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「真っ赤な嘘はすぐばれる」

 次の日、雲行は寒さで目を覚ました。寝る時はちゃんとかぶっていたはずの毛布がベッドからずり落ちている。どうやらこの十一月末の寒い時期に何もかぶらず眠っていたようだ。もうひと寝入りするつもりなどはなかったが、とりあえず床に落ちた毛布を拾い上げそれを羽織った。

 昨日、と言うか今日の深夜に案内された部屋は、思ったより何倍も豪華だった。中世ヨーロッパのお城の一室を思わせる造りをしており、王様になったような錯覚にさえ陥ってしまいそうな、そんな寝室だった。

 というよりも、この屋敷自体が中世ヨーロッパのお城みたいである。まるでおとぎ話から抜け出してきたかのようなのだ。

 しかしこんなに素晴らしいお屋敷だというのに掃除は全くなされていなかったようだった。この部屋なんか特に放置状態だったらしく、入った瞬間からくしゃみが止まらなかった。捧に掃除道具を渡され、眠気眼を擦りつつ軽く掃除はした。だがまだ不完全だ。今日は一日掃除かなと考えながら雲行はベッドから立ち上がった。

「おはよう。気分はどうだ? はーくしゅんっ!」

 くしゃみをしながら雲行の部屋にやってきたのは、昨日と同じでTシャツ一枚をワンピースみたいに着用したたゆたであった。こん兵衛が三つ乗ったお盆を運んでいる途中だということも昨日と全く同じである。

「おはよう! 毛布を蹴飛ばしてたみたいでちょっと寒かったかな。たゆたちゃんも寒そうだね?」

「寒いのもあるがこの部屋は埃がすごいな。二年前の正月にちょちょいと大掃除したはずなんだが……はっくっしょん!」

「二年も掃除してなかったらそりゃこうなるよ。しかもちょちょいと大掃除って何……」

「ふーん。そういうもんか。まあ掃除するなら手伝うから言ってく……くしゅんっ!」

 この埃だらけの部屋はたゆたの体には合わないようだ。先程からくしゃみが止まらないようである。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫だっくしゅんっ! 大丈夫、大丈夫! さ、朝ご飯を食べよう。付いてき……はーくしゅんっ!」

「早く出よう! 君の鼻孔を刺激する埃だらけのいたずらな部屋を!」

「な、何だそれ……」

 雲行はたゆたの肩を掴んでグルンと出口の方に体を向かせると、そのまま背中を押して埃だらけの部屋から避難させた。これでくしゃみをするたび片手で口元を押さえるため、いつかお盆を落とすのではないかと冷や冷やする必要もなくなる。

「微妙に廊下も埃が舞ってるね。大掃除した方が良いんじゃない? なんか廃墟みたい」

「ドイツの廃墟、ハイデルベルク城をモチーフに建てられたからな。仕方のないことだ。それより君はいつまで私の背中を押すんだ? 私は自分の力で歩ける子だぞ」

 まだ雲行はたゆたの背中を押していた。小さなたゆたは軽い力で押しただけでスーっと廊下を進んでいく。それが何だか面白かったのだ。

 こんな風に汚い廊下を滑っていたら、たゆたの紺色のハイソックスは埃で真っ白になってしまうだろう。というかもう既に真っ白かもしれない。

 でもたゆたは抵抗せず雲行に身を任せていた。

「それとこれとは別だろ? 掃除はちゃんとしなきゃ」

「無視……。ああそうか。この謎の遊びは掃除の一環的な何かか。後で私の靴下が真っ白になったことを見ながら笑ったりして楽しむんだな」

「ん? ああ、ごめん。最小限の力でスイーッと進んでいくのが何か面白くってつい。嫌なら止めるよ」

 雲行はそう言ってたゆたの背中から手を離す。

「え?」

「え?」

 するとたゆたは何で離したの? とでも言いたげに上目使いでこちらを見つめてくるではないか。色々言っておきながら、彼女自身も結構楽しんでいたようだ。

「実はちょっと楽しかった?」

「べ、別に! そう言うわけではない! た、ただ急に手が離れたから驚いただけであって歩かないで良いから楽だなーとかちょっと楽しいなーとか思ってない! 全くと言って良いほどな!」

