一夜
「それにしても、ぼくにも興味深いよ。
キミのライラも随分と魔力消費が少ないようだが、マリーアンはほぼ普通の人間と変わらないレベルだ。
錬金術の腕も研いているのは知っていたが、まさかこんな形で死霊術に応用するとはね。」
いつの間に淹れたのかコーヒーを振舞いながら、ネイヴは書斎らしき部屋で3人をもてなしてくれた。
ネイヴは、エルフという種族的にも恵まれた豊富な魔力にものを言わせてクズ魔石程度の魔力媒体からでも自在な使役を可能にする、使役術のスペシャリストだ。
今でこそ、ネイヴのようにとまではいかないまでも、通常の使役術での即興的な使役を行うことはそれなりに熟達してきただろう。だが、使役術を実践し始めた頃のノアの非力な魔力では、そんな力業は到底真似出来なかった。
本来ならば十分な修業がいる術なのだ…それを早期に習熟したいがために、同時に学んでいた錬金術で魔石の質の面から補おうとしたアプローチが、今のライラやメイの媒体に活かされている。
あの時、魔力の力量不足に諦めたりしなかったからこそ、ライラを取り戻すだけで良かったはずのノアの死霊術が、圧倒的な高みに感じられたネイヴをも唸らせられる結果に繋がっているのだった。
「だが、危険な技術でもあるね。
悪用を考えれば、ネクロマンシーに何の知識も持たない者でも、永久機関のアンデッドを手に入れることも出来てしまう。」
「うん。わかってる。
これは秘匿すべき技術だと思っている。」
ノアがキッパリと答えると、ネイヴは実に満足気な表情で頷いた。
「ぼくもそうすべきだと思うよ。
マリーアンの件は最小限の人間だけの秘密にするべきだ。
そもそも、マリーアンが使役体だということも、テルザがリッチ化したことも、まだ隠しているんだろう? 魔剣士君。」
リトが呼ばれたのはディアザルテ側の対応を語り合える存在が必要だったから、なのだろうか? ネイヴがリトに問い掛ける。
「フィリート=ノインスファルスだ。
触れ回れる話ではないからな。今の所はまだ二人共別状なく過ごしていることになっている。」
「うん。まぁ、妥当な対応だよね。
ノインスファルス君って呼びにくいね、ぼくもリト君と呼んでも良いかな? リト君とアークシェル君が優秀だから、安心してテルザを帰すことができるよ。
アルフレドは正直者過ぎて、そういった方面には少々頼りないからね。」
コーヒーを啜りながらネイヴがリトに視線を向ける。リトもネイヴに視線を返した。
「『リッチの研究』とやらはいいのか?」
「眠るテルザをもう3ヶ月以上も観察してきたからね。彼女の性質を考えれば、このまま平穏に過ごせば当面はなにかしら動きがあるとは思えない。
それなら、家族の元に帰して、異変があったら連絡をもらえればいいと、テルザとも話し合ったよ。」
アンデッドと化しても受け入れてくれる家族がいるんだから、彼女からの危険がなければ戻った方がいいに決まっているだろう? ネイヴはそう言うと、すっと指先をリトに向けた。
「但し、彼女自身はまだ危険かもしれないからね?」
「教会関係者らしき刺客の話だな。」
「レノアールも死霊術はできるだけ秘匿しておいた方がいい。キミは元々死霊術師だということは公にしていないから大丈夫だとは思うけどね。」
