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オサナジコ  作者: まる。
第一章
16/18

大失態

「これで最後です」

「……」

 

 園児の名札作りを手伝ってもらってはいるものの私がほとんど喋ろうとしないせいか、まるで腫れ物に触るような接し方になっている。うつむいている私の表情を窺うように下から覗き込まれているのがわかるが、一切目を合わさずにいた。やれ、『朝ごはんのホットケーキがおいしかった』とか『今日はいい天気だ』とか。私にとってはどうでもいいと思える話ばかりを繰り返している。昨夜の恥辱を思うとそんな爽やかな会話に相槌など打てるわけもなく、私はただ無言で作業に没頭していた。

 

「あの、ナツさん。……何か怒ってます?」

「……っ!?」

 

『当たり前でしょ!』って怒鳴りつけて、この名札の針をぷすっと刺してやりたいと思った。もう頼むから今そのことに触れてくれるなと願う私とは相反し、一太君は何故私の機嫌が悪いのかがわからなくて納得がいかないといった様子だった。

 

「昨日の夜、僕ナツさんに何か変なこと言いましたか?」

 

 この一言で、私の中の何かがプツンと音を立てて切れた。

 

「――『変なことを言ったか』ですって?」

「え? あ、はい。僕、昨日の記憶はあると思うんですけど、もしかしたら酔って何か失礼なことを言ってしまったのかなと思いまして」


 失礼な事も言ったし“しでかしもした”のだということを、この男は全く覚えていないようだ。

 何が『昨日の記憶はある』だ、全くないじゃないか、ふざけるな!


「……っ、――?」


 だけど、この先ずっと記憶が無いのであれば、あえて教える必要もないのかもしれない。私さえ黙っていれば誰かに見られたわけでもないのだから、なかったことにしておける。

 どことなく“やられ損”みたいな感は拭えなかったが、とにかく昨夜の事は忘れたいと思った私は精一杯の作り笑顔をして見せた。


「いいえ、全然! 全くもって問題なくってよ!」

「えっ? あ……、はい」


 一太君の身体が少し後ろへ仰け反っている。これ以上聞いてはいけないと流石の彼でもピンときたのか、それ以上その話を口にすることはなかった。



 ◇◆◇


「園児達の名札、本当に僕が持っていかなくていいんですか?」


 お母さんから用事を頼まれた私は、ついでだからと駅まで一緒に行く事になった。


「いいのいいの。元々これは私の仕事だったんだし、手伝ってもらっただけで十分」


 昨夜の事はすっかり無かった事になったので、さくっと気持ちを入れ替えることにした。玄関先で踵に靴を通し、そう答えてから顔を上げると、先に外に出ていた一太君が誰かに向かって頭を下げているのがわかった。


「――っ」


 直後、エンジン音が聞こえたことで拓ちゃんだと確信し、慌てて外に飛び出したが既に車は走り去った後だった。


「……。」

「ナツさん?」

「――。あっ……、ごめん。行こっか」

「……はい」


 そうして、一太君と一緒にポツポツと歩きながら近くの駅へと向かった。



 ◇◆◇


 拓ちゃんを諦める為に吐いた嘘ではあったが、あの時に見た拓ちゃんの表情が忘れられない。もしかすると――って思いがこみ上げて来る。

 長い間募らせていたこの気持ちをすぐに断ち切る事はやはり出来ないのかと、頭の中はモヤモヤと霧がかかったような状態になっていた。


「――さん、――ナツさん!」

「え? あ、なに?」

「……。あ、駅着いたので」


 ふと、我に返ると既に最寄り駅の前に到着していたのを知る。一太君はずっと何かしら話をしていたのだが、私は生返事を繰り返すばかり。年上であり、職場での先輩だと言うのに、私は自分の事で頭が一杯になっていただなんて。


「あ、えと――」

「では、昨日今日と本当に有難うございました! 皆さんにもよろしくお伝えください」


 だけど一太君はそれを別段咎める事もせず、馬鹿丁寧に何度も御礼を言うと自分の家へと帰って行った。



 ◇◆◇


 ―入園式当日―


「お、おはようございます! ご入園おめでとうございますっ!」

「――っ! ぎゃぁぁぁああん!!」


 そしてとうとう入園式当日。まだまだ小さな園児達を出迎える為、私たちは総出で門に立っている。せっかくの晴れの舞台だと言うのに、身体が大きく、しかも表情筋が一切使われていない一太君を見た途端、泣き出す園児が先ほどから後を絶たない。


 一太君としては何とかして子供たちと打ち解けたいのだろうけども、お母さんの後ろに隠れてしまう園児に手を伸ばせば更に大泣き、といった状況が繰り返されていた。


「大丈夫だよー? じゃあ、先生と一緒に行こっか。――あ、鬼頭おにがしら先生、ここはいいから保育室の準備しててください」

「はい……」


 がっくりと肩を落としてしまった一太君に、保護者が何度も平謝りしていた。



 ◇◆◇


「あの、ナツ先生」

「ん?」


 引き続き門の前で園児達を出迎えていると、一太君が大きな身体を小さくしながら園児の前にしゃがみ込んでいる私の後ろから声を掛けて来た。耳だけを傾けていると信じられない、いや、信じたくない言葉を聞かされてしまい、ギギギと油の差し忘れたロボットの様に首を回した。


