鍛練
ティータイムを過ごすと、アルとテルザはすぐに出立の準備を整え、昼を待たずに馬車で館を出た。
それを見送って間もないうちに二人連れの役人が館を訪問し、彼等に書類の束を渡すと、昼食まで思っていたよりも長く間が空いた。
巫術師であるディノも呪術や占術に通じていると出掛けのテルザに教えてもらい、ノアは今度は彼に教えを請うている。
「暇なら鍛練に付き合ってよ、リト。」
そんな時、金属のプレートで表面を覆った重そうな鎧を着込んで腰に二本の剣を佩いたミシェが、二本の剣を携えてリトの元を訪れた。
「俺もリトの剣を見てみたいんだ。頼む。」
彼女の後ろには、同じような造りの鎧とやはり二本の剣を腰に佩いたウィル。話に聞いたリトの剣の腕に興味が隠せない。
「随分と唐突だな。」
「お茶時の話題にリトのことが出たのよ。
最近リトが前衛で剣を振るうところを見ない、ってね。」
フォンが補足すると、リトは首を傾げた。
「そうか? ふむ、確かにここしばらくあまり体を動かしていないかもしれんな。」
ひぃふぅみぃと指折り数えて、自分でも自覚したのだろう、僅かに苦笑する。
「しばらくどころか、一年は戦場で貴方の背中を見ていないわよ。」
「俺、リトが鎧着ている所を見たことがない。」
「それは済まんな。」
これだから時間の流れに疎くなっているジジイはと、ミシェがため息をつく。
「返す言葉もない。」
しかしそれに対して、リトはくっくっくと喉で笑うだけだ。
「…怒って剣を取ってくれていいのよ?」
呆れたように、諦めたように、ミシェが肩を落とす。
「そんな見え透いた挑発には乗らんさ。」
だが…と、リトがゆったりと席を立った。
「たまには体を動かしておかんと、いざという時に剣撃が鈍っていてはいかんな。
ちょうどいい。昼まで鍛練に付き合うとするか。」
「で、結果は?」
「…見ての通り惨敗よ。
何よ、全然鈍ってなんていないじゃないの。」
悔しさと満足感の入り交じった表情で鍛練場に大の字に寝転がるミシェに手を伸ばし、フォンがクスクスと笑う。
「何だよアレ、魔法使わなくてもガチで強いじゃんか…。」
同じく大の字に寝転がったウィルが、呆けた声で呟いた。
「当たり前だ。リトは先の大戦で最前線を生き抜いた強者だぞ。
お前らなど奴から見れば赤子同然だ。」
ウィルに手を差し出しつつ、ディノが笑う。
「びっくりしたー…鎧も着けないなんて危ないと思ったのに…。」
『動きが速すぎてよくわかりませんでした…。』
ノアとライラもディノに促されて見学していた。
三人共通で二本の剣を使う二刀流の剣技だった。フォンによると、アルも同じスタイルらしい。似た剣技の者同士という繋がりがあって親しくなったのかもしれない。
ウィルは豪快に剣を撃ち込むパワータイプ、リトとミシェは舞うように剣を繰るテクニカルタイプの剣士だということだけは、剣技に疎いノアにも辛うじてわかった。
「鎧があればかえって動きが鈍る。
二刀流は防御にも優れているからな、あんなもの、鍛練ではアルとの手合わせでしか着ようと思わん。」
二人を相手にして軽く転がしておいて、リト本人は早々に剣を鞘に収めて涼しい顔をしている。
「言ってくれるわね。今に鎧を着込ませてやるんだから。」
「それは楽しみなことだな。
メイ、ライラ、二人に治癒魔法をかけてやってくれ。午後の仕事に差し支えるといかんからな。」
「ほーい。」
『わかりました。』
所詮は鍛練の負傷だ、純ヒーラーでない二人でも、数回に分けて治癒魔法をかければ彼等を癒すことが出来る。
「それで? 少しは得るものがあったか?」
リトが、ライラから治癒魔法を受けるミシェに向き合って問い掛けた。
「ええ。貴方の剣撃には無駄がない。
それに比べると、私は腕力の不足を補おうと剣に力が入り過ぎて剣先がぶれているのね。撃ち合っていてその差がよくわかったわ。
