聖夜に聖なるベルが鳴る
姉妹は走る。ただ走り続ける。
息が上がって、足がもつれそうになる。心臓がバクバクと暴れ馬のように跳ねる。だが、それでも走り続ける。
周囲を囲む闇色のマーブル。怖気の走る世界をただひたすらに。
「お姉ちゃん……!」
「ダメよ! 走りなさい!」
幼い妹の手を引いて姉は走る。
その背後から、闇よりも濃い”影”が迫ってくる。
「グフフハハハハ……! 逃げろ逃げろ、どこまでも。そうして絶望を溜めこめぇ!」
”影”から響き渡る恐ろしい声。それが鼓膜を揺らすだけで、魂が揺さぶられるようだ。
一体、何故こんなことになったのか。どうして自分達が。その疑問が頭をめぐっては消える。
クリスマスも迫った年の瀬。元々体の弱かった妹が突然、体調を悪化させた。そして入院することになった。
両親は忙しく、病院になかなか来れない。だから姉が毎日、見舞いに来ていた。
時は12月24日。クリスマスイヴ。その日も姉は妹の見舞いに来ていた。両親も今日ばかりは時間を作って病院の方に来る予定である。
外出許可も得ていて、久しぶりの家族で食事に出かけられるとあって、姉妹は今日という日をとても楽しみにしていた。
いよいよ、時計の針が夕方を示すその時。異変は起こった。
日が沈み、闇がその濃さをました瞬間。病院を暗く、そして昏い影が覆い隠した。光が消え去り、混乱とざわめきが世界を埋め尽くす。
何が起こったのか。姉妹は病室に居た筈が、気が付けば外にいた。病院にいた職員や患者、医師や看護師もだ。
「一体……何が?」
「ちょっと、何あれ……キャアアアッ!」
そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。津波のように襲いかかる”影”。恐怖と悲鳴がそこら中から響く中、姉は妹の手をとって走りだした。
”影”はしかし、瞬く間に人を呑み込み、しかしその勢いを留めることなく押し寄せる。
どれほど走っただろうか。あれだけ聞こえていた悲鳴はすっかりと消え、姉妹の乱れる吐息だけが周囲の喧騒を乱し続ける。
「お姉ちゃん……もう、だめ……!」
「ダメよ、立って! 走るの!!」
ついに妹が力尽きて膝から崩れ落ちる。元々病で体を弱らせていたこともあり、顔色も悪くなっている。
「くはははは……! 良い色だ。清純な魂が絶望に程よく染まっておるわ」
おぞましい声が周囲から響く。”影”は既に姉妹を取り囲み、今まさに襲い掛からんとしていた。
ついに姉も崩れ落ちて、その両目に涙を溜めてしまう。
「お姉ちゃん……!」
「何なのよぉ……もうヤダぁ……! 誰か助けてぇええええええ!」
「ははははははは! ここは俺の世界! 誰も助けになど来ない! お前たちはここで俺に食われるんだよぉ!!」
――シャンシャンシャンシャン。
「……え?」
「なんだ、この不快な音は?」
「……サンタさんの鈴?」
突然聞こえた音に、姉妹は上を見やる。直後、マーブルの宇宙がひび割れ、パリーンという音を立てて砕け散った。
「ちょーっと待ったー!」
そしてそこから二頭のトナカイ。それに引かれるソリに乗った赤い服の少女が現れる。
「姉御! あそこに子供が!」
「わかってるわよ!」
少女は手綱を離すと、ソリの縁を蹴って迷いなく飛び降りた。”影”は少女に向かって鋭い刃を飛ばす。しかし少女はクルリと身を捻り込んでそれを躱し、そして姉妹の前に音もなく着地した。
そうして間近で見る少女の姿は、歳の頃は姉よりも一回り近く上――17,8歳であろう。この季節ならば街中で見ることの出来るサンタクロースのそれであった。
乱れた髪を掻き揚げ、少女は不敵に笑う。
「ふふん。やっと見つけたわよ、夢魔イングレッド」
「俺の結界に入ってくるとは……貴様、教会のエクソシストか?」
「エクソシストぉ? あんな連中と一緒にしないでくれる。あたしは――」
少女は赤いジャケットから、星印の付いた掌ほどの大きさの金貨を取り出して突きつける。
「子供たちに夢と希望を! 聖金貨教会第一等浄戒士、クリス・クリンドールよ!」
「っ……!? 聖金貨教会……だと!」
「ドナ! ダンダー! この子達をお願い!」
”影”――夢魔が怯んだ隙に、赤い少女――クリスは姉妹を抱きかかえると、まるで天使の羽でもあるかのように高々と、一気に飛び上がった。
「了解です」
「合点承知の助ですぜ!」
姉妹をソリに乗せるとクリスは再び飛び降り、ソリはその高度を上げていく。
「うわぁ……! お空、飛んでる!」
「大丈夫かい? もうちょっと我慢すれば、すぐにここから出られる。頑張ってくれ」
「うわっ! トナカイさんが喋った!?」
「いや、さっきから喋ってるし」
空を飛ぶソリに姉妹が興奮し、人語を解するトナカイに驚く中、下では既に戦いが始まっていた。
夢魔は自身の体とも言うべき影を鋭くして幾本も飛ばす。クリスはそれを右に左にと駆けながら、見事に躱していく。
「どうした浄戒士! 逃げてばかりか!?」
「冗談。むしろ、やり返して良いのか迷ったぐらいだわ!」
言うや、クリスは懐からリボルバー拳銃を取り出した。鈍い銀色に輝く銃身には細かな装飾が施されている。