「ふーん、そう」

 素直じゃない。どう考えてもそういう風に思っていたにも関わらず認めようとしない。

「な、なんだ。その素っ気ない感じは。ほ、本当だからな」

「へーそうなんだー。じゃあやめるねー」

 わざとらしくそう言って、雲行はたゆたの隣に並んで歩き始める。彼女の顔をちらりと盗み見ると、すごーく残念そうな表情をしていた。

 やはりさっきの遊びを続けたかったのだろう。でもそれを言ったら子供っぽいと思われると考えて素直にならなかった、そういうことなのだろう。

 たゆたは他人に子供っぽいと思われるのが心底嫌みたいだ。

「やっぱりこれ面白いから続けるね」

「え!? う、うん! そうか! き、君は子供だな!」

 すごく嬉しそうに笑いながらたゆたはそう言った。

 何故か胸がきゅんと苦しくなる。理由が良く分からなかったので、小動物や小さい子を見た時に感じる気持ちだと雲行は勝手に自己完結させておいた。




 捧は朝ご飯のこん兵衛を光の速さで食べ終わり、どこかへ出かける準備を始めた。

 雲行はどこへ行くのだろうとそれを横目で観察しながらのろのろとこん兵衛を食べていた。たゆたも雲行と同じくらいの速度でのろのろとこん兵衛を食している。大好物のきつねに齧り付く様は昨日と変わらず幸せそうだった。

「では行ってまいります」

「ああ、もう行くのか。よろしく頼んだぞ。今日はどの辺りに行くつもりなんだ?」

「今日はこの間と同じ桜畑まで行って参ります。良く売れましたので。帰りもこの間と同じ夕方頃になるかと」

 どうやら捧は桜畑という駅まで何かを売りに行くらしい。彼女の傍らには古びた革のトランクがあった。その中に売り物が入っているのだろう。

「気を付けて行ってくるように。夕飯はこん兵衛で良いか?」

「夕飯も、でしょう。では行きますよ、HSMRM」

 たゆたの真似をして最後まで残していたきつねを今から食べようとしている時だった。

 雲行は捧にグイッと首根っこを掴まれて、椅子からずり下ろされた。そしてそのままズルズルと引っ張られていく。華奢な体のどこにこんな力を隠し持っているのか、不思議で不思議で溜まらない。

「えっ!? 俺も行くんですか!?」

「私もびっくりだ。連れて行くのか?」

「ええ。ここにいるからには働いてもらわなくては。働かざる者食うべからずですよ。それでは留守番よろしくお願いしますね、たゆた様」

 雲行はこのまま桜畑の駅前に連れて行かれ、多分売り子をさせられるのだろう。

 せめて着替えくらいはしたいと思ったが、どうにも抵抗出来そうにない。まあどうせ知らない人ばかりだしどうでもいいやという結論に達し、大人しく捧に引っ張られておくことにした。

 それに、ちょうど麓に下りたいと思っていたのだ。公衆電話で学校に『インフルエンザで数日休む』と連絡を入れるためである。何の連絡もなしに休めば、鏡花家に教師から電話がかかってくること間違いなしだ。

 雲行はこれ以上彼らに余計な迷惑を掛けたくはなかった。

「たゆたちゃん! それ食べていいよ!」

「え!? それってきつね!? で、でもそれは!」

 何か言いたげなたゆたを残し、雲行は捧に引っ張られながら屋敷を後にした。

 この後たゆたは雲行の食べたこん兵衛にラップをして冷蔵庫に入れたのだが、二時間ほど食べるか食べるまいか悩みに悩んだことは誰にも知られていない。




 電車を乗り継ぎ三十分。雲行は捧に連れられ、寝起き姿のままで桜畑という大きな駅にやってきた。百貨店やホテルや会社、たくさんの高層ビルが立ち並び、サラリーマンや学生、若いカップルや親子連れなど様々な人々が行き来する繁華街の一つである。

「さて、この辺で売りますよ。用意して下さい」

 捧は歩道橋の端に自分の分だけ持ってきた折り畳みの椅子を置き、偉そうに足組みしながらそう言った。どうやら自分は何もする気が無いらしい。仕方なく雲行はずっと持たされていた革のトランクを広げた。

