死霊術師
「…ノア?」
錬金術工房を訪れたリトは、そこにノアの気配を感じないことに違和感を感じて、ノックと共に声をかけた。
返事はない。
ドアを開けて覗いてみても、ノアの姿はどこにもなかった。
少し席を外しているのかと中に入る。ひとつのデスクに広げられた資料とノート、魔石を精錬するための素材の数々。そこで作業していたらしいと見て、リトはトレイをその隣のデスクに置いて暫し待つことにした。
だが、5分ほど待ったところで、作業デスクの上に何やら走り書きのメモ書きが目に入った。
『ナーフ通り 赤い看板 サンシェルブ』
それは、少し離れた所にある喫茶店の名だった。
「何故こんな…?」
鑑定の眼で鑑みれば、まだあまり時の経っていないノア自身の筆跡だとわかる。どうやら誰かしらに呼び出されたと推測は出来た。テレパスを使いながらそれを書き付けたようだが、乱れた筆跡からその慌てぶりが窺える。
テレパスは事前に対面して契約魔法を使うことで、遠方にいても念で会話できるようになる魔法だ。面識がある相手…それも、わざわざテレパス魔法を契約していた相手となると、それなりに親しい間柄だろうか。
しかし、慌ただしい書面に何やら胸騒ぎを感じ、席を立って玄関に向かいながら、アルにテレパスでサンシェルブの名と追って向かうことを告げる。
「ノアにテレパスを申請しておくべきだったな。」
後悔先に立たず…無駄な思考は後回しにして玄関の外套掛けを確認すると、やはりノアの外套はない。リトは自分の外套を羽織ると、玄関の扉から雑踏の中へと足早に踏み出した。
「やあ久し振りだね、レノアール。」
どうしてもそぐって見えない明るい陽射しの当たる窓辺の席で、冷たいアイスグレーの瞳以外は相変わらず白一色の男は、さも親しげな様子でノアに手を振って迎えた。
「ネイヴ…。」
「今朝この街に着いてね。キミも来ていると小耳に挟んだものだから、旧交を温めようかと思った次第だよ。」
まあ座ってよと椅子を示され、とりあえずノアはその言葉に従う。すぐにウェイターがメニューを持って来たが、その場でコーヒーを頼んでネイヴに向き合った。
「…疑ってかかっている眼だねぇ。相変わらず素直すぎる子だ。」
くすくすと笑うネイヴに、ノアは真っ直ぐに疑問をぶつけた。
「テルザさんのこと、知らないなんて嘘だろう。
テルザさんは今どこにいるんだ。」
率直過ぎる問いに、ネイヴは曖昧な笑みだけで応える。
「…おれがテルザさんのことを訊いても驚かないんだ、わざわざ会いに来たんだろう?
何しに来たんだ? さっさと用件を話せよ。」
「冷たいねぇ。
ぼくは本当にキミの顔を見に来ただけなんだけど。」
嘘ではない。
進展のないテルザの相手をするより、随分と腕を上げたらしいノアに構う方が面白そうだ…ネイヴの行動原理など、その程度のものだった。
「あれから『彼女』を呼び戻したんだろう。連れて来なかったのかい? ぜひ会いたかったのに残念だ。」
「あんたには会わせたくない。」
あえて否定はしない。どうせこの男のことだ、既に情報は把握済みで話している。この男は、方便や黙秘は使っても、はったりは言わない。実力が伴っているから必要を感じないのだろうが、それが余計にうすら寒い。
ライラとは絶対に会わせたくない。テルザとメイに頻りに興味を示していたというし、ライラにも興味本位で何をされるかわかったものではない。