やはり貴方は私の目標よ、リト。」
「そうか。ミシェの伸びに期待しよう。」
「だったらもっと鍛練に付き合ってよね。」
ふっと微笑んで、ミシェがリトに指先を向けた。
一方、ウィルは沈んだ顔をして自分の掌を見つめている。
「ダメだな、俺。自分が弱いってことしかわかんなかったぜ…。」
「そう思うならば更に鍛練を積めば良いではないか。
お前はまだ若いのだからな、伸び代は十分にある。アルもお前のことは見込んでいるのだぞ。」
深くため息を吐いて落ち込むウィルには、ディノが励ましの言葉をかけた。
「あんなに強いのに、どうしてリトは剣を置いているの?」
鍛練場で見たリトの剣技に、食堂へと向かいながら、ノアはついそんな質問をした。
「簡単なことだ。
ノアはうちの前衛連中が弱いと思うか?」
「ううん。ウィルは自分のこと弱いと言っていたけど、ウィルだって凄いと思った。」
「ああ、私も彼奴が弱いとは思わない。本人は私やアルと比較してしまい力量に不足を感じるようだが、客観的に見て充分な実力を持っているし、我々から見れば伸び代が多くて頼もしい後進だ。
他のメンバーも然りだな。私が前衛に立たずとも、ディアザルテは回る。」
だから、と、リトは続けた。
「実戦の場は彼奴等に回したい。実地の戦闘が一番の鍛練だからな。
私は他に私の出来ることを模索して、彼奴等を見守りたいのだ。」
昼食を済ませると、メイ、ミシェ、ウィルの三人は連れ立って討伐の仕事に向かった。まだ元気の出ないウィルが少々心配だったが、実戦の場になれば芯の入る男だから大丈夫だとリトが言っていたので、きっとそうなのだろう。
対照的に、ミシェは機嫌が良かった。自分の弱点を洗い出すことが出来たから、魔物相手にブレを修整して来ると、昼食時に宣言していた。
いつもと様子が違いテンションが高い。
ウィルよりもミシェの方が心配だと、リトが呟いていた。
「…尾けられているな。人数は恐らく七人。」
レノから紹介してもらっていた素材屋を巡るうち、おかしな気配に気付いて、リトがノアとライラに注意を喚起した。
「尾けられ…って…。」
「相手が手を出して来んことには確証はないが、おかしなローブを着ている。『遮蔽の魔法衣』か…中の人物が読めないとは、なかなか優秀な魔導具らしい。」
「!」
リトの告げたそのローブには心当たりがある。テルザの話に出てきた、魔法を弾く性質を持ったローブではないだろうか。
「さて、どうしたものか。」
「…リト?」
思案顔をしたリトの表情がどこか楽しげなのは、気のせいだろうか。
「ノア、ライラとそのファイターと共に、なるべく人通りの多い道を選んで拠点に帰れ。急がなくていい、振り向かずごく自然に、散策しているようにだ。」
今日はエルフの使役体に短剣だけ持たせて同行させている。その使役体に何やら補助魔法をかけ、リトは拠点の方角を指した。
「え? おれ達だけ? リトは?」
「少し尾行している奴等の様子を窺いたい。
ここで別れる振りをしよう。」
スッと片手を上げて振り、何か興味を引かれるものがあったかのように露店を覗きに行くリト。
困惑しながらも指示された通りに歩き出してみるが、リトが気になって振り返りそうになる。
━━━七人も尾行しているなんて…。
様子を窺うと言っていたが、リトはどうするつもりなのだろう。
『レノアール…。』
不安になったライラがノアにテレパスで話しかけた。
『リトが言うのだからきっと心配ないよ。おれたちは拠点に帰ろう。』
端から見れば、ノアは一人で、ただ自動人形二体を連れているようにしか見えないはずだ。ノアもテレパスで返す。
ともかくも、ノアは大通りをゆっくりと歩く。
今リトはどの辺りにいるのだろう…尾行者とはどのくらい離れているのだろうか?