「園児達にこのあと渡す名札なんですけど、どこにも見当たらないんですが」

「……。」

「心当たりないですか?」

「……ある」

「あ! 本当ですか! 良かったー、てっきりなくしたのかと思ってドキドキしてしまいました」


 出てもいない汗を手で拭く様な仕草をする一太君の目を真顔で見つめ返し、その“思い当たる所”を伝えた。


「家」

「はい??」


 一瞬間が空く。これを言ってしまえば現実になる、いや、言わなくてもこれが現実なのだ。

 ゴクリと息を飲み込むと、思い切って事実を打ち明けた。


「どうしよう、……持ってくるの忘れちゃった」

「……。」


 口元を抑える私の手が小刻みに震える。冗談でもなんでもなく本当の事を言っているのだと察したのか、一太君の表情が一気に凍りついた。



 ◇◆◇


「一生のお願い!」


 一太君と二人ですぐに職員室へと向かう。まだ家に居るはずのお姉ちゃんに幼稚園の近くまで届けてもらおうと電話してみたのだが、もう仕事に行くところで届けるのは無理だと言われてしまった。


「いくらなんでも無理よ。こっちだってもう新学期が始まってるんだから遅刻出来ないって事くらいわかるでしょ?」

「わかるけど……」


 高校の教師をしている姉は私なんかよりももっと忙しい。ただでさえ、今年は三年生の担任になってしまったのだから尚更だ。無理を言ってはいけないとは思うものの、お父さんもお母さんも既に出払ってしまっている以上、他に頼る相手もおらず、延々と同じ言葉を繰り返していた。


「僕が取りに行きます!」


 すると、電話のやりとりを横で聞いていた一太君が、自分が今から取りに行くと言い出した。


「えっ!? ……いや、でも」

「大丈夫ですからっ! ナツ先生は担任なんだし、ちゃんと居て下さい! あとは僕が何とかします!」


 それを電話越しに聞いていたお姉ちゃんは、名案だとばかりに『玄関先に置いておくから』とだけ言い残し、一方的に電話は切られた。


 タクシーに飛び乗った一太君を見送り会場へと向かったものの、当然私の気が休まる事はなかった。プログラムが一つ終わるたびに心臓が縮み上がり、手汗や腋汗がどっと出る。

 私の様子がどうもおかしいと思ったのか、隣に座る大川先生から声を掛けられた。


「どうしたの? 那都せんせ? 緊張してるの?」

「あ、はい。――その」

「あれ? 鬼頭先生は?」


 ――ああ、もう駄目だ。

 やっぱり黙ってるのは良くない。きっと、名札が無いってわかればもうそれは仕方ないって大川先生なら大目に見てくれるはず。


「あの、実は」

「――? あ、ごめん、ちょっと待って」


 とりあえず、現状を報告しとかなきゃといいかけた途端、大川先生は席を立ちそのまま伝える事が出来なくなってしまった。


 式が終われば保護者と一緒に各保育室に園児がやって来て、一日でも早く顔と名前を覚えるために、一人づつ私が名札をつけてあげなきゃいけない。

 担任としてそれが最初の大事な務めだと言うのに、肝心の名札を家に忘れてしまうなんて。


 ――担任失格だ。

 今すぐここから逃げ出したいよ。

 とうとう弱音がボロボロと溢れ出してしまった。


「では、各自保育室へと移動してください」

「――っ、」


 大川先生の呼びかけにより、とうとう移動が始まった。

 園児達よりも先に保育室へと向かいながらも、がくがくと膝が震えるせいで足がもつれて転びそうになる。

 一太君が戻ってきていないか何度もその姿を探すものの、大きな身体を見つける事は出来なかった。


 がやがやと園児達がやってきたのがわかる。

 一番最初に入って来た園児を手招きし、その子の目の前にしゃがみ込み視線を合わせた。


「ご入園おめでとうございます。お名前を教えてください」

「みずの ゆうだいでしゅ!」

「偉いね! ちゃんと自分のお名前言えるんだね」


 名前を聞いて名簿にチェックを入れると、必要な書類なんかを保護者へ渡した。

 本当ならこれは副担任である一太君の役目であり、私は名札を園児につけるはずだった。

 ――もう駄目だ、間に合わない。


「あのね……、実は」


 キョトンと丸くした目で見つめられると、つい言葉が詰まってしまう。きっと園児たちは今日のこの日を楽しみにしていたはずだと思うと、自分の不甲斐なさが情けなくて声が震え涙がこみ上げて来た。


「……っ」

「あの、すみません、ちょっと通してもらってもいいでしょうか!」

「……? ――!」


 顔を上げると、スーツのジャケットと名札が入った紙袋を手にした一太君が、額に大量の汗を流し、息を切らして保育室へと飛び込んで来た。



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