身分証
『え、ええ、媒体らしいものは感じられないわ。だからメイちゃんは、常に魔力の供給を必要とするのではないかしら?』
ライラの言葉通りならば、メイは当初のネクロマンシーに近い形で蘇らせられたということになる。
そう言えば、テルザは大戦を免れた老死霊術師から教育を受けてネクロマンサーになったのだという。彼らは使役術よりも占術に特化していた。占術では礎体自体が媒介となるため、別の媒体は使用しない。メイがノアの知る使役術とは違う形で使役体となったのならば…。
「メイちゃんは、当初の使役体と近い存在なのかもしれない。理由はおれにもわからないけど、ライラ、君もだ。
それにやっぱり、当初の使役術では使役体に自我が存在していたのかもしれない。」
ノアと行動を共にしているとはいえ、死霊術のことはさっぱりわからないライラは困ったように首を傾げながらも、ノアが考察を口に出して再確認する質であるのを知っているから、彼女は静かにそれに耳を傾けてくれていた。
ライラ以外のノアの使役体を例にあげれば、一度媒体に魔力の供給を行えば当面の間は自律して活動することができるが、媒体を外すか完全にその魔力が尽きれば活動を停止する。
ライラだけは特別で、自我…というか、彼女自身の魂が宿っているためか、媒体が外れても当分の間は大丈夫なことがわかっている。
一度だけ、媒体のネックレスの鎖が切れてしまい一時的に紛失したことがあるのだ。
それに気付いたノアは蒼白になったが、驚いたことにライラは特に異常なく無事だった。彼女自身が冷静に魔力をたどってネックレスを見つけ出し、また身に付けて、呆然とするノアを安心させてくれたのだった。
媒体がないと魔力が次第に失われていくのは分かるが、ノアがそばにいてくれたから大丈夫だったのだと言う。
それでも不安だったから、今ライラの着けているネックレスは、鎖を太く丈夫な物に付け替えてある。ライラは心配し過ぎだと笑ったが、万が一にもライラをまた喪うなど、ノアにはきっと耐えられない。
その時から、ライラには特別に誂えた魔法衣を着せ、着衣や装身具にも魔力を纏わせているのだ。ライラがノア本人よりも身形よく体裁を整えているのは、ライラが女の子だから、自動人形に扮しているからというだけではなく、ノアの心配症の結果だった。
ライラは、さすがにもう充分だ、自分の為にも投資してほしいと言うが、旅費や糊口をしのぐ為の生活費は除き、日々の稼ぎのための錬成の資金さえあれば、ノアには別段余剰のお金の使い道はない。錬金作業自体が趣味を兼ねているからだ。ライラを着飾らせるのは楽しいが、ノア自身は別におしゃれにも興味がないから、清潔でありさえすれば何でもいいので着るものにもお金がかからない。そうして余ったお金や錬成の成果を使ってライラの身の安全を確保出来るのならばと、ノアにとってはそれが一番の楽しみになっているのだった。
ふたりが当初の使役体と共通性を持った存在だとするならば、現在の使役術で媒体を必要とする…ひいては、死霊や精霊を定着させず術者の魔力のみで使役するようになった理由もなんとなく予想が立てられる。
それは、メイとライラとの大きな違い…食事を必要とする有無だった。
何体もの使役を行っていれば、前線であればなおさら、術者が常に使役体の傍にいるということは不可能になってくる。そうなれば、恐らくはノアが来る前のメイのように、多量の食事を必要としたことだろう。
いくらそれぞれが不死身に近い存在になろうとも、通常の兵士の何倍もの食事を必要とするようでは、軍隊としての維持は厳しい。また、それだけコストがかかった存在であっても、中には一度殺された恐怖に戦場から逃げ出す者がいたとしてもおかしくはない。恐らくは、そういった事情を改善するために、現在の…ネイヴ式の魔力媒体を使用してアンデッド化を維持する研究が進められたのではないだろうか?
