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12.ロイセル編

ロイセル視点です。

見つけた…。


森の中の川岸に倒れていた彼女を見た時、なぜか俺はそう思った。


生きているか死んでいるかは遠目では判断できないのに、俺には彼女が「生きている」という確信があった。


黒い髪と少し黄味がかった白い肌。そして小さな体。どのくらそうしていたのか、全身が水に濡れてかわいそうなほど冷え切っていた。


季節はようやく秋めいた頃。まだ寒いというほどではなかったが、それでもこの状態が良いわけはない。俺は彼女の濡れた衣服をその場で脱がせて、俺が着ていた服と上着に包んで連れ帰った。


…明るい陽の下で見た彼女の肌が、その後ずっと俺を悩ませるとは思わなかった。




「……あの、ここは…。」


それが彼女が初めて話した言葉だった。


連れ帰った日の午後から高熱を出して、意識が戻ったのは二日後の夜中。まだ熱は下がらない。だが震える様子がないことから、これ以上熱が高くなることはないだろう。


「大丈夫、俺の家だ。気分は?喉が渇いているだろう?」

「はい…。あの…。」

「話は熱が下がってからだ。いいね。すぐ飲み物を持ってくるから。」


そう言って俺は早まる動悸を静めるために、急いで部屋を出た。彼女の瞳は、ランプの明かりの中でも黒い色をしていた。


黒髪と黒い瞳。


それはこの近隣の国では幻とされている、「貴色」と呼ばれる色だった。だがその貴色を持つ人は、以前の記憶がなかったり、迷い人だったりするらしいという話も聞く。


黒い色があんなに光り輝くとは、思いもしなかった…。

その珍しい色故に、多くは絶大な権力を持つ者の囲い人になるとも聞いた。



彼女は小柄なのに女性らしい体つき…。それにさっきの躊躇いがちな様子。小娘には無い艶やかな色気が溢れた彼女を、どうやってこの家に引き留められるか、俺は考えた。


「レモネードは飲める?」

「…はい。」


俺のシャツを着て、俺の手から小さな手でカップを受け取り、白い喉を動かして静かにレモネードを飲む彼女は、とても扇情的だった。飲んだ後の溜息もいい。


「…ありがとうございました。」


水分を摂ったことで、少し滑らかに声が出るようになったようだ。

彼女の声は囁くような声だった。とても耳障りが良くて、もっと聞きたくなる。


「まだ熱が高そうだな。今は夜中だけど、まだ眠れるか?」

「…このまま少し、起きていてもいいですか?」

「ああ、いいよ。汗はかいていない?」


そう俺が聞いたことで、彼女は自分が男物のシャツを着ていることに気が付いた。俯いたまま、顔を上げなくなってしまった。……失敗した。


「あの、ご迷惑をおかけします……。」


消え入りそうな恥ずかしそうな声で、彼女はそう言った。俺はこの時、絶対に彼女をこの家からは出さないことを決心した。



彼女の名前はシホ。シホは既婚者だった。子供もいる。


話を聞くと、やはり迷い人のようだ。恐らく彼女は元の場所に戻れることはないだろう。

このまま放っておくと艶やかな彼女は、領主様に囲われる身になってしまう可能性が大きい。領主様までならまだしも、この国の王の元まで運ばれてしまうかもしれない。


…領主様の甥のアランを巻き込もう。まずはあいつを味方につける。アランの弱味ならいくらでもある。それをネタに強請りをかけよう。


そしてこの街に住む者、全てを味方につけなければならない。そのくらいのことをしないと、彼女を守ることはできないだろう。


絶対にシホを誰にも渡さない。俺は今までの人生の中で経験したことのない闘志が、腹の底から沸々と湧いてくる気がした。その日から俺の無我夢中な努力と、胃が痛くなるほどの忍耐の日々が始まった。





あの日から三年が経った。

俺の計画は多少、多大な時間を要したが、成功した。俺はシホと婚姻をした。


俺は幸せだ。幸せとはこんなにいいものなのかと、孤児だった俺は初めて知った。とにかく心が温かい。

シホの顔を見るたび、シホの声を聞くたび、シホの姿を、シホの料理、シホのエプロン、シホの手袋、シホの靴、シホの…。


危ない…。最近、思考がシホ一色に染まって、何もわからなくなる時がある。



「おかえりなさい、ロイセル。」

「シホ、ただいま。」


ああ、このまま寝室へ連れて行きたい。その想いをグッと堪えて、シホの額にキスをして、夜への楽しみに取っておく。


「早く着替えてきてね。」


そんなかわいいことを言うから、夜、途中でやめてあげることができないんだ。


シホは自分をよくわかっていない。どれほど自分が男の目を惹きつけるか、まるでわかっていない。俺より六歳も年上なのに、まったくそうは見えない。肌も白くきれいで、柔らかい。


流れる黒髪をひとつに纏めた項なんて、最高だ!いつか後ろから、あの白い首筋に吸い付いてやる!