「あれ……これって……」

 トランクの中に入っていたのは手作りグッズの数々だった。ヘアアクセサリーにミニバッグ、ボレロにペンダントにマフラー。どれもコットン糸などで編んで作られているようで、とても優しげなイメージを受けるものばかりだった。

 そしてすすきがうつろとお揃いで買っていた、あのヘアゴムと良く似ていた。そう言えばメイドのお姉さんがどうとか言っていた気がする。

「なんです? 何か見覚えでも?」

「あ! い、いえ! こ、これってどこからか仕入れてるんですか?」

 雲行は捧の問い掛けに少し慌てつつもそう言った。

「は? HSMRMは馬鹿ですか? 馬鹿もここまで来ると救いようがないですね」

 捧はあからさまに呆れた様子で、はあと大きくため息を吐く。

「い、いや。何がですか? 意味分かんないですよ」

「たゆた様が作ったのですよ。どう見てもそうでしょう。あなたの目は節穴さんですね。目潰しして良いですか? 良いですね」

「良くないです! ってかこれ、たゆたちゃんが全部? すごい……」

 彼女の言う『仕事』とはこれのことだったようだ。昨日も遅くまでこれを作っており、息抜きに散歩に出ていた時に倒れた雲行のことを発見したのかもしれない。

「たゆた様はとても努力家ですから。さあ、ごちゃごちゃ言ってないで働いて下さい」

「は、はい……」

 トランクの中に一緒に入っていた麻の布を地面に敷き、そこにたゆたの作った手編みグッズ達を並べていく。もっとそれはそっちに、これはこう置いた方が良いと捧にいくつも注文を付けられながらもやっと販売できる状態にまで持っていくことが出来た。

「ご苦労様です。次は客引きをしてもらいます。何か面白いことをして下さい」

「ええっ!? 出来ませんよ!」

 捧からいきなりの無茶振りである。別に芸人でも何でもない雲行は万人に受けそうなネタなんて持ち合わせていない。気の利いた面白いことなんか一つも出来ないのだ。

「ほう。出来ない。そうですか……。でも実は出来ますよね?」

「いや! だ、だから出来ませんって!」

「かーらーのー?」

「かーらーのー? じゃありませんよ! 出来ませんって!」

「残念ですね。それではあなたには屋敷を出ていってもらわねばなりませんね。非常に残念ですが」

 そう言いつつも捧は笑っていた。とても不気味な顔で笑っていた。

 こんな恐ろしい顔をされては、断ろうにも断れない。

「あーすみませんっ! わ、分かりました! 何かやります!」

「流石客引きのプロと呼ばれた男ですね」

「そんな風に呼ばれたこと一度もありませんけどね……」

 とは言ってみたものの、何をすればいいのだろう。この歩道橋を通る人達の目を引くこととは一体何なのだろう。考えてみてもなかなか答えは出ない。

「まだですか、プロ」

「し、仕方ない……あの秘蔵のネタを出すしか……」

 雲行はそう呟き、目を閉じてすうっと一度深呼吸した。そして大きく目を見開く。羞恥心を必死に押し込めながら。

「プロの目の色が変わった……? 遂に拝めるのか……やつの究極のネタが!」

「捧さん! 何か恥ずかしいから止めて!」

「みなさん見て下さーい。彼が今から面白いことやりまーす」

「だから止めてって!」

 捧の呼び掛けにより、待ちゆく人達が雲行に注目し始める。せっかく押し込めた羞恥心がまた顔を出し始めた。

 でもここで決めなきゃ男がすたる。それに屋敷を出ていかされることになってしまうかもしれない。

 雲行はもう一度大きく深呼吸してこう言った。

「妖怪モノマネ百連発やります! まずは天井嘗!」

 べローンと舌を必死に伸ばし、自分の右手を天井に見立ててなめる真似をする雲行。

 最初は河童とかそういう有名所からいけば良いものを、微妙な妖怪を選んでしまったせいで似ているのか似ていないのか、というかその妖怪は一体何なのかみんな分からない。全く伝わらない。捧も待ちゆく人達もこれには苦笑いである。

