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05.想い

「こんなオバサンをいつまでも置いていたら、かわいい女の子が近寄って来ないわ。」

「…オバサン、か。シホはオバサンじゃないよ。」

「充分、オバサンです!」


ロイセルの笑いを含んだ調子に腹が立ってくる。


「シホ、何歳に見られてると思ってる?俺より歳下に見られてるんだよ。」

「え?」

「かわいい嫁を貰ったなって、よく言われるんだ。」


あまりの内容に驚いてロイセルを見ると、耳を赤くして嬉しそうに笑っている。


私がこの家を出て行く話を、ロイセルに初めてしてから一週間が経つ。私はまだこの家にいる。彼が反対しているから。


身元引受人の承諾が得られないことには、騎士館での住所変更の手続きができない。従ってリルリルの離れに移ることはできない。


夕食の時、入浴後のお茶の時間。大抵一日一回はロイセルと話し合っている。でも平行線。私が何を言っても、彼は首を縦に振ってくれなかった。


「…俺はシホがここから出ることには、反対だ。」

「………。」


ロイセルの繰り替えされる意見に意気消沈していると、彼が静かな口調で話し出した。


「シホ、かわいい女の子が…って言うけど、その女の子と俺が結婚することが俺の幸せだと思ってるのか?」

「子持ちの私より、ずっと健全だと思うけど…。」

「…きみを妻にしたいと思ってる俺の考えは不健全なのか?不貞になるから?」

「不貞…とは違うような気がするけれど。私は家族を想って過ごしたいと思ってるの。」

「じゃ、俺にきみの家族のことを教えてくれるか?」

「え?」

「俺にもシホの家族のことを教えてほしい。」

「ロイセル、どういうこと?」

「俺にも教えてくれたら、シホひとりで家族を想うことにはならないだろう?二人でシホの家族を想うことになるから。」

「………無理やりね。」

「そうだな。」


ロイセルのあまりのこじつけ振りに、笑いが出てしまう。少しの間笑っていると、耳が赤くなっている彼に「早く教えて」とねだられる。


それから私はまず子供達のことを話した。

上の子は結衣。今は中学二年生になってるはず。優しくて聡い子。中学校のグラウンドで練習してたテニス部に憧れてたから、きっとテニス部で頑張ってるはず。


下の子は咲季。今は小学校六年生だと思う。マイペースで明確な意思を持って動く子。でもお姉ちゃんは大好き。きっとお姉ちゃんが入ったテニス部に憧れてるんだろうな。


取り留めもなく話す。ロイセルはじっと聞いてくれている。二人の性格の違い。お弁当を持って遊びに行った河原。一緒に見た月食。夏休みにしたキャンプ。みんながお気に入りのパン屋さん。学校の行事や習い事。


二人の娘が多感な時期にこんなことになってしまって、心の奥に閉じ込めておいた罪悪感が悲しみとなって、胸に広がる。でもあの人はきっと、二人の子供達を支えてくれてる。逃げださず投げ出さず、娘たちと向き合ってくれているはず。それは願いではなく確信。きっと。絶対。大丈夫。


そこまで話すとロイセルが静かに口を開く。


「ご主人と子供達は、互いに支え合っているんだね。」

「…そうね。きっとそうだと思うの。」

「シホ、きみにも支えは必要なんだよ。」

「………。」


ロイセルのオリーブ色の瞳が揺らめく。暖炉の炎のせいなのか、彼の感情のせいなのかは、私にはわからない。違う。今の私は、わかりたくなかった。




それから何日間か、ロイセルに私の家族の話をした。食事の時、お風呂上がりの時、お互いの仕事がお休みの時。ふと思い出したことをぽつりぽつりと話すのを、彼はちゃんと聞いてくれる。


「子供たちのことはよく話してくれるけど、ご主人の話も聞きたい。」


ふいにロイセルから言われた一言。確かに私はロイセルにあの人のことを話すのを避けていた。どうして、と聞かれても答えようはないけれど。


それからはあの人のことも話した。穏やかで優しい人。常に私や子供達を包んでくれるような人。いい父親であり、いい夫。いつも笑っていて、たくさんの愛情を注いでくれた人。

