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「初めての家出」

 提出の課題に必死になっているやつ、朝から良くそんな元気があるなと驚いてしまうくらいぺちゃくちゃと喋りまくっている女子、朝ご飯を食べる時間がなかったのかパンを一生懸命頬張っているやつ。各々違った過ごし方をしている朝の一年B組の教室で、雲行はクラスメイトの一期七生いちごななおと談笑していた。

 そんな二人のそばに、小さな女生徒が体とは裏腹の大きな声で近寄ってくる。

「あまぎりん、いちごん! おっはよー!」

「おー! おはよ、豊穣!」

「すすきん、おはよー! でも上の名前はやめてって言ってるだろ!」

 一期にそう言われ、えー可愛いじゃんとその女生徒は唇を尖らせた。

 彼女の名前は豊穣すすき(ほうじょうすすき)。名前の通りススキみたいな柔らかそうな髪を右サイドで可愛いヘアゴムを使って纏めている。背は小さめで覗く八重歯が愛らしく、どこか小動物っぽさを感じる可愛がりたい系女子であった。

「男に可愛さなんかいらねーの! 俺は男らしさを重視してんの!」

「でも下の名前もななおだしねー。ななおりん? どっちにしろ可愛いよねー」

「うー! 親、恨むー!」

 雲行の一番の親友である一期七生は雲行と違ってとても整った顔立ちをしている。雲行がすればただの寝癖にしか見えないだろうパーマがすごく似合っているし、着崩した制服はだらしないというよりかっこいいという印象を強く受ける。女子からもかなりの人気があるのだが、一期は少々変わった『あるもの』が大好きで、何よりも誰よりも『あるもの』を優先してしまうやつだった。だから彼の本性を知るとみんなついていけずに離れてしまうらしい。

 そして雲行とすすきの二人もその『あるもの』の研究をする部活に所属しており、それに夢中になっていたりする。

 というのが――。

「それよりあまぎりん! 『突尾山の妖怪お友達大作戦☆』のしおり作ってきてくれた?」

「ばっちり! 土曜の深夜からで良いよね、みんな」

「大丈夫! しっかりバイト休んであるぜ!」

「あたしも防寒グッズ揃えたよー。週末が楽しみだねー、うひひ!」

「妖異幻怪☆魑魅魍魎部の二十四回目の活動はこれまで以上に充実したものになりそうだね!」

 そう、雲行を含めた三人は妖怪やら悪魔やら化け物やら魔物やらといった人ならざるものの存在を本気で信じていた。いや、むしろ信じていたいがために探しているといった方が良いかもしれない。

 名目上は民俗学研究部なのだが、三人は勝手に妖異幻怪☆魑魅魍魎部と呼んでいた。

 やっていることは、町中に出ているはずもない妖怪やら何やらを探して回るという無駄なフィールドワークだ。

 時々貧乏学生らしく自転車を漕ぎに漕ぎまくって遠くの神社や廃村などに赴くことはあるが、一度もそういった類のものを見つけられたことはない。いつも何も見つからず、結局ファミレスで晩ご飯を食べて帰ってくるだけだった。

 とりあえず活動報告として旅の記録を模造紙に纏めて文化祭で展示していたりするのだが、ただの「貧乏学生! 汗と涙の自転車の旅!」みたいな旅行記になっている感が否めない。

 というより、周りにはそう思われているようだった。何たって今年の文化祭でお客さんに「この高校の旅行部はとても良い活動をしていますね」と言われ、何故か文化部部門旅行部として閉会式で表彰されてしまい、何とも言えない気持ちになったという苦い思い出があるのだから。

「二人とも! 今回は絶対何か見つけるよー! もう旅行部だなんて言わせない!」

 そう言ってすすきはピッと右手を伸ばす。

「ホントだよ。何で俺達いつの間にか旅行部になってんの? 絶対見返してやる!」

 一期はすすきの手の上に自分の手を重ねた。

「うん! 今回は何か見つけられそうな気がする! 頑張ろうな!」

 一期の手の上に雲行も自分の手を重ねる。そしてすすきのエイエイオー! という掛け声と共に気合いを入れ直すのだった。

「馬鹿みたい。まだそんなことやってる」

 和やかな三人の空気を壊したのは黒髪を三つ編みおさげにした気怠そうな少女だった。

 すすきを可愛いと表現するならば、この少女はクールビューティ。どこか不機嫌で、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。

