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「冗談は苦手なの」

 雲行は立ちくらみを感じつつも何とか風呂から上がった。そしてそのままベッドに直行し、気絶するように眠りについた。眠って恥ずかしい風呂密着事件の全貌なんて忘れてしまおうと思ったのだ。

 しかしあまりに早く眠りについてしまったため、微妙な時間に目を覚ましてしまった。この部屋には時計が無いので何時かは分からないが、外はまだ真っ暗なので朝ではないことは確かだ。

 雲行はもう一度眠りにつこうと目を閉じた。

 がその時、カチャリと戸の開く音がし、誰かが雲行の部屋に入ってきた。

 こんな時間に一体誰だろう。足音から、侵入者が雲行の眠るベッドに近付いていることが分かる。もしかしたら泥棒かもしれないと思い、雲行は相手に気付かれないようにうっすら目を開けた。

 瞳に映ったのは月の光で輝く長いプラチナブロンドだった。

 そう侵入者はたゆただった。何が目的でやってきたのだろう。その答えは全く分からなかったが、とりあえず驚かしてやろうと思い、寝たふりをしながらたゆたを待った。

 たゆたが雲行の寝そべるベッドの横までやってくる。きっと今、目を覚ましたら心底びっくりするだろうなと雲行は心の中で笑った。

 ――しかしたゆたの次の行動で、目を覚ますことが出来なくなってしまった。

 たゆたに頬を両手で包まれ、顔を近付けられたのだ。彼女は瞳を可愛らしくキュッと瞑り、心なしか頬を赤く染めていた。

 これはもしかしなくとも、たゆたにキスをされそうになっているのではないだろうか。どういうことだ。意味が分からない。雲行は突然のことに頭が混乱した。

 まだ会って間もないというのに、襲いたくなるほどたゆたは自分に惚れてしまったのだろうか。昨晩の風呂密着事件と何か関係があったりするのだろうか。

 たゆたの細く艶やかな髪が雲行の頬に落ちる。何だかお花みたいな良い匂いがする。風呂場に置いてあったシャンプーやボディソープは別に香り付きでも何でもない安物だったのに、何故たゆたはこんなに良い匂いがするのだろう。

 ドキドキと胸が嫌に高鳴る。心臓の音で寝たふりをしていることがばれてしまうのではないかと心配するほどの激しさだった。

 頬に触れるたゆたの細く白い手は柔らかく、とても冷たかった。

 雲行はキスをしたことがない。というか、自慢ではないが彼女いない歴十六年である。もしこのままたゆたにキスされたならば、それはファーストキスとなる。

 女性ほどこだわってはいないにしても、やはりファーストキスは好きな人としたいものだ。たゆたとはまだ会ったばかりでお互いのことなんて全然知らない。それなのにキスなんてしてしまっても良いのか。これは今すぐにでも寝たふりをやめ、たゆたを止めるべきなのでは。

 雲行の頭の中はごちゃごちゃだった。たゆたの甘い匂いで脳は麻痺してしまうし、心臓の高鳴りが抑えきれない。このままでは頭が変になってしまいそうだ。

「や、やっぱ駄目……」

 しかしその言葉と共に、たゆたは閉じていた瞳をぱっちりと開けた。そして雲行の頬から手を離すと、はあと大きなため息を吐いたのだった。

 どうやら思いとどまってくれたらしい。というよりも、彼女の発言からして捧に無理やりやらされた罰ゲームと考えた方が無難かもしれない。

 たゆたを止めるべきなのではと葛藤していたにも関わらず、心のどこかで残念に思っている自分がいた。

 まだ心臓は激しく脈を打っている。これはもう少し落ち着いてからではないと眠れそうにない。

 罰ゲームに失敗したたゆたはそろそろ部屋を出ていってくれるだろう。そうしたらちょっと外に出て空気でも吸おうと雲行は思った。

 案の定たゆたはドアの方に向かって歩き出した。

 この心臓の高鳴りを抑えるにはたゆたがこの場から去ってくれることが一番だ。やっとこのドキドキから解放される。雲行は小さくふうと嘆息した。

「あ、そうだ」

 と思ったのも束の間、たゆたは忘れ物を思い出したかのようにそう言うと、何故かパフリと雲行の胸辺りに顔を埋めたではないか。一体何をしているのか、雲行には理解出来ない。でも、布団を一枚隔ててはいるものの、これでは心臓の音が聞かれてしまうかもしれないということだけは分かった。

 それでも心臓の高鳴りは治まらない。むしろ先程より強くなってしまっている気がする。これは非常にヤバい。雲行は気が気でなかった。

 だがそんな雲行の心配は杞憂だったようだ。たゆたは少ししてから顔を上げ、嬉しそうにこう言った。

「これが太陽の匂いか……。良い匂い……」

 にっこりと微笑んだたゆたの顔が月明かりに照らされてとてもきれいだった。子供っぽい見た目をしているにもかかわらず、まるで雲行と同じ人間ではないかのような、そんな錯覚さえ起こすほど彼女は美しかった。

