七変化
流石の私でもソファーに組み伏せられた時は少しやばいんじゃないかとは思っていた。でも、あの真面目一徹な一太君がまさか、と油断していた節もあったにはあった。
会話にならない事を言い出した時点でもっと早く気付くべきだったのだ、今、目の前にいる大男はいつも見ている安心安全人畜無害な一太君ではないのだと言う事を。
「んー!?」
アルコールの臭いが急にキツクなったと思った瞬間、暗闇の中で大きな塊が迫ってきた。ぐっと口唇を押し当てるようにしてされたキスは、私が首を横に向けた事であっけなく離される。ほんの一瞬だけの口づけではあったが、口唇と口唇が合わさればキスをしたと言う事になる。
「な、に??」
驚きを隠せない私の頬に、一太君の熱い掌が添えられた。グッとその手に力が入ると一太君の方へ顔を向かせられる。そして両手で頬を包み込まれてしまい、私は更なる身の危険を感じた。
「ち、ちょっと一太君! 酔ってるの??」
「うん、僕もう酔いすぎて自分を制御できないみたい」
「『制御できないみたい』じゃないでしょ!」
トロンと蕩けそうなその目は完全に酔っているのだとわかる。これ以上オイタが過ぎれば酔っ払ってたからなどと言ういいわけはきかない。
「とりあえず、はなしてっ」
「んー、それは無理」
両頬を包む手を剥がそうと力を入れるものの、あの胸板と腕を見た後では無駄な抵抗なのだと自ずとわかる。だからと言って抵抗するのを止めてしまえば、受け入れていると勘違いされるだろうから、それはそれで困る。
力の限りその手を剥がそうと頑張っていると、あれほどビクともしなかったのが嘘の様に一太君の手は緩やかに頬から遠ざかった。
「ナツさん、そんなに僕の事がイヤなの?」
低い掠れた声で一太君が呟く。先ほどまでの無理矢理感はどこかへ行き、又新たな顔が現れた。捨てられた子犬みたいに甘えた声を出し、私の出かたを窺う様に眉根が寄せられている。私は何も悪くないはずなのに、ここは私の家で、二階には両親と姉がいて、ただ当たり前に拒絶の態度を示しただけだと言うのに、まるで私が悪者だと言わんばかりにショボンとしていた。
こんなのおかしい、拒否したからと言って文句を言われる筋合いは無いのだと心の中では思いながらも、ウルウルと潤ませた目で言われるとそうも強くは言えなかった。
「いや、その一太君がイヤとかじゃなくて」
「じゃあいいの?」
耳を後ろに垂らした子犬みたいにしょんぼりしていたのが、急にピンと耳を立てたかのように満面の笑みを見せる。酔っているとはいえ、さっきからこうコロコロと色んな表情を見せられると、どう対処すればよいかわからず私は戸惑いを隠せなかった。
「いや、あのそうではなくて」
「僕、ナツさんが好きだよ」
「……え?」
見上げると、既に子犬の様な顔ではなく甘い顔でにっこりと微笑んでいた。
リップサービスとかそういう意味の好きとかではないとはわかっているのに、慈しむ様に柔和な笑みを浮かべ、ジッと目を見つめながらサラッとそんな事を言われると、余りの恥ずかしさにかぁっと顔が熱くなるのがわかった。
「――、……ぁっ、」
「可愛い」
頬の熱を確かめるように、一太君の指の背がツッと触れ思わず首を竦めた。私の緊張をほぐそうとしているのか、触れるか触れないかの距離を保ち、その指は顎のラインをなぞって首筋を滑り落ちた。
与えられた甘い刺激に鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。このままどうなってしまうんだろうと頭が混乱していた。
「ナツさん」
身体を硬直させると共にギュッと目を瞑っていたが、優しく名前を呼ばれゆっくりと目を開いた。
「キス、していい?」
さっきは有無を言わさず強引に奪ったというのに何を今更、という気持ちだった。
「だっ、め、だよ……っ」
私が声を発している間も一太君の指はその動きを止めてくれない。はっきりとした拒絶の言葉を言いたいのに、勝手に甘い声が出てきてしまう。
「ダメなの?」
「だっ、……ゃ」
「ちゃんと言わなきゃわかんないよ」
「だって」
そう思うのならその指の動きを止めて欲しい。
抗議の言葉を告げようとしたその瞬間、
「好き」