「おっはよー、うつろん! 今日も朝から美少女ですなー」

 すすきがわきわきといやらしく手を動かしながら少女、鏡花うつろ(かがみばなうつろ)に近寄っていく。そしてうへへへと小動物らしからぬ笑い声を上げながらうつろの腕に抱きついた。振り払ったりはしないが、うつろはとても鬱陶しそうな顔をしている。

「うつろーん。馬鹿は酷いよー。俺達、妖怪達と友達になるために一生懸命頑張ってるんだぜ!」

「ごめん。馬鹿は言い過ぎた。でもそんなものいないから無駄」

「巫女さんのうつろんにそう言われるとすごいショックだよー」

 一期の発言にうつろは淡々と反論した。それを聞いてすすきは残念そうに肩を落とす。

 そう、彼女は巫女なのだ。鏡花神社という小さな神社の神主の娘。神という存在に仕える巫女から人ならざるものを否定する言葉を聞くのは少々悲しいものがある。

「人生そんなもん。それよりゆき君、今日も朝ご飯食べないで行った」

「え? あ、ごめん……。しおりを完成させようと急いでて……」

 雲行は約七年前から幼馴染である鏡花うつろの家に居候している。

彼女は朝のおつとめがあるので一緒に登校することはほとんどないのだ。

「朝ご飯はちゃんと食べて。はい」

 うつろがごそごそと鞄から取り出したのは、可愛い二つのおにぎりだった。忙しいというのに雲行のために握ってきてくれたようだ。

 朝ご飯なんか食べなくてもやっていけると思っていたが、おにぎりを見ると何だか急に腹が減ってきてしまう。

「あ、うん。いつもありがとう」

 ぱくりと齧り付くとそれはいつもの高菜のおにぎりだった。昔から変わらないうつろの作るおにぎりの味だ。

「この可愛い良妻うつろん娶っていいですか、あまぎりん……」

「は、はあ……俺は構わないです」

「私が構う。それに女同士は結婚出来ないし」

「え? そんなことないよ?」

 すすきは不思議そうに首を傾げる。うつろんは一体何を言っているのと言いたげな瞳で。

「そんなことある」

 うつろは淡々とそう言った。どうやらすすきは彼女を騙すつもりらしいが、そう上手くいくのだろうか。とりあえず雲行もすすきの冗談に乗っかってみることにする。

「昨日……だよね。昨日女性同士で結婚出来るように法律が変わったんだよ」

「俺もニュースで見たわー。そのニュースばっかでゴールデンタイムが埋め尽くされてたもんな」

「昨日は帰れま1000見た」

「それ一昨日だよ。一緒に見たじゃん。あの芸人がランキングの九八四番当てた時は爽快だったよな」

「そうそう、一昨日! 七十時間かかってやっとだもんな! あれは気持ち良かった!」

「えーその裏番組で妖怪特集やってたのに誰も見てないのー?」

 それは録画済み! と少し話が脱線してしまった雲行達を完全無視で、うつろは一限目の用意を始める。

「もううつろん、聞いて聞いてー。本当に結婚出来るんだよー」

「そうそう! うつろん知らないの? 時代遅れー!」

 どうやら一期の時代遅れという言葉にうつろはかちんと来てしまったらしい。眉間に大きく皺を寄せ、刃物のように鋭い瞳で三人を睨みつけながら静かにこう言った。

「しつこいとおにぎりの具にする」

 雲行とすすき、一期の三人はキャーと声にならない悲鳴を上げる。確実に何人か葬り去っている人間の目だった。

 実はいつもこうやって三人でうつろをからかおうとしているのだが、その度に失敗しているのだ。そろそろやめないと本当におにぎりの具にされるかもしれない。

「ごめんなさいです、うつろん様! お、お詫びの印にこれを!」

 すすきは急いで自分の鞄の中から可愛らしい紙の袋を取り出した。片手で持てるくらいの小さな袋だ。そしてそれを捧げものでも献上するかのようにうつろに手渡した。

「これ、何?」

「開けてみてー! 開けてからのお楽しみー!」

 うつろはすすきに言われた通り、その袋を開ける。すると中には可愛い小さなヘアゴムが二つ入っていた。手作り感満載の、糸で編まれた花のヘアゴムだ。いつも味気ないヘアゴムで三つ編みを結んでいるうつろにぴったりのプレゼントであった。

