【背水の陣】②
「やめてくれっ!!」
張り詰めた空気を、悲痛な叫びが引き裂く。
「この家の財産がほしいならくれてやる! だから俺たち家族を引き離すのはもうやめてくれ!」
「だが郁人くん! ここは彩子さんが生まれた大切な家だ!」
「そんなのはどうだっていいんだよッ!!」
投げ槍になったのではない。
「前に言ってくれたじゃんか。『命を大切にしない人は嫌いだ』って。そうだろ? …………父さん」
たっぷり水を張った瞳に、少年が映し出すのは――やっと向き合えた、かけがえのない人。
八神さんの瞳は揺れ動き、伸ばした手のひらが宙を滑る。
「……うるせぇガキだ」
「うぁっ!?」
不快感を隠そうともせず、拘束した両腕をひねり上げる宗雄さん。歯を食いしばって耐える郁人くん。
まるで当て付けのような仕打ちに、八神さんの中の何かが弾け飛んだ。
「城ヶ崎、貴様ぁッ!!」
男2人が立ちはだかるも、憤慨した八神さんが素手で殴り飛ばす。
あの優しい八神さんの、阿修羅のごとき激昂。震えすら感じる光景を、宗雄さんは薄笑いのまま眺めていた。
「おー怖い怖い。普段なよなよしてるからつい忘れそうになる。お前が、武道の有段者だってことをな。
まぁどうせ手出しは出来ない。こっちにはまだ手札があるからな」
「……何」
今度は背後から別の男たちが入ってくる。
すごい人数……囲まれた。
それだけではない。宗雄さんの視線を受け、集団が真っ二つに割れた先に……。
「隼斗くん!」
……間違いない、城ヶ崎だ!
けれど、彼は俯いたまま反応がない。
「隼斗……くん? どうして……」
「一足遅かったな八神? 隼斗はもう抜け殻だよ」
「何だとっ!?」
「あんまりにも親不孝なヤツでね、俺の邪魔をするんでお仕置きをさゆりに頼んだんだ」
「さゆり? 誰だそれは!」
「俺の新しい妻さ。相変わらず怖い女だ。もうすっからかんだ! はははははっ!」
……そんな、さゆりさんが?
ウソだと思いたくとも、城ヶ崎は俯いたままで、顔色は蒼白で。
「しっかりして城ヶ崎! 城ヶ――」
いや、違う。違うんだ。
そうじゃない。彼の名前は、
「郁人くんも八神さんもいるよ! 独りじゃない! もう大丈夫だからしっかりしてよ! お願いだから、ねぇっ……隼斗っ!!」
「チッ……やかましい女だな。静かにしろ」
隼斗が男の1人に羽交い絞めにされる。そうされてもなお、彼は身動きひとつしない。
「何の真似だ……!」
「大人しくしねぇと、こいつがどうなっても知らないって話。
ノコノコやって来たはいいものの、残念だったな。お前の大事な大事な息子は、2人とも俺たちの手の中だ」
「城ヶ崎……貴様……!」
「まぁそう怒るな。久々に会ったんだ。同じ医者同士、少し話でもしようじゃないか」
睨み付ける八神さんをよそに、宗雄さんは話し始める。
「ある意味医者ってのは、楽な職業だよなぁ。
怪我や病気なんてのはするときにする。なるときになる。放っておいても患者は来る。
だがな、俺はそれじゃあ納得できなかったんだよ。親父から受け継いだ病院を、このままで終わらせていいのかってな」
それは使命感にも似た感情。だけど。
「……貴様はそのために、彩子さんとの縁談を利用したのだろう」
「そうだ。あの女の両親に泣きつかれたんだよ。この家の財産は差し上げますから、どうか夫になってくださいってな。
ひどいヤツらだよな。自分たちの面目のために、紙切れの上で理想の跡継ぎ夫婦を作り上げたんだ。
まぁ、俺は女になどサラサラ興味もなかったし、資金が手に入れば文句はない。お望み通りよき夫を『演じてやった』けどな?」
……それが、悪夢の始まりだった。
「……ふふ、はははっ! それからは爽快だった! 医療機器の整備、優秀な人材の雇用、その他施設の充実!
患者はなだれ込むように俺の病院を求めた! その度に医療技術の向上をはかり、どんな難病でも治療できるような体制を整えた! 全ては俺の望んだ通りだ!!
……それが、あるときを境に患者は減少していった」
「……医療格差、か。あまりにも高度な病気の治療を優先したため、虐げられた軽症患者から不満が生じた……」
「棚ぼた式に、近隣の極小医院が栄えたなぁ。最先端医療技術を駆使しているわけでもない。
それなのに、そこには自然と人が集まった。聞けば八神医院のよいところは『院長先生のお人柄』だと。
『氷穴病院』『陽だまり医院』……お前はこの言葉を聞いたことがあるか。いつの間にか触れ回り出した評判だ。俺は身が引きちぎれるかと思ったよ」
「だから、今回の事件を起こした」
「贖罪だよ。俺の病院を馬鹿にしたヤツら……そして、お前へのな」
「そんなの、ただの逆恨みじゃない! そんなことのために関係のない人たちを傷つけたの!?」
「黙れ小娘」
「……っ!」
……ダメ。隼斗や郁人くんが彼らの手中にある以上、私たちは絶対的に不利なままだ。
どうしよう……どうすればいいの?
「そろそろ警察も感づく……が、その前にお前らを始末すれば全てが上手くいく。
どうせなら、こいつも一緒のほうが手っ取り早いな」
「郁人くんっ!」
突き飛ばされ、倒れ込む郁人くん。彼をしかと抱き留めた八神さんは、小さな肩口へ額を押し付けるように詫びる。
「すまない郁人くん……本当に、すまない……!」
「……とう、さん……」
ただただ謝り続ける八神さんは、気づいていない。嫌な笑みを浮かべた男たちが、にじり寄っていることに。
「八神さんっ、郁人くんっ! 逃げてくださいっ!」
「大人しくしていろ!」
「……んむっ!?」
弾かれたように振り返った八神さんが、男に口を塞がれた私を認める。
次いでキッと睨み付けた正面で、宗雄さんはやはり余裕の笑みを崩していなかった。
「……セラさんは無関係のはずだ。解放しろ。お前の恨みは私がすべて引き受ける」
「やーなこったね。誰がお前の言うことなんざ聞くか」
「城ヶ崎!!」
「そうだなぁ……女をただ始末するのはつまらない。たっぷり遊んだ後、すぐに後を追わせてやるよ」
人を見下しきったその笑みといったら……悪魔そのものだ。
「……ダメッ! やめて!!」
男からは逃れられない。そうとわかっていたから、私は懇願した。
もう誰も、傷つけないでと。
「無駄だ。見ていろ」
その願いすら一瞬で粉々になり、男たちが動き出す。
1歩……また1歩と、悪魔の足音が八神さんへ。郁人くんへ。
「やれっ!!」
号令と共に私は目をつむった。




