領主
ノインスファルスらの拠点だという一軒家は、レノアールが露店を広げていた街の大通りに面した一等地にあった。
「…今更だけど、結構大きいクラン?」
孤児であり、今も収入が安定しているとは言い難い庶民のレノアールが気後れするような立派な建物に、ノインスファルスらは彼を招き入れた。
「まだ紹介していなかったか。私達のクランはディアザルテという。仲間と身内ばかりで、人数的にはさして大きくはないな。」
「…って! 確か領主クランじゃないか!」
思わず大きな声が出る。何事もないかのように聞かされた名は、商業許可証をもらう時に聞いた…というか、許可証に記載された、街の領主の私設クランだった。
「ああ、まあそういうこともしているな。
どうせ領主のコロコロ替わる時世だ、そのうちただの身内クランのひとつに戻るさ。」
「アル、来たか。
だが、何だその様は。」
目を白黒させているレノアールに、若い男の声がかかる。
ノインスファルスは眉根を寄せて、アルと呼んだヒューマンの男に叱責の声を上げた。ボサボサの髪から滴る水滴が、上着に染みを作っていく。雑に着込んだシャツの裾も、ボトムスからはみ出ていた。
「いやー、夕べさーディノと飲み明かしちまって、まだ酔いが抜けてなかったもんだから、急いでひとっ風呂浴びて来たんだよ。
悪いわるい。」
「詫びは客人に言え。それが来客を迎える盟主の態度か。」
説教の始まりそうな空気にくわばらくわばらと呟くと、男はレノアールに握手の手を差し出してきた。
「アルフレド=ディアザルテだ。
義妹と妻のことで、腕のあるネクロマンサーを探していた。ぜひ協力して欲しい。」
「あの…領主…様?」
名乗られた名前、それにディアザルテの盟主…つまりは、このだらしない男が、この領地の主、ということだ。
「幻滅させるようで申し訳ない。残念ながらこんなのが、うちの盟主兼現領主だ。…アル、早く会いたかったのはわかるが、せめても髪くらい乾かして着衣を整えて来い。」
レノアールの手をがっちり掴んでぶんぶんと上下に振り回す男…ディアザルテに、ノインスファルスの更なる叱責が飛ぶ。
「へいへーい。
済まないな、うちの爺や様が口煩いから、ちょっと身仕度してくるわ。頼むから待っててくれな!」
誰が爺やだ!というノインスファルスの声から逃げるように、ディアザルテは慌ただしく退室していく。
「リト、爺やだって~」
「一番年上なのはホントだけどね~♪」
少女達が面白がってノインスファルスにじゃれつく。渋い表情は傍目には恐く見えるのだが、少女達には関係ないらしい。
ノインスファルスは、おそらく30より幾分手前だろうディアザルテより多少年上にみえる。ダークエルフの寿命はヒューマンのそれより遥かに長い。だから、見かけのほんの少しの差が実年齢では大きく違うことも予想出来た。だが、爺やというのは言い過ぎだから、からかって言っていたのだろうこともわかる。
少女達のノインスファルスへのじゃれ方といい、どうやら随分と砕けた雰囲気のクランなのかもしれない。
「ねえ、ライラちゃんはスケルトンなの?」
不意に、ノインスファルスの膝の上でマリーアンがレノアールに声をかけた。
「…やっぱりわかるんだね。そう、ライラはスケルトンだよ。
普段は自動人形のふりをしてもらっているけどね。おれの大切なパートナーなんだ。」
ライラ、と声をかけ、そっとその面に手をかける。ノインスファルスらには見えない角度で、マリーアンにだけ、ライラの素顔をさらした。
「やっぱりわたしと一緒なんだね~。
よろしく、ライラちゃん。」
マスクの下には髑髏。普通の少女ならば悲鳴を上げても不思議ではない。けれど、マリーアンは、むしろ好ましそうににっこりとライラに微笑みかけた。
ライラは少し驚いたように指先を口許に寄せ、何か手振りをして、レノアールを見上げた。
