午後
「これらが魔石の原料となるのか。」
「うん。合成比率で魔力の波長が変わるから、それを利用して出来るだけメイちゃんの魔力に馴染むような素体を作る。
その時はライラに手伝ってもらって錬成するつもりだけど、今はまず、素材の純度を精錬で上げることと、土台の紋様の改良かな。」
帰還後、女性陣の話題が盛り上がったのを幸いにアルの言及を避けて、ノアとリトは共に錬金術の工房に篭っていた。
パラパラとノートをめくり、土台の改良案のいくつかを粘土で作成して手持ちの魔石で試しながら、ノアは紋様の精度を確認していく。
衣装や装備品については、ライラ用に仕立てた時のパターンを少し手直ししたものと、荷物の中に残してあった錬成によって魔力を封じた特殊な糸などをトマに渡してお願いしてあり、服飾職人に連絡を取って製作を始めてくれている。
紋様や魔方陣を施す必要があるから時間がかかるかと思ったが、服飾職人は手始めの魔法衣は三日で仕上げてみせると豪語してくれたという。頼もしい知り合いがいるものだ。
トマはトマで、メイの手持ちの短杖の改良や、靴などはアダマンタイト製のチャームを付ける形で、細々と魔力を封じ込める紋様を施してくれる手筈だ。
「凄いな。このような守り方があるなど、我々は考えもしなかった。」
装備品の資料に目を落とし、感心した声でリトがノアに語りかける。
「テルザさんも凄いよ。強化魔法で身体維持を補助したりなんて、おれも全然気付きもしなかったもん。」
テルザのノートから得た知識も、早速ライラに試してもらっている。ライラ自身が使える魔法だったからすぐに試行ができた。メイも、自分で毎日強化魔法を維持しているらしい。自分のことであれば切らすことなくかけ直せるから、それぞれが僧侶系魔術師で良かったと思える。
こうしてみると、同じ死霊術師と言っても、それぞれの視点の違いが研究成果にはっきりと違いを持たせていて面白い。
ノアは、錬金術も修得している関係から、物理的なアプローチでライラを保護してきた。
テルザは、妹のメイが僧侶のためか、はたまたメイが生きているのと相違ない身体を維持しているためか、肉体的なケアに重点を置いていた。
お互いの研究成果がそれぞれを補い合い、相乗効果をも期待できるだろう。今はそういう段階だった。
ラウンジでは、取り残された男性陣が、お目付け役の女性陣がいないのをいいことに誰からともなく酒盛りを始めていた。
「まだこんなに日が高いのに。」
「率先して飲み始めてる一番のザルが言う台詞かっつーの。」
呆れたアルの言葉通り、かなり強い酒にも関わらず、カークのグラスはとうに飲み干されている。
「ディノやトマの方が飲むでしょ。」
オークであるディノやドワーフのトマは、そもそも種族的にヒューマンよりも酒に強い傾向にある。必然的に彼等の酒盛りは長い。
「お前は途中で切り上げるから私達の方が長く飲んでいるだけだろう。」
同じくグラスを空けて次を注いでいたディノが、カークにも酒瓶を向けながら笑う。
「いくら飲んでも素面同然のお前さんの方が強いと思うぞい。一度潰れるまで飲み比べするか?」
酒瓶ごと飲んでいるトマもにやにやと笑いながらカークを挑発する。
「遠慮するよ。ぼくは潰れるわけにはいかないもの。
ちゃんと適量を弁えているんだよ。」
微笑み返しながらグラスに酒を受けるカークの言葉に、ウィルは呆然とした顔をしていた。
「…適量って…。」
皆は平然と生で飲んでいるが、ウィルはそれを割って飲んでいる。それでも3人のペースの方が早いのはもう慣れたつもりだったが、自分の知るカークの酒豪と言っていい飲みっぷりがまだ自制段階だったとは…ウィルは既に何やら頭痛のする思いがした。
「そういや、ノアって飲めんのかな?