 でもこのモノマネは百連発。伝わっていようがいまいが、まだまだ続く。

「手長足長! はい! これ手足、伸びてます! 今伸びてます!」

「あの……HSMRM?」

「首かじり!」

「HSMRMー」

「一本ダタラ!」

「雲行」

「何ですか!? これ順番で覚えてるんで話しかけないで下さい! ごっちゃになります!」

「もういいです。何と言うか……恥ずかしい」

 ――ガーン。

 初めは恥ずかしかった。でも途中からだんだん乗ってきて、結構いい感じにモノマネ出来ていると思い始めていたのだ。ちょっと今日は良い調子だな、なんて思ったのだ。むしろこれムービー撮っとけば良かったと思ったぐらいなのだ。

 それなのに一言恥ずかしいと言われてしまった。

 途端に羞恥心が湧き上がってきて、頬がものすごい速さで熱くなった。多分茹蛸みたいに真っ赤に染まっていることだろう。

「普通に売りましょう。集まった人がどんどん引いてしまっています」

 捧の言う通り、一度は人が集まってきていたのに、いつの間にかこちらを見ている人間は一人もいなくなっていた。モノマネに必死で周りが見えていなかった雲行だったが、気付かぬうちにこんな悲しい状態になっていたのだ。

「かなり今日は良い感じで出来てたのにー!」

「あなたのせいで売れるものも売れなくなってしまいそうです」

「捧さんがやれって言ったんでしょ! もう嫌だ恥ずかしい死にたいー!」

「妖怪百連発をやれとは言ってませんがね」

 泣きそうになりながらも、ずっと突っ立っているわけにもいかない。街ゆく人達の目線が痛い。そそくさと捧の横に座って、ずっとここで売り子やってましたよーみたいな雰囲気を醸し出しつつ、恥ずかしい気持ちを誤魔化す雲行なのだった。




 コンビニで買ってきたアンパンと牛乳という張り込みセットで昼ご飯を済ませ、午後も雲行と捧は同じ場所で出店を開いていた。

 雲行の妖怪モノマネ百連発でお客を何人か逃してしまったが、それでも朝から合わせて二十人ほどがたゆたの手編みグッズを買っていってくれた。午前中だけでもざっと二万円くらいは稼げたみたいだ。午後も同じくらい売れれば結構な額になる。

「結構売れるもんなんですね。驚きました」

「そりゃそうです。あの可愛いたゆた様の手作りですよ。たゆた様の温もりが感じられるのですよ? 誰が買わずにいられますか? 私なら迷わず全部買います」

「捧さんはたゆたちゃんのことが大好きなんですね」

 恥ずかしげもなく真顔で淡々とそう告げた捧に、雲行は笑顔でそう返した。たゆたのことが大好きで大好きで堪らない感じが何だか微笑ましかったのだ。

「大好きです。たゆた様をいじめていると何とも言えない気持ちになります。最高です」

「そ、そうですか……」

 どうやら雲行が思っているような微笑ましいものではないようだ。捧はとても変わった人なのだということを雲行は再確認した。

 その後、午前中に負けず劣らないくらい手編みグッズは売れた。むしろ午後の方が多かったかもしれない。学校帰りの学生がとても多かったせいだろう。持ってきた売り物のほとんどが売れ、残りは数少ない。こんなにたくさん売れて、たゆたもさぞ喜ぶだろう。

 そろそろ日も沈んできたので店仕舞いをしようかと捧に提案され、雲行は売り物を片付けようと立ち上がった。

 その時だった。

「どこ行っちゃったんだろうね。事件に巻き込まれたりしてなきゃ良いけど……」

「うつろんも元気なかったし心配だよな」

 そんなことを話しながら雲行達の出店の方に向かって歩いてくる男女がいた。制服を着ているのできっと学生だろう。

 瞬間、雲行は反射的に下を向く。そして残っていた手編みの帽子を掴んで顔が見えなくなるくらいに深く被り、ポンチョを羽織り、マフラーを首にグルグルと巻き付けた。

「おい。売り物を被らないで頂けますか? おい」

 捧に帽子を取られそうになるが、雲行は必死に抵抗する。帽子を、ポンチョを、マフラーを取られてはいけない。取られたらそこで終わりなのだ。

「あーっ! きれいなお姉さん! 良かったー! 今日もいた!」

 ――来た。元気そうな制服姿の少女がこちらに駆け寄ってきた。ススキみたいな髪をサイドで一纏めにした、八重歯が可愛い小動物みたいな女の子だ。彼女の横にはパーマが良く似合うモデルみたいに背の高いイケメンが立っていた。