死霊や精霊といった意思を持った存在による自律でなく、魔力のみによる使役ならば、媒体を用意する初期コストはかかっても、維持費は抑えられ、命令に背かれる心配もない。
そうして次第に『死霊術』本来の意味合いは忘れられ、『死屍使役』とでも言い換えるべきネクロマンシーが定着していった…そう考えると、多くの疑問が符合するような気がした。
「ふむ、媒体か。確かに、それらしきものはメイは身に着けてはいない。
テルザからもそのような話は聞いたことがないな。」
「ノアの使役体は、魔力を保持しやすい媒体に魔力を蓄えることで、比較的自由に行動できるんだね?」
さすがに夜遅くになっていたから、ライラをメイの元に戻らせ、自分も考察を整理することにして眠り、翌朝になってから、ノアはリトとカークに相談を持ちかけていた。
「メイちゃんは、生命力を維持できている身体自体が魔力の媒介になっているから食事から魔力を補うことが出来ているけれど、それを蓄える力が不足しているんだと思う。
ライラに着せているような、特に魔力を保持出来るように仕立てた魔法衣や装身具、それに、メイちゃんの魔力と波長を合わせた仮の媒体を作ることが出来れば、メイちゃんはもっと自由になれるかもしれない。」
ものは試しにと、メイにはライラの外套を纏わせて、彼女とレノとの3人で、すぐ近く…異常があればすぐに戻れる範囲と条件を付けて散歩に出てもらっていた。
「たっだいま~!」
「おかえりメイ。身体の調子はどうだい?」
三人のいたラウンジに、散歩から帰った三人娘が入ってくる。真っ先にカークがメイを気遣うが、ぱっと見た感じでも、メイは元気そうだった。
「ノアお兄さんの言った通り! 途中でお菓子食べなくても平気だったよ!」
『ノアの魔力が届かない所まで出てみたの。二人分の魔力を消費していたけれど、思ったよりも魔力に余裕があったわ。外套で自然に漏れ出す魔力を抑えることも出来ていたみたい。』
メイ本人、そしてライラも本来は治癒術も学んでいる僧侶系魔術師だ。体調管理に関しては、彼女たちの弁を信じていい。特にライラは、スケルトンとなり魔力で身体を維持している為か、魔力の流れに敏感で察知に特化していると言っていい。その彼女が言うのだ、確かに効果が表れているということだろう。
「早速メイに装備品を誂えたい。協力してくれるか、ノア。」
「もちろんだよ。基本の術式はライラ用に仕立てたものが残っているし、おれが組んでベースを作るから、それを誂えに回してほしい。
平行して、仮の媒体の試作もしてみるね。」
善は急げ…錬金術工房に行こうと椅子から立ち上がってドアを開けようとしたノアに、レノの声がかかった。
「ノアちん、ターイム!」
「? 何か気付いたことがあった?」
散歩にはレノも同行していたのだ。二人とは違う視点で気付いたことがあったのかもしれない。
じっと見つめると、レノも人差し指を立てて真剣な目で、ノアに一言だけ囁いた。
「朝ご飯食べてからね♪」
一瞬の間が開いてどっと笑いが漏れる。
「レノの言う通りだな。メイにはライラの外套を借りておくことにして、まずは朝食を摂ろう。」
笑いを噛み殺す珍しい姿を見せながら、リトもレノに同意する。
「ノアちんの行動パターンはもうわかっちゃったもんね♪
ご飯はちゃんと食べなきゃダメです~♪」
確かにノアはすぐに食事を忘れる。ついでに言えば睡眠も忘れるし時間も忘れる。恥ずかしながら、レノが指摘しなければ、朝食のことなどすっかり忘れて錬金術工房に篭りきりになっていたのは確実だった。
「レノちゃんありがとう。そうだよね、ご飯を食べてから工房に入ることにするよ。」
そんなノアを見てライラが小さく肩を揺らしている。彼女も笑いを堪えているのは一目瞭然だ。
「そんなに笑うことないだろう。」
少し拗ねた声でライラに言ってみせれば、
『ごめんなさい。なんだかうれしくて。』
という返事が返ってきた。
『ノアのことを気にかけてくれる人がいることが嬉しいの。
私がいるから、ノアはいつもあまり人と接しようとしないでしょう? だから、みんながノアを受け入れてくれることが、とてもうれしい。』
その言葉を、メイは通訳しなかった。代わりに、ライラにぎゅっと抱き着いた。
「ライラちゃんもだよ! 私、ライラちゃんのこと大好き!
