「一番風呂を独り占め」
「居候している家に居づらくなり、一人暮らしをするため家を出たと。崖から落ちたのは本当だけど、記憶喪失は真っ赤な嘘と」
「はい、そうです。すみません……」
電車に揺られながら雲行は事の経緯を捧に話した。
幼馴染の家に居候していること。そこに居づらくなり出てきたこと。宿代を浮かせようとして咄嗟に記憶喪失だと嘘を吐いたこと。
「だから喋り方が棒だったんですね。実はロボットなんじゃないかと心配していたんです。人間で安心しました」
「そんなに棒でしたか」
「ええ、棒でした。うまい棒よりずっと棒らしかったです」
どうやら雲行にハリウッドスターばりの演技力はなかったようである。
「あの……一応少しだけお金は持ってるし、貯金もあるんですぐに出ていきます。騙してしまって本当にすみませんでした」
やはり人を騙すのはいけないことだ。それに一人で生きていけると言いつつ、自分はまた他人に頼っている。甘えているではないか。
これでは駄目なのだ。あの家にいた時と一緒だ。何も変わっていない。
麓で宿をとれば良い。ネットカフェでも良いじゃないか。お金は掛かるがそれが一番正しい選択だ。両親探しだって、いちいち山を登れば済むことだ。
他人に迷惑を掛けてまで、楽な方法を取る必要なんてない。
昨夜の自分はどうかしていた。
きっと不安だったのだろう。生まれて初めての家出だったから。生まれて初めて一人で生きていくことになったから。
だから目の前にいた頼れそうな人間に縋ってしまったのだ。
雲行は心の底から謝ると、捧に向かって深々と頭を下げた。
「いいえ、出ていってはなりません。っていうか出ていくな」
――え?
「え、ええっ!? なんで!? い、いや! 悪いですよ! 出ていきますって!」
一瞬、彼女が何を言っているのかが理解出来なくて反応が遅れた。
すぐに出て行けと言われると思っていた。それにこちらも出て行くつもりだった。
それなのに捧ははっきり「出ていくな」と言った。これは一体どういうことなのだろう。
「駄目です。出ていったら五千万円以下の罰金ですよ」
「え!? ご、五千万円以下の罰金!? そ、そんなにお金持ってない……」
「それが嫌なら屋敷にいなさい。たゆた様のそばにいなさい」
何故捧はこんなにも自分のことを屋敷に置いておきたいのだろう。彼女には表情の変化がないので、何も読み取れない、全く分からない。
「宿泊料は完全無料。三食こん兵衛付き。寝室は自由に使って下さって構いません。ご希望とあらばたゆた様の添い寝も付けますよ。素晴らしい。なんと魅力的なのでしょう」
「は、はい。とっても……」
特にたゆたの添い寝が魅力的だ。
「で、でもなんで……? い、良いんですか?」
「本当は良くありません。誰であろうともう二度と人間をたゆた様に近付けたくなんかありません。でもこれはたゆた様のためなので仕方ないのです。あなたはしっかりたゆた様のものになって下さい」
「え? もう二度とって、前にもこんなことがあったんですか? あ! もしかして若い夫婦なん――」
「何ですか、それ。そんなことはありませんでしたよ。一度も、ね」
瞬間、鋭い視線が雲行を貫く。それは逸らそうとしても逸らすことが出来ないくらいに威圧的な視線だった。
捧は何かを隠している。雲行に知られてはいけない何かを。
そう確信出来るような、そんな視線だった。
「……それより、もう隠していることはありませんね?」
「え? あ、えと……はい」
雲行は今まさに両親のことを話さんとしていた。
でも何かを隠している捧を見ていると、どうにも続きを口にする気にはなれなかった。
もしかしたら両親がどうなったのか、彼女は知っているのかもしれない。両親が失踪した原因が捧に、もしくはたゆたにあるのかもしれない。
七年前だとたゆたは八歳だし、捧も幼かっただろうから直接関係しているわけではないと思う。でもたゆたの、存在が見当たらない両親になら雲行の両親を殺したりすることなんかも……。そんなことを考え出すと、止まらなくなってしまう。
それはないと思いたい。でも心の中に生まれた小さな疑惑の種は、そう簡単に消し去ることが出来なかった。
他人に頼ってばかりはいられない。でもあの屋敷にはもう少しだけいる必要がある、雲行はそう思うのだった。
