訪れた。
その時も、秋奈は帰宅途中で家路についていた春明を見つけ、後をつけ回し、質問をぶつける機会をうかがっていた。
むろん、その数メートル先には、一般的な猫に扮したムラマタが歩いていた。
「ねぇ、土御門くん。いい加減、教えてよ~」
「だから、何を教えろと?」
「知ってるくせに、相変わらずしらじらしいわねぇ」
「心当たりがまったくといっていいほどないんだから、しらじらしいも何もないだろ」
もはやいつも通りといえばいつも通りのやり取りを背後で聞きながら、ムラマタは心中でくすくすと笑っていた。
思えば、彼がここまで一人の人間を根気よく相手することは珍しいことだった。
ムラマタは春明がいる領巾市に立ち寄って日が浅いため、あまり知らないのだが、春明のことをよく知っている友好的な妖ものからある程度、話は聞いていた。
もともと、魔法使いという特殊な立場上、秘密にしなければならないことが多く、そして、陰陽師の家系という特殊な環境であるがゆえに、周囲からは特異な目で見られていた。
その影響か、春明はあまり人と関わろうとはしない。
同時に、春明を知っている人間たちもまた、春明と深く関わることを良しとせず、同じような態度を取った。
ゆえに、他地方から赴任してきた教師やその使命感が強い教師、あるいは単に好奇心が強い教師以外、彼に頼み事をすることが珍しい。
むろん、生徒も同じだ。
だからこそ、こうして長い間つきまとってくる神楽坂秋奈という少女の存在が、珍しい、と感じ、観察しているのかもしれない。
いや、むしろ春明はそのつもりなのだろう。
――まぁ、所詮、某の勝手な憶測にすぎませぬが
ムラマタが面白がりながらも、心中でそうつぶやくと、ふと、自分たちがいる空間に、揺らぎを感じ取った。
ふと見上げると、空はまだ青く、揺らぎを感じるような時間ではなかった。
――まだ逢魔が時ではないというのに……よほど、腹を空かした妖魔か、あるいは……
ムラマタは心中でそうつぶやきながら、ちらり、と春明の方へ視線を向けた。
その視線に気づいたのか、春明は鋭いまなざしで小さくうなずいて返した。
どうにかまとわりついてくる秋奈をまいて、合流するつもりのようだ。
――やれやれ、先兵ですか。しかし、まぁ、致し方ありません
諦めたようにため息をつき、ムラマタは揺らぎが一番強い場所へと向かい、異界へと足を踏み入れた。
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異界へ入ると、目の前には数十体の妖魔が待ち構えていた。
姿は、先日、春明と初めて共闘したときに討伐した三つ目の魔犬と同じもの。
「同族、ということではないのでしょうか?大方、先日の仲間の仇討、ということですかな??」
なんとも、下賤な。
ムラマタは細めていた目を開き、殺気が込められた視線を魔犬たちに向けた。
その殺気に気圧され、妖魔たちのうちの数体は半歩、後ろに下がったが、群れのリーダーと思しき妖魔が喝を入れるように吠えると、それに合わせ、まるで勝鬨を上げるように、妖魔たちは一斉に咆哮を上げた。
「やる気は十分、気合は十二分、というところですかな?」
いつの間にか自分の本来の姿に戻ったムラマタは、背に担いだ刀を引き抜いた。
その瞬間、ムラマタは自分の背後に近づいてくる気配に気づいた。
背後に視線を向けると、そこにはさきほどまで秋奈につけ回されていた春明の姿があった。
心なしか、その表情に疲労が見て取れる。
「……お疲れのご様子ですな」
「わかってるならさっさと片付けるぞ」
そういいながら、春明は懐から護符を引き抜いた。
「……来ますぞ!!」
ムラマタがそう叫んだ瞬間、妖魔たちは一斉に飛び掛かってきた。