だから、ライラちゃんも遠慮なんてしていないでみんなと仲良くなって! ノアお兄さんだけじゃないよ、ライラちゃんも私達の仲間になってほしいの!」
その言葉に揺さ振られるものがあったのか、レノもライラに抱き着く。
「そうだよ♪ ライラちゃんは遠慮し過ぎだよ~♪
ね、リト、カーク。ノアちんにクランに入ってほしいってことは、ライラちゃんもメンバーに迎えたいってことだよね?」
「勿論だ。」
その問いにリトが即答する。
「ノアと対で考えてしまっていたし、ライラはメイに同行していることが多かったから説明不足だったな。
ライラ、君にもノアの使役体としてでなく、君個人としてクランへ招待したい。
私は君の有能さも知っているし、君の優しい人柄は、この二人の懐きようで言葉がいらないくらいだろう。どうか二人共、本気で考えてほしい。」
カークは、全部先に言われちゃったよと、春の日差しのような笑顔で笑っている。
「…みんなありがとう…。」
ノアの少し潤んだ言葉と共に、ライラも深々と頭を下げる。
「じゃあ、アルが帰ってきたら返事をするよ。もちろん…」
「もちろん、YESだよな?」
バタン!
突然ドアが開いて、大柄な体駆がノアの元に駆け込んで来た。
「アル?!」
さすがに通りながら話が聞こえていたとは思えない。途中からカークかリトがテレパスででも事情を伝えていたのだろうか? アルはがっしりとノアの手を掴んでブンブンと振り回した。
「ほい、身分証! ライラと二人分な。勝手で悪いとは思ったけどよ、せっかく都まで出たんだから、無駄になってもいいと思って、ディアザルテに登録ってことで発行してきちまった。」
ニヤリといたずら小僧のような笑顔で、アルはノアに三枚のカードを渡す。
一枚はライラ=タッセル、職業欄は僧侶。
そしてもう二枚は…。
「これ…。」
「ノアがどういう形で登録したいかわからなかったからな、領主権限濫用して、念のため二枚発行させてきた。」
二枚とも、名前はレノアール=タッセル、一枚のカードは職業錬金術師。そしてもう一枚は、錬金術師と死霊術師両方の職業が記載されたカードだった。
「手続きしたのも、テルザとも仲の良かった話の分かる御婦人でな、ノアのこともライラのことも、ちゃんと説明したうえで、ノアが望む間の秘匿を約束してくれている。
だから、いらん心配しないで、ドーンとうちに来てくれ。」
アルの頼もしい全開の笑顔に、ノアはこくりと頷いて笑い返した。
「嬉しい。ありがとう。ぜひおれたちを、みんなの仲間に入れてください。」
「おいしいところを持って行かれちゃったね。」
くすくすとカークが笑う。
「だが、あれでこそ我等が盟主だろう。」
アルの行動力も、彼の魅力のひとつである。多少勝手に見えても相手の事を気遣える優しさもある。だからこそ、アルはディアザルテの盟主として、年上であるカークやリトからも立てられる存在なのだ。
どうにも涙腺が弱くなったと照れ隠しで笑いながら、ノアが身分証を握りしめて滲んだ涙を拭っている。
「アル、みんな、本当にありがとう。これからよろしくお願いします。」
ライラに彼女のカードを渡し、ノアも二枚のカードを胸の前に掲げる。
どちらのカードを使うべきなのか、ノアにもまだわからない。だから大切に大切に、二枚のカードを手の中に収めて見詰める。
ライラとふたりきりだったら、ノアは錬金術師としか名乗らないだろう。
けれど、アルはノアを死霊術師としても必要として、認めてくれているのだ。それがこのカードに表れている。
ディアザルテではネクロマンサーを名乗ってもいいのかもしれない…いや、名乗るべきなのかもしれない。
少し考えたいと思いながら、ノアは二枚の身分証を胸元のポケットにそっと収めた。