「あるんですね。まあどうでも良いです。たゆた様には記憶喪失という嘘を吐き続けること、それさえ守って頂ければ構いません」
「え? 嘘、吐いたままで良いんですか?」
意外だった。捧ならすぐにたゆたに真実を話して焼き土下座しろとでも言うのではと思っていた。一応覚悟もしていたのだが、どうやらその心配はないようである。
たゆたにはこのまま嘘を吐き続ける。それに一体どんな意味があると言うのだろう。
「焼き土下座させられるかと思った……」
「しますか? 良いですよ。張り切って鉄板を用意しますよ」
「え、遠慮させていただきます!」
帰宅後、朝食と同じようにたゆたと捧と三人でこん兵衛を食べ、雲行は自室へと戻った。
心なしか朝より廊下が少しだけきれいになっているように感じつつ、部屋のドアを開けた。部屋の中も何となくきれいになっているような気がする。どうやら雲行達が出かけている間にたゆたが一人で屋敷を軽く掃除してくれたようだ。だがしかし、鬼姑のチェックを受けたら全部やり直し! と確実に言われるだろう雑さだった。あの子は多分O型だな、と雲行は独りごちた。
とりあえず試しにベッドに倒れ込んでみる。すると意外にも布団からは全く埃は立たなかった。それに加えて太陽の良い匂いがする。洗って干しておいてくれたようだ。
「あ、あの! 何か変わったような気がしないか?」
見るとたゆたがもじもじしながらドアの所に立っていた。雲行はベッドから立ち上がり、うーんと首を傾げる。
「変わった? 何か変わったかなあ?」
「か、変わっただろ! ほら! 今、君が寝てたベッドとか!」
「ベッド? そうかなあ? 変わったかあ?」
「変わったよ! そ、それに他にも変わってるだろ? 私もくしゃみしなくなったし!」
「あー。それは良かったね! やっぱ寒さが原因だったのかな?」
「そ、それもあるけど! でも!」
すごく必死にそう言うたゆた。
雲行は分かっている。たゆたは自分が掃除したことを褒めて欲しいのだろう。ありがとうと感謝して欲しいのだろう。
でもこんな必死な彼女を見ていると何となくいじめたくなってしまうのだ。少しだけ捧の気持ちが分かった気がした。
「何? 全然分かんないんだけど?」
「……そうか。次は頑張る……」
そう言ってすごく残念そうに肩を落としながらたゆたは部屋を出ていこうとした。
流石に可哀想なことをしてしまったかなと反省し、彼女を呼び止める。
「待って。ごめん、冗談。掃除してくれたんだよね? ありがとう。布団から太陽の匂いがしてとっても気持ち良いよ」
「き、気付いてたのか!? い、意地悪なやつだ。で、でも良かった。汚い部屋を貸すのは私のプライドがどうも許さなかったのでな」
朝よりマシになっただけなのでお世辞にもきれいとは言えないが、嬉しげなたゆたを見ているとそんなことはどうでもいいと思えた。
「廊下とかも掃除したんだろ? 俺が掃除した方が良いって言ったから?」
「べ、別に……君に言われたからというわけではない。この屋敷に捧以外の人間がいることなんて珍しいから……少しはもてなしてやろうかと思っただけだ」
ぷいっとそっぽを向きながらたゆたは言う。どうやら照れているようで頬が少しピンク色に染まっていた。素直じゃない。
でもそんなところが少し子供っぽくて可愛らしく思えてしまうのだ。
「いつも二人なの? お父さんお母さんってどうしてるの?」
「はっきり聞くな、君は」
「あ、ごめん……」
雲行と同年代の少女がたった二人で暮らしているのだ。何か深刻な事情があるに違いない。そして他人がほいほいと踏み込んでいい話ではないかもしれない。本当は聞くべきではないのだろう。
でも聞いておきたかった。たゆた達は関係ないとしても、たゆたの両親が雲行の両親の失踪に関わっているかもしれないのだから。
答えてくれないかと思ったが、たゆたは意外にもあっさりとこう言った。
「別に良いよ。七年前に交通事故で二人とも死んでしまった。それからずっと捧と二人だ」
「七、年前……」
「うん、七年前。じゃあ代わりに君の話を聞かせてもらおうかな。君の両親は……って、そうか。君は記憶そ――」
「俺の両親も七年前から行方不明なんだ」
「……え?」
たゆたがどういう反応をするか、窺いたかったのだ。