老師に師事していたのはその筋では知られているからか、ぼくの方にはそれらしきのが仕事先に現れたよと、ネイヴがうっそりと笑う。
「まあ、見ての通りぼくは無事だし、彼等には使役体として仕事で活躍してもらったけどね。」
ネイヴがさらりと語る内容に、リトは特に何も言わなかった。
けれど、ノアは少し鳥肌が立つのを感じた。
そうだ、彼等の生業は『傭兵』なのだ。人の死とも近しい場所に立つ人間なのだった。
事実上は死霊術師とはいえ、基本的に平和な街中で錬金術師を生業としているノアは、直接的に人の死に接したことがない。
使役の礎体としての死体にはネイヴの『実地訓練』で馴れてきたし、自分の使役するスケルトン達にもアンデッドへの忌避感を感じることはなくなった。
ライラやメイ、テルザに至っては、アンデッドということすら忘れて接している。
けれど、『死』はまた別の話なのだった。
顔色の悪くなったノアを見やり、ネイヴが苦笑を浮かべる。
「相変わらずネクロマンサーとは思えない反応だね、レノアールは。」
「…どうした、ノア。大丈夫か?」
ノアの不快にピンとこないのであろう、リトがノアの肩に手をかけ、顔を覗き込む。
「大丈夫、なんでもないよ。」
返すノアの顔色は真っ青だ。寄り添うライラも心配そうで、リトは原因を求めてネイヴを見据える。
「レノアールは善良だからね。刺客達がどういう経緯を辿って使役体になったのかを考えてしまった、というところだろう?」
クスクスと笑うネイヴ。彼の、ノアが苦手な面が顔を覗かせかけていた。
「ぼくだって死にたくはないからね。命を狙われたら容赦はしないさ。
レノアールも、もし襲われたら躊躇っちゃいけないよ? 自分の命は自分自身で守らなくちゃね?」
ノアは『死』が怖い。
ライラの『死』に抗いたくてネクロマンサーの道を選んだのだ…その自分が人の『死』を生み出すなどということは、ノアにとってこの上ない恐怖だった。
ノアとて、戦闘を経験したことがないわけではない。
魔物や野獣が相手ならば普通の攻撃魔法だって撃てるし、スケルトンをけしかけて殲滅することも出来る。
旅路で野盗に出くわすことだってある。護衛のスケルトン達と共に魔法で応戦したことだってもちろんあるし、そうでなければ今こうしてこの場に居ないだろう。
けれど、ノアはこれまで人を相手に致命的な傷を負わせたことはない。
大抵の野盗は、圧倒的な戦力差を見せつけてやれば簡単に逃げ出す。誰だって自分の命が惜しいものだ。
だからノアは、序盤になるべく派手な広域魔法を放って相手を威嚇することにしている。
それでも向かってくる賊には、スケルトン達を前衛に、精神に働きかける『呪い』の魔法を使う。
あるものには恐慌に陥る呪いを、あるものには体の自由が利かなくなる呪いを。時折見掛ける魔術師には、沈黙の呪いを。
それは、使役術に傾倒するうちに忘れられつつある、本来の呪術師・占術師としての死霊術師達特有の魔法だった。死霊術を研究するうちに必然的に覚えたそれを、ノアは自衛手段として選んできた。
見知らぬ魔法への恐怖や恐慌の呪いの効果で、賊は三々五々逃げ出していく。一部が崩れれば、野盗など脆いものだった。
「…もう大丈夫。」
コーヒーを飲んで落ち着き、深呼吸をして、リトに声をかけると、ノアはネイヴをじっと見据えた。
「テルザさんを襲った賊は魔法を封じる魔法衣を着込んでいたんだろう?
