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オサナジコ  作者: まる。
第一章
2/18

仰げば尊し

 ――仰げば尊し、わが師の恩。

 ――教の庭にも、はやいくとせ。


 春の芽吹きが感じられるこの季節。共に成長した園児達は、今日無事に卒園式を迎える事が出来た。


那都なつせんせー! 門の飾りつけの撤去手伝ってきてー!」

「あ、はーい」


  幼稚園教諭になって一年もの月日が経とうとしている。今では『先生』と呼ばれる事に何の違和感も感じなくなっていた。


 泣いたり笑ったり、時には叱ることもあったが、それも今となっては全部いい思い出。子供たちが成長していく姿を見届けられるのは嬉しいけれど、必ずやって来る別れを思うとやり切れず、三月に入ってからは事あるごとに涙を流していた。


 感動的な卒園式に体中の水分が全て放出されたかと思う程、保護者や園児を差し置き誰よりも一番泣いていたと思う。涙が止まりそうにない私を気遣ってか、気が付けば一緒に泣いていた園児も私を慰めているというような状態だった。『ほんと泣き虫さんだねー、ナツせんせー』そんな風に言いながら、しゃがみ込んで泣きじゃくる私の背中をよしよしと叩いてくれる。その小さな手がいつしか沢山増えて、益々涙が止まらなくなった。


「あ、これ持っていきます。どこに片付けますか?」

「すぐにまた入園式で使うから職員室に置いといてー」

「わかりました」


 園児たちが完全に姿を消してからまだ三十分も経っていないというのに、余韻に浸る間もなく赤くなった目と鼻を擦りながら卒園式の後片付けをしていた。


 子供の頃からの夢だった幼稚園の先生になる為教職課程のある大学に入学したものの、いざ実習を経験してみると想像していたよりも大変な仕事なのだと身をもって知り、――ものの見事に心が折れた。

 そんなヘタレな私の大学卒業後の進路は幼稚園教諭ではなく、何故か紳士服の販売員。販売の仕事も嫌いではなかったけど、店の中から信号待ちで止まっている幼稚園バスを見かける度に後悔の二文字が浮かび上がる。本当だったら今頃私もあのバスに乗って――と思うようになり、思い切ってこの私立青葉幼稚園の面接を受けたのは丁度去年の今頃。あれから毎日毎日慌ただしい日々を過ごし、気が付けばもう一年が経っていた。


「一年ってこんなに早かったっけ」

「だよねー」


 両手に抱えた三脚のパイプ椅子がぶつかりあう音に混じり、背後から声が聞こえた。独り言でいったつもりが、それに合わせた返事が返ってきたことにびっくりして後ろを振り返る。


「大川先生」

「私もついこの間まで副担任やってたと思ったのに、気が付けばもう十二年。あっという間だったわー」


 背後には年長組の主任である大川先生が、今まさに私を抜き去ろうとしているところだった。両方の手に沢山のパイプ椅子を抱えた大川先生が、たった三脚持っただけでヨタヨタとなっている私の横に並んだ。


「結婚したら辞めようって思ってたのに、いざそうなってみると子供たちに会えなくなる事の方が辛くて。辞め時がわからないのよねー、この仕事」

「そうなんですね」


 言いながら抜き去っていくのを目で追いながら、去年の大川先生の結婚式を思い出していた。

 長年付き合っていた彼と結婚式を挙げ、みんなの祝福を浴びながら彼に寄り添う大川先生は本当に幸せそうだった。旦那さんの友人によるお祝いのメッセージビデオが流れては私は涙を流し、大川先生と同期である青葉幼稚園の先生方のスピーチでも、溢れる涙を抑えることはできなかった。そして極めつけに両親への感謝の手紙を読む大川先生と自分とが勝手にダブってしまい、渇いているところを探すのに苦労するほどハンカチをビショビショに濡らしてしまった。


「よっこいしょ」

「……あ! すいません」


 私が思い出に浸っている間に少し開いていた職員室のドアを足で開け、その扉が戻ってこないように大川先生が背中で押さえて私が通るのを待ってくれている。早く通らなければと小走りで向かうと、手にしたパイプ椅子が更に大きな音を立てた。


「じゃあ、もう退職するつもりはないんですか?」

「え?」


 職員室の隅っこにパイプ椅子を置きながら大川先生に聞いた。姿勢を戻すと僅かに見開いた大川先生の目は、私の言った言葉の真意を探ろうとしている様に見える。何か変な質問でもしたのかと自分の言った台詞を思い返すと、まるで私が『大川先生に辞めて欲しい』と思っているように捉えられてしまっているのではと慌てて訂正した。