だが雲行は今、設定上は記憶喪失男だった。たゆたには記憶喪失だという嘘を吐き続けることを捧と約束してしまっている。言ってしまってからああ、しまった! と後悔した。
「君、思い出したのか!? 両親は行方不明なのか……それは辛いだろう。でもこれで元の生活に戻れるな! 本当に良かった!」
まるで自分のことかのようにたゆたは喜んでくれている。
でも雲行は嘘を吐き通さねばならないのだ。どんなにぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶたゆたがうさぎみたいに可愛くて見えてもだ。
「あ! え、えと! だ、断片的に! 非常に断片的にだから! たゆたちゃんの話の七年前というキーワードで突然、断片的に!」
「……なんだ、そうか。残念だ……」
これまた自分のことかのようにたゆたは沈み込む。でもすぐに気を取り直してこう言った。
「でもあれだな! と言うことはキーワードが合致すれば記憶を取り戻すことが出来るということだな!」
「あ、うん。そ、そうかもね」
雲行は適当に返答する。
するとたゆたはにやけそうになるのを必死に堪えているような変な顔で言った。
「だな! な、ならいっぱいお話しした方が良いと言うことだ……。ちょ、ちょうど毎日暇をしていたし……つ、付き合ってやってもいいぞ……お話」
なんと分かりやす過ぎる反応なのだろう。雲行の記憶を取り戻してやりたいと言う気持ちもあるのだろうが、どう考えても自分が話したいという気持ちの方が強そうである。
きっとこの屋敷にずっと籠っているため、会話に飢えているのだろう。捧とは毎日一緒にいるので真新しい会話もないのかもしれない。
見え見えなたゆたの態度が何だか可愛らしくて、雲行は笑ってしまった。
「な、何故笑う!? あ、もしや私じゃ嫌か? そ、それなら捧に頼んでも良いけど……」
「あ! いやいや、たゆたちゃんにお願いするよ。よろしくね」
「そ、そうか? な、なら……こちらこそよろしく」
たゆたに手を差し出され、雲行は快くその手を握り返した。
そう言えば昨日は捧に邪魔をされたため、ちゃんと握手が出来なかったのだ。やっと二人は一晩越しの握手を交わすのだった。
「あ! で、でも……エ、エロい話とかは……私は苦手なので……常にそういう話をしたいかもしれないが……で、出来れば……避けて頂けると助かる……のだが……」
「俺、そんな常にエロい話とかしないよ!? むしろ一度もしないよ!」
一期から預かったエロ本達のおかげでどうやらたゆたは雲行におかしなイメージを持ってしまったようである。少しずつ、自分は常に大量のエロ本を所持した変態ではなく普通の男子高校生だということを伝えていかなければならないようだ。
「そ……そうなのか……?」
「そうなんです!」
それから雲行はたゆたと少しだけ会話をした。雲行は記憶喪失ということになっているため自分のことはあまり話せない。その代わり、たゆたの話をたくさん聞くことが出来た。
それで分かったことがある。例えば、水道・ガス・電気、全て通ってはいるものの、全部節約のために出来るだけ使わないようにしていること。だからテレビもパソコンもなく、必要最低限の電化製品しか置いていないこと。昼は太陽光、夜はロウソクを灯りにしていること。水道代やガス代節約のためお風呂は二人で合わせて二回以上は絶対に入らないようにしていること。捧の年齢は十九歳であること。たゆたはこん兵衛がこの世で一番美味しい食べ物だと思っていることなどだ。
たゆたの話はどれもこの屋敷であったこと、それも捧との出来事だけだった。学校とか友達とか親戚とか、それに在りし日の両親とか、捧以外の人間が出てくる話は一つもなかった。
会話の中で彼女の両親の話を聞き出すつもりだったが、話題がどんどんどんどんずれていく。でも起動修正する気にもならなかった。たゆたとこんな風に会話をするのが何だか楽しかったのだ。
たゆたの両親は亡くなっているらしいし、たゆたは七年前、八歳だ。彼女は全く関係ない。彼女の両親が何かしていたとしてもきっと知らない。だから何も聞き出せるはずはない。だからもうどうでもいいと雲行は思った。
たゆたのことを疑ったりするのはもうやめにした。たゆたとの会話を心の底から楽しめば、それで良いのだと。
