最恐コメディアン
「あかん、もう終わりや……」
米田安宏はボードに貼られた結果を見て絶望していた。
五年連続予選敗退……
お笑い芸人にとってこの結果は死刑宣告に等しいものである。
ましてや、米田は今回の大会で予選落ちしたら、事務所から次回の契約を切るとまで言われていた。
まさに背水の陣で臨んだ大会だったため、米田のショックは計り知れないものがあった。
米田の携帯に着信が入る。米田がディスプレイを見ると、そこには事務所の名前が表示されていた。
(どうせ契約の話しやろ……)
米田は電話に出ることもなく着信を切り、携帯をポケットにねじ込んだ。
そこから米田はどこをどう歩いて帰ったのかわからないまま、アパートへ辿り着いた。
その間も米田の頭の中は真っ白で、今後のことなど考える余裕はまるで残されていなかった。
米田はアパートの二階へ上り、自分の部屋の鍵を開けた。木造で築四十年にもなるというアパートは今にも崩れ落ちるのではないかという程、あちこちが劣化していた。
「ただいまー」
米田は誰も居ない真っ暗なワンルームの中で気の抜けた声を上げた。
だが、この時そう思っていたのは米田だけであった。
米田の部屋は六畳一間のワンルームで、生活のあらゆる必需品がこの狭いスペースに詰め込まれている。
しかし、壁際に置いてあるテレビの真向かい側にあるベッドの枕元に《そいつ》は立っていた。
「な……なんやねん、お前」
米田はそう言うと思わず尻餅をついた。
腰もとまで伸びた長い黒髪。汚れた白いワンピース。顔全体を覆う前髪は、まるで有名ホラー映画の《貞子》に瓜二つの風貌であった。
しばらくして、少しずつ冷静さを取り戻した米田は、ゆっくりと立ち上がりその《貞子》らしき人物へと近づいて行った。
だが、米田がいくら近づいても貞子らしき人物は微動だにせず、まるで人形であるかの様だった。
「何これ……もしかしてドッキリ……?」
米田はそう呟くと、すぐさま部屋中を引っかき回し隠しカメラなどがないか調べたが、どこをいくら探してもそんな気配はひとつも無かった。
「まぁ……さすがに、こんな無名の芸人にドッキリしてもしゃーないわな」
米田は皮肉っぽく笑ったが、依然、貞子らしき人物の謎は包まれたままである。
米田は意を決して話しかけてみることにした。
「……あのー、すいませーん。もしもーし……」
米田は貞子らしき人物の顔をのぞき込む様に話しかけてみたが、全く反応が無かった。
徐々に恐怖心が薄らいできた米田は、ここでついに我慢の限界を迎えた。
「ええかげんにせえや! 何のつもりか知らんけど、警察呼ぶで!」
そう叫ぶと、米田は貞子らしき人物を突き飛ばした。いや、正確には突き飛ば《そうと》した。
米田の右腕は明らかに、誰がみても、神に誓って、その貞子らしき人物の身体を貫通していた。
「あひゃっ!」
米田は声にならない叫び声をあげ、後ろに飛び退いた。米田は自分の右腕に異変がないか確認すると、貞子らしき人物の方をじっと見据えこう言った。
「自分……ほんまもん?」
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その日から、米田と貞子らしき人物との奇妙な同居生活がスタートした。
当然、引越しという選択も考えたが、ここを出たら他に行くあてもなく、金もない米田はしぶしぶこの幽霊との同居を選択したのである。
幸いなのかどうかはわからないが、この幽霊はただ同じ所に立ち続けているだけで、米田に何の反応も示さなければ、米田に対して危害を加えたり、驚かせたりもしない人畜無害な存在であった。
やがて米田は、その幽霊を「サダコ」と呼ぶようになり、米田はサダコとの生活に次第に慣れていった。
ある日、米田はお笑いの養成所に入っていた時の同期の芸人が出演するテレビ番組をしかめっ面で見ていた。