食事中もあんまり飲んでる印象ねーけど。」
酒よりもまずは肴の方を楽しんでいたアルがふと呟く。ちなみに彼は、序盤は割って飲んで食事を楽しみ、腹が膨れてからだんだんと度を強くしていくタイプだ。
「見た感じ、酒に酔うより書物に酔うタイプだよね。」
「じゃの。今は酒より学びの方が楽しいのじゃろ。」
理解のある言葉を放つふたりも、それは通ってきた道だった。
自己研鑽が楽しいうちは、酒の酔いなど邪魔なだけだ。
特にカークは、追って自らが大して酒に左右されない体質なことを知り、今ではこうして仲間と大いに酌み交わすこともあるけれど、若い頃はノア同様あまり酒を口にしない性質だった。
「本人が好んで飲まないでいるんだから、みんな無理にお酒に誘わないようにね。」
「ほーい。」
アルの適当な返事を筆頭に、皆頷く。
「わしもノアを見習って、早々に切り上げて工房に戻るとするかの。」
「いや、爺さんは工房に篭りすぎだから。
せっかく巣から出てきたんだから、もちっと居ろって。」
酒瓶を抱えて工房に戻ろうとするトマへの素早いアルのツッコミにも、これまた一同頷いた。
「…私達がいないとこれだから…もう、うちの男共は…!」
ラウンジにミシェの引きつった声が谺する。
「よ~う、おかえり~。」
「あはは。ごめん、ミシェ。」
空の酒瓶の散乱する部屋、食い散らかしと言わざるを得ないつまみの飛び散ったテーブル。
ウィルに至っては、まだ夕時だというのに、潰れてソファーの肘掛けに突っ伏して眠ってしまっていた。
「カーク、ウィルに浄化かけてあげて。
そしたら、アルとディノはウィルを部屋に運ぶ! トマ! しれっと逃げ出さない!」
ミシェがてきぱきと後始末の采配を振るう。男性陣は首を竦めながらも、素直にそれに従った。
「アルったらずるーい。私も一緒に飲みたかったなー。」
「おう、今から飲み直すか?」
「フォン、図に乗るからそういうこと言わないの。」
女性陣一番の酒好きのフォンの言葉に溜め息を吐きながら、ミシェがトマに手伝わせて酒瓶を回収していると、舘付きのメイドが申し訳なさそうにミシェの傍に歩み寄った。
「すみません…。」
「いいのよ、貴女は悪くないわ。どうせアルがおつまみの用意だけ頼んで後は下がっているよう言ったんでしょう?
貴女は職務に忠実だっただけだもの、気にしないで。」
恐縮するメイドに酒盛り組以外の分の夕食を頼むと、ミシェは優しく彼女を送り出す。
「そう、悪いのはうちの飲んべえ共よね。
良識人がいるから油断してたけど、貴方も酒飲みなの忘れてたわ…。」
飲んでも酔って見せないせいですっかり失念していたわとミシェがぼやく。苦笑しながら、カークはテーブルの上を片付けていた。
「うわっ、なんかお酒くさい。どうしたの?」
「あ、ノアお兄さん。アル達がねー、みんながいないうちにお酒飲んで盛り上がってたみたい。
いまお片付け終わったところ。」
華やかな声の賑わいとライラの気配が届いて女性陣が帰って来たことを知り、一段落付けてからノアとリトがラウンジに戻ってくると、そこには微妙な空気が漂っていた。
「全く貴様等は…。」
ラウンジでは、潰れて部屋に運ばれたウィルを除いた酒盛り組の面々が、酒の匂いをさせて苦笑している。
「まあまあ、リト。お説教はもうミシェから聞いたばかりだから。」
本当に飲んでいたのだろうか、素面同然のカークがリトを宥めると、リトがカークに白い目を向けた。
「三本は空けたな?」
「あ、やっぱりわかる?
