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オサナジコ  作者: まる。
第一章
8/18

与えられた職務

 今まで女の園だったこの青葉幼稚園に、一度に三人もの男性がやって来た。これで少しは潤いのある職場になると思ったのは最初の数分だけで、蓋を開けてみればこの三人が揃いも揃って皆“難アリ”な臭いをプンプンとさせている。

 何故この職業を選んだのか皆目見当もつかないチャラ男をはじめ、そのチャラ男に下ネタを言わされた真面目君。――そして今朝、私が退治した筈の借金取りだと思しき男性が新園長だと紹介された事に、私は少なからず眩暈を覚えた。


「と言うわけで、今まで細田園長が守り続けて下さったこの青葉幼稚園を――」


 先ほどからその新園長らしい人が、どこぞの政治家の所信表明かの様に何やら綺麗事をつらつらと並べ立てている。『類を見ない幼稚園』だとか『再建』だとかの気合いの入った言葉が幾つか耳に入ったものの、今朝の出来事とさっき真後ろに立たれていた事がずっと頭から離れず、残念ながら新園長の有難い話は一切記憶に残らなかった。


「……。」

「私の話は以上です。では、皆さん今日も一日宜しくお願いします」


 拍手が聞こえた事で、私は手放していた意識を戻した。


「ねぇ、さっき私たちがしてた話って、やっぱり新園長に聞かれてたよね」


 解散しながら今一番触れられたくない話題に大川先生が触れて来た。


「私もう駄目です……。今までお世話になりました」

「ちょっ、何言って――」


 半分冗談で言った台詞だった。だが、次の瞬間、新園長が何かを思い出したかのように声を発した事で私は勿論、大川先生の表情までもがガラリと変わった。


「ああ、それと。確か……櫻井先生、ですよね。ちょっと後で園長室に来て下さい」


 いま言った台詞がやけに現実味を帯びた瞬間だった。



 ◇◆◇


「あの……、何でしょうか」


 園長室へと入ると、三つ揃えのスーツの上着を脱いだ新園長は、机の前でこちら側に背中を向けて立っている。私が声を掛けると手にした分厚い本をパタンと閉じ、くるりと反転した。


「ああ、お忙しいところ申し訳ありません。ちょっと櫻井先生にお願いがありまして」


 にっこりと微笑むと両手でその本を持ったまま、机に浅く腰掛けた。


「お願い……ですか?」


『ここを辞めてもらえませんか?』とか、『今朝の事は内密にしてもらえませんか?』と言った類のお願いなのだろうか。前者なら困るけど後者ならまだなんとかなるぞ、うん。


「な、なんでしょうか?」


 今更だとは思いながらも少しでも印象を良くするために、努めて明るく笑顔で答えた。


「園長室の片付けをお願いしたいんです」

「……へ? 片付け、ですか?」

「ええ」


 言われるまで気付かなかったが、良く周りを見てみるとあちらこちらが段ボールの山になっていて、乱雑に積み重ねられた書籍などには薄っすら埃なども溜まっていた。


「細田園長の名残を片付けて頂き、私が運んだこの荷物を私が使いやすい様に配置して頂きたいんです」

「はぁ。構いませんけど……、何故私なんでしょうか」

「今朝も誰よりも早く来て園の掃除をされていましたよね? 片付けが得意な方だとお見受け致しまして、今回お願いした次第です」


 ――う、嘘くさい。

 本当は今朝私が大声を上げたことを根に持っていたり、さっき後ろに居るって事知らずに『ろくでもない男』呼ばわりした私への腹いせでしょうが!


 って言いたいのをグッと堪え、なるべく冷静に振る舞った。


「――でも、ご自身のものはご自身で片付けた方がいいんじゃないですか? 使いやすい様に配置しろと言われても、私は貴方じゃないので――」

「私にはできない、と。……あなたはそう仰るわけですね?」

「え? ……、――っ!」


 眼鏡のレンズが光に反射して新園長の表情全ては窺い知れないが、くっと上がった口元が明らかに挑戦的な態度を示している。

 どう出ればいいのかと黙り込んでいると、まるで期待外れかの様にがっかりした感じで『ふぅっ』と小さく溜息を吐き、机から腰を上げて又くるりと背中を向けた。


「わかりました。では、他の“優秀”な先生にでも――」

「――っ! や、やります!」


 あ、しまった。『まぁ、お前じゃ無理だよな』って空気をひしひしと感じ取った私は、やりたくもない仕事を勢い任せでつい引き受けてしまった。

 私の言葉を聞いた新園長は机の上の電話へと伸ばしていた手をピタリと止めると、横顔を僅かに私の方へと向け、穏やかな声音で尋ねた。


「貴方に出来るのですか? 私が仕上がりに満足を得られなければ、もしかするとそれが櫻井先生の評価に繋がるかも知れませんよ?」


 ――ええっ!? 片付け如きで評価??

