剣
キュッ。キュッ。
「リト、ちょっといいか?
…あれ? その剣。」
食堂を辞して自室で過ごしていたリトの元に、気合いを入れてきた、という表情で鎧を着込んだウィルが顔を出した。
「どうしたウィル。」
「あー、良かったらまた鍛錬に付き合ってもらえないかと思ったんだけど…。
剣、手入れしてたんだな。」
リトの手元と傍らには、いつも帯びている紋様の華やかな魔法剣とは違う、拵えの簡素な二本の剣。
「ああ。磨きだけだがな。」
掌の形に少しばかり磨り減った柄を見るに、相当使い込まれた物のようだ。
「ひょっとして、それがリトの元々の剣なのか? 結構な業物だったりして?」
目利きには自信が無かったが、ウィルの目にも質実さのある刀身と柄のバランスは感じられる。見栄えこそ派手ではないものの、手に取って振ってみたくなるような剣であることはわかった。
「確かに戦時からの相棒達だな。年期的にロートルもいい所なのだが。まあ想像に任せる。」
リトの目には、製作者や酩など、二振りの剣の詳細なデータが映っている。だが、リトはそれを明言しなかった。
ウィルも、リトがあえて言わないのだからとしつこくは食い下がらずにリトの作業を見ている。その興味は、鍛練よりも剣の方に移っているようだ。
そうしているうちのほんの僅かな沈黙。リトがひとつ息を吐いてそれを破り、磨いていた剣に曇りがないことを確認すると鞘に収め、ウィルに向き直った。
「鍛錬するならば付き合ってもいいが、今度は木剣にしておけ。」
「え?」
そういえばリトの部屋には鍛練の相手を頼みに来ていたのだった。ウィルはリトの剣に気を取られて忘れかけていた目的を思い出す。
「手入れ、もういいのか?」
「ああ。ちょうどもう終わるところだったのだ。」
そう言うとリトは立ち上がり、部屋の隅に置いた武器立ての中から随分と使い込まれた木剣を四本持ち出してきた。うち二本をウィルに渡す。
「木剣を使え。これでならばもう少し念入りに稽古をつけてやる。」
諭すような言葉に、ウィルはそれを無言で受け取る。密度の高い丈夫な木で出来ているらしく、木剣と言ってもそれなりに重たい。軽く撃ち合わせれば、金属のように高い音が鳴った。
「以前アルとの撃ち合いに使わせていたものだが、体格的には刃渡りも貴様にもちょうど良かろう。
鉄剣も悪くはないのだが、刃を潰して防具も着けているとは言え、やはり撃ち込みに手心が入るでな。」
━━━あれで手心…?
昼間、ミシェと共に伸されたことを思い出す。容赦なく叩き伏せられたと思っていたが、それでも手加減をされていたらしい。
隔絶した力量の差に暫し息が詰まるウィルをよそに、自分の使う木剣の具合を確かめながら、リトは静かに続けた。
「安心しろ、ウィル。私は出来ないことは要求しない。」
それから半刻も剣を振るっただろうか。
「そろそろ終いにしておくか。今日は通過点だ、また明日もある。」
鍛錬場の硬い床に、ウィルはまたしても大の字に伸びていた。
教導役のリトは相変わらず涼しい顔をしている。
鎧の隙に直撃を受けた手傷を見ると、両手に持っていた木剣を片手に束ね、空いた右手を翳して治癒魔法を施してくれた。
そんな余裕のリトに、つい弱音がこぼれる。
「…リト…俺、強くなれんのかな…。」
やはり自分には、リトが強くて己が弱いということしか実感がわかない。
アルのように、リトと渡り合う剣は振るえない。ミシェのように、自分の明確な弱点やリトの良点が浮き彫りに見えるには至らない。
力なく問うた声に、淡々とした答えが返ってくる。
「貴様は十分強いし、向上もしている。ただ上には上がいるというだけの話だ。
見込みのない輩に稽古をつけてやるほど私が働き者でないことは、貴様も知っているだろう? 少しは自信を持っていいぞ。」
口調こそ静かだが、リトなりに励ましてくれているのはわかる。
だが、その『上』に少しでも追い付きたいのだ…ウィルはきゅっと唇を噛んで、ゆっくりと体を起こした。