「『嬉しい。ありがとう。よろしくマリーアン。』だって。」
レノアールはライラの気持ちをマリーアンに伝える。
「手話か。彼女は本当に生前の自我を宿しているのだな。
わかってはいたが、こうして話すのを見ると、改めて君の才能に驚かされる。」
普通のスケルトンに感情や理性はない。ネクロマンサーの操るそれには勿論、モンスターとしてのそれにもだ。
ライラは特殊なスケルトン、ということになる。
勿論、ノインスファルスにはまだその事は話していない。ノインスファルスのレイターとしての能力は、存外大きいものなのかもしれない。
そして、本当にもうそれをレノアールに隠す気がないのか、読んだ情報をさらりと口に乗せる。
「ライラちゃん、私のことはメイって呼んで。こっちはトレノちゃん、私はレノって呼んでるの。フィリートのことはリトって呼んでるんだよ。アルフレド義兄ちゃんはアルで…」
ライラのことが気に入ったらしいマリーアンがしきりに彼女に話しかける。マスクを戻したライラに各々の方を向かせ、愛称を紹介していた。
「戻ったか、アル。」
「おう。」
マリーアンの紹介に混じった名前に振り向けば、先ほどとは比べ物にならない貫禄を見せる、髪を梳き上げ、着衣を整えたディアザルテの姿があった。
「襟元が濡れてるからって着替えまでさせられてきたぜ。
んで、どこまで話が進んだ?」
確かに初めとは違う、逞しく体躯のいい彼にもっと似合う服装になっていた。これならば、少々年若だが、領主と聞いても納得出来る…が、始めのあれが、彼の素なのだろう。どちらが好ましいかと聞かれれば、ボサボサ髪の方が親近感はあったから、今の姿で最初から出て来られるよりも緊張しなくて済んだなとも思う。
「義妹さんの事情はなんとなく把握しましたが、詳しくはまだ何も。
それよりディアザルテさん、奥様は同席されないんですか?」
マリーアンの姉と聞いた彼の妻、しかしそれらしき姿はない。レノアールの見立てに間違いがなければ、彼女こそが、レノアールが呼ばれた件のキーパーソンであるはずなのだ。
「…妻は今はもういない。しかし、存在している。
長くなるが、詳しい話を聞いて欲しい。そして、俺に…俺達に、力を貸してほしい。お願いする。」
ディアザルテの妻、マリーアンの姉の名は、フェルテルーズといった。
「彼女は君と同じネクロマンサーだった。
だから、俺達はネクロマンサーのことを多少なりとも理解していると思うし、無論危険視などしない。むしろ必要ならば俺達の力の及ぶ限り保護する。まずはそれに関して安心してほしい。」
「では、やはり、マリーアンは奥様の?」
「ああ。メイは一度死んだ。そして、テルザ…フェルテルーズが再生させた…アンデッドだ。」
それは、朧気ながら予想していた告白だった。
マリーアンは、レノアールの傍を、姉と一緒にいるように気持ちが良いと言った。それは、ライラに無意識下で渡しているレノアールの魔力に、マリーアンも馴染んで活力となる、という意味だったのだろう。
「そして先日…テルザも死んだ…。そして…甦った…。」
「戦後の多くの優秀なネクロマンサー達と同じく、リッチとして、な。」
辛そうなディアザルテの言葉を、ノインスファルスが繋いだ。
「一人で出掛けた彼女の正確な死因は不明だ。何せ、リッチとなったとおぼしきテルザはそのまま姿を消してしまったからな。」
フェルテルーズの死亡は、彼女と通信の魔法で繋がっていたディアザルテ本人、そして彼女の使役体にあたるマリーアンの異常からわかったのだという。
「急に苦しくなってね、私はもう一度死んだの。そして、目を覚ましたら、世界が違って見えた。
お姉ちゃんが居なくなったのがわかった。だけど、私と同じものになったこともわかった。」