もうちょっと自重しないとね。今日は時間があったから、ちょっと飲みすぎちゃったよ。」
カークはくすくすと笑いながら答えているが、彼等の普段飲んでいる酒の瓶はそれなりに大きかったはず…ノアは言葉が出なくなってしまった。
「貴様が三本ということは皆で1ダース前後か。
ミシェが怒るのも当然だ。反省しろ。」
「えっ? みんなで三本じゃないの?!」
「水を飲むより酒を飲む方が早いザルが三名ほどいるからな。」
さらに驚く言葉に聞き返すと、リトは当たり前のように答えてくれる。ノアとしてはさらに絶句の限りだった。
「というわけで、飲んべえ共は夕食抜き。
どうせおつまみとお酒で入らないだろうから、罰にはならないでしょうけどね。」
「酔いざましにお茶くらいは付き合わせてもらえると嬉しいな。」
「…カークの場合は仕方ないわね。」
贔屓だーだの、カークだけずりーだの喚くアルと、苦笑するばかりのトマとディノ。カークは澄ました顔で食堂に同行する。
「んじゃわしは工房に帰るとするか。」
顔は多少赤らんでいるが、しっかりとした所作でそう酔って見えないトマ。
「私は本でも読んで時間を潰そう。」
濃い緑の肌で顔色は窺えないが、本人としては深酒が過ぎたなと自覚のあるディノ。
「ひーまーだー! もう寝てやる!」
完全に酔っぱらい思考だが、絡む悪癖はないアル。
残された三人は三者三様、自室と工房に戻って行く。
もちろん、飲み直しはミシェから厳禁を食らっていた。
本当にお茶を飲みながら談笑に交じるカークを、ノアはついまじまじと見てしまう。
「彼奴は特異体質だからな、気にしたら負けだ。」
そうは言われても、ミシェと財務や倉庫のストック等の細かな数字の出てくる会話をすらすらとこなすカークの様は、本当にお酒を飲んだ後なのかと疑問に過ぎる。
「多分一時的なものに落ち着くとは思うけど、例の戦役での酒税の上昇でどこも消費が冷え込んでいるらしいからね。
次の仕入れはなるべく分散して、量も各自多めにみてあげて欲しい。」
「貴方のことだから考えがあってのことだとは思ったけど…。
了解。考慮しておくわ。」
ひとつのクランの消費など、高が知れているだろう。それでも、市井に目を向ける姿勢が大切なのだ。領主クランであるなら尚更のことだった。
「じゃあ、私も飲んでもいーい?」
「飲み過ぎちゃダメよ? 貴女の体と喉のためなんだからね。」
ミシェのお冠ムードに自制していたフォンが、やったぁとさっそく食前酒のグラスに手を伸ばす。
「エルフにとってお酒は命の水だもの、平気よ。」
クイッといい飲みっぷりを見せるフォンに、ミシェがため息を吐いた。
「そんなのヒューマンが『酒は百薬の長』とか言って体壊すのと同じ迷信よ。」
「そうそう。過ぎたるは及ばざるが如しとも言うしね。」
「貴様「「貴方が言わない!」」言うな。」
余計な一言に総スカンを食らって、カークは苦笑しながら首を竦めた。
「レノちゃんの髪飾り可愛いね。ライラもお揃いのブローチだ。雑貨屋で見つけたの?」
「うん♪ 新しいお気に入り~♪」
『レノちゃんが見立ててくれたのよ。』
「髪を切って来たのか。皆よく似合っている。」
「あら、ほんの少しだし結っていたのによくわかったわね。
嬉しいわ、ありがとう。」
「リトすごーい! アル達だったら絶対気付かないよね!」
「フォンの靴も今日の戦利品かな? 薄緑のドレスと合ってステージ映えしそうだね。」
「そう! あれと合わせるつもりで買ってきたの。
明日の夜のステージで一緒に着けようと思って履き慣らしているのよ。」
午後のお出かけは相応に楽しかったようで、たまたま揃った目端の利く男性陣三人組の言葉に微笑みが広がる。
「そういえばフォンさんって歌手なんだっけ。」
「ええ。普段は傭兵の仕事の合間にカフェや酒場で歌っているわ。今日は調整期間でお休みだけどね。」
竪琴を掻き鳴らすジェスチャーを見せながら、ノアの問いにフォンが答える。
「明日の夜の演奏会のようにホールに出演することもあるし、前線の夜営で慰安の歌を歌うこともあるな。」
「本当は傭兵なんかしなくても、歌一本でも生きていけるのに。この娘ったら。」
困った微笑みでフォンを抱きしめるミシェ。フォンもそれをゆったりと享受しながら微笑む。
「それでも私は剣士よ。歌も剣も私の誇り。どちらも失えないの。
欲張りなんだから、私。」
クスクスと笑うその笑顔は自信に満ち溢れている。人生を最高に楽しんでいる笑顔だった。
「カッコイイね、フォンさん。」
素直に思ったことを口にすると、フォンが本当に嬉しそうにはにかんで見せた。
「ありがとう、ノア君。」
作中に、各キャラクター達が酒を嗜む描写がありますが、この世界には年令で飲酒を制限する法はなく、アルコールが及ぼす害について詳しく研究がなされていない(科学が発達していない)という設定に基づくものです。
現代日本では未成年者の飲酒は法律で禁じられております。
また、アルコールの及ぼす害も既知の通りです。
アルコール摂取を推奨するものではなく、あくまで世界観を楽しんでいただきたいためのものであることを明記しておきます。
成人以降のみなさまも、百薬の長なのは規準量を守れる範囲内だけですからね~!(笑)