秘薬
食堂には午後のティータイム用にクッキーの残りとフルーツケーキが用意されていたが、なんとなく誰も手をつけられないでいた。
「そもそも、なんでノアが狙われたんだ?
ネクロマンサーだということを、ノアは公言していないんだろう?」
気分を切り替えたいのか、沈んだ顔をしていたウィルがふと思い付いたように尋ねてきた。
「う…うん。」
「それは恐らく私のせいだろうな。
ノアをディアザルテに誘った時に、広場でネクロマンサーということを確認した。それを周囲の人間が聞いているから、話が流れたとすればその時だろう。」
紅茶を啜りつつ、リトが答える。
「おいおい、リトー!」
「仕方なかろう。あの時はネクロマンサーが狙われているなどとは思いもよらなかったのだ。」
ディアザルテでは、国選ネクロマンサーのテルザを擁していることもあり、ネクロマンシーとネクロマンサーの保護を掲げている。それがネクロマンサーとしてのノアを必要としていたのだ、こそこそ秘匿する方が不自然である。
「まあ、そりゃそうだけどよ…。」
「だが、確かに配慮に欠けていたな。」
リトが唸るように呟く。当然、彼にとっても誤算だったのだ。
「過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。
リトが付いていたから今日の所は大過なく過ごせたのだ、それでよしとしようではないか。」
「だな。」
ディノのフォローを受けて、ウィルも首肯して紅茶を一口啜った。
そうこうしているうちに、レノを先頭に女性陣が食堂に移動してきた。
「休んでいなくていいのか、ミシェ。」
その中に負傷したばかりのミシェの姿も見えて、ウィルが慌てる。
「治癒魔法も受けたし、体力を回復する秘薬も飲んだから大分いいのよ。
でも、横になったらそのまま夜まで眠ってしまいそうだから、休む前に少しお茶にするわ。
水分補給をした方がいいと思うし、ドライフルーツは失血にいいとライラがいうから。」
そういえば、お茶請けのフルーツケーキにはたっぷりのドライフルーツが使われている。その中の干し葡萄などが、果物の中では血の薬になると言われている。
真っ先にテーブルに近付いたレノが入り口に一番近い席の椅子を引いてやり、ミシェに勧め、彼女もそれを受けてゆったりと席に着いた。
『飲み物はホットミルクをお奨めします。』
「紅茶じゃなくてホットミルクにするね、ミシェ。お茶はあんまり良くないんだって。」
ライラの手話を受け、メイがカップにミルクティー用に温めて置かれていたミルクをたっぷりと注ぐ。
「いただくわ。ありがとうライラ、メイ。」
「ライラちゃんは物知りなのね。」
お茶請けの盛りつけられた皿からフルーツケーキを取り分けて、まずミシェの前に差し出してから、フォンが順次ケーキを配っていく。
とりあえず物を口に入れることができるか否かというのは、負傷者の状態のバロメーターになる。ミシェは皆の治癒魔法のおかげでだいぶ回復したと言っていいだろう。
「起きているならば少し聞いておきたい。
一体だけ強かったという魔物だが…。」
ディノが、魔物を直接討伐したミシェに話を聞こうと、椅子を引いて彼女に向き直る。
「オーガだったのだけれど、ひょっとしたら次代の長になる個体だったのかもしれないわね。
自己強化のスキルだか魔法だかを使っていたのを確認したわ。
よく見れば体の模様も他のオーガと少し違っていたから、事前に警戒しなかった私達のミスよ。」
通常雑魚と呼ぶような魔物の中でも、稀に身体能力の高い個体が表れることがある。今回はそういった個体に遭遇したということらしい。
「その新しい長に群れを分けるために、この街の周辺にオーガが多く出没するようになっていたのやもしれんな。」
「確かに、最近のオーガの目撃地点は本来の生息域から随分下ってきていたし、数も増えていたものね。」
「今回のことはミシェ達のミスではない。我々全体の予測の甘さが招いた過失だな。」
ディノとフォンの言葉を受け、リトが苦い表情をする。始めから予測していれば心構えも違ったはずだし、ミシェが傷を負うこともなかっただろう、と。
「とは言っても、今回は油断していただけで、戦力が不足していたわけではなかったわ。
予測していても、布陣は変わらなかったはずよ。」
ミシェの語る通り、肝心の長らしき個体は、彼女が傷付きながらもきちんと仕止めたという。
「ボスを失った群れは森に帰るかしら? まだうろつくようなら、今度は私も討伐に出るわ。」
「貴女は音楽祭の調整で討伐自粛期間中でしょう?