暫しの沈黙。それを破って、ウェイターがコーヒーを運んできた。
「失礼します。」
ウェイターが下がると、ネイヴもまた自分のカップに口をつけている。
ノアも、少し冷静になろうと、自分のカップに口をつけた。
鼻先を擽る豆の薫り、含むと少し苦いその味が、不安感を煽られる心を少し癒してくれる。
ほぅと一息吐くと、ネイヴが微笑ましそうに見ているのに気が付いた。
「…なんだよ。」
「コーヒーを砂糖なしで飲むようになったんだね。
一年前は砂糖もミルクもたっぷり入れていた覚えがあるから。」
人間はほんの一年で随分変わるものだね…本当に優し気に、ネイヴが微笑む。
「………。」
年若い人間であるノアにとっては充分に長く感じる…それこそ嗜好も変わる一年であっても、長命であるネイヴにとっては、確かにほんの一年なのだろう。会う度に、また背が伸びたねだの、声が低くなってきたねだの、ノアの成長を喜んでいる風な所を見せることもあった。
本当にこの男はよくわからない。
傲慢で、自分勝手で、他人の迷惑など省みないくせに…時々こんな風に優しい一面を見せたりする。
知識を欲していたこともあるが、付きまとわれていた間、キッパリと拒絶できなかった理由のひとつでもあった。
「おや? テルザの所の魔剣士君が来たようだ。」
「ノア! …ネイヴ=ミザレ…!」
勢いよくドアを開けて入ってきたリトは入口から一直線にツカツカと歩み寄り、ノアの横に立って、彼を庇うようにネイヴを睨み据えた。
「リト…。」
そういえば、ネイヴからのテレパスで指定されたこの店の名を書き留めたメモを、慌ててどこかに置き忘れてきたことを思い出す。そのメモを見て来てくれたのだろうか。
ウェイターもたじろいで近付けない雰囲気のリトに、ネイヴがうっすらと笑みを浮かべて口を開く。
「怖い怖い。ぼくはレノアールに何もしないよ。
可愛い唯一の弟子だもの。」
「「?!」」
その言葉にリトが…そしてノアも驚く。
本気なのか方便なのかわからない言葉。ノアはそれをどう捉えていいのかわからない。
「レノアールとは数年来の付き合いでね、彼がどう思っているかは知らないけど、その間ぼくはぼくなりに彼を教導していたつもりだよ?
レノアールは筋が良いから、ぼくが離れた後に随分成長したみたいだけどね。」
「…一応本気であるらしいな。」
ネイヴを読んだのか、リトがぽつりと呟く。
あれが可愛い弟子に対する教導なのかと文句を言いたくはなるが、確かにネイヴはノアを死霊術師へと導いてくれた。認めたくはないが、師であると言われれば否定は出来ないことは、ノア自身が一番よくわかっている。
だが、だからこそ戸惑った。まさか、ネイヴの方で、ノアを弟子などと呼ぶなんて思っていなかったのだ。ネイヴはノアで遊んでいるだけ…下手をすれば研究材料扱いをされているとばかり思っていた。
ますますこの男がよくわからなくなる。
「ああ、そうだ。レノアールには話すつもりだったけど、魔剣士君には確認しておこう。
アルフレド抜きでテルザについての情報があるんだ。あまり良い話でないが、聞く気はあるかな。」
不意にネイヴが意外なことを言い出した。
「やはりテルザについて何か知っていたのか。」
リトが警戒を顕にして低い声で問い詰める。
「ああ、今はね。
誤解してほしくないけど、君達から問われた時点では、テルザのことは本当に知らなかったからね?
