【月夜の涙】②
霧島家、世紀の大乱闘があった客間を通り過ぎ、突き当たりの部屋に入る。
私と若葉くんが行ったときには、すでに聴診器をつけておばあさんを診察している八神さんの姿があった。
「風邪ですね。医院の者に言ってお薬を届けさせます。
……近頃お姿が見えないので心配いたしました。ご無事で何よりです」
穏やかに笑いかけるけれど……その様子を見つめる隼斗と郁人くんのように、気まずくないわけがなかった。
なぜなら彼らは、2人の結婚に猛反対し、宗雄さんをこの家に迎え入れた張本人たちなのだから。
「……恨んでいるか」
「何をです?」
「わしたちの罪だ」
少しの沈黙の後、八神さんが静かに首を振る。
「いいえ。……私は、あなた方が全ての罪を背負わなければならないとは、思っておりません。
彩子さんのことを思っての縁談……だったんですよね。駆け出しの研修医より、大病院の御曹司の傍に置くほうが、より高度な治療が出来るはずだと」
「でも……それは大きな間違いだったわ。宗雄に家を乗っ取られた挙げ句、隼斗に守られることになるなんて……」
「宗雄さんが、2年前になって急に住もうと言ってきたのはどうしてですか?」
思わずおばあさんに問う。答えたのは隼斗だ。
「おふくろのガンが再発したのが、ちょうどその頃だ。
牽制してきたんだろう。俺たちが取り残されれば、親父はきっと名乗り出る。この家とまったく関係ないと知れれば、財産を手にすることができなくなるから」
彼はそれに気づいて、だからあえて宗雄さんについて行った。お母さんの生家を守るために。
「でも、本当のお父さんのことは、どうして気づいたの……?」
「前に郁人の付き添いで八神医院に行ったとき、偶然おふくろの治療記録を見た。
そこには全部書かれていた。おふくろが城ヶ崎宗雄ではなく、八神真之と結婚していたこと、俺たちが血の繋がった家族であること……。
あの男が現れたとき、何食わぬ顔で出て行こうと思った。でも……おふくろは気づいた。
あの男に何をされるかわからない、絶対に行ってはいけない。そう言われたけど、祖父母のことを考えたらそんなこと言ってられなくなったんだ。
結局親父と連絡をこまめに取るという条件つきで、泣く泣く離れた……」
「……それで、あんなこと……」
2年前、隼斗が別れ際にひどいことを言っていたと聞いた。でもそれは暴言ではなく、惜別の情に堪えないからこその言葉であったのだ。
「……後悔しかなかったよ。あの男が乗り込んでくる度に、なぜあんなことをしてしまったのかと……」
悲痛な声が、静まり返った部屋の空気に溶ける。
「彩子が死に、ハツネが体調を崩した。しかし、ただの風邪だからとあの男の病院では受け入れてくれなかった……。
だが藁にも縋る思いで八神医院を訪れたわしたちを、真之くんは何も言わず優しく迎えてくれた。
その瞬間、自分の愚鈍さを責めた。あの子がどうして彼を愛したのか、やっと気づいた……」
力なく、おじいさんが俯く。
「……君と彩子たちを引き裂いてしまったのは、紛れもなくわしたちだ」
「許されることではないとわかっています。どんなに謝っても、あの子がもう戻ってこないことも……」
「……お義父さん、お義母さん。もう、いいじゃありませんか」
八神さんは膝をつき、2人の節くれだった手をそっと取る。
「もう……いいんです。私たち親子はこうやって再会することができましたから。彩子さんも天国で私たちを見守ってくれています」
「……真之くん……」
涙を浮かべて振り返ったおじいさんとおばあさんに、隼斗と郁人くんは小さく、でもしっかりと頷いて返した。
「隼斗……郁人……」
ついにおばあさんが顔を覆う。その肩を抱きながら、おじいさんも身体を震わせる。
――静かな満月の夜、ひとつ、またひとつと雫が零れた。
けれど悲しみを呼ぶものではない。
家族の絆を表す、温かな涙だ――