ネイヴはどうやって応戦したんだ?」
同じ出所の賊であるのならば同じ装備品を着用していておかしくない。対策は聞いておきたかった。
「簡単さ。使役体に始末させればいい。
テルザは街中で襲われたからスパルトイ一体しか連れていなかったけれど、ぼくは仕事中だったから、それなりに使役体を連れていたんでね。」
まあ、あの程度のローブ、ぼくにはあまり関係ないけどねと、ネイヴは締めた。
事実、ネイヴの実力的に、生半可なアイテムで彼の魔法を封じることは出来ないだろう。彼はあらゆる魔法に精通した、オールマイティーの魔術師でもあるのだから。
「レノアールの場合はとにかく一人にならないことだろうね。
テルザはアルフレドが守るだろうから、キミは外出する時にはリト君に同行してもらえばいい。
彼は間違いなく腕の立つ剣士だよ。」
「『壊滅のネイヴ=ミザレ』にそう評価してもらえるとは、私の腕も捨てたものではないらしい。」
壊滅…それは、標的には容赦なく、全てを一掃するネイヴについた、戦場での渾名だった。
おそらくは使役術を目撃した者は統べからく『始末』するため、それだけ徹底的な掃討を行うのだろう。
また気分が悪くなりそうなのを堪え、ノアはリトを見る。
「おれ、倉庫に旅の護衛用の自動人形を模したスケルトンを預けてあるんだ。引き取ってきてもいいかな?」
リトはこくりと頷いてくれた。
「街に帰ったら一緒に引き受けに行こう。だが、なるべく独り歩きはしない方がいい。
彼の言う通り、外出する時には私が同行する。いや、させてくれ。
…もう、テルザの時のような思いをするのは御免なのだ。」
「じゃあ、みんなはこちらの部屋を使ってくれるかな?」
ネイヴが案内してくれたのは、ベッドが二つとソファがひとつずつある三間だった。ネイヴはあまり物を置かない質のようで、リビングと書斎兼寝室以外の部屋は、全てゲストルームとして普段は空き部屋にしているのだと言った。
「私はお姉ちゃんの部屋で一緒に寝る!」
「俺もソファでいいから、ふたりと同じ部屋で寝ていいか?」
テルザと離れがたいのか心配なのか、アルが少々女々しいことを言い出す。
「じゃあ、私はお姉ちゃんと同じベッドで寝るから、アルはもうひとつのベッドで寝ていいよ。」
さっくりとメイが答え、三人は一緒の部屋で眠ることにしたようだ。つくづく、仲の良い兄妹である。
「ならばノアとライラで一間、私が一間借りるとするか。」
苦笑しながらリトが扉を開けて部屋に入る。
ノアも隣の部屋に入ると、ライラを招き入れた。
「なんだか、同じ部屋で休むのはひさしぶりだね。」
二人きりで旅をしている間は、ライラが自動人形のふりをしていることもあり、シングルの部屋で一緒に過ごしていた。そんな時、別段眠る必要のないライラは、ソファで仕立て物や繕い物をしたり本を読んで過ごすことが多かった。
しかし、最近はずっとライラはメイの部屋で寝泊まりしていたから、久々にライラと寝室で二人きりというのがどこか少し気恥ずかしい。
『そうね。なんだか照れ臭いわ。』
男女で同じ部屋と言っても、ライラはスケルトンだ。特に何かあるわけではない。
それでもやはり、二人ともなんだか少し落ち着かなかった。
少しずつ旅の思い出や、ディアザルテの女性メンバーの話を聞いたりしているうちに夜も深まり、あまり眠れないまま、ノアは朝を迎えた。
「おはよう。ベッドが合わなかったかな? 寝不足の顔をしているね。」
コーヒーの香りに誘われてリビングに向かうと、テルザとメイが朝食の準備をしている横で、ネイヴが豆を挽いている所だった。
「いや、大丈夫。それにしても、ネイヴは本当にコーヒーが好きだね。」
「ぼくの唯一の趣味さ。まあ座りなよ、もう挽き終わるから、すぐに淹れてあげるよ。」
ネイヴは、きちんとした喫茶か、自分で淹れたコーヒーしか飲まない。
そんなネイヴと付き合ううちに、ノアもコーヒーの味の良し悪しがわかるようになった。正直、ネイヴの淹れたコーヒーは、そこいらの喫茶店のものより美味しく感じる。
やがて目の前に差し出されたコーヒーを一口啜る。
「うん、美味しい。目が覚めるよ、ありがとうネイヴ。」
「どういたしまして。リト君もどうぞ。」
いつの間にかノアの後ろに立っていたリトにも、ネイヴはコーヒーを勧める。
「朝食も出来たわ。メイ、アルを起こしてきてくれない?」
「うん、わかった!」
どうやらまだ寝ているらしいアルを呼びにメイがゲストルームに向かうと、じきにぼさぼさ頭のアルが欠伸をしながら出てきた。
「おはよーさん。」
「アルったら、そんな成りで…もう。」
一晩ですっかり距離を埋めたらしき夫婦がいちゃついているのを横目に、身仕度でノアより遅れたライラと、櫛を持ってきたメイもテーブルにつく。
平和な一日の始まりだった。