売買
拠点から少し離れ、繁華街からも外れた場所にあった一軒目の商店では、体力回復の秘薬に使う乾燥させた植物素材を大きな紙袋いっぱい分購入できた。多くの採集家を抱えるしっかりした商店らしく、幸い在庫もあったので、多めに譲ってもらえた。いつもノアが購入する露店の、数店分の量だ。
「またお願いします。」
「ありがとうございます。またお越しくださいませ。」
会計を済ませて、応対してくれたにこやかな店主に挨拶すると、店主は笑みを深めてノア達一行を送り出してくれた。
この商店は、少し裏手に入った所にあった。
店の周りの人通りは少なく、襲撃があるとすれば好機に思える場所も通りかかった。
しかし、拠点を出てすぐから付いているとリトが教えてくれていた尾行が手を出してくる気配はない。今日もただの偵察尾行なのだろう。
これならば早急な危険はなさそうだと、次の買い出し先へ足を進めながらノアが少し安心していると。
「何をしたいのかわからん輩だな。鬱陶しい。
一体何を探っているのやら…ちょっと訊いてくるか。」
少しライラと共に物影に隠れていろと言い残し、リトがふらりと姿を消した。
「えっ? ちょっと…リト?」
やがて聞こえてくる、低い呻き声と大きな物が倒れる物音。
慌てて荷物持ち兼護衛に連れて来ていたヒューマンのスケルトンを表に立てて、ライラと共に建物の影に身を隠す。耳を澄ますと、遠くに近くに悲鳴や呻き声が聞こえて来た。
『ノア…。』
不安そうなテレパスがライラから来るが、ノアは自分も抱いた不安をぐっと堪えて、彼女に微笑んだ。
『大丈夫だよ、リトを信じて待っていよう。』
リトが強いことは昨日鍛練の様子を見て知っている。きっとリトにとっては問題ないことを確信して尾行者達に向かったのだろう。
それにしても。
━━━…もしかして、リトって意外と過激な人?
今日の買い物を決めた時、リトは楽しそうに見えた。
拠点に誘われた時も、若干強引だった気がする。
ミシェとウィルに鍛練を付けていた時も、相手を淡々と撃ち伏せる様が凄みがあった。
ノアには優しく接してくれるから気付き難かったが、案外こちらがリトの本来の姿なのかもしれないとも思った。
「…リト?」
すぐ近くでどさりと倒れた何人目だろう人影を見ながら、ノアは恐る恐る声をかけた。
「終わったぞ、もう出てきても大丈夫だ。
しかし、ふむ、やはりただの雇われ尾行だな。情報になりそうなものは持っていないか。」
リトはその人影の目深に被ったフードを剥ぎ、何か手懸かりになりそうな情報はないか調べているようだ。
「ふたりほどは昨日と同じ面子だった。残念ながらどちらもただの雇われだったがな。
もう少し厳しく捻ってやるべきだったか。」
撫でてやっただけだと言っていた昨日の尾行には、さほど手荒な真似はしなかったのだろう。
今リトの前に転がっている男も、すぐに気絶させられていたから、大した怪我はしていないはずだ。
だが、向かってきたらしき何人かは怒声と悲鳴を上げていた。そういう輩の無事は保証できない。
「おい、起きろ。」
リトは気絶させていた男の襟首を掴んで揺らし、覚醒を促す。
「…ん……ひっ、ひぃっ! 聞いてねぇぞ、こんな危険な…。」
「誰から聞いていないのだ? 落ち着いて話せば無事に放してやる。」
目を覚ましてすぐに悲鳴を上げた男の首には、ひたりと当てられた剣。綺麗に磨き上げられた剣のその刃先は鋭く、ちょっと手を滑らせただけでもよく斬れそうだ。
「日雇いギルドだ! おっ…俺はギルドで仕事を受けただけだ!