あの人のことを話す時、ロイセルは決まって目を閉じる。最初は機嫌を損ねているのかと思ったけれど、そうではなかった。


「…ロイセル?」

「ああ、ごめん、つい。シホがご主人をどれだけ愛してるかがわかってしまってね。」

「…………。」

「でも、ここから出るのはだめだ。」

「ロイセル。」

「シホ、気づいてる?家族のことを話してくれるたび、シホが泣かなくなった。」


そう言われてみると。泣きながら眠ることが多かったのに、最近はほとんど泣かない。温かい気持ちで眠ることが多い。しかも、向こうに帰りたいと思わなくなってる。それに気づいて愕然とする。私は不安に襲われた。




秋が通り過ぎて冬がそこまで来ている。朝晩は以前にも増して冷え込むようになっていた。霜が降りる。今朝は誰かが、庭の霜を踏む音で目が覚めた。


「シホ、おはよう。」

「おはよう、ロイセル。」

「今朝は一段と冷える。もう少し温かくしておいで。」


薪を運び込んでくれるロイセルにそう言われ、部屋へ引き返してボアつきのベストと厚手の靴下を着込む。キッチンへ戻ると、ロイセルが火を起こしてくれていた。


入り口に立ったまま、その大きな背中を見る。

高い背丈。胡桃色の巻き毛。思慮深い印象の顔立ち。優しいオリーブ色の瞳。その瞳はいつも私を映している。時に穏やかに、時に揺らめいて…。


ロイセルは向こうの世界にいる家族ごと、私を愛してくれようとしている。私の話しを聞いて、私の家族を理解しようとしている。きっと彼の愛はなによりも大きく、今の私を包んでくれているはず。

私は彼に言われるまで、気づくことができなかった。自分の想いに囚われすぎていて、彼の気持ちを本気で考えることをしなかった。


私の家族を彼は愛そうとしてくれていた。ここにはいないのに、会うことは無い私の家族までもを、愛そうとしてくれる。私は一体今まで何を見てきたんだろう。なんと愚かなこと。素直になりたい、心からそう思った。


「シホ?どうした?なにがあった?」


振り返ったロイセルが慌てて来る。オリーブ色の瞳が心配そうに揺れている。私は泣いていた。自分の浅はかさに気づいて、そして自分の隠していた気持ちにも気づいた。今まで認めるのが怖かったその気持ち。いつの間にか心の奥に育ってしまっていた気持ち。ごめんなさい、もう帰れない。


「…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」


顔を手で覆って、泣きながらあの人に、子供達に謝る。ずっと家族を想って生きていくはずだったのに。なのに…。


泣いて立ち尽くす私を、ロイセルは狼狽えながら抱きしめてくれる。私が落ち着くまでそっと抱きしめてくれる。ロイセルの匂い。あの寝室の香りと一緒。肩に回された大きな手が、躊躇いがちに私の肩を撫でる。


ロイセル。私はあなたが好き。認めるのが怖かった。あの人以外の人を好きになるのが怖かった。でももう知らない振りはできない。ロイセルが好き。


私は長い間、泣いていた。朝食を作らないといけないのに、リルリルへ行かなければいけないのに、ロイセルだって仕事があるのに。焦れば焦るほど、涙が止まらない。しゃくりあげるように泣いていた。それでも彼は一向に様子が変わらない。そっと肩を撫でてくれる。


ようやく落ち着いた私は、顔を上げることができる状態ではなかった。ロイセルがタオルを差し出してくれる。そのままダイニングに私を座らせて、自分は床に膝をついて私に目線を合わせる。


「シホ、大丈夫か?」

「………うん。ごめん、なさい。」

「謝らなくていいよ。どうしたんだ?」

「…帰ったら、話す、から。」

「わかった。帰ったら、だね。」


私はこっくりと頷く。


ロイセルに今日はこのままリルリルを休むように言われた。確かにこんな泣き腫らした顔では、お店には立てない。リリもルルも驚くだろうから。

ロイセルが領主様の別邸に行く前に、リルリルへ私は風邪気味だと連絡しておいてくれることになった。ロイセルは何も食べずに仕事へ行く。


「ロイセル、ごめんなさい。」

「…シホ、謝らないで。行ってらっしゃいって言ってくれるか?」

「行ってらっしゃい、ロイセル。」

「うん。行ってきます。…きちんと朝食を食べて、今日はゆっくりしておいで。いいね。」

「はい…。」


玄関から出て行く彼の耳は赤くなっていた。


私はすべてに気づいてしまった。黙ったまま、左手薬指の指輪に視線を落とした。






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