それにあの吸い込まれるような、黒い瞳…。長い睫が俺を誘うように揺れるんだ。


シホはきれいでかわいい。さらにその心は、女神の如きだ。自分の容姿を鼻に掛けることもなく、自分の器用さに賞賛を求めるでもなく、いつも謙虚で慎ましく、献身的だ。


「女は気が強いもの」が当たり前のこの国で、シホだけはまるで違う。あの気の強かったリリが最近シホに感化されて、少し穏やかになってきたと、ジュールが喜んでいた。

アランはシホのような女を探していると言っていたが、そんな女いるはずがない。


特に夜のシホは……いや、俺だけの秘密だ。

とにかく、かわいいシホは、俺だけのものだ。





あれから三十年が経った。


シホはもうすぐ天に召される。彼女もそれはわかっている。

「もう、寿命だね。」医者はそう言った。「心穏やかに見送ってあげなさい。」そうとも言っていた。


心穏やかに、なんてできない。見た目が若いシホの体は、やはり俺より年上だった。こんなに早く、こんなに弱ってしまうなんて…。


白く細い腕。骨が浮き出るようになった、小さな手。目元の笑い皺が愛しい。黒かった髪は今や白い髪のほうが多くなった。でもシホは年齢を重ねても、きれいでかわいい。その心も三十年前と変わらずに、優しいままを保っている。



何日か前から、俺の中にはある考えが浮かんできていた。それを実行しようか迷ってはいるのだが、その迷いの原因は自分の嫉妬だと気づいた。


シホのためを思うなら、実行するべきだろう。でも、それを俺の嫉妬が邪魔をする。シホは俺のだけのものであってほしかったからだ。


でももう時間が無い。シホは日に日に弱っていく。眠ることが多くなったシホの枕元で、俺は思案に明け暮れていた。その時、シホの瞳が開いた。


「……ロイ、セル?」

「シホ、気分は?」

「ん、だいじょうぶ…。」

「何か飲むか?」

「うん、ありがとう。」


シホの好きなお茶を用意して、蜂蜜を落とす。彼女はこれを飲むと、いつもほっと溜息を吐いて穏やかな表情になる。俺はその瞬間が好きだ。


お茶を持って寝室の扉を開けると、ベッドに座るシホは嬉しそうに笑った。今日もお茶を一口飲んで、ほっと溜息を吐いた。その表情は何物にも、死にさえも捉われていないようだった。その彼女の様子に、俺の口が勝手に動いた。


「シホ、あれを、探してこようか?」

「あれって?」

「……ポプラの樹の下に埋めた物だ。」


それは三十年前、シホがポプラの樹の下に埋めた、指輪…。


死が彼女に近づいている今、あの指輪がシホには必要なのではないかと俺は思っていた。前の世界で婚姻していた、ご主人との思い出の指輪。俺は自分の心に蓋をして、シホにそう言いだした。


すごく驚いた顔をした彼女の返答は…


「いいの。…これで、いいの。」


……あの時。指輪を埋めたときと同じだった。


「……ロイセル。私はここで死ぬわ…私はここで、土に還る。そうして、やっと、私はこの世界の一部になるの。…今の私に必要なのは、この、あなたにもらった指輪だけ。これがあれば、来世もあなたと出会えるような、気がするの。…だからもう、あれは探さないで。」

「…本当にいいのか?…俺に気兼ねしているなら。」

「ロイセル、私を怒らせないで。あれはもう、私には必要ないの。」

「シホ……。」


俺は探してくると言いつつ、心の底から安堵した。シホはこの世界の土になると言ってくれた。次の世も俺と会いたいと言ってくれた。


「さっきね、夢を見ていたの。あなたがいて、ファルがいて、もうひとり女の子がいたわ。…あれは多分、次の世じゃないかしら。」


ファルは俺たちの養子だ。もう子供は産めないと言ったシホと相談して、教会の子を引き取った。

今はファルも結婚して、子供がいる。ここから少し離れた街で元気に暮らしている。


「じゃあ、今度は早く出会わないといけないね。二人の子を産むんだろう?」

「ええ、そうね。…ファルは私が、本当のお母さんになることを、許してくれるかしら?」

「きっと泣いて喜ぶよ。」

「…本当?」

「ああ。あいつはきみのことが大好きだからね。……でもシホから産まれてこれるなんて、なんだか羨ましいな…。」

「あら、じゃ父親が、ファル?」

「絶対だめだ!」

「ふふふふ……じゃロイセル、早く私を、見つけてね…。」






昨日、あれだけ話したのに…。


あれだけたくさん話しをしたからなのか、シホは眠るように逝ってしまった。

俺が贈った指輪だけを左手の薬指に嵌めて……。


彼女の最後の言葉は



………俺の名前だった。






会いたい。早くシホに会いたい。

会ってきみに触れたい……。


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