 そうしてたゆたはやっとこの部屋を出ていってくれたのだった。

 雲行はたゆたが行ってしまったのを確認すると、上半身だけ起こした。そして両手で赤らむ頬を押さえ、呟いた。

「やばい……」




 うつろ、すすき、一期の三人はいつもの様に広いコートの見える学校の庭のベンチで昼食を共にしていた。でもいつもと違うことが一つだけある。

 それは雨霧雲行がいないことであった。

「今日もあまぎりんはお休みか……。その後、何の連絡もなし?」

 すすきの問い掛けにうつろは力なく頷いた。すすきはそっかと小さく呟き、プスリと弁当箱のミートボールにフォークを刺した。

 小さな沈黙が流れる。目の前のコートでサッカーに興じている男子生徒達を見つめながらうつろは小さくため息を吐いた。

「雲行、携帯持ってないからこっちからは連絡しようもないしな」

 売店で買ってきたサンドイッチの袋を破りつつ一期は言う。

 雲行は携帯を持っていない。高校に入った時、うつろは父親に携帯を買ってもらった。その時うつろの父親は雲行にも一緒に買ってあげようと言ってくれたのだが、居候の身でそこまでしてもらうわけにはいかないと彼は断ったのだ。

 本当は高校も行かず就職すると雲行は言ったのだが、それは却下されてしまった。そしてうつろと同じこの高校に通うこととなったのだ。

「今までお世話になりました。毎月お金送りますって手紙を置いてった……」

 瞳に涙をいっぱい溜めながらうつろはそう語る。

 弁当は開いているものの、全く手を付けていない。実は昨日の昼も弁当を食べなかった。今日もあまり食欲はないようである。

 震えるうつろをすすきは優しく抱きしめた。

「大丈夫、きっとすぐ会えるよ! そうだ、放課後一緒に探しに行かない? いちごんも一緒に探してくれるでしょ?」

「探す探す! このままじゃ妖異幻怪☆魑魅魍魎部潰れちゃうしな!」

「それは潰れていいけど……」

「おい、うつろん! おい!」

 狼狽える一期を見て、うつろは少しだけ微笑んだ。

 そして零れ落ちそうになった涙を手で拭き取り、やっと卵焼きを口に運んだのだった。

「でもあまぎりんが行きそうなとこってどこだろうね」

 すすきはごちそうさまと軽く手を合わせて鞄の中に弁当箱をしまう。

「ゆき君の親戚には連絡してみた。でも来てないって」

「警察には連絡したのか?」

 紙パックのコーヒー牛乳を飲み干し、きれいに畳みながら一期は言う。うつろは頭を横に振った。

「ううん。母さんが絶対やめろって。父さんも大事にしたらますますゆき君が帰って来にくくなるだろうって言ってた……」

「そうか。まあそれは一理あるな」

 警察に頼めないとなれば、雲行の連絡を待つか自分達で探しに行く他ない。

「一応心当たりはある」

「そうなの? じゃあそこ行ってみようよ! どこどこ?」

「突尾山、かしら?」

 突然聞こえた声に驚き、三人は一斉に振り向いた。

 そこにいたのは地味な黒紋付の上に白衣という少々変わった格好をした若い女性だった。漆黒の髪を高いところでポニーテールにし、紫の蝶の髪留めで留めている。瞳はキリリとした釣り目で、口元のホクロが彼女の大人な女性の雰囲気を一層引き立てていた。

「胡蝶ちゃん!」

 彼女は白黒胡蝶はっこくこちょう、日本史の担当であり、妖異幻怪☆魑魅魍魎部の顧問でもあるれっきとしたこの高校の教師であった。

「うふふ。ごめんね、聞いちゃった。昨日珍しく雨霧君がお休みしてると思ったら、そういう訳があったのね」

 昨日一期が言っていた通り顧問の胡蝶が活動状況を確認しに部室にやってきたのだ。でも雲行が休みとなると、部員はすすきと一期の二人しかいない。二人で活動するのも寂しいでしょ? と胡蝶に言われ、昨日の部活は早々にお開きになった。