テレビの中では同期の芸人達が次々と観客を沸かせている。
「ふんっ、こいつらもどうせ後一年もしたら消えるんや。しょーもないネタしよってからに」
米田はベッドに寝転がりながら呟いた。すると米田はある異変に気がついた。
サダコが小刻みに震えているのである。
今まで一度も身動き一つしたことないサダコの行動に、米田はベッドから飛び起きサダコと距離をとった。
「な、なんや! 何があってん!?」
米田は狼狽しながらサダコの様子を伺ったが、サダコはその後も、震えてたり止まったりを繰り返していた。
しかし、米田はそこにある共通点を見つけた。
「こいつ……もしかして笑っとるんか?」
米田の言う通り、サダコの震えるタイミングはテレビの中で観客がドッと笑うタイミングとぴったり一致していた。
米田は試しにリモコンでテレビのチャンネルを変え、料理番組に切り替えてみた。
するとサダコの動きはピタリと止まった。だが、再び米田がお笑い番組にチャンネルを戻すとサダコは小刻みに震え始めた。
「なんや、意外と人間っぽい所もあるやん」
米田はサダコの意外な一面にどこか親しみを覚えたが、しばらく経ってあることに気がついた。
「……って、ちょ待て! 自分あんなネタにウケとるんか!? 全然おもろないやんけ!」
お笑い芸人として、例え幽霊だとしても自分以外のネタで笑うものに納得してはいけないというのがポリシーであった米田は、次第にメラメラと対抗意識が芽生えた。
「よーっしゃ、ええ機会や。今からお前を思いっきり笑かしたろやないか!」
米田はテレビのスイッチを切り、サダコの前に仁王立ちすると、渾身の一発ギャグを次々と披露した。
しかし、サダコは微動だにしなかった……
「ほほーう、ええ度胸しとるやないか。こうなったら意地でも笑わしたるわ!」
米田は半ばヤケクソ気味に全てのネタのレパートリーを出し尽くしたが結果は変わらなかった。
「ぜえ……ぜえ……何でテレビで笑って、俺のネタで笑わへんねん……」
米田はそう言い残すと、ベッドに突っ伏していった。
その日から毎日、米田はサダコに向かってネタをやり続けた。初めは無反応なサダコであったが、日を追うにつれ身体を小刻みに震わせるようになり、その頻度も徐々に短くなっていった。そして、そんなある日のこと。
「……ぶっ」
その瞬間、米田の動きが止まりサダコの顔をじっと見つめた。
「今、自分……吹き出したよな? なぁ!?」
思わず両肩を掴もうとした米田だが、手応えのない感触に気がつき、はっと手を引っ込めた。
「やった……ついにやったで! 後もう一息や!」
米田のネタ作りは更に過熱し、今では一日に二〜三十個のネタを作るのが当たり前の様になっていた。
「よーし、次はとっておきのやつ、いくで!」
その日、米田はこの日のために密かに暖めていた渾身のギャグを繰り出した。
しばらくの静寂が辺りを包む。
米田が、これもダメかと諦めかけた瞬間、ついにその時が訪れた。
「……ふふっ。あはははっ……あっはっはっはっ!」
サダコが顔を上げ大笑いし始めたのである。前髪が左右に分かれ初めてみせたサダコの顔は、どこにでも居る普通の女性のようなきれいな顔だった。
「なんや自分、笑ったらちゃんと可愛い顔もできるやないか」
米田は喜びと嬉しさのあまり少し照れ臭そうに言った。
次の日、同じ事務所の先輩芸人の番組の前説として呼ばれた米田は、試しに昨日サダコを笑わせたネタを披露すると、まるで本当に爆発が起きたかの様な大爆笑が巻き起こった。
その後、番組のプロデューサーからも褒められ、米田は今まで感じたことのない達成感に包まれた。
しかし、上機嫌のまま部屋に着いた米田は目を丸くして、絶句した。
そこにはサダコともう一人、工事現場の作業員のような格好をした若い男が無表情で立ち尽くしていたのである。