走りながら銃口を夢魔に向け、トリガーを引くと、閃光が奔った。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
光は影を抉り飛ばし、夢魔は世界を揺るがす程の絶叫を上げた。
「ふふん。【太陽の福音】は刺激が強すぎたかしら?」
「グググ……おのれぇ!」
夢魔は怒り狂い、更に激しくクリスを攻め立てる。しかしクリスはそれを冷静に躱して、逆に小瓶を投げつける。
特性の聖水を内包したそれは、夢魔にぶつかるや砕け散り、聖水が夢魔の体を盛大に燃やした。
「ギャギャギャガァアアアアアアアアアア!!」
「おぉおぉ。やっぱり聖水はヴァチカン製が一番効くわねぇ。いい燃えっぷりだわ。さて、時間もないからね、さっさと決めるわ」
クリスは金貨を取り出し、空高く放り投げた。
「魔を祓い、幸運を呼ぶ一降りの金貨は、聖なるものの与えし祝福なり。神への賛歌。未来に高潔なる魂を繋ぐ!」
金貨は天空に光を放ち、それは降り注いで夢魔を撃ち貫く。そしてクリスは、銃口を顕になった夢魔の中心――魔核へと向けた。
「故に、魔よ疾く去るべし。此処よりは神に祝福されし者の領域なり!」
放たれる光。それは迷いなく魔核を貫いて、そして砕き飛ばした。
「グァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
響く断末魔の叫び。夢魔の体が切り裂かれて散っていく。そして人の形をした無数の光が飛び出して世界を貫く。それに呼応するように世界が崩れ始めた。
「クリス様!」
「脱出する! ケツまくって逃げるわよ!!」
クリスは降りてきたソリに飛び乗ると手綱を掴み、穿たれた天空の穴に向かって進路を取る。
周りのマーブルの景色には次々に亀裂が入りだし、世界全体が大きく揺れだしている。いつ崩壊してもおかしくない状態だ。
「しっかり掴まってなさい! 飛ばすわよ!」
「「きゃああああああ!」」
クリスが手綱を打てばトナカイの鈴が激しく鳴り、まるでジェットコースターのような凄い速度で、グングンと高度を上げていく。
姉妹は振り落とされないようにと、ぎゅっと目をつむって必死にクリスにしがみついた。
「姉御、欠片が!」
「なんとぉ!」
ソリに向かって降ってきた欠片に、早撃ちを決めてい粉砕すると、そのまま一気に”外”へと飛び出した。
轟々と鳴っていた風の音が止み、鈴の音も静かになったので、姉妹は恐る恐るつむっていた瞳を開いた。
「うわぁ……っ!」
「キレイ……! まるで宝石箱みたい!」
姉妹は揃って感嘆の声を上げた。今、彼女たちを包むのは星のシャワー。白銀の雪。金色のイルミネーション。
目も眩みそうなキラキラとした、とても美しい世界がそこにはあった。
「ここはアストラル・ライン。物質と精神の間の領域……って、お嬢ちゃん達には分かんないか」
クリスは苦笑しつつ、ソリを星の道に滑らせる。ルビーのように閃く火が、彼方に弾けて花火のようだ。
姉妹は目を見開いてその幻想的な光景に夢中になった。
しばらくそうして飛んでいたソリだったが、クリスが再び手綱を引いて進路が変わる。
「そろそろ帰らないと。お父さんとお母さんが心配するわ」
「お姉ちゃんはだれ? サンタさんなの?」
「そんなわけないじゃない。サンタってもっと太った、ヒゲモジャモジャのおじいさんなんだから!」
「あっはっは! そうね、一応はお姉ちゃんもサンタさんなのよ。まぁ、プレゼントを配るのはお仕事じゃないんだけど」
「じゃあ、サンタさんじゃないよ。だって、サンタさんはプレゼントをくれるんだもの」
「うーむ、それは一理あるわね……それじゃあ」
クリスはポケットを弄って何かを取り出すと、姉妹に手を出すように言う。
言われた通りに二人が手を出すと、その手にポトリと落ちるのは小さな二枚の金貨。
まるで星を掴んで落としたようなキラリと光るそれに、姉妹は目を輝かせた。
「メリー・クリスマス。あなた達の未来に幸運と神の御加護があらん事を」
そして世界は真っ白に染まった。
「――い。舞。起きなさい、舞」
「……んん? 」
ゆさゆさと揺すられる感覚に、姉は目を開いた。ぼんやリとした瞳で辺りを見れば、そこは見慣れた妹の病室だった。
「あれ……お母さん?」
「まったくもう。風邪引くわよ。香菜も。ちゃんと布団かけてないし……どうしたの?」
「香菜! 香菜!!」
「うーん……お姉ちゃん……? っ!」
姉に起こされた妹は、ハッとなって起き上がった。そしてキョロキョロと見回して、そして首を傾げた。
「どうかしたの?」
「夢……だったの?」
「違うよ! だってこれ!」
姉は妹に金貨を突き出してみせた。それを見た妹は慌てて自分の手の中も見た。
そこにはやはり――小さな金貨が一枚。
「お姉ちゃん、夢じゃない!」
「うん! 夢じゃない!!」
「あら、あなた達。それ、どうしたの?」
母親が尋ねると、姉妹は揃って答えた。
「「サンタさんに貰ったの!!」」
―――シャンシャンシャンシャンと、夜空を滑るソリが、病院の真上を通り過ぎていった。
時期的にもこっちの方がと思ったのが運の尽きw
クリスマスは終わってしまいましたが、まぁ細かいことは気にせず。