「昨日桜畑に行ったらきれいなメイド服のお姉さんが路上で出店しててさー。綺麗なお姉さんに釣られてふらーっと寄ってみたら売ってるものもすっごく可愛くって! うつろんとお揃いでと思ってヘアゴム買っちゃったんだ! 全部手作りなんだってー」

 ほら見て見てとすすきは自分のススキみたいな髪を留めるヘアゴムを指差して見せた。うつろのとは少しデザインが違うが、同じ手作りのヘアゴムである。

 少し前に流行った森ガールとかいうファッションの人達が付けていそうだ。

「ありがと、すすきん」

 早速うつろはそのヘアゴムを付けてみせる。それはとてもうつろに似合っていた。しかもヘアゴムが暗めに見えるうつろの表情を少し明るくしてくれているようにも見えた。

「その出店に寄った理由が女子らしからぬぞ、豊穣」

「綺麗なお姉さんがいたら引き寄せられちゃうよねー、いちごん!」

「そうそう! 引き寄せられちゃうよね、すすきん……って綺麗なお姉さんで思い出したーっ! 明日顧問の胡蝶ちゃんが部室に来るんだ! だから俺のエロ本達をとりあえず手分けして持って帰ってほしい! 雲行、すすきん! 頼んだ!」

 実は一期は部室を勝手にエロ本置き場にしていたりする。ベッドの下に隠していたのを一度母に見つかって焼き芋の火種にされてから、ずっと部室を避難所にしているのだ。

 顔の前で両手を合わせて何卒何卒ーと必死に頼み込む一期。

 頼まれた二人は心底嫌そうな顔で言う。

「えーさぬきの造に説教された時も持って帰らなかったのにー?」

「良いじゃん、置いとけば。さぬきの造と違って胡蝶先生はその程度じゃ怒んないって」

 さぬきの造とは雲行達のクラスの担任の国語教師、小山千代(五十代独身♀)のあだ名である。

 授業でかぐや姫を習った時、挿絵のさぬきの造に小山がそっくりだったことからついたあだ名だ。授業中に「完全に一致!」とかこそこそ言い合いながら、クラスのほとんどの生徒が吹き出しそうなのを堪えていたというエピソードがあったのだ。