 その後すすきと一期の二人はうつろを元気付けるために出店へプレゼントを買いに行ったのだ。

「あまり大事にしたくないから黙ってて」

 教師に対するものとは思えない態度でうつろはそう言った。

 普通の教師なら怒りそうなものだが、胡蝶は全く気にする様子もなくけらっと笑う。

「ええ、それも聞いてたわ。雨霧君が帰って来なくちゃ妖異幻怪☆魑魅魍魎部が潰れちゃうもの。内緒にしてあげる」

「胡蝶ちゃんは俺の天使だー! 女神だー! マイエンジェル、こ・ちょ・う!」

「胡蝶ちゃーん! 好きー! 私と結婚を前提に付き合って下さーい!」

 すすきと一期の二人が胡蝶に抱きつこうと両手を広げる。胡蝶は一期だけを器用に避けるとすすきをギュッと抱きしめるのだった。

 胡蝶の胸の中で気持ちよさそうに目を細めるすすきを悔しそうに見つめる一期。

「うふふ、豊穣さんったら」

「ずるーい! 胡蝶ちゃん、俺も俺もー!」

「一期君は駄目。鏡花さんなら良いわよ、いらっしゃい」

「いらねーよ」

 またしても一期だけを上手く避けると、拒否するうつろを胡蝶は半ば無理やり抱きしめた。うつろは心底嫌そうな表情をしている。胡蝶のことがあまり好きではないらしい。

「それよりさ! 雲行のこと話そうぜ!」

 よっぽど自分だけ抱きしめてもらえなかったのが悔しかったのか、一期はぶっきらぼうな感じでそう言った。

「あ、そうだった!」

 すすきは一期の言葉でハッと我に返る。胡蝶の胸の中がよっぽど気持ち良かったらしい。

「雨霧君は突尾山にいるって鏡花さんは踏んでるんでしょう?」

 不機嫌そうにうつろは頷く。

「突尾山ってあれだよね? 今度の部活の。そう言えばあまぎりんから提案されたんだっけ。有名な霊山だって」

「そこ、ゆき君の両親が行方不明になった場所。だから探しに行ったのかも」

「そうかー。その可能性は高いね」

 雲行の両親は妖怪との出会いを求めて霊山と言われる突尾山に登り、行方不明となった。警察に届け出て捜索してもらったのだが結局見つからなかった。そしてもうすぐ失踪からちょうど七年が経つのだ。失踪期間は七年で満了し、失踪者は死亡扱いになるのである。

「じゃあ早いとこ行こうぜ。今日の放課後にでもさ」

「あら、それはやめた方が良いと思うわ。朝から出掛けられる休日にした方が良いわよ」

 すすきと一期の二人は不思議そうに首を傾げる。しかしうつろだけは真剣な表情で胡蝶のことを見つめていた。

「危ないから?」

「ええ。お天道様が出ている間は人間の世界だけど、それ以外は妖怪のような人ならざるものの世界なの。逢魔時っていうでしょう? あれって本当に彼らが大いに力を発揮できる時間なのよね。まあ今の時代じゃ都会の夜は安全だけど……夜の山はちょっと危険よ。霊山である突尾山なら特にね。本来人間が足を踏み入れて良い場所ではないから。素人は明るいうちに行きなさい。昼でも運が良ければ妖怪に会えるし、安全よ。でも暗くなったら神隠しに遭っちゃうぞ?」

 胡蝶はちょっと怖いことをうふふっと可愛らしく笑いながら言った。

 だが、こういう話が大好きなすすきと一期はすごく嬉しそうだ。怖がる様子はない。

「じゃあ日曜に行く。すすきん、いちごん。付いてきてくれる?」

「おう! 喜んでっ! すごい妖怪に会えたら良いなー」

「こらこら、いちごん。遊びじゃないんだぞ。真面目にやってねー」

 と言っているすすきも何だか嬉しそうである。行方をくらませた雲行を探すというのが本来の目的であるのに、少々頼りの無い二人だ。

「じゃ、頑張ってね。あ、そうそう。一期君、後で私の部屋にいらっしゃい。前欲しがってた、アレ。特別にあげちゃう。あと一期君にだけ特別に秘密の話もしてあげる」

「うっひょー! やっぱり胡蝶ちゃんって俺に気があるんじゃ!?」

 またしても一期は胡蝶に抱きつこうとするが、すんでのところで上手く避けられる。

 胡蝶ちゃんってドッジボールやったら最後まで残るタイプでしょ、と涙目で一期は言うのだった。

「坊やはタイプじゃないの。私と同い年くらいじゃなきゃ」

「そう言えば胡蝶ちゃんって何歳なの? 気になるよー」

「ふふ、二百歳よ」

 胡蝶はバレバレ過ぎる嘘を淡々と吐く。どう見たって彼女は二十代にしか見えない。というか二百年も生きる人間がいてたまるか。

「胡蝶ちゃん、せめてもうちょっと分かりにくい嘘吐こうよー」

「ごめんね、冗談は苦手なの」

 そう言って胡蝶はくすくすと笑いながら去っていった。結局彼女が何歳なのかは分からず仕舞いであった。

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