秘匿案件だったから依頼人は知らねぇよ!」
男の口は軽い。依頼人を明かさない『秘匿案件』と呼ばれる依頼は通常出来払いの報酬もいいはずだが、依頼人の顔も見ていないだけに、義理も薄いのかもしれない。
「どんな依頼だった?」
「人形連れた坊主が領主んとこの館から出て来たら、尾行して様子を観察しろと…行き先を掴んだら伝えて、そのまま何か不審なことがないかチェックしながら尾けてろとだけ説明された!」
「どこに伝えろと?」
冷や汗を流しながら空回る勢いでしゃべる男に、リトが促す。
「仕事を斡旋した仲介ギルドの誰だかのはずだ…俺は伝令役じゃねぇ、詳しくは知らねぇよ!」
必死に答える男の様子を見るに、嘘は言っていないのだろう。
「昨日はひとり下っ端が混じっていたが、今日はどうやら全て日雇いギルドを通したのか。ギルドは守秘義務を盾に何も明かさぬだろうな。そちらは諦めるとしよう。
伝令が走った気配はなかったが? そうか、わからないか。
では帰っていいぞ。だが、次は同じ依頼を受けないことだ。」
驚いたことに、リトは始めの言葉通り男をそのまま解放し、ザッと立ち上がった。
「うっ、受けねぇよ! いくら報酬が良いっつったって、こんなおっかねぇ仕事!」
喚きながらよろよろと立ち上がり、男が走り去った。ノアはそれを見送り、リトに寄り添って見上げる。
「リト、あのまま帰して大丈夫だったの?」
「まあ大丈夫だろう。あれもただの雇われだし、尾行していただけで命を狙ってきたわけではないからな、罪に問うほどでもない。
それに、無事に逃してやれば、報酬を受け取るために失敗を報告せんかもしれん。実際ふたりは懲りずに素知らぬ顔で今日も依頼を受けていたな。」
あれでもアルの領地民だ、仕事に見合った稼ぎを祈ろうと、リトが薄寒い笑みを浮かべる。
「さて、もし伝令が走った後ならば、増援が来るかもしれんな。気を緩めずに買い出しの続きと行こうか。」
たかだかこれしきの不確定なことで行動を中断するつもりはないのだと、笑みの向こうでその目が語っていた。
「あーっ! ちょっと待って、そこの綺麗なお人形連れたお兄さん!」
「えっ?」
ずざざーっ、っと靴底で砂煙を上げてノアの元に走り寄ってきた存在に、ノアはびっくりして足を止めた。
問題ないと判断したのか、リトにそれを遮る気配はない。
ノアを呼び止めたのは、歳の頃はノアとさほど違わないように見える、溌剌とした表情のヒューマンの少女だった。どこかで見た顔の気はするのだが、イマイチ思い出せない。
「良かった~。こんにちは、看板人形連れの錬金術師さん。
そこの陰険魔法剣師にいちゃもんつけられて領主クランに連れて行かれたって聞いたから、もうこの街で商いできないのかなって心配していたんだよね。」
どうやら彼女の方はノア、もしくはライラのことをよく覚えていてくれているようで、わざわざ探してくれていたらしいこともわかる。ありがたい反面、覚えていないことを申し訳なく思った。
「誰が陰険だ。いちゃもんというのも人聞きが悪い。」
「えっ? 自覚ないの?」
どうやらリトとも知り合いらしい。毒舌を吐く彼女を軽く咎めるも、面倒なのかそれ以上は強く訂正を求めない。
「それよりさ、今日は露店出さない…っぽい荷物だね、買い出し?」
「はい。あのー…?」
ノアが露店で商いをしていることを知っているということは、お客として来てくれたことがあるのだろうか?
どうやらそのようで、彼女はポケットから秘薬の空瓶を取り出した。ノアの作った、魔力補給の秘薬の瓶だ。瓶の首に巻かれた灰色のラベルは、品質が低めの低価格商品である。
「ねぇお兄さん、次はいつ露店出すの? この秘薬、私めっちゃ気に入っちゃって。」
「え?」
「味よ味! 口当たり良くて飲みやすいんだもん。
私みたいな駆け出しには安い秘薬しか買えないからわがままは言えないんだけど、私ポーション類って苦手でね、いつも嫌々飲んでいたの。
でも、これなら美味しく飲めたのよ!」
いかにも感動した様子で、少女は胸の前で手を組んで力説する。
わからないでもない。
出来の良い秘薬は、効果もさることながら口当たりも良くなる傾向にあるらしい。となれば、逆に低い価格帯の秘薬は味もお粗末な物が多いのだろう。
ノア自身は今まで秘薬を買って飲むことがなかったから比べるべくもないが、なんとなく想像はできた。
「この間は稼ぎに出る前でちょうど手持ちがなかったし、最低限の保険で1瓶しか買わなかったのを後悔したわ…。」
「はぁ…。」
組んだ手のひらの中にぎゅっと握り締めた空瓶が、その1瓶なのだろう。
「それでね、必ず買いに行くから、次の販売分少し取り置きとかしてくれたら嬉しいなと思って。」
軽くウインクをして、少女はノアに「お願い。」と頼み込む。だが、次に露店を出す目処など立っていない。ノアは判断に困ってリトを見上げた。
「残念ながらエイダ、この子は今少々危険な立場にいてな。
露店はしばらく控えてもらおうと思っている。」
「えーっ?! そんなー…。」
代わりに答えてくれたリトの淡々とした言葉に、エイダと呼ばれた少女はがっくりと肩を落とす。よほどノアの秘薬を気に入ってくれたようだ。
━━━魔力補給の秘薬か…あ、そうだ。
思い出して、ノアはエイダに声をかける。
「あの…少しなら今持ってきていますよ。」
言いながらごそごそと鞄を漁ると、ノアは灰色のラベルを巻いた小瓶を取り出し、彼女に見せた。
「それ、それ!」
ぱぁっと破顔したエイダに、ノアは鞄の中の瓶の数を数えて伝える。
「12本ありました。好きなだけお譲りできます。」
「えっ? いいの?
