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09.懺悔

目が覚める。まだ外は暗い。

冷たい空気を鼻に感じるけれど、体は温かい。とても心地いい温かさにほんわりしていると、その温かさが動いた。驚いて目を開けると、ロイセルがいた。素肌のままの私を横から抱きしめるように眠っている。


ああ、そうだった。私は彼に愛されたんだ。とてもとても大切に、そして激しく愛された。心も体も満たされる感覚だった。


伏せられた長い睫。通った鼻筋。薄い唇。胡桃色の巻き毛。彼を構成するすべてを愛しく思う。そのオリーブ色の瞳も、その心も、私に触れるその手も、その名前も。


「…ロイ…セル。」


掠れた声で静かに名前を呼ぶけれど、返事はない。よく眠っている。そのことに安心してさらに言葉を紡ぐ。


「好き…。」


するとオリーブ色の瞳が見えた。寝起きの子供のように緩んだ瞳が私を捉えると、泣きそうな顔をして私の肌を抱き寄せる。


「シホ…誰のことが好きなんだ?」

「……起きてたのね。」

「いいや、寝てたよ。」

「もう。」


それから何度か同じ質問をされ、恥ずかしく思いながら白状するとロイセルは嬉しそうに私を抱きしめてくれる。それが泣きたくなるほど、嬉しい。


狭いベッドで外が明るくなるまで、ロイセルと私は幸せな時間を過ごした。




今日、ロイセルは仕事が休みだと急に言い出した。

あまりひどくはないけれど、領主様の身内のせいで怪我をしたのでお休みを頂けたとか。傷はかすり傷で、あまり痛みもないようで安心した。


でも私はリルリルへ行かなくては。昨日のロイセルのケガのことで、途中で帰ってしまった。リリの体も心配だし、ルルとの約束を破ってしまっていた。

でも早く目が覚めたお陰で、時間に余裕がある。


肌を隠しながらベッドから降りようとして、体がいつもと違うことに気づいた。全身の怠さもあるけれど、軋むような感覚があって思い通りに動けない。

それでも体を動かそうとしていると、ロイセルに気づかれてしまった。


「シホ、大丈夫か?」

「…大丈夫。」

「無理させたからな。キッチンが温まるまで待ってるといい。」


そう言って彼は顔を赤くした私をベッドに入れなおし、額にキスを落として薪の用意をしに行ってくれる。

でもロイセルのベッドに素肌でひとりきりなんて、落ち着かない。怠く軋む体をどうにか動かして、自分の部屋で着替えてキッチンに行った。


私がキッチンに行くと、ロイセルが朝食を用意してくれている最中。彼はすぐに私の傍へ来て、オリーブの瞳で心配そうに覗き込んだ。


「シホ、大丈夫なのか?」

「…大丈夫。」

「本当に?」

「…大丈夫。カップを持ってくるから。」


体は確かに辛いけれど動けないわけではないから、そんな風に心配されると恥ずかしい。自分でも、顔が赤くなるのがわかる。前はロイセルが耳を赤くしてばかりだったのに、最近は私の方が赤くなってばっかり。