「――あっ! 別にそういう、あの、深い意味じゃないんですよ? その、お子さんが出来たりしたらどうされるのかな、って……」

「あはは。いいよ、そんな必死に言い訳しなくても」


 大川先生の手から椅子を三脚づつ受け取りながらも、先生に与えてしまった誤解を解くのに必死だった。


「い、言い訳じゃないです! 先生にはずっとここで働いて欲しいです。まだまだ教わる事が一杯なんですから」

「はいはい」

「んもーぅ、本当ですよ!」


 最後の椅子を私に手渡すと、一足先に大川先生は再び片付けに戻っていく。誤解を解くためと片付けをする為、私も慌てて大川先生の元へと駆け寄った。


「先生!」

「そういえば」

「え? あ、はい。なんでしょう?」


 さっきの話はもうどうでもいいのか、違う話に切り替えようとしている。私たちはグラウンドを横切りながら一緒に門の方へと向かった。


「那都先生って今いくつだっけ?」

「えっと、お恥ずかしながら二十八歳です」

「なんで恥ずかしいのよ。私なんてもう三十三歳なのに」

「あ、いえ。その……二十八歳でまだ一年目ってのが、ね」


 ああ、また蒸し返してしまった。そんなつもりで言ったわけじゃないのに。

 保護者と話をする事も多い仕事だし、もうちょっと言葉に気をつけなきゃ。


「那都先生はまだ、結婚とかは考えてないの?」

「結婚なんて、全然! ……相手すらいませんもん」

「え? そうなの?」

「そうですよ?」


 はあーっ、と大きなため息を吐く私に、大川先生は意外、とでも言いたそうな表情を浮かべていた。


「……わっ、っぷ!」


 少し強めの風が吹いたと思ったら、グラウンドの砂が一気に舞い上がる。二人してグラウンドの砂埃を手で払う様な仕草をすると、私は淡いピンク色したスーツの袖を捲りあげながら、改めて砂埃や園児の鼻水やらがついた自身のスーツに視線を落とした。

 仕事柄仕方ないとはいえオシャレなどにはかなり縁遠くなってしまった。例え小綺麗にしたとしても職場で会う異性と言えば、御年六十八歳の細田園長、五人の孫がいる経理担当の五味さん、園バス運転手のツルピカトリオ。後は園児とそのお父さん位。園児を除けば勿論全員既婚者だ。

 勤務時間にバラつきがある今の状態では通勤途中で出会いなどあるわけもなく、勤め始める前に彼氏がいない時点でもう終わりなのだと他の先生に聞かされた事があったが、一年勤めてみてまさにその通りだと実感した。


「よく園まで迎えに来てくれる男の子いるじゃない。あの子は彼氏じゃないの?」

「あー、拓ちゃ……いや、あの人はそんなんじゃないです。ただの幼馴染ですよ」

「幼馴染の彼氏?」

「ち、違いますって!」


 先生が私の彼氏だと勘違いしているのは、私の家の隣に住む三つ年上で幼馴染の黒田くろだ 拓斗たくと。私の初恋の相手でもあり――、今現在好きな人でもあった。

 そりゃあ拓ちゃんが彼氏だったら、って思ったことは何度もある。でも、それはきっと一生叶わない夢の様なものだと自分でも気付いていた。フられるのがわかっているからこそ、下手に告白してこの関係がギクシャクしてしまうのを恐れ、彼に抱いたこの恋心は誰にも悟られまいと私は胸の奥にしまい込んでいた。


「そっかー。彼、なんか気だるい感じがちょっと恰好いいじゃない? 付き合っちゃえばいいのに」

「……完全に面白がってますよね?」


 気だるい感じ――と言うか、実際本当にだるいのだと思う。町場のバーでバーテンダーをしている拓ちゃんは当然の如く帰りがいつも遅く、私を迎えに来てくれるときは決まって寝起きだからだ。


「あ、バレた? もうね、こうも女ばかりだとつい刺激を求めてしまうのよ。自分はもう相手が居るもんだから蚊帳の外って感じがしてさ。せめて他人ひとの話でも聞いて盛り上がりたいワケ」

「はぁ。でも私まだまだ仕事すら半人前なのに、正直彼氏とか……全然余裕無いですよ」


 自分で言って酷く落ち込んだ。特大の溜息を吐く私の肩に「まぁまぁ」と大川先生の手が置かれる。


「ああ、そうだ。その仕事の話に戻って申し訳ないんだけど」

「え! 私また何かやってしまいましたか??」

「……また?」


 大川先生の目つきが少し鋭くなり、私は眉尻を下げた。


「まぁ、いいや。さっき『教わる事がまだまだある――』とかなんとかって言ってたけど。……来年度はきっと教わってる暇なんてないんじゃない?」

「え? 何でですか?」


 すぐ横を歩く私に不敵な笑みをみせた大川先生を見て、まさか――と目を見開いた。


「も、もしかして」

「来月からはひとクラス取り纏めないといけないからね。頑張ってね櫻井さくらいせんせっ」

「えっ!?」


 それを聞いた途端一気に歩くスピードが遅くなる。そんな私に対し、気を引き締めろと言わんばかりに大川先生が私の背中をバンッと叩くと、そのまま一足先に行ってしまった。


「……ええー!?」


 大川先生のその言葉で、まだ聞かされていなかった来年度のクラス担任に、自分の名が上がっているのだという事を知った。

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