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01.流れ

流れ着いた先は、遠い遠い場所だった。誰も私を知らない場所。私も誰も知らない場所。

でも、そこで救いの手を伸べてくれた人がいた。

…嬉しかった。






「シホ、おかえり。」

「ただいま、ロイセル。洗濯物を取り込んでくれたのね。ありがとう。」


そう言うと、彼はいつも耳を赤くする。照れ屋な人。




私は三年前、ここに来てしまった。ここは私の知らない、ある国。

ここの人たちは、皆白い肌と明るい髪と明るい瞳の色をしている。


彼、ロイセルも胡桃色の巻き毛とオリーブグリーンの瞳をしている。整った顔立ち。赤い耳で照れたように笑うのがかわいい。


いつも静かな瞳は、思慮深く誠実な印象を受ける。それに背が高く、手足も長い。男の人だけれど、とてもきれいだと思う。


…私は黒い髪と瞳の典型的な日本人。なぜこんなことになったのかは、私にも誰にもわからない。




あの日、仕事終わりに突然、大雨が降り出した。テレビのニュースでよく耳にする、ゲリラ豪雨というもの。

社内で待てばよかったのに、私は時間を理由に帰ることにした。駐車場に止めた車まで、傘を持って一気に走った。その時、ドーンという耳をつんざく大音響と衝撃。雷が落ちたのだと思う。


次の瞬間、私は気づくとこの国にいた。


深い森の川岸に横たわっていた私を見つけてくれたのが、ロイセルだった。森の整備をしていたときに、倒れていた私を見つけてくれたとか。


彼は私の手当をした後、事情を聞くと、すぐに私を警察のような所へ連れて行った。私はそこで保護されることになった。薄暗く無機質な部屋にひとり置かれ、とても不安で寂しく、心が壊れそうだった。


でもロイセルは仕事帰りに、毎日私に会いに来てくれた。言葉数は少ないけれど、着替えや生活用品。果物や、お菓子。色々な物を持って私に会いに来てくれた。

それは数週間、続いた。


警察のような人達によると、私を探しているという情報も人も出てこなかったため、身元引受人さえいれば、ここでの生活を許可するとのことだった。


後から考えれば、スパイ容疑をかけられていたのかもしれない。でも証拠も無く疑惑は残ってはいるが可能性が低いため、身元引受人さえいれば…という条件付きでの許可だった。




私の身元引受人に手を挙げてくれたのは、やはりロイセルだった。

彼の善意にすがるのは申し訳なく思い、このままここに留まろうかと考えていると、警察のある人がこう言った。


「ロイセルのために、ここから出てやってくれないか。じゃなきゃ、ロイセルはずっと、ここに毎日通うことになるから。」


その言葉に背中を押されて、私は外に出た。ロイセルと一緒に。









「今日は何が食べたい?」

「…コロッケがいい。」


ロイセルのリクエストに、食料庫の中を思い起こす。じゃがいも、玉ねぎ、小麦粉、パン粉、玉子…うん、大丈夫。


「わかったわ。コロッケね。」


そう言いながらロイセルの顔を見ると、彼はまた耳を赤くする。本当に照れ屋な人。



コロッケ作りに集中する。サラダとスープも同時進行。ふと振り返ると、ロイセルが早々とダイニングに座っていた。


「ロイセル?ごめんなさい。まだなのよ。」

「うん、わかってる。」


これもいつものやり取り。彼は私が食事の準備を始めると、ダイニングに座る。そして、必要な時に手を貸してくれる。

「緊張するからリビングに行ってて。」と何度か言うけれど、彼はまた座る。私も慣れてしまい「まだなのよ。」と、形だけ口にするようになってしまった。



三年が経つ。家族のようだけど、家族ではない。ましてや夫婦でもない。同居人というには距離が近過ぎて、他人というには情が入り過ぎている。

私は三十八歳になり、ロイセルは三十二歳。微妙な関係だった。


周囲の人達は私達が夫婦なのだと思っている。それを私は否定もせず肯定もせず、利用していた。ズルい女。でもロイセルは周囲が誤解していることを喜んでいた。


「なぜ?」と聞くと、「シホに余計な虫がつかないだろう?」

と照れくさそうに耳を赤くして、そうに言った。


ロイセルは自分も私に利用されているとは思っていないのだろうか。

でもズルい私はそれを口にすることはなかった。






「おはよう、シホ。」

「おはよう、リリ。」

「おはよう!シホ!」

「おはよう、ルル。」


リリは私が通う、パン屋の女将さん。とは言っても、私より十五歳も年下。ルルはリリの子供。五歳の女の子。

私はパン屋「リルリル」の店員をしている。ロイセルが私のために、見つけて来てくれた仕事だった。ここのご主人と彼は幼馴染らしい。


その頃、リリはルルに手が掛かって大変だった。人見知りの激しいルルを、リリは一日中抱っこしていた。

パンはご主人のジュールが作るけど、店番が困るということで私を雇ってくれた。

もうあの頃ほどルルに手は掛からないけれど、今リリのお腹には二人目の子が宿っている。私は引き続き、雇ってもらっていた。


「今日は気分がいいの。」

「本当?よかったわ。」

「きょうは、じのおべんきょうをしたいの。」

「本当?後で見せてくれる?」


ルルの小さくて温かい体を抱っこする。

リリとルルはいつも張り合うように、私に話しかけてくれる。ジュールがこっそり教えてくれた話によると、リリとルルはどちらが私のことをよく知っているかを、競っているとか。ありがたい話だけれど、リリとルルの親子関係を心配すると、ジュールは大笑いしていた。