ぼくはその後でテルザを見つけて、彼女が望むからアルフレドの元に帰さなかっただけだ。」
さらりと言い放って、ネイヴはくいっと自分のカップを空けた。
「この話はもう少し人目のない所で話したいな。
ぼくは近くに宿を取っているんだけど、来るかい?」
一人用の宿の一室。宿の使用人に三人分の茶と軽食の用意を頼んで二階の部屋に上がり、ネイヴはふたりを自室に招き入れた。
「椅子がひとつしかないから、ふたりはベッドに座ってくれるかい。」
言いながらその手に浮かぶ魔方陣。リトが一瞬警戒を見せたが、術式を読んだらしく、すぐに警戒を解く。
「ただの遮音の結界さ。
リッチだのなんだのの話題があまり広まってほしくないのはお互い様だろう?」
ネイヴははっきりとリッチと口にした。わかってはいたが、テルザがリッチ化しているのは間違いがないのだろう。
使用人が茶を持って来るまで、ネイヴはそれ以上何も話さなかった。ただ、彼には珍しい穏やかな眼でノアを見詰めていた。
居心地悪くなって、ノアは視線をネイヴから外す。
自然、リトの方を見ると、リトはネイヴの意図を探るように、じっと彼を見据えていた。
じきに使用人が用意を調えて部屋の扉を叩くと、ネイヴはそれらを受け取り、テーブルに置いてふたりに向き直った。
「もう昼も近い。つまみながら話そうか。」
テルザを見つけたのは、本当に偶然だった。
ボロボロの魔法衣、はだけた胸元、引き裂かれたスカート。そんな体の彼女が震えていたのは、裏通りのあばら家の中だった。
微かに覚えがある…しかし異常に高まった魔力にネイヴが興味を引かれなければ、テルザはずっとそこで蹲っていたかもしれない。
ディアザルテからテルザについての問い合わせがあった、三日後のことだった。
怯えるテルザに手を伸ばす…すぐに手痛い攻撃魔法を食らった。
「…っ!? テルザ? ぼくだ、ネイヴ=ミザレだ。」
治癒魔法でその傷を癒しつつ、その魔力の高まりに刮目する。
その時点で確信していた…『コレ』はリッチだ、と。
痛ましさと共に、胸に沸き起こる高揚感。どう表現するべきだろう…兄妹弟子であるテルザが『死んだ』という悲しいはずの確信。そして『生きている』という事実。探究心を擽られる興奮。ない交ぜになった心情をぐっと押さえ込んで、ネイヴはもう一度テルザに呼び掛けた。
「テルザ? まだ意識があるんだろう?
こんな所に居ちゃいけない。キミの家族もキミを待っているよ?」
その言葉に、テルザは弾かれたように顔を上げ、…そして泣き伏してしまった。
彼女に触れないよう、纏っていた秋口用の薄い外套をかけてやり、泣き止むのを根気強く待つ。ネイヴは、自分がこんなに我慢強く他人を待てる質だったとはねと内心苦笑しながら、テルザが落ち着くのを待った。
どれくらいの時が経ったのだろうか、ようやくネイヴの顔を見た時、テルザはポツリと呟いた。
「貴方も気を付けて。
私を殺したのは恐らく教会の刺客…死霊術師はこの世にいてはいけないのだと口走っていたわ。」
途中でテルザのための衣服を一式取り揃え、ネイヴはテルザを自分の拠点のひとつに招き入れた。
テルザは怯える様を見せたが、キミの纏う魔力と攻撃魔法には、さすがのぼくも何も出来ないから安心してよと誘導すると、なんとかついてきてくれた。
「…お祖父様の…!」
入ってすぐ目に入った揺り椅子に、テルザはすがり付いた。
「老師の形見分けで頂いたものさ。キミが使うと良い。
ぼくは食事の買い出しに出掛けるから、シャワーでも使って着替えて寛いでいてくれ。」
言葉通りパンやスープなどを買ってきて戻ると、テルザはさっぱりと身形を調えて、揺り椅子の上でうとうと眠っていた。
「テルザ。」
まず、声をかける。
その言葉にハッと目を覚まし、テルザは身構えた。
「訊いてはいけないことだと思うけど、キミを襲った賊は余程のゲス野郎だったようだね。」
「…………。」
沈黙が答えだった。
「アルフレドから連絡は?」
「………出られるわけがないわ…。」
誘導尋問だが、彼女の事情が見えてくる。
「私が『死んだ』時、メイとの絆が切れたのも感じた…。あの娘ももうきっと…。だから、私のことも死んだとわかっているはずよ…。」
悲観するばかりの言葉は重くて、テルザがどれだけ深い絶望の淵にいるのかが、人の心の機微に疎いネイヴにだってわかる。
「帰りたくないのかい?」
「…帰れるわけがないわ。」
テルザの返事を聞き、ネイヴはひとつの提案をした。
「だったらここに居ればいい。
キミには居場所がない。ぼくはキミの知っての通り、リッチとアンデッドの研究をしている。ギブアンドテイクだ。」