秘密
「そういうわけで、テルザはぼくの拠点にいる。
誓って言うけど、ぼくは彼女を見守ることしかしていない。触れれば見ての通りの痛い目をみるんだ、手出ししたくても誰も何も出来ないよ。」
わざとテルザに触れてきたとその指先を見せられれば、治癒魔法で軽く処置はしてあるが、容赦ない攻撃魔法を食らったとおぼしき傷が手首の辺りまで及んでいた。
ふたりに見せてから、ネイヴはさらに治癒魔法を傷に施す。少しだけ傷が薄くなるが、完治させるには時間のかかりそうな裂傷だった。
「テルザとの約束だから居場所は教えられないけど、今のところ魔物化の兆候は全く見られない。」
だから安心してよと、ネイヴは語る。
「だけど、ある話をしてから、彼女は眠りから覚めることもなくなった。」
「ある話?」
「彼女はリッチであることをやめたいと…端的に言えば死んでしまいたいと望んでいた。」
リトが目を見開いてネイヴを見る。当然だ、そこまで思い詰めていたテルザを思えば、会ったことのないノアだって胸が苦しくなる。
「だが、その身を滅ぼしたいと願うならば、それはぼくの知る限り、この界隈ではケイデリオ=アークシェルくらいにしか為せないと教えてあげたんだよ。」
ネイヴの言葉を聞き、リトが不可思議を顕にしてノアを見る。
ノアはただ、こくりと頷いた。
「記録では、リッチを滅ぼすことに成功しているのは、高位の僧侶の聖魔法のみだとされているんだ。
だが、幸か不幸か、この辺りは教会の勢力が強いわりにろくなプリーストが派遣されていないからね。教会に巣くっているのは、研鑽よりも地位や名誉を尊ぶような、名ばかりの高位僧の輩なんだよ。」
人間性に問題はあるが、研鑽や修練においては間違いなく熱心で自分にも他人にも厳しいネイヴだ。そのネイヴがそれを実現できるのはカークだけと断じたのだ、それが現実なのだと信じられる。
リトもカークのことを、近隣に類を見ない優秀な治癒術師だと教えてくれた。逆を言えば、彼に及ぶようなプリーストがこの近隣にはいない、ということになる。
教会の内情も、よほど彼等の評価を下げるに相応しい状況なのだろう。
「彼にそんなことを頼める訳がないと、彼女は泣き崩れてしまった。そしてそのまま、眠ったように意識を閉ざしてしまったんだ。それからもう3ヶ月が経ったことになるかな。」
「何故今頃になって、こんな大切なことを話す。」
怪訝な表情でリトが問えば、ネイヴは呆れたような顔をしてそれに答えた。
「キミ達の所にレノアールが来たからに決まっているだろう?」
用意されたサンドイッチをつまみ、ふたりにも促しながら、ネイヴはノアに視線を移す。
「テルザはぼくに言ったんだよ。『貴方も気を付けて。』とね。
死霊術師が狙われ実際命を落としているんだからね、レノアールにも当然伝えておくべきだろう。」
だけど、テルザが拒んだことだからアルフレドを通したくない。言うと、ネイヴはハーブティらしきお茶でサンドイッチを飲み下す。
「だから、誰にも言わずに出てこいって言ってたのか。」
「そこの魔剣士君は来ちゃったけどね。まあ、レノアールの素直さを考えると、事情に詳しくて秘密を共有出来る相手のひとりくらいいた方が良かったからいいんだけど。」
一通り話して、肩の荷が降りたような顔をするネイヴ。彼のことだから全てが本当のこととは言いきれないが、大方のことはしゃべってくれたのではないかと信じたくなる。
「ではこちらからも情報を提供しよう。
テルザの妹、メイは、まだ自律を保って身体を維持している。テルザにそう呼び掛けてくれ。」
「ほぉ? 3ヶ月も離れているのにかい?」
リトの言葉に、ネイヴは興味を引かれたようだった。
「ああ。確かにメイは『生きて』いる。まだ未熟者のメイには姉の存在が必要だ。」