金の髪と青い空のような瞳のリルリルの家族。その一員に入れてもらえたような気がして、どことなくくすぐったい。



「今日は配達が入ってるから。お昼前にシホ、お願いね。」

「ええ。どこに?」

「教会と、領主様の別邸。あと、騎士館ね。」

「わかったわ。」


リリが身重なため、配達は私の仕事。最初の頃は地図を描いてもらっても、迷子になっていたけれど、もう大丈夫。


開店準備をしていると、パンの焼ける匂いに心を奪われる。ルルと一緒に店内の掃除をしたり、店の前の花に水を遣ったり。そうこうしていると、トレイに乗った焼き立てのパンがずらりと出てくる。その時間を見計らったように、お客さんが次々とやって来る。


朝来るお客さんの買う物は朝食用のパン。カンパーニュのように、大きくてどっしりとしたパンだった。

お店にならべるのももどかしいくらい次々と売れていくので、最近は朝の早い時間にパンを並べることはない。

焼き立てを釜戸から食卓へ直行。熱いからみんな手提げカバンでやって来る。


「おはよう、サーナさん。はい、ひとつね。ありがとうございました。」

「おはよう、ジル。はい、いつもの二つ?ええ、ありがとう。」

「おはよう、リーザ。元気?ええ、今日は三つも?いつもありがとう。」


私の「ありがとう」に対する答えは、みんな一緒。「また明日ね」素敵な言葉だと思う。

リリはパンを受け渡すわたしの隣で、誰が何個買って行ったのかを、メモしている。パンの代金はつけがほとんどだから。


朝の忙しい時間を終えると、次はお昼の準備。お昼ご飯にパンを買い求める人のため、ジュールが総菜パンを焼いていく。惣菜はリリの担当。悪阻で気分が悪い時は、私も一緒に手伝っていたけれど、安定期の入った最近は落ち着いている。


総菜パンを店内に並べる作業を終えると、配達の時間だった。リリから配達用のパンをもらい、ジュールに配達の注意事項を聞き、ルルに「行ってくるね。」と挨拶をして出発。


歩いて、教会のシスターへパンを届け、次に騎士館。

私がこの世界に来た時に「警察のような…」と思った所は騎士館だった。実際に領主様の命で動く、警察の機能を持っている所。


「こんにちは、リルリルです。パンをお届けに参りました。」

「ああ、ご苦労様。誰だっけな…。お〜い、リルリル頼んだのは誰だ〜!?」


受付の騎士さんに取次をお願いすると、奥から顔を出したのは、赤に近い茶の髪で背の高い、顔見知りの騎士さんだった。


「やあ、シホ。元気そうだね。」

「アランさんだったのね。」

「アランでいいよ。ああ、パン、ありがとう。…ロイセルは元気?」

「ええ、元気よ。このところ、仕事が早く終わるみたい。」

「ああ、そんな時期だね。これからいい季節だから、そろそろ領主様が別邸に来られるんじゃないかな。…まだ配達あるの?」

「ええ。領主様の別邸へ。」

「隣だね。じゃ、ついでに一緒に行こう。」

「え?でも…。」

「届けなくちゃいけない物があるから、一緒に行こう。」

「…ありがとう、アランさん。」

「アラン、でいいよ。」


アランさんは私に「ロイセルのためにここから出てやってくれないか。」と言ってくれた人だ。私が騎士館に保護されていた時も、穏やかに接してくれた。彼とロイセルは幼馴染だと聞いた。

こうしてパンを買い、ロイセルの様子を聞くフリをして、私にも気を使ってくれている。ありがたいこと…。


最後に向かうのは領主様の別邸。騎士館の隣にある。裏門に回ってそこから入る。私は中に入ることはできないので、受付の人にパンを手渡して終わり。

アランさんは「ちょっと待っててくれる?」そう言い残して中に入った。5分後に出てきたのは、息せき切ったロイセル。


「シホ!」

「ロイセル。どうしたの?」

「君が来てるって、アランが教えてくれたから。」


ロイセルは領主様のお仕事をしている。以前、彼が手入れをした森の様子を領主様が気に入られたようで、以降、領主様の森もロイセルが手入れをすることになったとか。器用な彼は、その他にも領主様から直々に色々な仕事を任されているようだ。

だからロイセルは、森に行く以外には、ほとんど領主様の別邸で仕事をしている。


「今からリルリルに帰るんだろう?送って行くよ。」

「お仕事は?」

「大丈夫。さ、行こう。」


ロイセルはそれだけ言うと、私が持っていたバスケットを取り上げて、歩き出した。手足の長いロイセルが私の歩調に合わせてくれる。

夏が終わり、秋が始まる。高い空と爽やかな風。隣を歩くロイセルはやはり何も言わない。その横顔を見上げると、彼も気づいて私を見てくれる。そして嬉しそうに目を細める。耳を赤くして…。




三年が経つ。私は一つの決断をしようとしている。

ロイセルにそれを話すことができるだろうか…。


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