「……っ!」
顔を寄せたと思えば低音の声で耳元で囁かれ、フーッと息を吹きかけるとそのまま耳朶を食んだ。
ぬちゃっ、と一太君の舌が蠢く音が耳のすぐ側で聞こえる。少し乱れた息遣いが間近で聞こえる事で、嫌でもアノ時の行為を連想させられた。
「い、やだ、一太君もう止め――ぅんっ」
彼の口唇が重なった事により、やっとの事で発した拒絶の言葉ごと飲み込まれてしまう。再び頬を優しく両手で包み込み、口唇を食む様にして一太君の薄い口唇が重ねられる。二度、三度そうされたと思ったら、次の瞬間、グッと深く一太君の舌が差し込まれた。
「はっ、……ん」
首の角度を変えながら、自分の物では無い暖かい異物が奥まで入り込んでくる。舌を絡め取るようなその動きは、まるで私の中の欲望を無理に引っ張り出そうとしているかの様だった。
何度も何度もそうされる度、逃れたくて握り締めていた一太君の手首を、逆に縋るようにして掴んでいる自分が居た。
こんな事駄目なのに。今私の口内を貪っているのは、小学生だった頃の記憶しかない昔の幼馴染であり職場の後輩でもある人なのに。
こんな行為に溺れてしまえば、これからどうやって接していいのかがわからない。
頭の中ではいけないことだと判ってはいても、徐々に疼き始めたこの身体が強く突っぱねる事を阻んでいた。
やっとの事で解放された時には私は既に腰砕け状態となっていた。何も考えられない程頭が真っ白になりはぁはぁと息を乱している。そんな私を見て一太君はフッと微笑むと、私の口の端に垂れた唾液を親指でつっと拭った。
「素直なナツさんってほんと可愛い。……だから、このまま僕を感じて?」
「……? ――っ!」
――どういう意味だろう?
ぼんやり考えていると左胸にグッと圧がかかった。
「やっ! ちょ、ダメ! ……う、んっ」」
もうこれで解放されるのだと思っていたが、違った。
いつの間に侵入を遂げたのか、ブラジャーも何も着けていない胸を一太君の手が直接触れていた。
彼の手がゆっくりと円を描き再び口を塞がれる。先程より荒さを増したその口づけに、一気に恐怖心がわいて出た。
「やめっ……!」
「何で?」
何度も顔を振って避けていると、口唇を追いかけるのを止めた。一太君のその言い方からして、何故私が嫌がるのかがわからない、とでも思っていそうな雰囲気だった。
「何でって、そんっ、なの、お母さんとかみんないるのにっ」
「じゃあ、誰もいなければいいの?」
「やっ、あ、違っ……ん」
口唇は解放されたものの、手の動きは変わらず止まらない。それどころか今度は首筋に舌を這わせながら喋るもんだから、変な声が自然とでてしまった。
ダメだって思うのに、自分の意思とは反しジンジンと疼き始めた不埒なこの身体が恥ずかしくて涙が出そうになる。私の好きなのは拓ちゃんなのに。忘れようとは思っているけど、好きでも何でもない人と身体を繋げる事で忘れた振りをするのなんて嫌だ。
「やだぁ、もう止めてよ」
懇願するかのようにそう言うと、ピタリと動きが止まった。
「僕達って付き合ってるんだよね?」
「……え?」
やっとの事で全ての刺激が止んだと思ったら、いつの間にか一太君は私の顔を覗きこんでいた。そこにはさっきまでの甘い顔は全く無く、どこか冷たさを感じさせられるもので、心なしか言葉も怒気を含んでいた。
――『私、今この人と付き合ってるの』
一太君はきっと、拓ちゃんを忘れる為に私が吐いた嘘の事を言っているのだろう。そう言えばあの後お姉ちゃんがすぐに来たから訂正する事も出来ず、そのままになっていたのを思い出す。
「違うの、あれは――、やぁっ!」
ちゃんと説明をしなければと思った瞬間、胸の柔らかな部分だけに触れていた指が、今まで触れられていなかった敏感な部分をスッと掠めた。
「ヤダヤダとか言って、何でこんなになってんの?」
サディスティックなその物言いに、ゾクリと背中に震えが走る。片方の口の端をクッと上げると私の目をジッと見つめながら赤い舌をちょんと出した。一太君の手が一旦下降したかと思うと、パジャマの上着をたくし上げる様な動きに変わる。
「――っ! だ、ダメーっ!」
「あだぁっ!」
咄嗟に繰り出された私の右手は、綺麗に一太君の顔面を直撃した。