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三年後……
「お疲れ様です!」
「おおきに」
舞台を降りた米田は、目の前に差し出されたおしぼりを貰うと、用意された椅子に座り大きく息を吐いた。
ひとまず冷えたおしぼりで顔を拭く米田に、マネージャーが近づいてきた。
「米田さん、今日もチケット完売だそうですよ。当日券も全部です」
「さよか。ついに今日でライブも終わりやなぁ」
米田は遠くを見る様な目で呟いた。
「はい、社長からも喜びのメールきてますけど、見ます?」
「いや、後にするわ。俺、今日ちょっと打ち上げいかんと真っ直ぐ帰るけどええか?」
「え?打ち上げいかないって……米田さんが主役の打ち上げですよ!」
マネージャーがうろたえた様に声を上げた。
「すまん! この後どうしても行かなあかん所があんねん、な?頼むわ!」
米田はマネージャーに手を合わせた。
「ちょちょちょ、こんなとこでそんな事しないで下さいよ!周りのスタッフも居るんですから」
慌ててマネージャーは米田の手をとって、下げさせた。
「……はぁ〜、わかりましたよ。何の用事か知りませんが米田さんの頼み事にノーと言える人は今やほとんど居ないでしょうし」
マネージャーは諦めたように口を尖らせた。
「堪忍な!この埋め合わせはまた違う所でするわ、今日は皆で楽しんできてや」
米田はマネージャーの肩をぽんと叩くと楽屋へも戻らずそのまま車へ直行した。
この三年間で、米田は幾多のお笑い大会で数々の輝かしい成績を収め、今や押しも押されぬ超売れっ子芸人にまで上り詰めた。
米田が車の前に辿り着くと、中から運転手がドアを開け、米田に声をかけた。
「米田さん、もう帰りはるんですか?」
車を運転していたのは、かつてテレビで一世を風靡した米田と同期のお笑い芸人である。
「ちょっとヤボ用でな、とりあえず家まで車回してくれるか」
はい、という運転手の声と共に車は米田の家へと向かった。
車が米田の家の前まで着くと、米田はいそいそと車を降りた。
「なんやえらい慌ててますね、もしかしてコレですか?」
運転手はニヤリと笑うと右手の小指をたててみせた。
「そんなんちゃうわ、送ってくれてありがとさん」
米田は運転手に向かって手をあげた。
「あの、失礼ですけど米田さんっていつまでここ住むんですか、米田さんくらいのギャラがあれば、こんなとこ目じゃない場所幾らでもありまっせ」
米田の住むボロボロのアパートを見上げ、運転手は本当に訳がわからないといった顔をした。
「……ひとついいこと教えといたる、《初心忘れるべからず》や」
米田は二カッと笑ってそう言った。
運転手は苦笑すると、どうも、と言って走り去っていった。
米田は上り慣れたアパートの階段をゆっくりとあがり部屋の前まで着くと、手鏡で自分の姿を確認し、身だしなみを整えた。
そして最後に、あーうん、と喉の調子を整えると部屋の鍵を開けて、意を決した様に勢いよく中へと入っていった。
「はいどーもー!」
米田は元気よく声を上げると、米田の部屋の中には足の踏み場も無い程、たくさんの幽霊たちでひしめき合っていた。
その中には、前髪をきれいに分けたサダコの姿もあった。
今や、自分のネタを素直に判断してくれる幽霊達は、米田の中で、まるで自分を育て上げてくれた師匠の様でもあり、また共に戦ってきた戦友のような存在になっていた。
このライブが決まった時から、米田は最後に一度、今までの感謝の気持ちを込めた最高のライブをサダコ達に見せてやろうと、強く心に決めていた。
そして今、米田にとって本当のソロライブの幕が上がったーー
最後まで読んで頂きありがとうございました。ご意見、ご感想などなどありましたら、気軽に是非是非コメントください(^-^)