パーフェクト
連載作品の続きが書けないからと逃げを打つ。
論理を構築する為には、条件付けが必須である。
まず明確に、守るべき条件を定めておく。
都合によって捻じ曲げない限り、条件のもとに事象は整理されてゆく。
矛盾が出ないよう、条件に反さない範囲で事象の一つ一つを繋ぐように関連付けていく作業。
学者はこういう思考実験を繰り返して論文を作成していくのだろうか。
機械的に、私情を挟むことなく、理想も願いも捨て去って、『神』や『世界』をひも解いていく。
体細胞やらウイルス、原子に電子のミクロな分野、宇宙、次元、ビッグバンからホワイトホールのマクロな分野、神、悪魔、輪廻、宗教に連なるオカルトを含む思考世界、それら全てをひっくるめた『セカイ』を考える為の条件付けに、わたしは一つのキーワードを選んだ。
『完全』という概念。
「セカイは完全形である」という仮定の元に実存のあらゆる事象を組み入れていく。
最初のとっかかりは宇宙だった。
完全形ということは、歪でないということだ。偏りがなく、均一であるという事だ。
これは形状を指すのではなく、性質を指す。質量保存の法則だ。
宇宙はご存じの通り、たえず変化し、膨張から収縮に転じた事が観測されている。
そもそも始まりはあったのか?
あったとするなら、その膨大な質量はどこにあったのか?
宇宙の始まりと終わり、そのシミュレート。
わたしはここにオカルトを投じた。(笑
つまり、宗教概念における霊的世界の存在。
宇宙の始まりと終わり、それをモデリングするならば『風船の中に風船が入っている』と考えればいい。
それならば、この宇宙が変化するとしても、法則からも条件からも外れることはない。
宇宙は「セカイ」の一つの要素でしかないからだ。
さて、宇宙の始まりがビッグバン、ゼロからの出発として、「外側」が存在すればどのようなモデリングが考えられるか。
宇宙という大質量も、ココの地点でゼロになる時に別の地点に移動しているだけ、と考えられる。
つまり、口の繋がった2つの風船だ。
2つを合わせて考えるなら、宇宙の質量は常に一定なのだ。
変化し続ける永久機関が完成する。つまり、「パーフェクト」だ。
そして、「外側」がこの2つの風船にぴたりと張りつく形であるなら、宇宙とは風船の中の空気であり、霊的世界をゴムと捉えるべきか。
もっと広い空間と考えてもいいが、問題は条件に見合うかどうかだ。
外側は薄い膜で、限りなくゼロに近くても用を成す。
逆に、これが広くなければならない理由を考えてみる。
霊的世界からの干渉、という事象を、二つの世界が完全に隔てられていなければならないのかという点。
一般には、この「外側」というのを高次元とする説があるが、わたしはアカシックレコードという概念に注目してみたいと思う。
アカシックレコードとは、全ての記録とかそういう感じだ。詳しい事はWikiででも調べてくれ。
風船のゴムに当たる部分は、コピーされた宇宙を凝縮したもの、と考えると色々と都合がヨロシイ。つまり、外側と内側はまったく同じ要素を持つジェミニ構造ということだ。
そして、そのゴムの一部が「魂」と考えると色々と辻褄が合ってくる。
ゴム本体と中身である空気の違いは、時間という要素の有無だ。ゴムには中身である空気が今までに起こしたアクションのすべてが記憶されている。
さて、風船の中に、口の繋がった双子の風船が入っているといったが、この双子は一つきりだろうか。
そして外側と内側で時間の有無という差が生じると、片方の「完全」が崩れる。
ではどうするか。
外がイコールで内ならいい。
多元宇宙という概念の登場だ。(笑
霊的世界と仮定した「ゴムの部分」が、すなわち壁となった別の宇宙。壁として四方を囲めば、それは空気を閉じ込めるゴムと同等のものである。
可能性の数だけ存在するとされる多元宇宙。中身の起こすアクションの数だけ宇宙が存在すれば、一つ一つの宇宙の「外」には「すべて」が存在する。
時間という要素が重要なのはここだ。
あるポイントで、時間は終了するのである!