音楽祭は多くの人達との共同作業なんだから、迷惑をかけてはいけないわ。」
腕をまくる様子のフォンに、ミシェが釘を刺す。
「だって…。」
「心配しなくても、あらかたの雑魚はウィルが片付けたわよ。」
「うん。残りはだいたいウィルが倒してたから、もう群れって言う規模じゃなくなっているはず。大丈夫だと思うよ。」
もぐもぐとフルーツケーキを頬張りながらメイも頷く。
「そう。それならいいのだけれど…。」
白い指先を頬にやり、フォンが肩透かしを食らった顔をする。
「ほう、ウィルもなかなか健闘しているではないか。」
リトがウィルのことを持ち上げてやるが、ウィルの表情は冴えない。
「ミシェの活躍とメイの支援ありきだよ。」
落ち込みとまではいかないものの、随分気分が沈んでいるようだった。
『へえ、こんなに早く尾行がついたんだ。やっぱり忠告しておいて良かったようだね。』
今日の動きを連絡すると、ネイヴは予想通りという声音で返してきた。
『ロデリアに新たなネクロマンサーがいるという噂は結構広まってきている。
そろそろ動きもあるんじゃないかと思っていた所だよ。』
ロデリアは国選ネクロマンサーを擁するディアザルテクランのお膝元だ。噂の精度がどの程度のものかはわからないが、その信憑性は高く評価され、またディアザルテクランと接触を持っていることを想像するのも容易かっただろう。
事実、ノアに尾行が付けられたのだから。
『リトが言うには、多分今日の尾行は刺客ではなくただの偵察だったのだろう、って。』
『リト君が言うのならそうなのだろうね。
しかし、偵察に七人も割くとは。』
『うん…今回の人選は質より量じゃないかって言ってたけど。』
『だろうね。都合3回も失敗していれば、まともな人員もいなくなるだろうし。』
『3回?』
『ああ。僕の方には2度目の襲撃があったよ。
礎体の質は落ちるが、おかげで使役体の数も増えた。』
クックックと喉で笑っているのがわかる。
『また前線に出たのか?』
命を狙われているのがわかっているのに。ネイヴが自信家なのは知っていたが、流石に少々驚きだった。
『それが僕の生業だからね。今も野営のテントさ。
前線と言っても、今回の仕事は増えすぎた雑魚魔物の間引きだけどね。』
魔物の討伐は途切れることのない安定した仕事だ。
力なき人々が街で安心して暮らしていくためには、脅威となる周囲の魔物や獣の駆除は欠かすことができない。
だが、それらの多くはとても繁殖力が高く、狩っても狩っても数を増やす。個体数の減少が繁殖のトリガーとなるという研究者もいる。要するに、少し経てばまた元通りになるのだ。
魔物の繁殖地から比較的遠いロデリアでは、周辺の魔物の討伐を月に幾度かの定例としてディアザルテのメンバーで行っているが、ロデリア以外の地域では傭兵を雇う形で日々討伐を続けている。雇用促進の一環としても、魔物の討伐は昔から市井に依頼されてきた。
『どこの街?』
『君のいる街からは随分と遠くさ。
なんだい? 心配してくれるのかい? 』
『まさか。』
いくら苦手なネイヴ相手とはいえ、本当は多少心配しないでもないのだが、こういう聞かれ方をすると素直に首を縦に振りたくなくなる。つんと冷たい声音で返しておく。
『うん、ぼくのことなど心配しなくていい。
君は自分の身を案じていたまえ。』
顔の見えないテレパスの向こうで、ネイヴが優しく微笑んだ気がした。
会話を終わらせて部屋を見回すと、秘薬の生成準備を終わらせたライラが椅子に座って本を読んでいた。
ライラはスケルトンで、目はない。だが、物質を鮮明に感じ取ることはできるらしく、書籍の文字も難無く読むことができる。生前から読み書きが得意で読書が好きだった彼女は、今でもやはり折りを見ては本を読んでいる。今読んでいるのは、この拠点の書庫で借りてきた、この地方に伝わる物語を集めた本らしい。