嬉しい! 全部買わせてもらいます!」
値段も聞かずに即答して、ノアの気が変わらないうちにとばかり、エイダは硬貨の詰まった皮袋を取り出す。
「良かった。今日は討伐の報酬を貰ったばかりだから余裕があるのよ。」
さっそく、おいくらだったかしら? と持ち掛ける彼女に、いつも露店に出す額を提示すると、エイダはすぐさま12本分の硬貨を数えてノアに手渡してきた。
ノアも、そこいらにあった木箱に鞄を置いて、灰色のラベルの秘薬を12本全て取り出す。
「良いのか? それは自分用だったのでは?」
軽くなった鞄を見て、リトが小さく問いかけてきた。
「うん、品質高めの魔力の秘薬も何本か持ってたはずだから大丈夫。
それに言っただろう? おれの秘薬は必要な人に買ってもらいたいんだ。」
そうリトに言うと、ノアはエイダが彼女の鞄に入れやすいよう2本ずつ秘薬を渡していく。
買い出し目的で来ていたらしき彼女の鞄は空きがあり、少々重いかもしれないが、ちゃんと全部入りそうだ。
「ありがとう!」
全て鞄に収めて本当に嬉しそうに笑うエイダを見て、やはり少なくてもいいから低価格の秘薬も販売用に作ろうと、ノアは心を新たにしたのだった。
「じゃあ、錬金術師さんには館に行けば会えるのね?」
これが切れる前にはまた露店を出せるようになっているといいんだけどと、秘薬の入った鞄をぽんぽんと叩くエイダの言葉に、ノアはリトに明かしていいか相談をして承諾を得てから、今自分はディアザルテの拠点の館に滞在していることを話した。
確認するように、エイダがリトを見上げる。
「秘薬が足りなくなったら訪ねて来い。」
リトが付け加えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうフィリートさん。お礼に、陰険って言ったの撤回してあげる。」
にこにこと笑うエイダに、それはお礼というのかと突っ込みたくなる。
しかしリトは気にしていないようで、短くそうかとだけ返した。
「あの様子だとおそらくノアの固定客になるだろうから教えておくとしよう。
先刻のエイダは攻撃魔法を主に使う魔術師だ。
本人の言っていた通り、魔術師になって日が浅い。だが、日を置かず魔物の討伐に出ていたりと意欲はあるから、いい顧客になってくれることと思う。」
エイダと別れてすぐに、リトが彼女のことを簡単に教えてくれた。
それにしても、会っていきなりの『陰険魔法剣士』発言には驚かされた。それを言うと、リトは薄く苦笑を浮かべた。
「彼女が魔術師になる以前、街外れに出た魔物に襲われた所をディアザルテで保護したことがあってな。」
カークからの治療を受けるために数日拠点に滞在していたので、今でもリト等と馴染みがあるのだという。
「うちで治療を受けている時に、悔しいから魔術師になると言い出したのでな、少々手ほどきをしてやったのだが。」
「あー…ひょっとして、その時よっぽど扱いたとか?」
からかうようにノアが問えば、リトも苦笑を深めた。
「そんなつもりかはなかったのだが、鬼だの悪魔だの言われたな。」
でも、嫌われているわけではないと思うよと伝えれば、そうだと良いのだがなとリトは微笑んだ。