たいした情報は含ませず、リトはネイヴに事実のみを伝えた。
「やはり面白いね、彼女の存在は。
一度使役主を失なったことで、魔物のアンデッドに近い性質を得たのかな?」
実に興味深い…薄く笑うネイヴの表情は、ノアのよく知る研究に思考を飛ばした時の癖のようなもので、少しうすら寒い。
暫し考えて、ネイヴは口を開いた。
「まあ、テルザには語りかけてみるよ。
でも、目覚めさせることは、彼女を魔物化させるのを早めることになるかもしれない、ということだけは、覚悟していたまえよ。
リッチになり高まった魔力の過剰行使…使役体への魔力の譲渡も含まれるだろう…それが、リッチが自我を失い魔物へと変貌する鍵だと、ぼくは推測しているんだからね。」
結局は情報交換に終わった再会に、ノアはほっと胸を撫で下ろす。
「随分緊張していたな。」
「言っただろう? あんまり好きになれないタイプだって。
今日は随分と控え目だったけど、あれ、リトがいたから本性隠してただけだと思うよ。」
眉根に皺を寄せながら言うと、リトも苦笑しながら続けた。
「確かにテルザも苦手そうだったな。しかし、そんな人物の元にテルザがいるとは…。」
それだけ捨て鉢になっていたのか、銘々の言葉にどこか齟齬があるのか…考えていると、リトの動きが止まった。
「リト?」
「アルからのテレパスだ。」
『やっと捕まった! お前ら一体どこに居たんだよ。』
『悪かったな、遮音の結界の中だ。
ノアの知己と、あまり触れ回れない話をしていたものでな。』
『どんな?』
『触れ回れないと今言ったばかりだろう。
これから戻る、心配はない。』
さっくりとテレパスを切ると、ノアが不安そうな表情をしていた。
「ノアの知己と話をしていただけだと伝えた。
内容には触れていない。」
「…アルに言わなくて、本当にいいのかな?」
「テルザの安否はさておき、前後については私達が軽々しく語っていい内容でもないからな。
テルザが意識を閉ざしている限り進展もない。皆の不安を煽るだけの言動はよそうと考えている。」
本人も釈然としていないようだが、現状では確かにそれがベターなのかもしれない。無事だと伝えてしまえば、全て話さなくてはならなくなる。
テルザはそれを望んでいないという。じれったいが、彼女が目覚めてくれない限り、出来ることは何もなかった。
ライラを連れて来ていなくて本当に良かった。
女性が居れば話すこと自体避けたかもしれないが、彼女も命を喪った時に乱暴を受けている。それを思い出させるようなことは、耳に入れたくなかった。
未だ大戦後の復興の混乱の残るこの世界、それが珍しいことでないとしても…だ。
「そうだ、ノア。私とテレパスの契約を交わしてくれないか?」
拠点への家路を帰りながら、リトがノアに提案する。
「今回みたいな心配をもうしたくない。
ノアが嫌なら仕方ないが、私はノアといつでも連絡できるようにしておきたい。」
「嫌だなんてそんなことないよ。もちろん契約を承ける。」
真摯な言葉に、ノアは慌てて返事をした。
リトの口許にわずかに笑みが浮かぶ。
そして、その笑みの形のまま、リトは契約の魔法の詠唱を始めた。
《我フィリート=ノインスファルスは、汝レノアール=カザレスに請う。
我に、汝と垣根無く語り合う権限を与え給え。》
呼ばれた名にノアが驚いた目を向ける。
だが、すぐに納得した表情で呪文に応じた。
《我レノアール=カザレスは求む。我と汝フィリート=ノインスファルスが、垣根無く、共に語らう友たらんことを。》
ふたりを囲うように魔方陣が浮かび、それがゆっくりと収縮していく。
魔法が定着したのを見計らい、ノアはリトに微笑んだ。
『リトってやっぱり本当に鑑定師なんだね。
急に本名呼ぶんだもん、びっくりしちゃった。』
目の前に居るけれど、契約の効果の確認も兼ねてテレパスで語りかけてみる。