『もうお話は済んだの? レノアール。』
「うん。簡単な連絡だけだからね。
さて、精錬を始めようか。」
ふたりの着いたテーブルの上には、品質別に分けられた魔力補給の秘薬の材料の数々。
『今日行った素材屋さん、とても良心的ね。
陳列のうちに劣化したらしい部分以外はほぼ良品だもの。』
ライラの言う通り、確かにいつもよりも品質の悪い素材の選り分けが少ないようだ。
「それはありがたいね。リト達にいい物を渡せる。」
これから作る秘薬は、当面、ディアザルテのメンバー用に引き取ってもらうことになっている。以前ならば生計のために生成していた、選り分けた粗悪素材の再利用で作る低品質の秘薬のことは考えなくていい。いや、その後も商業ギルドに卸す話をしてくれていたのだから、もう作らなくてもいいのかもしれない。
でも。
━━━…せっかく採集されたものだし、使いきらないともったいないよね。
量こそ少ないものの、数本分にはなりそうだ。
自分で使う用にすればいいのだしと、先に手早く精錬してしまう。
「ライラ、これは灰ラベルを付けておれの鞄に入れておいて。」
『ええ、わかったわ。』
ライラが手際よく瓶詰めをしてくれるうちに、本題の精錬に取り掛かる。
秘薬の精錬自体は実に単純だ。
ライラが選別してくれた数種の素材をすり潰して細かくしたものと、飲料用に精製しておいた水とを、レシピ通りに計量して調合し、魔力を通しながら撹拌して濾す。ただそれだけだ。
だが、料理人と素人とで同じ料理を作っても味わいが違うように、精錬する手が変われば秘薬の出来が大きく変わってくる。
また、根本的に料理と違うのは、精錬する人間が変わればレシピが違ってくることだ。
人によって魔力の質が違うため、同じ素材を同じ量使っても、同じ秘薬は出来上がらない。
秘薬を作る錬金術師は、まず、自分の魔力の質に合ったレシピを探り出すことから始めなくてはならないのだ。
そのうえ、精錬の素質がなければ、そもそも秘薬自体が成り立たないとも言う。
誰でもが秘薬生成に携われるわけではない所以だ。
「よし、良い出来だと思う。ライラ、チェックしてくれるかい?」
『品質良好よ。自信を持って提供できるわ。』
その点ノアは、恩師である錬金術師の下で基礎を学ぶうちに自らのレシピを開拓出来た。随分と幸運だったと思う。
出来上がった秘薬をまたライラが瓶に詰めていく。ノアは続けて秘薬の精錬を行い、その都度ライラに品質を確認してもらって、瓶が貯まると青色のラベルを瓶の首に貼っていった。
『そろそろ魔力の使いすぎよ。顔色が悪くなってきたわ。』
調子が良くて一刻ほど精錬を繰り返すうちに、ライラからストップがかかる。
「もうそんなに経った?」
作業としては撹拌と濾過だけなのだが、魔力を持続的に使うため、気付けば魔力欠乏に陥ることがある。ライラを呼び戻す前に一人で精錬していた時は、それで倒れたことも何度かあった。
『ノアは夢中になると時間を忘れるものね。
今日はおしまいにしましょう?』
「そうするよ。じゃあ、これを生成して瓶詰めしたら終わろうか。」
ライラの忠告を聞き、撹拌途中だった精錬中の秘薬を指して頷く。
『そうね。それが終わる頃には多分、メイちゃんかレノちゃんが夕食のお誘いに来ると思うわ。』
言われてみれば、窓の外はもうそれなりに暗い。確かにそろそろ夕食時である。
「じゃあ早く済ませてしまわないとね。」
ミスリルで出来た撹拌棒で容器の中の液体をくるくると掻き混ぜながら、ノアはラベル付けをするライラに微笑んだ。