 そう紛れもなくそれはすすきと一期だった。

「へー、この人がすすきんの言ってたきれいなお姉さんかー」

「そうだよー。こないだお姉さんに選んでもらったヘアゴム、めちゃくちゃ喜んでもらえたんです! 今日も選んでもらえますか? その子、ちょっと元気なくって……」

「それは良かった。そうですね、もう残り少ないですがこの帽子なんて如何でしょう?」

 捧が雲行の被った帽子を指差してそう言った。止めてくれ! 雲行は心の中でそう叫ぶ。顔を見られてはいけないのだ。声を聞かれてはいけないのだ。この二人には自分が雨霧雲行だということを知られてはいけないのだ。

 雲行は頭を下に向けた状態でキープしたまま必死にブンブンと横に振った。

「え、でも売り物なんですか? その人の帽子なんじゃ……」

「売り物ですよ。こうやって被った感じを見て頂こうと思いまして」

「ああ! そうなんですか! うーん、どうしようかなあ。どう思う、いちごん」

 一期はそう聞かれ、口元に手を当てうーんと考え出した。早くどこかに行ってくれと雲行は願うばかりである。

「被り心地とかってどうっすか?」

 やめてくれ。話しかけないでくれ。雲行の脳内でその二つの言葉がぐるぐると回る。

 でもこのまま黙っていても怪しまれるだけだ。何か行動を起こさなければならない。

 雲行は両手で大きくバツ印を作ってみせた。その瞬間、捧に思い切り左足を踏まれて声を上げそうになったが必死に我慢した。

「あれ、あんま良くないんすか? んー、他のにしたら?」

「そう? じゃあ他に良いのってありますか?」

「このマフラーが良いかと」

 次はマフラーが標的にされてしまった。グイグイと捧にマフラーを引っ張られ、首が締まって死にそうになる。でもここは我慢しなければ。

「マフラーですかー。うつろん、可愛いマフラー持ってたからなー。他におすすめってあります?」

「このポンチョなんて――」

「こ、これが良いと思うアルよ! 手編み靴下アル! これからどんどん寒くなっていくから丁度良いアルよ! その子もきっと喜ぶアル!」

 出せる限りの高い声で雲行はそう言った。漫画などに出てくる間違った中国人みたいな喋り方をしながら。そして顔は下に向けたまま、残っていた手編みの靴下を掴んで差し出した。

 怪しすぎる。誰が見ても怪しい人物に成り下がっている雲行なのだが、彼女は全く気にする様子もなく笑いながら言った。

「良いですね、最近寒いし! どうかな、いちごん? わざわざ付いてきてくれたいちごんに全てを託すよー」

「うん。良いと思うぜ」

「よし! じゃあこれ買います! お幾らですかー」

 どうやら危機を脱せたようで、安心した雲行はふうと大きなため息を吐いた。

 しかし安心するにはまだ早かったようだ。一期が不審そうな目でこちらを見つめているのだ。とても何か言いたげである。

「な、何アルか! 見つめないでくれアル!」

「あ、すんません。どこかで会ったかなーと思いまして」

「それは口説き文句か何かアルか! どこでも会ってないアル!」

「そ、そうっすか……」

 信じてくれたかどうかは分からないが、とりあえずこれ以上詮索はしてこないだろう。ちょうどすすきの方も会計を終え、二人は軽く会釈して去っていった。

 危なかった。でもばれなかった。同じ部活で、親友の二人に自分が雨霧雲行だということはばれずに済んだ。大丈夫だ。上手くやり過ごすことが出来た。

「雲行」

「は、はい。何ですか?」

「あなた……記憶なんて失くしていませんね?」

「………………ば、ばれました?」

 だがこちらにはしっかりとばれてしまったようだ。記憶喪失なんていうのは真っ赤な嘘だと言うことが。

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