「それでだな! その時、捧がな――」
「たゆた様、温かいお風呂が沸きました」
見ると捧がドアの所に立っていた。たゆたはくるりとそちらに振り返り立ち上がる。
「そうか! では一緒に入ろう、捧! うちのお風呂は一日二回までだからな!」
さっき話しただろうと言わんばかりの笑顔でたゆたは雲行の方を向いた。
よっぽど捧以外の人間と話せたのが嬉しかったのだろう。たゆたは先程からとってもご機嫌だった。頬は緩み切っているし、声もどこか弾んでいた。
「ご、ごめん。俺だけ一人風呂で……」
「良いんだ! 君はめったにないお客様だからな! では風呂に行こうか、捧!」
「そのお誘いはとてもとても嬉しいのですが今回は遠慮しておきます」
「何故だ? 入らないのか?」
「一番風呂を独り占めと言わんばかりの勢いでもう入りました」
「おい!」
もう捧が入ってしまったため、一日二回のお風呂が残り一回になってしまった。
「やりたい放題だな。まあ良い。私は入るのをやめよう。君に譲るよ」
「ええっ? でも居候の身だし、そんなの申し訳ないよ!」
「お二人で一緒に入れば良いじゃないですか」
「ちょっ、捧さんっ! なに言ってるんですか! そんなこと出来ませんよ!」
「う、うーむ」
たゆたは悩んでいる。いや、悩むな悩むな! 無理に決まってるだろう! 雲行は心の中でそうツッコミを入れる。
いくらたゆたの見た目が小学生だと言っても彼女はれっきとした十五歳だ。雲行と一つしか違わない。うつろとすら一緒に入ったことがないというのに、出会ったばかりのたゆたとお風呂なんて入れるわけがない。
「大丈夫ですよ。タオルを巻いておけばどうということはありません。混浴というものもあるんですから世間じゃ普通。ごくごく一般的なことですよ」
「そ、そうだな。混浴があるんだし……」
「普通じゃないよっ!」
「い、一緒にお風呂……入ってくれるか?」
狙っているのかと疑いたくなるほどあざとい上目遣いでたゆたが見つめてくる。そんな潤んだ瞳で見つめられたら、断りたくとも断れないではないか。
「う、あ……え……」
「駄目……か?」
駄目なわけがない。自分だって一緒に入れるものなら入りたい。
でも、常識で考えれば駄目だ。そんなことは許されない。
許されない、のだが――。
「い、いや……は、はい……。入り、ます……」
雲行は欲望に負けた。
「良かった。一人でお風呂に入ってしまったことを後悔し、罪の意識に苛まれていたのです。本当に良かった。それではごゆっくり」
絶対罪の意識なんかに苛まれていなさそうな表情で捧は言う。何だか全て捧の手のひらの上な気がして仕方がないのだった。
雲行は服を脱ぎ、腰にタオルを巻いて浴室へと足を踏み入れた。たゆたに渡された入浴剤を浴槽に注ぐとお湯が真っ白になり、底が見えなくなった。雲行は急いでその真っ白の浴槽にどぶんと浸かり、そわそわしながらたゆたを待った。
「入って大丈夫か?」
「あ、はい! だ、大丈夫でごわす!」
母親以外の女性とお風呂に入るなんて雲行は初めてだった。先程から胸のドキドキが治まらなくて、どうにかなってしまいそうだ。
「あ、あんまり見ないでくれよ。引きこもりだからだらしない体なんだ」
タオルを巻いたたゆたがもじもじしながら浴室に入ってきた。
彼女はそう言うが、全くだらしない体なんかではない。胸の辺りは少し残念な感じだが、ウエストは細いし鎖骨はセクシーだし太ももは柔らかそうだし……とここまで考えて雲行はふるふると頭を横に振る。
あまり見てはいけない。見てはいけないのだ。
しかしたゆたの方に目が行ってしまうのが悲しき少年の性であった。背中の小さな蝶の羽のような痣までしっかり見てしまった。
「とりあえず髪を洗ってしまうな」
そう言うとたゆたは椅子に腰掛け、シャワーで長い長い髪を濡らした。全然濡れきっていないが、本人は全く気にしていないようである。
そしてシャンプー剤を手に取ると、それで髪をごしごしと洗い始めた。先程と同じで全く洗えていない。シャンプーが一つも泡立っていないのだ。
雲行は浴槽にもたれ掛りながらたゆたのうなじに向かって言う。
「全然洗えてないけど」
「ん、そうなのか? いつもこうだけど……」