『ああ。ノアに隠し事をするつもいはないから明言しておこう。
私は鑑定の能力持ちだ。別に心が読めたりはしないから安心してくれ。』
リトも、冗談混じりに誤解されやすいレイターの能力を取り上げて返してくれる。
『そっか、おれそういえば、カザレスって姓だったんだな。
リトが呼んでくれて、ようやく思い出したよ。』
カザレス…それは、孤児院に引き取られた時にも思い出せなかった、ノアの本来の姓だった。
もう15年近くも忘れていたそれが、己の中にあったことが嬉しい。それは、もう面影も忘れかけていた家族のことを思い出させてくれた。
「リト、ありがとう。」
「礼を言うのはこちらの方だな。テレパスを承けてくれて嬉しい。」
互いに微笑み合い、ふたりは自然と握手を交わしていた。
もう少しで拠点へとたどり着く頃。
「テルザさんがメイちゃんにあまり魔力を使う必要がなければ、テルザさんが魔物化するのを遅らせる…いや、させないことも可能なのかな?」
ノアは道々考えていた考察をリトに告げた。
「メイちゃんの魔力消費を抑えて、テルザさんの負担を軽くできれば、魔法をあまり使わない前提でいれば、テルザさんも普通の生活ができるんじゃないかな?」
ネイヴの語った魔物化のトリガーが魔力の過剰行使という説が正しければ、魔力を使わなければ魔物化しないと言い換えることもできる。
事実、意識を閉ざして眠りに就いている現状で、テルザにその兆しも見られないと言うのだ。可能性はある。
「そうだな。そうあってほしい。」
リトも同意して頷いてくれる。
「おれ、必ずメイちゃんに媒体を作るよ。
テルザさんが意識を取り戻してくれたら安心して帰って来られるように、出来るだけのことをしよう。」
そう宣言をして、ノアはリトを見上げた。
「おかえりー!」
「遅かったわね。昼食は済ませたの? 何か作りましょうか?」
拠点の館に帰ると、女性陣を筆頭に、次々とメンバーが顔を出して来る。
「軽く済ませてきたが、ノアは足りたか?」
「うん、おれは大丈夫。
それより、メイちゃんもライラも、体調は平気だった?」
少し長めに離れていたから、ノアはふたりのことが心配だった。
ライラ一人ならば二、三日くらいは離れていても大丈夫なことは確認済みだが(些細なことで喧嘩してライラが家出してしまい、ノアが必死に探し出して頭を下げて帰ってきてもらった結果の確認だったことは、今更ながら苦い思い出だ)、二人分の魔力を消費している今はまだ、魔力の持続期間が計りきれていないのだ。
『大丈夫よノア。丸一日離れていても魔力は保つペースだと思うの。
だから、ノアも自由に行動してくれていいのよ。』
「そうか、良かった。
でも、魔力の補給はしておこうか。」
『心配性ね。傍にいればすぐに取り戻せる程度のものよ?』
ライラが苦笑しているのを感じながらも、ノアは彼女の細い手を取り、意識して魔力を流し込む。
「また少し工房に入りたいから、念のためね。
それに、こうしておけば、午後は安心してメイちゃん達と出掛けることだって出来るだろう?」
にこりと微笑めば、ライラがコテンと首を傾げる。
「あら、それいいわね。
私もライラと一緒に街を散策してみたいわ。」
「向こうの通りに新しい雑貨屋ができたのよね。みんなで一緒に見に行かない?」
待ってましたとばかりに、ミシェとフォンが外出プランを組み出す。
「可愛い髪留めあるかな♪ お気に入りのが欠けちゃって、新しいの欲しいの♪」
「あっちの通りね、冬のお花が咲きはじめてて綺麗なお庭もあるよ!」
レノも嬉しそうに会話に乗り、メイも加わってガールズトークに花が咲く。
ノアとしては何気なく思いつきで口にしたことだったが、女性陣に好評につき、どうやら午後の予定に正式採用となったようだった。