アンデッド化した…優秀なネクロマンサーにとってそれは、リッチ化したとほぼ同義である…ノインスファルスがそう告げた時、マリーアンにはそれが事実であることもわかったのだという。
「ひょっとしたら、自分が居なくなればマリーアンも消えるかもしれない…それが、アンデッド化への引き金になる心残りと…未練となったのかもしれませんね。」
「私もそうではないかと思う。妹想いの優しい姉だったからな。」
そんな優しい女性が何故急な死と再生に巻き込まれたのか…ディアザルテはひとつ、気になっていたことがあると言った。
「マリーアンの件をどこから嗅ぎ付けたのか、テルザの同輩だという輩が、二人に興味を示して近付いてきていた。」
「同輩? ネクロマンサーがもう一人?」
「ああ、同じ師についた仲らしい。
テルザの方はあまり好きでないようで避けていたが、奴は頻りに二人に会いに来ていた。」
弟子を取れるようなネクロマンサーはもうそう多くはない。
レノアール自身、師と呼べる存在はいない。いや…独学のレノアールに興味を持ち、色々とちょっかいをかけてきた男がいた。その際に彼の知識を分け与えられたとも言えなくはないから、不本意ながら、彼がレノアールの師ということになるのかもしれない。
「その男の名はネイヴ=ミザレ。銀色の長い髪をした、エルフのネクロマンサーだ。」
「ネイヴ?!」
「知っているのか?」
フェルテルーズが好まなかったというのも理解できる。それは、レノアールのもとにも頻繁に訪れていた、あの男の名前だった。
「白い魔法衣を纏い、オリハルコンの杖を持った人物のことなら。
おれもあまり好きになれないタイプだったけど、他人の迷惑など気にせず、自分の望むままに行動する自分勝手な性質で、一時期つきまとわれてた。…いました。」
驚いて思わず乱れた敬語に、ディアザルテの相好が崩れる。
「いいよ、普段通りに話してくれ。俺も敬語ってやつが苦手でな。タメで話してくれた方がありがたい。」
その言葉に、ノインスファルスが額に手をやる。
「貴様はもう少し敬語を勉強すべきだ。それでも領主なのだからな。」
「わかってるってリト。でもなー、レノアールだって話しやすい方がいいだろ?
てか、レノアールって呼びにくいな? 何か愛称とかねえの?」
途端に砕けた雰囲気になるディアザルテ。彼のこのムードが、そのままディアザルテクランの空気になっているのかもしれない。
「愛称で呼び合うような相手っていなかったから…ライラからもレノアールって呼ばれていたし…。」
「んじゃね! ノアが良い!
レノもアル義兄ちゃんもいるから、レノアールお兄さんはノア!」
「それいいね♪ 私達のことも愛称で呼んでよ♪ 私もノアお兄さんと仲良くなりたい♪」
「だよねー! 私はメイね! メイって呼んでくれなきゃお返事しないんだからね?」
しばらくノインスファルスの膝や肩の上でおとなしくしていた少女達が騒ぎだす。それを嗜めるかと思えば、ノインスファルスまで、
「私も同意だな。長らく忘れていたような家名で呼ばれるのはどうも居心地が悪い。せめてフィリート…できればリトと呼んでくれるとありがたい。」
などと言い出した。
「勿論俺のこともアルって呼んでくれ。呼び捨てでいいからな?
ディアザルテってな、クラン名から後付けした名前でな、実家と縁切ってるから、本当は家名ってもんがないんだ。」
ディアザルテにはそんなやつが多いんだよなと、ディアザルテ…いや、アルが笑う。
ノインスファルス…リトも頷いて、膝に乗るメイの頭を撫でてやっている。
「じゃあおれもそう呼ばせてもらいます。
ノアって呼ばれるのには少し慣れるのに時間がかかるかもしれないけど。」
照れくさくて笑えば、皆が嬉しそうな表情をしてくれる。
━━━…なんでおれなんかを、こんなに歓迎してくれるんだろう…。
不思議に思ってリトを見ると、リトもまた、ノアを見つめていた。