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04.慰め

「シホ、おはよう。シホ。」


ロイセルの声が聞える。鳥のさえずりも聞こえる。

なんとなく目を開けると目の前にロイセルがいる。一瞬理解できなくて、ほけ〜とオリーブ色の瞳に見入っていると、額に柔らかい感触が下りてきた。


「…っロイセル。」

「そんな目で見られたら、仕方ないだろう?」


ロイセルは今まで見たことないような、いたずらな顔で笑う。そしてベッドから降りてカーテンを開ける。きれいな胡桃色の髪が朝日に輝く。


「…きれい。」


私がそう呟くと、ロイセルはまたベッドに戻ってきて腰掛けた。


「シホのほうがきれいだけど…。」


彼は呟きながら、ベッドに座る私の寝乱れた髪に手を触れる。その耳は赤くなっていた。


なんだか不思議な空気。昨日の夜、あれだけの醜態を晒したのに。今思い出しても、恥入る気持ちは不思議なくらい無い。それに、こうしてロイセルに触れられることに抵抗を感じない。素直に受け入れられる。醜態を晒したからこその、打ち解けた空気だからだろうか。


「…ロイセル、今日仕事は?」

「ん、休みなんだ。シホもだろう?」


リルリルは週に一度はお休み。今日がその日。


「うん、お休み。」

「シホと一緒に休もうと思って、昨日仕事を片付けたんだ。今日はどこかへ出かけようか。」

「………ロイセル。」

「着替えておいで。朝食にしよう。」


ロイセルはそう言うと私に背を向けた。彼が背を向けてくれたことで、私はベッドから降りやすくなる。明るい時間に寝間着姿を見られるのは恥ずかしいから。ロイセルの部屋を出る前に振り向くと、後ろ姿の彼の耳はさっきよりも赤味が増していた。


自分の部屋で着替えていると、じんわりと胸に温もりが広がっていたのを感じる。あれだけひとりで温めようとして、もがいていたのに。こんなにあっさり温かくなるなんて…。


そして昨日、ロイセルに抱かれなくて正解だったと、結婚指輪を見つめて思う。あのまま彼に身を任せていたら、今朝はこんな気持ちにはならなかった。きっと後悔と罪悪感に苛まれていた。


嬉しさと、醜い自分への嫌悪。相反する気持ちが入り乱れる。私は指輪をそっと撫でた。




二人で朝食をとり、簡単な雑事を済ませて、街へ出る。こうして二人で出かけるなんて初めてのことではないのに、まるで初めてのような気分。心が浮き立つのが自分でもわかる。さっきまでの自分への嫌悪感さえも薄らいでいく。


一体、昨日までの自分は何だったのだろうかと思えるほど、外が明るく見える。薄いベールが目の前から

取り払われたようで、全てがクリアに輝いている。

ポプラの葉の間から木洩れ日がきらめく。高い空。爽やかな風。足元を見れば、ポプラの葉が折り重なって愛らしい影を作っている。


「ロイセル…私……。」


隣を歩くロイセルに呟く。


「うん?」

「…なんだか生まれ変わったような感じがするの。視界が開けたような、明るくなったような、不思議な感じ。こんなに気持ちが軽くなるのは、本当に久しぶりだわ。」

「シホ、手を、繋いでくれるか?」


私の返事を待つことをなく、ロイセルは焦ったように私の手を取る。強い力で握られたわけではないのに、私は彼の手を振りほどくことができない。


こうして主人や子供達と手を繋いで歩いたことを思い出した。笑いながら、他愛もないことを言い合いながら…。今、私の隣には耳の赤い、ロイセルがいてくれる。…これでいいのだろうか。






夕刻、たくさんの荷物を持って帰宅した。ついでだからと、ロイセルに言われて夕飯も外で済ませた。


家に着くと彼はバスルームの支度。私は荷物の整理。本当にたくさんの買い物をしてしまった。今まで行ったことのない地区にまで行って服や小物、色々買ってもらった…。


そういえば、あの人も買い物が好きだった。私が着る服も子供の服も、いつも一緒に選んだ。キッチン用品からシャンプーまで、なんでも一緒に選んだ。穏やかで優しくて、いつも笑っていてくれた人。その笑顔にいつも私は導かれていた。


そして私を囲んでくれていた子供達。お姉ちゃんは優しくて気が利く。その分、繊細ですぐ心に重荷を背負う子だった。だからいつも心配していた。

妹は甘えん坊で頑固。言い聞かせても自分が納得しないと動けない子。でもお姉ちゃんが大好きで、いつも二人で何かをしていた。


笑い声と笑顔が絶えない家だった。泣くこともあったけど、最後は笑顔で一日を終えることができた。

………今頃みんな、どうしてるかな。ご飯、食べてるかな。泣いてないかな。風邪を引いてないかな。学校へちゃんと行けてるかな。


次から次へと思いを馳せていると、コンコンと音がした。振り返るとリビングの入り口にロイセルが立っている。


「シホ、疲れた?」

「ううん。そうじゃないんだけど、たくさん買ってもらっちゃったと思って…。」

「今までシホはあまり外に出なかったから…。でも、これからは出るだろう?」


その言葉に誘われるように顔を上げて、ロイセルのオリーブ色の瞳を見る。その瞳には懇願のような切ない色が見えた。視線を手元のボルドー色のワンピースに戻す。


「…そう、なのかな。」


今の私にはそれだけしか言えない。でも今日の私は新たな一歩を踏み出せた気がする。それが向こうの家族にとって、いいことかどうなのかは、わからない。わからないけど…。


「今日のシホは今までと全く違った顔をしていた。生き生きしてた。」

「うん。久しぶりに、気持ち良かった…。」

「…笑っていたら、あちらの家族にも伝わるんじゃないか?」

「え?」

「シホが泣いていたら、あちらの家族は心配するんじゃないか?シホが笑っていたら、あちらの家族は安心するんじゃないか?…そういうふうに考えることにしないか?」

「……ロイセル。」


「もしご主人がきみの立場だったとして。ご主人がひとりで泣いてるよりも、笑っているほうが良くないか?」

「………うん、笑っていてくれるなら、安心できる。」

「きっと、あちらの家族もそう思っているよ。」

「…そうね。うん、そう思うようにするわ。みんなが向こうで頑張ってるんだから、私も頑張る。」


そう決めて顔を上げると、オリーブ色の瞳と視線がぶつかる。ロイセルの瞳は、私を慈しんでいた。心からの気持ちがその瞳に現れていて、私のほうが赤くなってしまう。


荷物の片づけもしないまま、ロイセルにバスルームへ追いやられる。そして浴槽で、昨日からのことを考える。

醜態を晒した、昨日。今考えても恥ずかしさが無い。ロイセルと一緒のベッドで目覚めた、今朝。不思議と彼を受け入れていた。そして一緒に出掛けた、お昼。何もかもが輝いて見えて、とても楽しかった。そして家に帰るまで繋がれた右手…。


これって、もう家族?ロイセルと家族のような雰囲気になってる?三年も一緒に過ごしているんだから、そうなっても不思議ではないけど。でも若い彼には未来がある。私は、もういい。この気持ちを持って、家族を想いながら生きて行こう。



私はやはり、ここらから出るべきだ。そう思った。







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