だが、それと同時に、春明もまた動いていた。
「禁っ!!」
手にした護符を目の前に投げると同時に、ただ一言を叫ぶと、護符に記された文字が白い光を放った。
その光は壁のように高くそびえ、妖魔たちと春明たちの間に割って入った。
空中で自由な身動きが出来ない妖魔たちは、まっすぐにその壁に激突し、地面に落ちた。
だが、大してダメージは与えられていないようだ。
すぐに立ちあがり、春明たちに向かって殺気がこもった視線を向けてきている。
「……たかが妖犬風情が、千年の時を生きた某に牙をむくか……おろかな」
ムラマタは鋭い眼光を向けてそうつぶやくと、地面を蹴り、手にした刀で妖魔のうちの一体に切りかかった。
一つ、二つ、三つと、ムラマタによって切り落とされた妖魔の首が、次々に地面に落ちていった。
だが、奮戦するのはムラマタだけではない。
彼の後ろにいる春明もまた、手にしている護符と今まで習得してきた魔術を総動員し、妖魔たちと相対していた。
「東海の神、名は阿明、西海の神、名は祝良、南海の神、名は巨乗、北海の神、名は偶強、四海の大神、百鬼を退け、凶災を祓う!急々如律令!」
五枚の護符を同時に投げ、素早く百鬼夜行退散の呪文を唱えた瞬間、護符が光を放ち、五芒星の形につながった。
五芒星はさらに強い光を放ち、妖魔たちを照らした。
その光に焼かれ、妖魔たちは次々に姿を消していった。
春明は続けざまに、手を地面に叩きつけ、鋭く声を上げた。
「縛っ!」
春明の声に呼応し、ムラマタの背後にいた妖魔の足もとから光の鎖が飛び出してきた。
鎖は、まるで蛇のように妖魔に絡みつくと、そのまま地面に叩きつけ、身動きを封じた。
「ムラマタ!!」
「承知っ!」
春明の声に応じ、ムラマタは手にした相棒を閃かせ、地に伏した妖魔を切り伏せた。
さらに、ムラマタは刀身を春明の方へ向けた。
ムラマタの行動の意味を察し、春明は懐からさらに護符を取り出した。
「神火清明、神水清明、神風清明」
目を閉じ、静かに息を吹きかけてから古神道に伝わる邪気祓いの呪文を唱え、ムラマタが手にしている刀に向かって投げつけた。
投げられた護符はまっすぐに刀の刀身にむかって飛んでいき、張りついた。
その瞬間、張りついた護符は光を放ち、刀身に吸い込まれるようにして消えていった。
護符が消えた瞬間、刀身は護符が放っていたものと同じ光を放っていた。
ムラマタは両手で刀を握り、自身の足を軸にして、まるで独楽のように回転し、周囲の妖魔を切りさいた。
「合技、天輪祓刃」
「どういうネーミングセンスだよ」
「おや、ぴったりだと思いますが」
「まぁ、古神道の邪気祓いの呪法を込めたから間違ってはいないとは思うがな」
何が気に入らないのか、春明はムラマタが披露した剣技の名前に突っ込みをいれた。
その反応に、ムラマタは相変わらず不敵な微笑みを浮かべたまま、返した。
春明はそっとため息をついて、それ以上、言及することをやめた。
その代わり、自分の背後を振り向き、刀印を結び、胸元で構えた。
「……インドラヤ、ソワカ」
帝釈天の真言が春明の口から紡がれた瞬間、それまで雲一つなかった空から、突然、雷鳴が響き、それとほぼ同時に、白く強い光が残っていた妖魔の真上に降り注いだ。
その落雷で残っていた妖魔の大半が消滅したようだ。
同時に、目の前の魔法使いたちと自分たちの力量の差を悟ったのか、誰からとなく、その場から離れていった。
その背中を見送りながら、ムラマタは春明の方へ視線を向け、問いかけた。
「取りこぼしましたな……いかがいたします?」
「ほっておいてもいいだろ……なんだかんだ、あいつらも世界の一部なんだ」