「さぬきの造とかどうでもいいの! お願いだから、な!」

「だっておかしいよね。あたしが熟女パラダイスとか持ってたらおかしいよね」

「俺もやだよ。お前一人で持って帰れよ」

「それが無理だから頼んでるんだろー! お願い! 今度何でも奢るから!」

 それを聞き、雲行とすすきはニヤリと顔を見合わせた。

「じゃああたしハーゲーダッツね! パンナコッタラズベリー五つ!」

「五つ!?」

「じゃあ俺はハミチキ十個で良いよ」

「おかしい! それはおかしいよ、二人とも!」

 雲行とすすきのリクエストに素直に答えると結構なお値段になってしまう。でも一期は先程確かに言ったのだ。何でも奢るから、と自分でしっかり。

「男に二言はなしだよ、いちごん。男らしさを重視してるんだよね、いちごんは」

「そうだな! 男らしい一期なら奢ってくれるはずだ!」

「……あーもう分かった! もってけドロボー!」

 雲行とすすきはイエーイ! とハイタッチして子供みたいに喜ぶ。それとは対象的に、男らしい決断をした一期は涙目で財布の中のお札を数えていた。

 その時、雲行は不意にうつろと目が合った。うつろは妖異幻怪☆魑魅魍魎部の馬鹿っぽさに呆れているのか、苦笑いを浮かべている。

 でもどこかその表情には自分達に対する羨ましさが含まれているようにも見えた。雲行には何となくそう感じられた。





 雲行は一日の授業を終え、へろへろの状態で鏡花神社へ続く長い長い石段を上っていた。うつろは薙刀部の練習があるので一緒には帰ってきていない。

 何とか石段を上り終え、神社の敷地内にある鏡花家へと歩みを進める。今日は平日で参拝客も少ないし、この時間ならうつろの父親も母親も家の方にいるだろう。

 だがあまり二人の手を煩わせたくはないのでチャイムは押さず、持たされている合鍵でドアを開けた。

 思った通り玄関にうつろの父親と母親の靴が揃えて置いてあった。まだ夕飯の匂いはしないので、きっと二人は居間のコタツでくつろいでいるのだろう。

 夫婦水入らずを邪魔するのも悪いので気付かれないように自室に行こうとしたが、ただいまの挨拶をしないのも礼儀がなっていないなと思い、居間に向かった。

 雲行は居間の少し前まで来たところで、二人が激しい口論を繰り広げていることに気が付いた。悪いと思いつつも襖越しに聞き耳を立てる。何だか少し嫌な予感がしたのだ。

「雲行君だって一人暮らししたいって言っているんだからさせれば良いでしょ! 何でそんなに嫌がるのよ!」

「君だって分かってるだろ? この家を離れたら雲行はどうなってしまうか。あの子は一人じゃ生きていけないんだ」

「分からないわよ! 私、元々この家の人間じゃないもの! 何も感じないもの! あなたが嘘を言っているようにしか思えない! どうせあの女の子供だから世話してるだけでしょ!? あの女が帰ってきた時のために恩を売ってるんでしょ!?」

「違う! 何度話したら分かるんだ! それにあの二人は帰ってこないだろう。深夜の突尾山に行って生きているわけがない」

「だったら何でよ! 良いじゃない、自分の貯金とバイトの稼ぎで一人暮らしするって言ってるんだから勝手にさせてあげれば! あの子がいるせいでうつろだって惨めな思いをしてるわ! うちは金持ちじゃないのよ!?」

 嫌な予感が的中してしまった。思った通り、二人は自分のことで言い争っていた。一応何度もこういう場面に遭遇したことはある。でも今日の言い争いは、いつも以上に激しいものだった。

 昨日雲行が久しぶりに一人暮らしをしたいと言ったせいだろう。何回か一人暮らしをしたいとお願いしたのだが、いつもうつろとうつろの父親に反対をされていた。お金もないのにどうやって生活していくのかと。

 でも今は親が残してくれた貯金だけでなく、バイトで貯めたお金もあった。だから今なら許してもらえるのではないかと思い、思い切って言ってみたのだ。

 しかし答えはノーだった。

 ずっと雲行を追い出したがっていたうつろの母親はいつも通り大いに賛成だったが、うつろとうつろの父親はどうしても譲らなかった。それで昨日も何時間か口論になっていたのだが、まさか今日まで続いているとは思わなかった。

 そろそろ潮時なのかもしれない。

 雲行はただいまの挨拶をするのをやめ、玄関から自分の靴を取ると足早に自室に戻った。自室と言っても物はほとんど置いていない。教科書類は全部学校に置き勉しているし、趣味の物なんて居候の身では買えない。買ってあげようと言われても断っていた。両親の荷物も全部親戚のところにあるからここにはない。

 雲行は中学の修学旅行の時に使った大きなリュックサックに荷物を詰め込んでいく。数枚をローテーションしているため、服を入れてもリュックはスカスカだった。

 スクールバッグから一期のエロ本を取り出し、後で返さないといけないのでとりあえず詰めておく。スクールバッグもきれいに折りたたんでリュックに詰めた。

 最後にリュックのポケットに財布や通帳、印鑑などの貴重品を突っ込み終了だ。

「よし」

 雲行はきれいに片付いた部屋を見て頷いた。そのまま部屋を後にしようと足を踏み出したが、何かを思い出したように机に向かう。一応書き置きをしておこうと思ったのだ。

 書き終わった紙を机の上に置き、雲行は今度こそ自室を出た。

 そして誰にも気付かれないようそろりそろりと廊下を通り、縁側から外に飛び出した。

 『あの子は一人じゃ生きていけないんだ』

 うつろの父親の言葉が頭の中をぐるぐる回る。そんなことはない。自分は一人で生きていける。

 『あの子がいるせいでうつろだって惨めな思いをしてるわ!』

 うつろの母親の言葉が頭の中をぐるぐる回る。そうかもしれない。自分のせいでうつろの家庭は崩壊寸前だ。

 イラつきや罪の意識、色んなごちゃごちゃとした感情に苛まれながら雲行は走る。

 両親を探しに行こう。警察にすら見つけられなかったのに、高校生の自分に見つけられるとは思わない。それに、もう生きてはいないかもしれない。むしろ九九・九パーセントの確率で死んでしまっているだろう。もう何年も前に諦めはついている。

 でもあと少しで失踪期間満了だから、最後に自分の力で探しておきたい。あの日何があったのか、それだけでも知っておきたい。雲行はそう思った。

 雲行の両親のいなくなった場所は、今度の部活で行くはずの突尾山だった。本当は部活のついでに探すつもりだったのだが、こうなれば自棄だ。

 そうして雲行は生まれて初めて家出をした。

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