尾行者のことは知らない素振りでいた方がいいのだろう。
胸がドキドキしている。
けれど、それを面に出してはライラも不安になる。ノアはなるべく平静を装って、ライラと共に拠点を目指した。
人目のある道を選んで通り、ノア達が無事に拠点に着くと、何やらラウンジが慌ただしかった。椅子に掛けたミシェに、メイとディノが何らかの魔法をかけているようだ。
「あ、ライラちゃん手伝って! ミシェが怪我したの!」
気配に気付いて振り返り、メイがライラを呼ぶ。
「ミシェさんが!?」
『っ!』
ライラもミシェの元に駆け寄り、すぐに治癒の魔法をかける。
「ねぇ、リトは? リトも治癒魔法使えるの。」
焦ったようにメイが訊く。
彼女達の癒しの手の先のミシェは目を瞑っていて、顔色も悪い。肩口から胸にかけて血の跡が見える。傷こそ塞がっているが、失血が酷かったのだろうか。
「リトとは帰りに別れて…。」
「なんだ、言わんことではない。
私はミシェに怪我をさせるために稽古をつけたのではないぞ。」
「リト!」
ノアの背後で声を上げたリトも、ミシェに駆け寄り、すぐさま治癒魔法を唱え始めた。
「とは言え、ミシェが手こずるような内容ではなかったはずだ、何があった。」
「雑魚ばかりだったはずの魔物の中に、一匹だけ異常に強いのが混じっていたんだ。
ミシェは俺を庇って…。」
ウィルが呻くように語る。
「…馬鹿ねウィル、貴方を庇ったんじゃないわ…。貴方の獲物を横取りしようとしただけよ…。」
「ミシェ!」
意識が戻ったらしきミシェの声に、全員の視線が集まる。
「みんなありがとう。もう大丈夫よ…。」
「大丈夫ではない。もう少し治癒魔法を受けておけ。」
立ち上がろうとするミシェの手を取り、ディノが彼女を諌める。
「傷を受けてから立ち回ったのだろう?
血が足りていないから治癒魔法の効きが悪いのだ、無理はするな。」
「…わかったわ。」
「目が覚めたのね、ミシェ!」
椅子に腰を下ろしたミシェの元に、湯を張った桶とタオルを持ったフォンとレノが心配そうな顔で駆け寄った。
「良かった…心配させないでちょうだい…。」
「ごめんなさい、フォン。」
今にも泣き出しそうなフォンの髪をミシェが撫でる。
「タオルを貸してくれる? 汚れるから自分で拭くわ。」
「馬鹿なこと言わないで。貴女が怪我をしたっていうのに、私に何もさせない気つもり?」
ミシェの言葉に、フォンはキッと顔を上げると、湯に浸したタオルを絞り、ミシェの肩口から広がる血の跡を丁寧に拭い始めた。
「ミシェさん、もう大丈夫なの?」
メイとライラに後を任せ離れたリトとディノに、ノアが尋ねる。ウィルと四人、ラウンジから離れて食堂に向かっていた。
「本当はもう少し治癒魔法をかけていてやった方がいいのだが…。」
「鎧を脱いで落ち着きたいと言われては、我々男としては、離れざるをえんからな。」
まあ、メイとライラのふたりが付いていれば大丈夫だろうと、ディノが締めくくる。
「ところでリト、ノア達と帰りが別だったが、そちらも何かあったのか?」
「ああ、少々厄介な尾行が付いていたのでな、出方を窺おうかと少し別行動させてもらった。」
「…件の輩か?」
穏やかなディノの目が少しだけ鋭いものになる。
「恐らくは。『遮蔽の魔法衣』などという物を着けていてあからさまに怪しかったのだが、中身は情報を持たされていないゴロツキの寄せ集めだった。」
「接触してきたのか。」
「なに、軽く撫でてやっただけだ。」
しれっとした顔で答えるリトについ目が行ってしまう。
「リト、様子を窺ってくるだけだと思っていたのに…。」
「なかなかフードすら下ろさなかったから仕方ない。
二度も失敗していることであるし、どうやら先方もそれなりに警戒していたようでな、ろくな情報は取れなかったが。」
すっとポケットから何かを出してリトが続けた。
「一応のリーダーと思しき者が教会のシンボルを着けていたからな、まあ出所は同じで間違いなかろう。」
それは、ペンダントに仕立てられていたらしき、シンプルな銀のモチーフだった。