居たたまれなくなって、リビングに置きっぱなしのカップを取りに行くふりをして逃げた。


手で自分の頬を包むと、やはり熱を持っている。恥ずかしい…。今日、ロイセルの瞳を見ることができるのか、不安になってきた。


色々思考が入り乱れながらリビングに入ると、私を待っていたのは二つのカップと、もうひとつ。


結婚指輪………。




ローテーブルに仲良く並んだカップの隙間。それは、あの日あの人と幸せを誓い合った証。


ぽつんと置かれた指輪は、まるで私を責めているかのようだった。ひとりぼっちにしたって、怒っているかのようだった。寂しくて泣いているようだった。


震える両手で指輪を胸に抱く。冷たかった指輪が、私の熱ですぐに温まっていく。それとは逆に、さっきまで温かく感じていた私の胸が急に凍りついた。


あの人を愛している。嫌いになったわけじゃない。でも、今の私はロイセルが好き。あの人を愛しているのに、ロイセルが好き。



何度謝っても、許しを請うても、懺悔は聞き入れられない。いや。私はあの人を、子供達を、家族を裏切った。許されるわけがない。

覚悟していたはずの罪悪感は、これほどまでにドス黒く大きな塊だったなんて…。


誰にも、自分にさえも許しを請うことができず、ただただ罪悪感という塊を飲み込む。急に胸が詰まって息苦しくなり、外へ出たくなった私は、走るように玄関へ向かった。


ロイセルの驚いた声がする。でもそれに応えることができない。

とにかく外へ…。どこか遠くへ……。


「シホ、どうした!?」


庭先でロイセルに腕を捕まれた拍子に、握っていた結婚指輪が落ちた。レンガの敷石の上に落ちた、指輪。それを見た彼は察したようだった。



ロイセルはゆっくりと指輪を拾って、私の手に握らせた。そのまま庭先のベンチに座り、自分の足の間に私を座らせて、私の背中を温めるように後ろから抱き込んだ。


空気が冷たくて、吐く息が白い。


「シホが何を考えているかは、なんとなく想像がつく。でも俺はシホの考えとは正反対のことを考えているよ。」

「正反対…?」

「そう、正反対。…昨日、初めてシホを抱いたね。正直に言うと、俺は今まできみを独占していたご主人に嫉妬するだろうと思っていたんだ。シホの心と体を独占していたご主人に…。

でも結果は違った。嫉妬するどころか、敬意を払ったよ。…感謝さえした。俺の言っている意味がわかるか?」


私は首を横に振った。


「…シホはどんな運命のいたずらか、この世界に来てしまった。何が原因なのか、何故こんなことになったのかも、わからない。でもここに来て、不安定な状況の中で、誰がきみの心を守っていた?ご主人じゃないのか?この三年間、ずっとシホの心を守っていたはずだ。…遠く離れていてもね。」


そんなこと考えたこともなかった。ロイセルの言葉が驚きから変化して、心の中にストンと落ちた気がした。ああ、そうだったんだ。と納得できた。


「…私、あの人に守られていたの?」


「そうだよ。ずっとね。きみがご主人に愛されていたことはわかっていたつもりだったけれど、俺が思っていた以上に大切にされていたことが、昨日わかった。

なのにご主人は、俺にシホを託してくれたんだ…。きみを通じて「今まで守ってきた大切なシホを、頼む」と、昨日、言われた気がした。勝手な思い込みと思うかもしれない。けれど俺は、本当にそう感じたんだ…。」


私は言葉が出なかった。


「…俺に抱かれたことを、後悔している?」


私は首を横に振る。


「では罪悪感を?」


首を縦に振って頷く。


「…覚悟していたつもりなのに、すごく苦しい。…でも私、ロイセルが好きなの…。」


涙が溢れる。心が乱れる私をロイセルはそっと抱きしめてくれる。


「…シホが罪悪感なんて感じる必要は、ない。シホと俺がこうなることを、ご主人は願っていたよ。離れていても、シホの幸せを今も願っているはずだ。きみの子供達もきっと、同じ想いでいてくれるよ。

…それに、たったひとりで孤独を感じて生きていくより、俺と幸せを感じながら生きていくほうがいいに決まっている。大丈夫だよ、シホ。二人でたくさんの幸せを感じていこう。

笑って、手を取り合って、ずっと一緒に歩いて行こう。俺はシホがとても好きだ。愛してるんだ。ずっと傍にいてほしいし、絶対に離したくない。だからシホ、俺を幸せにしてくれないか?…俺の妻になってくれないか?」


私は泣きながら頷いた。指輪を握りしめて、頷いた。



ロイセルへの募った気持ちに任せて、私は家族を裏切った。自分で自分を消してしまいたいと思った。

でもこれでいいんだと言う、彼の優しい言葉を必死に受け入れる。


それでもドス黒い塊は私の胸に絡み付いたまま、消えることはなかった。







ロイセル、あなたが好き。この気持ちに偽りはない。









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