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【2年A組土屋先生】②

 

 思えば私は、考えごとをしていたのである。ごくごく普通の生活をしているにも関わらず、寺元先生にやたら怒られるのはなぜか? とか。


 それが、今はどうだろう。「先生に呼ばれてるんだけど」と若葉くんに呼び留められ、理由も明かされないまま化学室に向かっているなんて。しかも。




(……もしかして、怒ってる?)




 1歩先を行く若葉くんの黙り具合が、尋常じゃない。


 どう声をかけるべきか困惑しているうちに、入口まで辿り着いてしまった。すると――




「お邪魔します!」




 スパァアン! とスライドドアを開けてずんずん中へ入って行く若葉くん。


 私たちに気づいたのか、教卓のそばにいた男性が手元の閻魔帳から顔を上げた。




「ああ、お前ら、やっと来た――」



「その前にちょっと話があるんだけどいいかないいよね雅宏さんっ!」



「えぇっ!?」



「そう怒るな、聡士。落ち着け」



「あなたは落ち着きすぎだと思います! 僕が怒ってる理由くらいわかってるだろ!」



「だから呼んだじゃないか。職員会議でちっとばかし面倒なことになっていたからな」




 男性は、若葉くんの剣幕に慌てず騒がず返す。


 歳は30代後半くらい、地底を這うようなバリトンと白衣姿はおなじみ。


 彼は紛れもなく私たち2年A組の担任で、一風変わった化学教師として校内でも有名な土屋雅宏その人であった。


 ……それにしても、この状況は一体?




「またこの人が迷惑をかけたみたい。ごめん」



「え?」



「どうも昔からやりすぎてしまう傾向があって。悪気はないんだろうけど……」



「そうだ、悪気などあるものか。お前の主治医として、現状改善の努力を続けた結果の出来事だ」



「開き直らない! 雅宏さんが爆発なんて騒ぎを起こすから、彼女が変に疑われたじゃないか!」



「まぁ、紅林には気の毒なことをしたと思うが」



「あの……?」



「寺元先生のことだ。どうやら俺の行動がいらん誤解を招いたらしい」



「……ちょっと待ってください!」




 必死になって状況を理解しようとしたが、その先にある事実も実に吹っ飛んだものだった。



「そ、それってつまり、この間のボヤ事件、実は土屋先生の実験が原因で、それを私のせいだって勘違いした寺元先生が問いただしに来たってことですか?」



「ご名答」




 ……何てこと。




「まったく……単なる研究者上がりなのに、主治医だなんて大げさな」



「似たようなもんだろ。ただでさえ医者嫌いのクセにそんな我儘言える立場か。お前の体質はやすやすと一般人に知られていいものではない」




 ――耳を疑った。土屋先生は今、『体質』と言ったか。




「心配ない。彼は全部知ってるよ。当事者だしね」



「……当事者?」



「今でこそこうして冴えない教師してるけど、以前は大学で研究をしていて……その研究っていうのが、人体の不思議について探求するもので」



「俺がコイツと会ったのは、10年と少し前か」



「こんな人でも有能なのは確かだから、この体質について色々と究明してくれた。そういうこともあっての、結構長い付き合いなんだ」



「そうなんだ……」




 意外だったけれど、時間が経てば理解も追いつき、世の中狭いものだと実感する。




「土屋先生って、すごい方だったんですね。去年も担任をしてもらいましたけど、私、ごく普通の先生だと思ってました」



「俺は『そうかぁ、これが聡士の~』と思っていたぞ」



「はい? 私が若葉くんの、何ですか?」



「それはな……」



「あ――――――――――っ!!」




 ビックリした……。大声の主である若葉くんは、なぜかわたわたしている模様。




「何でもない! だから気にしないで、ね!」



「本当に? 顔色が悪いみたい……」



「気のせいだよ! うんきっとそう!」



「わかりやすいヤツ。隠すこともないだろうに」



「他人の口から話されるのが気に食わないんだよっ! それより、もう話は終わり? 僕たちは帰らせてもらうけどいいかな!」



「押しかけといて言うことがそれかい。……まあいいだろう」



「それじゃあ失礼します! 今度は実験気をつけて!」



「あ、若葉くん!」




 言うが早いか、つかつかと行ってしまう若葉くんの背中を追おうとして。




「……変わったな、アイツも」




 土屋先生の呟きに、足を止めた。




「人ってのは、独りじゃ絶対に生きていけないもんだ。ずっと見てると、思うんだよ。


 孤独なヤツほど心の奥底で助けを求めていて、でもそれ以上に自分でどうにかしようって背伸びしてるってな。


 それはアイツだけじゃない。お前もだな」



「私も?」



「アイツがいない間、お前がどんな思いをしてきたか、俺は知っている」



「そう、ですか」



「『なぜ助けてくれなかったのか』と、聞かないのか?」




 まぶたの裏に焼きついた、忘れられるはずもない視線、言葉。思い出すほどに胸を痛めるはずだけれど。




「私、思うほど辛くはなかったんです。壬生狼が……若葉くんが、そばにいてくれましたから」




 胸の前で握った手が思い出させてくれるのは、触れた手の温かい感触。




「……お前らは心の深いところで、強く繋がってたんだな」




 かすかに、土屋先生が目を細める。




「似た者同士が集まるのは世の常。お前もアイツも諦めが悪く、足掻いてきたのを目にしてるからな、俺は」




 しまいにふっと笑い、何事もなかったように元の無表情に戻った。そのまま、ぽんぽんと私の頭を叩く。




「心配するな。ちゃんと見ている。なんたって俺は、お前らの担任のセンセイなんだからな」




 本当によく見なければわからない、微妙な変化。それは、ほとんど表情変化に乏しい人が見せた優しい笑み。




「……はい!」




 元気よく返事し、会釈をしてからその優しい言葉を胸に1歩を踏み出した。


 あの悲しみも、苦しみも、過去のもの。


 色んな事が変わり始める。これがその始まりであってほしいと願う。

 

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