有限ということは、生み出される可能性もまた、有限となる。可能性の分だけ存在する宇宙もまた、有限数となる。それら全てが、始まりと終わりをもって、膨張と収縮を繰り返すジェミニだと考えよう。
全てを内包する永久機関の完成だ。
その外側は?
そんなモノは必要ない。
すべての宇宙は重なっている。だから、デジャヴという現象が起きる。
おそらくすべての時間も重なっていて、一つの点であろうと仮定すると巧くいきそうだ。
その「点」の中に、可能性の数だけ無数の宇宙が存在し、時間が流れ、そして始まりと終わりを繰り返している。
始まりと終わりそのものもまた、「点」の中で重なっており、自己完結で永久に動かない。
始点でありながら始まることがないゼロポイントだ。
我々が我々を感知するのは、点の中の膨大な情報をそのように認知しているからだ。では、我々は本当は「点」なのかといえば、そうじゃない。今感じるまま、肉体があり、質量があり、周囲に無数の質量が取り囲んでいる。だが、実情は「点」なのだ。
すべて重なっているからだ。
さて、風船の外側、ゴムの部分の一部は「魂」であると先に仮定した。
では、多元宇宙の概念をぶち込むことで、ゴム部分は別の宇宙と変更してしまったわけだが、では霊界やら魂の扱いをどうするかという点が残る。
必要ないなら霊界というのをコミットすればいい。(笑
別の宇宙がある、魂は肉体を離れて別の可能性宇宙へと移動するだけと考えれば巧くいく。
そうすると、なんらかの理由で移動を拒否した存在というものを浮遊霊だとか霊的存在とかに説明可能となる。
では、なぜ魂は移動するのかという問題を片付けよう。
ここでも運動の法則だの質量保存の法則だのが役に立つ。
魂も、セカイの構築要素なのだから、ほかのあらゆる要素と分け隔てなく、特別性もなく、法則に従って運動しているだけと考えればいい。
つまり、輪廻転生の思想だ。(本来の教えとはまったく相反するだろうが)
肉体を、ただの肉塊にしないためには魂が必要だ。これは、いわばコントロール弁の役割をも果たす。
無数の宇宙で偏りが出ない為には、すべての宇宙を自在に行き来して濃度調節を果たすリンパ液のような存在が不可欠ということだ。
それが、魂の主要目的だ。存在意義である。
魂は次々と肉体を変えて、風船の中身としてあらゆる可能性を順番に試行してゆく。
すべての宇宙が実存のこのモデルにおいては、魂は順繰りにすべての行動パターンを実行することになる。
不幸な一生、幸福な一生、平凡な一生、手を挙げる日も手を挙げない日も 「すべて存在する」可能性の宇宙の数だけ、魂は巡るということになる。
実情はセカイは点であるから、巡るといってそれは時間に換算できない。
宇宙の始まりから終わり、気の遠くなる時間でもあり、セカイの始まらない一瞬の中でもある。
わたしの考えたセカイモデルの場合、天国や霊界は必要なく、幸と不幸は「平等に」人類すべてが経験する。覚えていないだけのことで。(笑
だが、悪人も善人も平等にという理屈には我ながら少々抵抗があるな。
それではモラルなど守る必要がない、という結論を出さざるを得なくなる。
ふむ。……。
しかし、ここまで考えて、「いやいや、まだ予定調和だのゆらぎだのの要素が説明しきれてないよ。」と、またしても眉をしかめてしまうのだった。
不完全な理論。
さて、ここへきて新たな命題だ。
ここに冷めてしまった珈琲が一杯ある。
これを温め直すのに、レンジでチンすべきか、ミルクパンで直火掛けするべきかの難問にぶち当たってしまった。
悩ましいところだ。