突然の告白
「せんせーさよーならっ」
「はい、さようなら。また明日ねー」
一太君のおかげでなんとか無事に入学式を終えることができた。最後の園児を見送り門を閉めると一気に肩の力が抜けた。
「ふぅっ」
「那都先生。僕ちょっと保育室の片付けしてきます」
「あ、鬼頭先生」
踵を返した一太君を呼び止めると、きょとんとした顔で立ち止まった。
「あの、今日は本当に有難うございました。……この間、あんなに一太君が『自分が持っていく』って言ってくれてたのに、私がそれを断ったから」
自分が担任なんだから人任せにはできないと変なプライドが先に立ち、せっかくの一太君の好意を無下にした。あの時、一太君に渡していればきっとこんなことにはなっていなかっただろう。
ちっぽけなプライドのせいでこの様だ。思い起こせばあまりの恥ずかしさにかぁっと顔が赤く染まり始めるのが自分でもよくわかった。
「あの、何かお礼しなきゃ、ね」
「いえ、そんな。お礼だなんて……あ」
「?」
何かを思いついたかのような表情になり私の方へと向き直る。身体の側面に両手を沿わせるとピシッと背筋を伸ばした。
「あ、あのっ」
「はい?」
「もしよければ今日この後、一緒にご、ご、ご飯でも食べに行きませんか!?」
「え? あ、でも今日は明日の準備で遅くなると思うから」
「そう、ですよね」
しゃんとしていた背筋がその一言で急激に丸くなった。
突然の申し出に少しびっくりはしたが、今日は本当に助けてもらったし。
「――だから、少しだけでいいなら」
「……、――! はい!!」
丸くなっていた背筋がまたピシッと伸びる。ほんのり赤く染まった一太君の顔には、少しの笑みが浮んでいた。
◇◆◇
「あの、なんだかすみません。僕、そんなつもりで誘ったんじゃなかったんですが」
「ううん、いいのいいの。今日は本当に助けてもらったからこれくらいさせて?」
「……はい、では遠慮なく。ご馳走さまでした」
店を出たあと、駅までの道を二人肩を並べて歩いていた。私はビールを少し飲んだが一太君は又もやウーロン茶で徹していた。……まぁ、この前の夜の事があったから、私としてはアルコールを勧める気はさらさら無かったのでそれでいいんだけど、なんだか私だけ楽しい気分になっちゃってるのが少し申し訳なくも感じた。
「あー、でも今日は本当間に合ってよかったよー。絶対無理だと思ったもん」
「……あ、あの、実は」
「ん?」
「ナツさんの家についた時、お隣の――拓斗さんに偶然会って。声を掛けられたので事情を話したら『じゃあ、送ってあげるよ』って」
一太君の口からその名前を聞き、なぜだか一気に酔いが冷めた。
「……あっ、そうなんだ」
「いいって言ったんですけど、凄く急いでいたし背に腹はかえられないかなって。幼稚園の近くまで車で送ってもらったんです」
――拓ちゃんが助けてくれたんだ。
実は一太君だけではなく、拓ちゃんまで私を助けてくれたのだ知り、じんわりと心の中が暖かくなった。
「そっか。じゃあ、今度拓ちゃんにもお礼をしないと――」
「やめてください」
「へ?」
そう言うと一太君はピタリと足を止めた。
少し前で私も足を止めて振り返ると、意を決したかのような真剣な眼差しを向けられる。
「ナツさん、あの人が好きなんですよね?」
「え? いや、あの」
「でも、忘れたいから僕と付き合ってるとか嘘言ったんじゃないですか?」
「あっ、と……」
一太君の言っている事は間違っていない。けど、それを認めてしまえば心の奥深いところにまだ残っている拓ちゃんへの思いが消化不良を起こし、結果的に自分を苦しめる事になると感じていた。
「……。」
しばらく私からの返事を待っている様子だったが返す言葉が何も見つからず、ただ顔を俯かせるだけだった。
「僕、ちゃんと言いましたから」
ゆっくりと顔を上げる。やや緊張気味に口元を引き結んだ一太君にどくんと胸が高鳴った。
「……何を?」
『ちゃんと言った』って一体何を言ったのだろうか。ざわざわと胸騒ぎが起こり、私の呼吸が浅くなる。
「ちゃんと『僕がナツさんを幸せにしますから』って」
「そんな。無理に私に合わせて嘘吐かなくてもいいんだよ?」
拓ちゃんは私の事なんてきっと眼中にないから、そんなに念を押さなくても大丈夫なのに。
「拓斗さん、最初は面食らった顔してましたけど、その後『那都を宜しく頼む』って言ってました」
「――っ、……そう」
「……。」
ぎゅうっと胸が締め付けられるような感覚に襲われ、苦しさを紛らわせようと片方の手で胸元を握り締めた。
私は一体何を期待してたんだろう。
一太君と付き合っていると伝えた時、少し寂しそうな表情を見せたのがずっと気がかりではあった。心のどこかでもしかしたら――なんて自分の都合良く考え、そしてものの見事にその淡い期待は打ち砕かれたのだからもうどうしようもない。
胸が苦しい、胃がキリキリと痛む。
見栄を張って一太君を恋人だと偽ったり、それでもまだ忘れられなくて未練タラタラだということもきっと一太君には全部お見通しなんだろう。そう思うといてもたってもおられず、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「ナツさん。改めて言わせて下さい」
「……なに?」
「今は恋人の“フリ”でもいいです。……でも、いつか本当の恋人になってもらえませんか?」
「え?」
――本当の恋人?
その言葉の意味がすぐにはわからず、瞬きすら忘れてボーっとしていると、一太君は目の前に立って私の顔をのぞきこんだ。
「あなたが好きです」
まだ少し冷たい春の風が髪をはらませる。
何の迷いの無い目でそう言われ、しばらくの間彼から目を離すことが出来なかった。