「サンキュー、リト。
また鍛錬付き合ってくれな。」
いててててと呻きながらも立ち上がるウィルに、リトは軽く肩を叩いて、頷いて見せた。
「それで、ウィルは疲労困憊して部屋に篭っているのか。」
「ああ。
彼奴は真面目だな、限界まで音を上げずに立ち上がって来る。付き合ってつい熱が入ってしまったようだ。」
ウィルの部屋に夕食を運んでやってほしいというリトの言葉に、皆はウィルがリトに稽古をつけてもらっていたことを知る。
皆と言っても、20人は入れそうな広い食堂に、今はたったの6人。リト、ディノ、メイ、レノ、ライラ、ノアだけだ。
フォンもミシェに付き添って部屋で食事をとっているそうだし、館付きのメイドもウィルに食事を運んでいるから、夕食の席は少し寂しい。
「昼もそうだったが、リトが鍛錬に付き合ってやるなど珍しいな。
明日は嵐でも来るのではないか?」
ディノのからかいに、リトが澄まして応える。
「アルも出掛けているし、ミシェも静養中だから仕方がない。
昼の件もあってかウィルも強くなりたいようだからな。そういう気持ちは汲んでやりたい。」
「ウィルは大丈夫なの? 治癒魔法かけに行った方がいい?」
食事をとりながら女の子達でお喋りに興じていたメイが、ふとリトに心配気な視線を向けるが、リトの表情は変わらない。
「ほとんど鍛錬の疲労だ、大したことはない。
簡単な外傷だけは治してやったが、鍛錬の成果は自然治癒に任せた方が身に着くともいうからな、あとは放っておけ。」
「そっか、わかった。」
冷静なリトの言葉にこくんと頷き、メイはまた食事と女の子達の会話の輪に戻った。
「そうだ、ノア。」
「うん?」
唐突に呼ばれた名前に、ひとり黙々と食事をしていたノアは、リトをじっと見遣る。
「今日中断した買い物だがな、ノアさえ良ければ明日また買い出しに出よう。」
「え? でも…。」
想定していなかった買い物の誘いに、ノアはすぐに返事ができなかった。
確かに買い物は中途半端で、魔力補給の秘薬は生成に数日かける程度の素材があるが、体力回復の秘薬は材料が足りなくて作れない。買い足しておきたい気持ちはある。
しかし、そんな勝手でリトを危険に巻き込んでいい訳がない。
ノアはそう思っていたのに、図らずもリトの方から街に出ようと誘ってくれた。
「あの、リト。ネイヴの所には二度目の襲撃もあったそうなんだけど…。」
「ほう?」
先刻ネイヴとテレパスで連絡を取ったことを明かし、会話の内容と心配を告げる。
「そうか。だが、奴を相手にその程度の刺客なのだろう? 案ずることはない。」
それに対して、返ってきたリトの返事は気安い…いや、むしろ好まし気に聞こえるものだった。
「心配せずとも、街の中では派手なことはしてこんだろう。
配慮なく手を出してきてしっぽを掴ませてくれるような輩ならば、かえってありがたいのだがな。」
くいっと杯を仰り、リトは少し楽しげな表情でノアに微笑む。
「おい、リト?」
それを見て、ディノが訝し気な顔でリトを呼んだ。
「まさか、ノアに囮になってもらって、こちらから敵を燻し出すつもりではないだろうな?」
少し鋭い口調で問うたディノに、リトはクッと喉を鳴らして返す。
「先方が燻し出されてくれれば、悪くない話だな。」
「おい…。」
今日は何事もなく帰って来られた。
だが、今日の偵察尾行が失敗したことを受け、明日からはどう出てくるかわからない。
それもわかっていて、リトはノアを誘ったのだった。
「まあそうカリカリするなディノ。
来るか来ないかもわからない刺客などに怯えて拠点で燻っていても仕方ないだろう。それだけの話だ。
もし刺客が付いても、ノアのことは私が守る。
だが、ウィルに付き合って肩慣らしも出来たからな。また鈍らんうちにそういった手合いには出て来てもらいたいものだ。」
不安と緊張であまり眠れずに夜明けを迎えたノアが朝食後も眠たい目を擦っていると、ディノが心配そうな顔で近付いてきた。
「大丈夫かノア?