「髪はまだしも頭皮はしっかり洗わないとってお――」
幼馴染が言っていたと言いかけて雲行は口を噤む。危なかった。もう少しでうつろのことを話してしまうところだった。
「詳しいんだな」
素直に感心した様子でたゆたがこちらに振り返った。
「あ、いや、まあね! 洗髪の匠と呼ばれていたようだからね! あははははっ!」
「洗髪の匠!? すごいな! じゃあ私の髪を洗ってくれないか?」
たゆたはキラキラと目を輝かせる。雲行の洗髪の匠宣言を本気で信じてしまったようだ。調子に乗って言い過ぎたと雲行は後悔した。
でももう後には引けない。
「よっしゃ! 任せとけ!」
こうなりゃ自棄だ。雲行は浴槽から乗り出しつつ、シャワーでたゆたの髪を一度しっかりと濯ぎ、シャンプー剤を手に取った。そして前、うつろの雑誌を暇つぶしに読んだ時に見た『かぐや系女子必見! かぐや姫みたいなつやつやロングヘアーになれちゃう秘密の洗髪方法☆』を思い出しながら洗い始めた。
「ふふっ! こしょばい!」
「え? ご、ごめん!」
確か爪でがしがしと洗ってはいけないのだ。指の腹でマッサージするように優しく優しく。これで合っているはずだが、どうやらこそばゆいようでたゆたは笑っている。
「マッサージみたいだな。こしょばいけどちょっと気持ち良い」
「そ、そう?」
あれ? もしかして自分は洗髪の才能があったりしちゃうのかと雲行は馬鹿なことを思うのだった。
最後にシャンプーが全体に行き渡ったのを確認し、もう一度シャワーでしっかりとすすいだ。
「何かいつもより髪を洗ったって感じがする! ありがとう!」
嬉しそうにたゆたは微笑む。お湯で濡れたタオルが体に張り付いて、すごく際どい状態になっているのを雲行は見て見ぬふりをした。
「か、体洗うでしょ? 俺、あっち向いてるから」
「あ、うん。分かった」
このままではのぼせてしまいそうだ。湯の温度のせいではなく恥ずかしさで。
「次、どうぞー」
たゆたは本当にちゃんと洗ったのだろうかと思うほど早く体を洗い終えた。だが流石に体を洗ってあげるわけにもいかないので何も言わないでおいた。
今度はたゆたが湯船に浸かり、雲行が髪と体を洗う番である。さっさと終わらせてさっさとこの狭い空間から逃げようと思った。
「私が髪を洗ってあげようか!」
楽しげな声色でたゆたは言う。
「いや、良いです! ちゃんと洗えなそうだし!」
「し、失礼な。ちゃんと洗えるぞ。試させてくれ!」
たゆたは浴槽から乗り出して、雲行からシャンプーを奪おうとする。
しかし雲行は渡さない。先程のたゆたの洗い方じゃどう考えても二回洗わないといけなくなる。そうしたらこの空間にいる時間がそれだけ長くなるのだ。それはどうしても避けたい。いつ鼻血が出てもおかしくないくらいのぼせ上がっているのだから。
「駄目! 自分で洗うから良い!」
「洗ってくれたお礼に洗わせて! 一回だけだから!」
思い切り浴槽から乗り出すたゆたから雲行は必死にシャンプーを死守する。どれだけたゆたは雲行の髪が洗いたいのだろう。
とその時だった。
たゆたがつるんという効果音付きで滑った。乗り出していたため、たゆたは浴槽から雲行の方へ飛び出してしまう。
雲行は反射的に目を瞑る。そして浴槽から飛び出してきたたゆたに押し倒されて、床で後頭部を思い切り打った。
ああ、どうしようと雲行は心の中で呟いた。瞳を開かなくてもその柔らかな感触で分かってしまう。今、タオル一枚だけを隔てた状態で自分はたゆたと抱き合うような形になっている。
瞳を開くと案の定たゆたの可愛らしい顔が間近にあった。それにたゆたのとても柔らかな肢体と自分の体が密着していた。
予想外だったのは、たゆたのタオルがはだけていたことだった。もうほとんど肌と肌が密着しているのと同じ状況だったのだ。つまり裸と裸で。
一気に顔全体が紅潮する。通りでタオルの感触がしないはずだ、あははははと心の中で雲行は狂ったように笑った。
このままではおかしくなってしまいそうだ。のぼせ上がって全身の穴という穴から血を吹き出して死んでしまうかもしれない。
「あ……ごごごごご、ごめんなさいっ!」
どうやら混乱していたらしいたゆたが状況を理解してやっと離れてくれた。
でももう遅かった。雲行は鼻から真っ赤な血をたらし、のぼせ上がって気絶した。