 脅し紛いのその台詞にゴクリと息を呑んだ。


「……っ」


 ええい、もう乗り掛かった船だ。ここまで来たら引くわけにはいかない。


「でっ、出来ますよ。それくらい簡単です」

「ほう」


 新園長は再び振り返ると、今度はそのまま私の方へと向かって来た。目の前に立ち、私の言った事が真実かどうかを見定めるかのように瞬きもせず私の目をじっと見つめる。


「――? ……っ」


 そして躊躇なく私のパーソナルスペースに入ったかと思うと、微動だにしなかったその視線は緩やかに下降していった。


「……。」

「……っ? あ、あの……?」


 私の右手を取るとゆっくりと持ち上げる。胸元まで上げられた私の手に注がれていた視線は次に私の目を射抜いた。


 ――え? 何、いきなりセクハラ?


 防衛本能が発動し一歩後ろへ退いた。だが、予想を反して握られていた私の手はそのままくるりと返され、掌を上へと向ける形となる。そして、ポンッとその上に分厚い本が置かれた。


「……。――おわっ!」

「高額なものなどもありますから、くれぐれも乱雑に扱ったりしない様お願いしますね」


 急に手を離されて分厚い本の重みがずっしりと片手にかかる。慌てて両手で受け止めると頭の上からひんやりと冷たい声が聞こえた。……様な気がした。



 ◇◆◇


『じゃあ、私は用事があるのでこれで』と、新園長は早々と帰っていった。残された私はというと、言われた通りに園長室の片付けをしている。まずは細田園長の使用していたものを段ボールに詰め、簡単に掃除をした。


「ふぅ。とりあえず、今日はここまでにするか」


 期限は一週間、次に新園長が出勤してくるまで。一週間も猶予があるという事に、構えていた程キツイものではなかったのだと少し安心する。そう思うと同時に、一週間もあの新園長は園に来るつもりがないのだという事実が私は不思議でならなかった。

 細田園長は毎朝門に立って登園してくる園児と保護者に朝の挨拶をしていたし、長期休暇中でも毎日園に来ていたというのに。

 赴任早々こんなだと、果たして入園式はちゃんと来るのだろうかと一気に心配になった。


「あんなのでここの園長やってけんのかな」


 ひとりごちながら園長室を出ると、大川先生がパタパタと駆け寄って来た。


「那都先生、大丈夫だった? 園長先生もう帰っちゃったみたいだけど」

「はい。何だか園長室の片付けをしてくれって。ハッキリとは言われませんでしたけど、悪口を言った私への罰みたいなものなんでしょうね」

「えー!? そうなんだ……。まぁ、でもそれくらいで済んで良かったと思うしかないよね、きっと」

「はい。……でも、出来次第で私の評価が下がる的な事を言われましたけどね」

「えっ?」


 ボソボソと言ったせいか、評価云々の所は聞こえていない様だった。


「あ、何でもないです。ところでその紙なんですか?」


 大川先生が両手で握りしめているA4の紙を指差した。


「あっ、そうそう。那都先生、今年一年よろしくねー」

「え?」


 そう言いながら手渡された紙を見てみると、四月から受け持つクラスが書かれているのがわかった。グッと顔を近づけ、食い入るようにしてそれを見た。


「……あっ、大川先生が学年主任なんですね! 良かったー……って、私年少さんの担任するんですかっ!?」

「そうよ、ラッキーじゃない」

「なんでラッキーなんですか! いきなり年少さんだなんて私には荷が重すぎますよー。ああー、せめて最初くらいは年長さんが良かったです」


 初っ端から弱音を吐き始めた私に、大川先生の呆れた声が聞こえた。


「何言ってんのよ。年長さんはね、小学校に行ってもちゃんと一人でも頑張れる子になれるよう厳しくしないといけない部分もあったりするけど、まだまだ甘えたい年頃でもあるからその境目を見極めるのが意外と大変なんだよ」

「それは、……そうなんでしょうけど」

「その点、年少さんは愛情をたっくさん注いで目いっぱい甘えさせて上げてもまだ大丈夫なんだし。あ、ほら、それに年少は副担もつくから二人で協力しながらできるしさ」

「……ああ! そうだ、私の副担任って」


 手元の紙に再び視線を落とすと、私が探し出すより先に大川先生が答えを教えてくれた。


「それも『ラッキー』って言った意味の一つ。何と新人くん!」

「ええっ!?」


 驚いて声を裏返している私を見て大川先生が大笑いする。『ほら』と手にした紙を指し示し『那都先生の副担は“あの”鬼頭先生よ』と、満面の笑みで伝えられてしまった。

 大川先生はこの事について他意はないのか、純粋に羨ましそうにしているのがわかる。しかし、今年から初めて担任を受け持つ事になった私にとって、その人は今年一年は避けたいと思っていた人物の一人であったため、出来ることなら代わって頂きたいと心から願うのだった。



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