ムラマタからの問いかけに、春明はそう返し、そっとため息をついて続けた。
「それに……」
「それに?」
「もうこれ以上、護符がない」
「おや、弾切れですか」
「ありていに言えば、そうだな……」
春明からの返答に、ムラマタは冷たい視線を春明に向けていた。
その視線を送っている張本人に視線を返しながら、春明はいいわけがましく返した。
「さすがに学生服であれ以上の護符を持ち歩くことはできないっての」
「カバンに仕込むなり、財布に仕込むなり、方法はいくらでもあると思いますがな?」
「どっちも出すのに時間がかかる。学生服にも仕込んじゃいるけど、縫いこまれてるから使うに使えんし」
ため息をつきながら、春明はムラマタにそう返した。
ムラマタはさらに何かを返そうとしたが、その表情はすぐに険しいものへと変わった。
どうした、と問いかけようとした春明だったが、その耳に届いた悲鳴に、春明の顔も険しいものになった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「ちっ!また迷い込んだのか?!」
「一足先に向かいます!!」
「頼むぞ!」
聞き覚えのある声に、春明は悪態づいて、走りだした。
ムラマタも同時に走りだしたが、もともとすばしっこいためだろうか、スタートダッシュは同じだったにも関わらず、春明をどんどん引き離していった。
先に悲鳴が聞こえた現場に到着したムラマタは、そっとため息をついた。
「好奇心猫を殺す、とはいいますがこの場合、好奇心人を殺す、ということになるのでしょうか?」
ため息をついたその理由は、目の前で複数の妖魔に囲まれ、腰を抜かしている少女だった。
その少女は、先日、春明と自分が救出し、記憶を消去したはずの神楽坂秋奈だった。
どうやら、春明は月まとっていた彼女をまいたと思っていたようだが、彼女の方が一枚上手だったようだ。
大方、春明の後を付いてきて再び異界に入りこんだはいいものの、目的の人物が二足歩行して刀を持っている猫とともに、犬の姿をしているが明らかに犬ではない獣と対峙し、さらに魔法を使っていたため、驚きすぎて問い詰めることができなかったのだろう。
そして、隠れていたのだが、こうして妖魔に見つかってしまったようだ。
「……やれやれ、手のかかるお方だ」
「……俺もまだまだ甘いな……すまんが、ムラマタ。また手を借りるぞ」
「もとより」
これぞまさに、猫の手も借りたいというやつか、と心のうちで呟きながら、春明は刀印を結び、ムラマタに視線を向けた。
その視線に気づいたムラマタは刀を引き抜き、構えた。
同時に、春明も刀印を結び、胸の前で構えた。
「臨める兵、闘う者、皆陣列れて前に在り」
春明が九字を唱え、同時に構えた刀印で十字に空を切った。
その瞬間、春明が切った九字の軌跡が光で描かれた。
同時に、その十字の光は格子縞状になり、妖魔たちを包みこんだ。
「神楽坂!今のうちにこっちに来い!!」
「む……無理ぃ……」
「あっ?!」
「こ、腰が抜けて、動けない……」
「……ムラマタ、俺が担ぐから、連中のことは頼む」
「仰せのままに」
陰鬱なため息をつきながらも、苛立ちを最小限に抑え、春明はムラマタに頼んだ。
ムラマタはその様子に、苦笑を浮かべながらうなずき、地面を蹴り、縛られている妖魔たちとの間合いを詰めた。
ムラマタと同時に地面を蹴った春明は、ムラマタが妖魔たちを切り伏せている間に秋奈を抱き上げ、素早くその場から離れた。
いきなり抱き上げられたことに、秋奈は抗議の声を上げていたが、そのすべてを無視して、春明は異界の出口へと向かって走った。
同時に、ムラマタも春明に続き、異界への出口へ向かい、春明たちと一緒に揺らぎの中へと入っていった。