寝不足ならば、別に無理に外出する必要はないぞ? これは義務ではないのだからな。」
優しいディノの言葉にそのまま甘えたくなる。だが、ノアはゆっくりと首を横に振った。
「ありがとうディノ。
だけど、前線に出ればみんなだって同じくらい危険なんだろう?」
「それはそうだが、ノアはそれを望んでここにいるわけではあるまい。」
確かに、ノアはただネクロマンサーとして、同時に錬金術師として、その技術を必要としてもらったからここにいる。前線に立つことは求められていないし、ノアも望むことはない。
「うん。でも、素材が足りていないのは確かだし、リトが一緒に行ってくれる気になっているなら、早いうちに行っておいた方がいいと思うんだ。」
それは、昨夜眠れないまま考えているうちに辿り着いた答えだった。
昨日の今日で手練れの刺客が送り込まれてくるとは思えない。ならば、相手側が手薄なうちに必要な外出を済ませておいた方がいい。今日の買い出しで目当ての素材を購入出来れば、しばらく館に篭って精錬に集中することも出来る。
「それに、おれだって旅すがら自分の身を守るくらいのことはしてきたんだ。
戦う術も覚悟も持っている、大丈夫だよ。」
にっこりと笑って見せると、ディノはぽんぽんと優しくノアの肩を叩いて、微笑み返してくれた。
「そうか。くれぐれも気を付けて行ってこい。
もし賊に襲われたら、遠慮なくリトを盾にして帰って来るんだぞ。」
そんなことまでディノは冗談めかして言う。だが、目が笑っていない、半分くらいは本気なのかもしれない。
「大袈裟だな。人通りの多い道を選べば何もしてこん公算の方が大きいのだぞ。」
ディノの言葉に憮然としながら、外出の準備を調えてノアの元へきたリトの腰には、ノアの見たことのない二振りの剣。いつも帯びていた柄や鞘に紋様の入った凝った造りの魔法剣と違い、随分と煤けた拵えで、しかしそれが、長年使い込んだ証のように見える。
それを肯定するように、ディノが言った。
「そんな本気の得物を持ち出しておいて何を言う。
ウィルから聞いたぞ、昨日の夕刻にはもう手入れを終えていたのだろうが。」
やはりこちらがリトの本来の愛剣のようだ。
「剣士が剣の手入れをしていて何がおかしい。」
「リトだからおかしいのだろう。
必要なことしかしないものぐさが剣の手入れ? 端から使う気でいるということではないか。」
「護衛に付くならば最善を尽くすだけの話だぞ。」
「はいはい、二人とも、実のない言い合い楽しい?」
掛け合いのような二人の会話に割って入ったのは、朝食の時にはまだ姿を見せていなかったミシェだった。
「ミシェさん、もう具合はいいの?」
昨日の午後ぶりの顔に、ノアは心配を顕にして問い掛ける。
「ええ、もうすっかり元気よ。
フォンが心配するから朝食は部屋でとっただけ。」
本人の言葉通りミシェの顔色はだいぶ良くなっているが、それを過信して無理はしない方がいい。
同じことを考えたのだろう、リトがミシェを向いて、鋭く言葉をかけた。
「ミシェ、今日はベッドで大人しくしておけ。明日にはカークも戻るはずだからな、それまでは無理をしないことだ。」
「あら、そんなの体が鈍っちゃうわ。私、動いていないと体調が悪くなるんだから。」
彼女としては少し子供っぽいように感じられる口調でミシェが反論する。ほんの半日強だが、寝ていることに飽きてしまったのだろう。確かに、快活な彼女には、ベッドの上は退屈極まりないに違いない。
「そんなこと言って、貧血で倒れたら元も子もないわよ。リトの言う通り今日は休んでいて。」
ぐるぐると腕を振ってもう大丈夫だとアピールするミシェを、気を揉んだ表情のフォンが嗜めた。
「もうらみんな心配症なんだから。わかったわ、大人しく寝ておくわよ。」
つまらなそうにふぅとひとつ溜め息を吐き、ミシェが残念そうに肩を竦めた。




